Ⅱ
俺は新参者。
ジットクは、移動中でもぺらぺらとしゃべり倒した。
まず、俺たちの仮の名前だ。黒塗り顔の男は、ジットク、漢字で『拾得』と記すらしい。俺の仮の名前は、カンザンとしたが、『寒山』と記すとのことだ。
由来は、寒山拾得という昔の中国の修行僧コンビだそうだ。二人は、文殊菩薩と普賢菩薩の化身で、小汚い恰好をしている。もうどうでもいい。
俺の名前は青春源治だ、と名乗るのも阿呆らしいので、黙っていた。
それ以外のことも、全く気が休まらない俺を無視して、説明してくれた。年齢は二五歳、俺と同じで、港区の半沈台場の出身。身長は一七三センチ、好きな食べ物はゼリービーンズ、好きな俳優はソフィー・マルソー。
軽々しい喋り方のせいか、全部嘘にも聞こえる。
監視用多翼機械群体が首都高に沿って飛行していったが、俺たちには目もくれない。
「この状況はいったいなんだ」俺は拾得の話を聞きながら、状況整理していた。
俺は天狗に襲われた。で、拾得と名乗る男が天狗を殺した。しかも警官は俺のことを無視。そして、俺も顔を隠している。
たどり着いた結論は、意味不明理解不能ということだ。
俺はやっと、目の前で浮遊しっぱなしの状態となっている【東京の宵】表示に意識を向ける。
歩きながら、タッチ。
機械音声でナレーションが開始。
東京の宵。
これは、神たる東京を維持するために、摂政である徳川宗春公が提唱実現した都市機能維持プロトコルでございます。
月に一回、皆さま戦闘員総勢一〇〇〇名にやってもらうのは、各圏間の代理戦争、つまり殺し合いです。
この時点ですでに完璧なのですが、詳細をご説明しましょう。
神たる東京は設立当初からいろいろな問題に悩まされてきました。わかるよね。
まず、人が多い。多すぎ。だから、みんなで殺して数を減らす。解決。現実では事故死や突然死、行方不明として取り扱われます。一般的に行方不明者については、東京外に去ったとか、地下住民に地下へ連れていかれたとか、多様性に満ちた伝承がありますが、半分近くはこの祭事で犠牲になっているんですね。だいたい一夜で、五〇人くらい死にます。吃驚。でも、大都市における人口問題もこれで解決ですよね。
次。神たる東京の脳みそ。そう、摂政ご自身の能力。徳川宗春公は都内のある場所に鎮座しその驚異的な能力により五圏東京を統治しておりますが、まあ、それでも演算処理能力は物理的に限界があります。そして世の中が圏に分けられていることにより、能力の資源をどう分配するかが問題になります。内閣総理大臣や東京都知事も知らぬ事実。徳川宗春公が手をかけるほど、圏は安定し生活の質は保証される。徳川宗春公はあらゆる公共を適切に管理せねばなりませんが、自身は有限的な存在であり、かつみなさんの共有体であるという構造的ジレンマがあるわけです。
そこで、東京の宵。参加者の活躍具合でその分配加減を決めましょうという、生き残り殺し合い的なヤツですね!
反論もあるでしょう。
別に人が殺し合わなくても、努力すれば解決しそうな問題ですから、二つとも。
というわけで決め手としては、やっぱ徳川宗春公が類人猿同士で殺し合うとこを観覧するのがスキってことに収斂される的なこともあります。これまた吃驚。
いろいろ申し上げましたが、東京の宵とは御前試合です。
ルールは単純。払暁まで生き延びて、なるべく多くの他圏の戦闘員を殺す。使用可能武器は、二〇世紀以前に開発された殺傷道具のみ。常時と同じく、心体筐体改造規制。躰の装飾以外における強化外骨格や光学迷彩、自律型兵器などの高性能兵器や電脳装具は使用禁止です。
そして期間中は、殺害許認可に加え、五圏東京移動権が付与されております。ただし、非参加者からみなさんは認識されません。アウト・オブ・眼中です。ですので、非参加者に危害を加えたら、それなりの罰則が与えられますので、十分ご留意を。
もちろん活躍したら、報奨、通称『祝福』の用意がございます。こちらは開けてびっくりのお楽しみで。
最後に注意事項。終わった後、日常生活の中で東京の宵について無関係の人間どもに口外したら、即死亡。一族郎党皆殺し、な。脳味噌、監視しているからね。
理解したら、さっさと武器を持って、顔を隠して、人を殺しましょう。
……なんか説明したら、疲れたわ。
終了。
「説明聞いたけど」俺は拾得にぼそりと告げる。
「どう」
「わからん」
「ま、そんなもんだね、最初は」拾得は軽く答える。「ちなみに、あなたと僕は同じ【第二圏】だから仲間だよ。一年ほど先輩だけども」
「ぜんぜんわかんねぇよ」
拾得は笑顔のままだ。「深く考えずに、幸か不幸か選ばれたとでも思って。敵は、さっきのような奴ら。近寄ると耳がキィンとしますので、すぐわかる」
全情報集受容疑似瞳の指示に従い、超越現実設計で構築されている下北沢ビル群の上下左右超複雑な入れ子回廊を抜けると、地上から五〇メートルの高さにある第一空中公道層に出た。
神たる東京に住む人々は高層ビル間を移動する際、基本的に複数存在する空中公道を利用している。大災厄前は一度地上や地下に降りてから移動していたらしいが、かったるい。
俺たちは人で溢れている交差点に漂着した。
背広姿の会社勤め。電気犬を連れた老夫婦。歩きながらタブレットで仮想空間に没頭する学生。歩行者の多くは、混雑している電飾を無視して、信号の表示に注目している。
信号柱の脇では、復讐信奉者が拡声器で『世界を三日で終わらせる方法』を演説している。「東京はあなたのために死なない。東京はあなたが帰るべき家ではない。神は人間を救う、だがあなたたちは人間ではない。あなたたちには魂が不在である」空虚な主張はビル谷に吸い込まれていく。
不思議でもあった。普段は、そこに誰かがいることは認識できても、半分以上の人々の顔や姿は判別できない。下僕たる証明による脳制御の影響だ。層所属変更の手続きも容易ではないため、一生を通じて他圏の社会を覗くことなどほぼ皆無。しかし、今は脳制御が解除されている。隔絶されているはずの他圏の生活が目や耳を通じて、脳に入り込んでくる。世界の広がりを感じて、俺は少々圧倒される。
「さてさて、これから訓練してもらうかなァ」
「何をするんですか」口調を丁寧語に戻した。胡散臭いとはいえ初対面だし、変態の耳に九寸釘をぶち込むようなド変態だ。対応には十分注意を払うべきだ。
「僕の後について、交差点を越えてみよう。簡単だろ」
馬鹿にしているのか。「わかった。歩けばいいんでしょう」
やがて、青信号に切り替わり、一斉に人が移動を始める。
「ユーレイ気分を味わってね、お先に」
拾得は、軽やかに人ごみを抜けていき、あっという間に俺を置き去りにする。
俺も続こうとしたが、いきなり隣の老人に足を踏まれる。老人は俺に謝ろうともせずに、さっさと進んでいく。
拾得の背中を探すが、すでに向こう側まで移動していた。
追いつこうとするが、思いのほか、人に当たる。
無視される。通常時になら、目の前に人の姿を視界に捉えれば、衝突を避けるために反応するはずだ。今は違う。肩がぶつかっても謝ろうとしないし、進路を避けもしない、そもそも、視線さえ合わない。俺の存在が〈ない〉ように扱われる。人々の躰が津波のように俺を押し返してくる。
人が移動しきって、青信号が点滅し始めたところで、小走りで交差点を渡り切るが、拾得の姿は消えていた。
どこへいったんだ。
俺は、きょろきょろと辺りを見回す。
あっという間に通行人が溜まって、信号がまたも青に切り替わる。
俺は赤信号で止まっている完全自律運転車両の横まで行きサイドミラーで顔を確認した。いつも通りの、変哲のないぬぼーっとした顔をした俺がいた。顔の汗がテカっている。
と、耳鳴り。
サイドミラーをよく見たら、俺の奥にもう一人いた。
視線が合う。拾得じゃない。
ソイツは高速で駆けながら、何かを振りかざして、俺の後頭部を狙っていた。天狗と一緒。
咄嗟に、地面を蹴って、躰を捩じる。ソイツが振り切ったなにかは、サイドミラーをふっとばした。
太い警棒。
女だった。針金のように細身で、上下を金色刺繍のラインが入った黒色の運動着を纏っていた。顔は炎龍。複合世界仕様の拡張現実化粧。顔全体を覆う焔、たなびく赤き髭、むき出しの凶悪な牙。
俺は地面を這うように距離を取るが、運動着炎龍はすぐに体勢を整えて、俺に向かってくる。
「畜生」やられてたまるか。
俺は立ち上がる。
次の瞬間、炎龍は「シェイ!」と吠えて、警棒を袈裟切りの型で振りぬいた。
俺は上半身をなんとか捻り、すれすれで避ける、避けたと思った。
腹に衝撃がある。炎龍の蹴りだった。警棒は囮。わざと大振りして、牽制しやがったのか。
華奢な躰から繰り出された功夫的一撃は、それほど威力があったわけではない。運動不足で弛んだ躰の鳩尾に入ったせいで、バランスを失う。息ができない。膝をつく。刹那、顎に膝が入る。
俺は跳ね起きる。
拳を掲げ、ファイティングポーズを取ってみる。喧嘩などしたことがない。
炎龍は警棒でアスファルトの地面を叩く。焔が揺れる。厭だ。逃走したい。
だが、俺は安心した。
いつの間にか、拾得が炎龍の後ろに立っていた。警棒を掴むと、一気に炎龍の腕ごと捻り上げる。
虚を衝かれた炎龍は、瞬時に警棒を手放すと、ぴょんと跳ねて拾得から離れた。
「お待たせしました」拾得は威嚇するように警棒を振り回す。「ったく相変わらず派手なアタマしてますわなァ。【第三圏】の功夫達人、赤き龍さんですか」
拾得と俺が並ぶ。
「私は」炎龍が呟く。「貴殿のことは知らないのですけどね。ちょっと黒過ぎない?」
「あら、悲し」
炎龍は蟷螂拳の構えを取り、ゆらゆらと円弧を描くように動いて、距離を詰めたり、取ったりを繰り返す。思案しているのだろうか。俺たちに攻撃できるかどうか。
やがて炎龍は舌打ちをしてから、背を向けて逃げた。疾風の如く。
拾得は口惜しそうに声を出す。「今夜二人目だったら、バリヤバかったのになァ。一晩に二人は、今までなかったから」
「二人目って、一人目はあの天狗か。殺すっていうことなのか」
「殺すとかあんまり口にしたくないけど、残念ながらそういうことだねェ」
残念感がない言いぶりだ。さっきのジャージ炎龍は逃げた。天狗は、死んだ。
「敵ってことはさ、恨みでもあるのか」こんなに口を動かすのは久しぶりだ。しゃべっていないと気がおかしくなりそうだ。汗が止まらない。
「いや、違うよ」
「拾得さん、頼むから教えてくれ。意味も解らないまま、殺されちゃかなわない」
こいつはどうやら先輩だ。摩訶不思議だろうと、法則はあるはずだ。俺はさっさとそれを知るべきだ。
「物騒な言い方するなァ」黒塗り顔は、気の抜けた喋り方をする。炭酸の抜けた麦酒のような奴だ。「正解だけどね。しかし、寒山ちゃんは冷静だね」
「いや、意味不明なんです。目の前の事態に、頭が置いてけぼりなんです。さっきの説明を聞いても」
「要は宗春だよォ。より多く戦果を挙げた圏ほど、宗春の計算領域を多く確保できる、単純かつ明確」
「ふぅむ」
「個人的にも宵で活躍すると、いいことがある。活躍するってのは、他圏の奴らを多く殺すってことで、そうすると祝福が受けられる仕組み」
『祝福』って表現が宗教めいている。「具体的にはなんです」
「いいことが全般的に起こるって感じ。社会的地位の向上、モテたり、宝くじが当たったり、給料が上がったり。人それぞれで」
「だから、殺したんですか」
拾得は目を細める。「確かに、言っている意味は解るよ。でも、あっちも殺そうとしている」
ということは。
「拾得さん、さっき襲われた時ですけど、俺を餌にしたんですか」
「違うよ、こわっ。驚かそうと思ったら、見失っちゃって」拾得の表情が笑顔に戻る。「反応もいいし、意外とガッツあるしさ、僕と組まないかい」
答えは保留した。
東京の宵。
今夜は世田谷区が会場、俺は徳川宗春により【第二圏】の戦闘員に選ばれた。
頭の中を整理しつつ、拾得についていく。夜間潜行。階段やエスカレータでどんどん上昇し、中規模高層ビルの屋上に復元された緑地へ。そこには松陰神社があった。人の気配はない。
夜空を見上げる。神たる東京の夜空に星はない。宇宙から到来する太陽フレア――強力なX線やガンマ線を含む――や、その後に降り注ぐプラズマの塊を防御し、磁気嵐の影響を最小限にする炭素繊維集合体、極東万里天蓋に覆われているからだ。高さ二〇〇〇メートルの主柱。そして、六本の郊外縁補柱。計七本、極大の柱が自己補修機能を持つ生体天蓋を支えている。
緑地はきれいに整備されていた。階段のふもとの周囲には、武骨なシルエットの松の樹や夜露に濡れた雑草。暗がりで白っぽく浮かび上がる石段に怜悧な印象を抱く。
無音歩行で階段を登っていく。やがて、境内が見えてくる。闇に浮かび上がる朱色の鳥居。狛犬のように配置されている双子怪獣の参次元電飾。
拾得は少し微笑んで、石段の陰に躰を隠した。
「バリヤバい」拾得が指さしたのは、境内の石畳の上だった。「殺し合っているね」
「どこですか」視線を鳥居の向こうに拡がる境内へ。
「ちょい、あんまり近寄ると耳鳴りがして、敵に見つかっちゃう」拾得は、俺のシャツを引っ張る。「しかも、こりゃ大物だよ、お兄さん」
拾得の横で身をかがめる。
境内では、独りを三人が取り囲んでいた。
三人は同じようなオレンジ色の派手なフライトジャケットを着ていて、鉄槌や曲刀を構えていた。顔は覆面で隠している。
一方、相対する独り、その女はさらに派手な格好だった。
金髪ツインテール。黒い半袖Tシャツ。デニム地の超短パン。まずこの稲葉スタイルの時点でかなり奇異だが、さらにヤバいのは、体格だった。長い手足。三人よりも一回り大きく、ミケランジェロ・ブオナローティ製作のダビデ像の如くに締まった白い剛筋を露わにしている。小ぶりな顔も出鱈目で、白粉を塗りたくり、口紅や付け睫毛でアニメ作品の美少女のような加工を施してある。
日本刀を握り、上段で構えていたが、まるで悪趣味な彫像だ。
四人はぴたりと動きを止め、それぞれ相手との間合いを測っているようだった。
「どっちがどっちですか。大物って、なに」
「ふむ。三人のほうは、【第五圏】のチームだねぇ、そこそこの。有名人は珍妙な格好の野郎。【第一圏】の目立ちたがり屋にして、異端者」
「どういう意味で有名?」
「単純に強い。いろんな通り名がある。大和撫子修羅、驚異的葉隠殺戮機械、東京の宵の最強兵器彼女。その名もア美顕」拾得が顔を歪ませる。「僕が聞いた限りでも、百人以上は殺しているんじゃないかな。現行人類の限界性能を試す祭事でもある東京の宵では、下僕たる証明の支配下にある人間を進化させる、らしい。戦闘能力が異常な怪物たちを生み出す」
ア美顕。アニメ美少女顕現。なんちゅう名だ。
「なんか、強そうには見えないですけど。ド変態っぽい。それと、チームってどういうことです」
「たまにいるんだよね。奴らは、巳猿、岩猿、気化猿の日光猿軍団とかいうのだな。多分。チームでやっていくほうが効率いいって。僕はそうは思いませんが。統率も大変だし。今までもいくつも軍団があったらしいけど、今じゃ残っていない。つまり、いつかは崩壊する。リスク高いでしょ」
さっき俺と組もうとか誘ったじゃねえか。「まあ、でも単独は怖いかもですね。どうなんすかね」
俺の質問に、拾得は唸った。「寒山ちゃん、問い詰められても困るねェ。そりゃ、僕だって全員にインタビューしているわけじゃないから。あら、動くぜ」
視線を境内に向ける。
先に動いたのは、ア美顕の後ろで曲刀を構えていた男だった。黒い覆面で顔を覆い、目の部分を塞いである。多分、巳猿。
両手で握った曲刀で、ア美顕の背中めがけて一気に突く。
が、次の瞬間には、両腕から血飛沫を上げていた。
ア美顕。麗豪の武士は、その長躯をゆらりと揺らして、背中からの一撃を避けると、日本刀を両腕に叩き込んだのだ。
そのまま、独楽のようにキレ良く回転。疾風迅雷。面皮を縦に割った。一人目は地面に転がった。
ア美顕は止まらない。しなやかな動作で、呆気に取られていた二人目、岩猿の首に日本刀の切っ先を横一線鋭鋒。
岩猿がふごふごと喉元を抑えていると、ア美顕は回し蹴りで引導。鮮血をまき散らして直線運動する岩猿の肉体は、コンクリ製の鳥居に激突、消沈。
見事な殺陣。
残された気化猿は、二人目の末期を見届けることなく、煙幕を撒いてから遁走する。
ものの数秒で、境内の石畳には、二つの遺体ができあがり。
「すごくないですか、今の。だって、都民を含む国民の機械義体措置は禁止ですよね」
「機械義体措置じゃない、生身だね。仕組みは不明だけどねえ、宵には怪物がいる。超越的な膂力、速度、俊敏性に目覚めし、一三人の怪物。個々で官衛隊特殊作戦群一小隊規模の戦力だとさ」拾得の声は震えている。「ア美顕の噂も聞いてはいたけど、実際動いているとこを見るのは初めて。やっぱ隙がなさそうだねェ。東京の宵じゃ、こいつらから逃げるのも重要」
ア美顕は、煙が消えた後で不自然なほど長い睫毛を上下させながら周りを見渡すと、血で濡れた日本刀を遺体たちの耳元へ近づけた。
「何してんすか」
「あれも噂通り修羅ってんな。狩りの証拠に耳をそぎ落としているんだよ、遺体を見た奴に宣伝できるからねェ。私がやりましたって」
拾得は石段を静かに降り始めた。
「待ってください」
俺もそれに続く。階段を降りきると、背後を気にしながら、小走りを始める。
拾得は小声で続けた。
「あんな怪物に勝負挑むなんて阿呆の骨頂だ。僕らなんか、あの人たちより早く瞬殺されちゃうから」
「で、ほかにも有名な奴がいるんですか」
危険人物は先に教えてもらわないといけない。今夜中にあんな類の怪人に襲われたら、ひとたまりもない。
「いろいろいるよ。『漢字』っていう渾名の壮年とか、赤い恰好の二人組とか。一番ヤバいのは、日本のシモヘイヘ、現代版山田淺生衛門て異名がある名無しのパンクスていう奴だ」
「ふぅん。シモヘイヘってなんですか」
「第二次世界大戦のときに、旧ソ連軍に在籍していた狙撃手の名前だね。二〇〇人以上のドイツ兵を殺してんじゃないのかな。【東京の夜】に出てくる名無しのパンクスも、あまりに射撃の腕がいいから、そう呼ばれている。年に数回出てきて、必ず殺していく。姿を見た奴は、ほぼいないけどねェ。気付いた時には、脳天に弾丸ぶち込まれて遺体になっちゃう」
「みんな、銃使えば」
「一応、民間人を負傷させると罰が待っている。誤射した日には、ねェ」
聞いているだけで不穏だ。
「なあ、さっさと区外に出ましょうって。そうすりゃ、終わるんじゃないんですか」
「そればかりはよしたほうがいい。宵から途中退場だよ。最悪の事態が待っているし」
「まじっすか」
もう限界だ。さっさと家に帰って寝たい。家から出なきゃよかった。
「ついでに付け加えると、宵に参加しなくても、最悪の事態になるから」
脅しとも解釈できる。人殺しの戯言なんか、信用できるか。
だが、拾得の言うことがすべて本当だったら、俺はどうなる。
どうやら、俺はこの得体が知れない男を頼りにするしかないみたいだ。
何時間も世田谷区のビル群を闊歩したが、俺らを襲ってくる奴らはいなかった。
なんか、ふたりで夜の散歩をしているようだったが、そんな上等ではない。いつか襲われるかもしれない、という不安がぬぐえず、気が落ち着かない。拾得は相変わらず、おしゃべりを繰り返していた。よく観察すると、目玉はあっちへいったりこっちへいったり変色竜のように動き回っている。一応警戒はしているようだ。
気付くと、空が白んで神たる東京がキラキラし始めた。自ずから発光しているものや、朝日を反射しているもの、すべてが眩しく感じる。
旧環七通り沿いを北上してから、西へ移動し、豪徳寺までたどり着いていた。俺たちは高さ二〇〇メートル位置の空中公道の歩道を進んでいた。東京空中鉄道豪徳寺駅の周辺はひどい有様。払暁まで遊び抜いた猛者たちが寝ぼけ眼で、死屍のようにうろついていた。動きがかなりトロく、見ているこちらも眠くなってくる。参次元電飾で表示されて軽快に踊っている笑福猫児だけがしゃんとしている。
「今日は閉店だなァ」拾得が東の方向を見つめていた。ちらりと朝日が顔を出している。日の光を浴びて、拾得のつるっとした顎の輪郭が浮かび上がっている。
この代理戦争は、夜の間と言っていた。「日が上ったからですか」
「そうそう」さすがに眠たいのか、拾得は真っ黒に染まった目の周りを擦る。「もちろん、全情報集受容疑似瞳に通知が流れてくる」
「そうなんすか」
「寒山ちゃんは仕事何してんの」
また寒山ちゃんと呼ぶ。青春源治だと言いそうになるのを我慢。
「拾得さん、ちゃんはやめてくれないですか」
「じゃア、さん付けはやめてよ。敬語もね」
「わかった、歳も一緒だし、拾得も俺のことを寒山と呼んでください、くれ」言い直す。「偽名なんだからなんでもよい。それで、ちょうどいいだろう」
拾得は白い歯を見せ、ポケットを弄り、小さな紙製の箱を取出し、煙草を吸い始めた。俺にも一本差し出したが、手を払って断った。
「カチカチくんだな、寒山。仕事も検閲官とか銀行員とかでもしてんの」
俺は首を横に振る。「違う、文化系出版社の雇われライターだった。映画がメインで最新作の評価記事書いて、日銭を稼ぐ」
「へェ、イケてるな」
「最悪さ。会社が一週間前に消えたんだ。社長が夜逃げ。おかげで俺は今無職さ。記事に関する権利も裁判の関係で手出しできない」
拾得はぶわっと煙を吐いた。「うわ、ひでーな。残酷」
「だよなぁ、やってらんねえのよ。俺みたいなさ、落ちこぼれは拾ってくれる会社もねェ」
「戦う理由、あるじゃん。寒山」
「ないとは言っていないだろ。で、拾得は何をしているんだ。働いているんだよな」
「もちろん」拾得はスニーカーの裏で火を消すと、煙草を携帯灰皿に収めた。「営業職だよ。寒山と同い年だから、社会人七年生だね」
一七歳で大学を卒業してすぐに就職か。
改めて、拾得を観察し、背広を着ている姿を思い浮かべる。「軽そうだ」
拾得は顔を歪めた。「寒山よりは大体の奴が軽いよ、多分」
べちゃべちゃとダベっている間に、巨大構造建築群の狭間から曙光が差し込む。こんなに初対面の人間としゃべったのは、久方ぶりな気がした。
夜が明ける。
ため息を吐いた、ときだった。
「まだ終わりじゃなイェイ」
へ。
不意の声。女。
俺の背後だった。
ソレは、俺を見下ろしていた。
ぞっとして、踵を返し距離を取る。
「くそっ」拾得が九寸釘を構えて、吠えた。
立っていたのは、異端者。
一三英傑の一角。漫画動画顔の殺戮機械。最強兵器彼女。
ア美顕。
長身痩躯の女が日本刀を居合で構えている。口元は緩んでいた。
どこから。ああ、こいつは怪物、悪魔。〈耳鳴り〉の射程外から飛び込んできた。音もなく。
対する、俺はどうしたか。
なにも。
腰が抜けていた。急遽の恐怖に震えあがり、頭は真っ白。
「立て! 寒山」
無理だ。
ア美顕は柄に右手を添える。
あ、死ぬわ。
全身から汗が噴き出す。
抜刀。
鞘から弾丸の如く放たれる日本刀。
その刃が。
俺の首を。
落としていない。
ア美顕はアニ顔でにたりと笑んだまま、刃先を俺の首ギリギリで寸止めしていた。
「あーあ。キルそこねた。タイムアップップ」
答えは、全情報集受容疑似瞳に映し出されていた。
『第五七八回【東京の夜】は終了しました。みんな、お疲れさまでした!』
端末からもピープ音。
唖然としているうちに、ア美顕は刀を鞘に戻して「いつかその首、チョンパっちゃうから」と告げ、雑踏の中に姿を消した。
朝日が目に染みる。
拾得が駆け寄って来る。「寒山、無事か? おい!」
「あ、ああ」
俺はそれだけ口にするだけで精いっぱいだった。
主催である宗春の計らいにより、戦士たちには各圏での生活に戻るまでには少しだけ時間の猶予が与えられるらしい。拾得はコープス・メイクを落としてから家に帰ると告げて、つむじ風のようにふっとどこかへ消えてしまった。
電車には乗らずに歩いた。途中で、地の底、公園に立ち寄った。
昨晩、天狗が死んだ場所を確認したかった。遺体があれば、警察に連絡。交番はあてにならないから、一一〇番で首都警察に通報すればいい。注意は必要。東京地下から湧き出る武装革命主義者たちに襲われかねない。地面愛好者は無害とはいえ、油断もできない。
公園は微かな朝日を浴びて、気持ちのいい風が吹いていた。だがすぐに日光はビルに遮られて消えてしまい、公園は闇に沈んでいまう。
ベンチの近くに、遺体はなかった。だくだくと流れていた血でさえ一滴の痕跡もない。
ビル内の交番にも立ち寄った。昨日の若い金髪警官がまだ窓口に座っていたが、あわただしそうな様子はない。目も合わない。
世田谷区の外れ、地上から僅か三階に位置するマンションに戻った。俺が住むビルは、地上百八階だ。四〇階より上には足を運んだことはない。この階層は、ほぼクソと言っていい。壁に張り紙や落書きがない部屋などない。通信速度も最悪。隣の家に住んでいる子どもたちは、このビルから出たことないという。
『摂政を崇めよ崇めよ』と人工智脳に加持祈祷を行う宗教法人のビラが突っ込まれていた扉を開く。ぼんやりとカビ臭い香りが漂う。
狭い部屋。デスクに座して、ラップトップを開いて、神たる東京の臨時速報などを検索する。他圏とはいえ、調べずにはいられない。
だが、殺人事件や死亡事故を報じる記事は見当たらない。松陰神社の境内で二人の遺体、公園に転がる男性の遺体、交番に変な男が現れたとか。
首筋を襲ってきた刃。二度も。顎の下に微かな傷がある。
頭を掻くが、徐々に気持ち悪くなってくる。トイレへ駆け込み、何度か嘔吐した。口の中をドブのような水ですすぐが寒気は抜けない。布団に向かうとすぐに眠りに落ちてしまった。
起きたら、夕方の四時過ぎだった。外は明るいが、すぐに日も落ちる。
俺は、昨晩のことを思い出しながら、家の中でゴロゴロして過ごした。体調は回復していない。胃が痛く、食欲も湧かない。
真夜中の世田谷区で、人が殺し合うなんてのは、夢だったかも。
拾得から認証情報は受け取っている。連絡しようか逡巡したが、やめておいた。
腕輪型万能端末で交際している彼女に電話しようと思ったが、やはり気が引けた。
第三公立大学、通称貧困街大学教養学部での同級生で、交際して八年くらいになる。職業は、第二圏の大手不動産管理会社の総合職である。土地に施設。摂政による五圏への一方的分配後、法令例規細則に基づいて〈場〉の采配を担う不動産管理業務はどの圏においても花形であり、第二圏でも例外ではない。多忙を極めていて、平日の夜には電話しにくい。職を失った話も教えていないから、負い目がある。
複雑だ。
起きてから、今日一日、誰とも話していない。
将来が不安過ぎる。
「いつ見ても、源治に似ているよね」
彼女である葉霊が嬉々として指さしていたのは、ガラス張りの水槽の中を泳いでいる竜の落とし子だった。全情報集受容疑似瞳を通じて、詳細情報が示される。週末の第二圏公営水族館は、混雑していた。大半は家族連れか、俺たちのようなカップルだった。
葉霊ははっきりとした顔立ちだ。瞳も大きく、力強い。
「なんだよ」俺は水中に漂うタツノオトシゴを観察する。細くて刺々しい白い躰で、ゆらゆらと揺れている。なんだか頼りない。口元がひょっとこのようになっている。「似てはいないだろう」
「雰囲気が」葉霊は悪戯っぽく微笑んだ。「こんなガリガリなのに、すまし顔って感じが」
球体形状をした監視機械が館内を静かに巡回していった。
「気取っているっていうことか?」
「私なんかにバレているくらいじゃ、全然気取り切れていないよね」
「まあ、そうだね」
幼いころからの朋友で、付き合い始めたのは学部在籍時からだ。
気取るもなにもないだろう。
俺は心の中で独りごちる。水中を漂う魚を見ていると、全部死んでいるように感じる。
水族館デートなんてのは、かなり久しぶりだった。いつ行ったのかさえ思い出せないくらいだが、それを葉霊に聞くことはできない。
怒られること、間違いなし。
葉霊の記憶力はすさまじく、俺たちの遊興について、行程や食事、天候、服装をほぼ正確に覚えている。俺が内容を忘却していると、なんとなく不機嫌になっていく。
「先週、久しぶりに亜鉈くんと会った」亜鉈も同い年で、少年時代はよく遊んだ。葉霊とは同じ職場の同期になる。「源治の顔、見たがっていたよ」
「俺も会いたいけどね」
口だけだ。会話が微妙にかみ合わない。同級生が労働している類の話、いい話だろうが悪い話だろうが、耳に入ってくるだけで息苦しくなる。落ちこぼれ組、独りよがりだとは理解している。
「で、オオバラ様はどう?」
「なんも書けてねえ」
オオバラ様。裏東京から出でる太陽。
平将門。都市伝説で名を呼称してはいけない存在とされている。まあ、あくまで噂、旧時代の妄念。将門の名を声に出して、なにか祟りがあった経験はない。
神たる東京初期から続く裏話。曰く、彼のものは東京転覆を狙っている人工智脳、曰く、奴こそが大災厄の元凶。少年だった俺もこの法螺話に魅了され、大人になってから調べていた。所詮架空の存在、怪力乱神、一冊の本になるどころか、存在を証明するような真相にはたどり着かない。
壁時計を見ると、既に十二時を過ぎていた。
「もうそろそろ飯にするか」
「ねえ」
「なんだ」
葉霊は冷たげに告げた。
「仕事、どう? ていうか気付いているから。情報なんかすぐ捕まえちゃうし」
「え。……そうか。悪かったな。迷惑を……」
「だよね。わかってる」
視線を合わせてくれなかった。
葉霊の口調には諦念の色がある。
と、左手首に填めている端末が震え、全情報集受容疑似瞳にも通知。
拾得からのメッセだった。
拾得に呼び出されて、東京空中鉄道第一二新宿駅付近の地上二五〇メートルに位置するバーを目指していた。
新宿は、特高層ビル群が建ち並ぶ区画で、低階層ならまだしも、高階層は金持ちどもの巣窟であり、俺もあまり足を運んだことはない。本物のポプラの木々が茂り、多層電飾でド派手な吹き抜けの通りを歩きながら、俺は少し物怖じしていた。制限をかけておかないと、全情報集受容疑似瞳を通じて情報が濁流のように押し寄せてくる。中野区方面には、天蓋を支える主柱の巨大な影。
落下防止帯から下界を見下ろす。東京の黒い愛の穴と揶揄される新宿御苑。まさに穴。人生に絶望したカップルたちが新宿一の高層建築から、新宿御苑に身投げ心中するのが去年流行っていた。とはいえ、いよいよあの一帯にもビルが建つ構想が持ち上がっているらしい。都内の人口増については、慢性的な土地不足が積年の課題であり、その対策が常々議論されている。おかげで都民には縮退生活が推奨され、娯楽商品の多くは電子化が為されているのだ。
どうやら拾得を見誤っていた。俺と同類? こんな場所で飯が食える人間が。
多くの店舗は、各圏で限定されている。呼び出されたバーも、【第二圏】の人間しか入れないはずだ。だが、同じ圏でも経済的な格差のせいで入れない店舗は山ほどある。
予想通りだ。たどり着いたのは、高級店だった。入り口には、筋骨隆々の護衛が立っていたが、俺の予約を確認すると中に通してくれた。
壁中に貼られた西部開拓趣味な雰囲気の電光流動ポスターの枠内では、保安官と悪党が決闘を繰り返していた。二〇世紀のカントリーの曲が景気よく流れている。メニューもよさげだ。代替肉や豆腐のチーズバーガー。フライド・ポテト。オニオン・リング。もうこんな古き良き米国を味わえる場所は、本物の北アメリカ大陸内にはないだろう。
温かみを感じる黄色っぽい照明が印象的な細長い店内。
「あら、寒山」
ウォールナットの艶めいたカウンターの一番端で、拾得と合流した。俺たち以外は、入り口付近にカップルが一組だけ。
普段着の拾得は、ブラックブロックの恰好ではなかった。
淡い色のシャンブレーシャツに、テーパードした生地硬めなジーンズを穿いていた。足元は、骨董品の仏国製の革靴。よく磨いているのだろう、こげ茶の革が艶めいている。もっと野暮ったい服装を想定していたが、童顔なことも相まってボンボンの街角青年のようだ。
顔も明るい場所で改めて観察すると、薄白い玉肌に顎のラインも細く、中性的な印象だ。奥二重の眼も切れ長で、狐っぽさがある。
それに、あれは夢ではない。拾得は実在する。
「それで」やはり気の抜けた話し方だった。「元気かな」
「元気ではない」
ちょっと言葉遣いに困る。前の特殊な状況とは違う。俺はスツールに腰を下ろす。メニュー用の板端末を睨む。カウガールに扮装した架空女性が、お茶目な動作で文字の上をドタバタと走り回っている。
「まあ」拾得は切れ長な目で俺を凝視する。「生気が暗いのかな」
「生まれつきで、明るくはない。お前はなんか前と雰囲気違うな」
「そりゃ、職場とプライベートと殺し合いは、ちゃんと区別するからね」冗談か本気か判断しかねる。「まあ、深い話はいいじゃないの」
「深い話ではないだろ。それにしても、表情は半笑いのままなんだな」
「生まれつきだってば、嗤えるだろ。いや、本能だね。この表情してりゃ、厄介ごとには巻き込まれない」
「申し訳ないが、薄気味悪いね」
バーテンダーが麦酒を一杯注いできた。
「大丈夫だ。僕が払う。前の恩もある」
飲みながら、俺は水族館デートや仕事の話をした。全然関係のない人間に聞いてもらいたかったのかもしれない。
「それが、寒山の悩みか」
「否定できない」俺は麦酒で喉を潤す。「そんな毎日だから、負荷がある」
「ま、そんなもんだろ。彼女なんか、別れちゃえば、いいんじゃないのかなァ」
「ううむ」俺は唸った。答えようがなかったからだ。「別れるって言っても、なんかきっかけがないと。不満もないし」
「そんな考え込まないでよ、冗談なんだから」
「今日は、煙草を吸わないのか」
拾得はくすりと笑む。
「吸うのは、宵中だけって決めているんだよねェ」
「意味不明だ」
拾得は頷く。
「なんでも、慣れだよ」
「殺すのもか」
拾得は視線を少しだけ外した。「あの人たちは僕たちを殺していたかもしれない。有体で言うんだったら、正当防衛ってことだなァ」
「加えて、祝福があるとかいう意味か」
「不思議だし、気味が悪いかもしれないけど、昔の合戦で敵の首級を打ち取って褒美をもらうなんてのは、ごく一般的なことだろ?」
「戦争っていうんだったらな」
「あれこそ、まさに戦争だよ。極東最前線さ」
「遺体はさ、どこへ消えたんだ」
「宗春公が手配しているんだとさ。地下に朋友がいるんでしょ」
「え」
「当然だろ。あんな当代無双の能力を有していながら、東京の広大な地下を見逃しするはずがない。樹で例えるならば、地下は根っこだ。一番重要さ」
一方的監視社会を形成している宗春には謎が多い。大規模な脳幹神経回路模倣網を基盤にしているらしいが、本体の有無から構造、下僕たる証明から何を情報として得て処理しているのか、あらゆることが秘匿とされている。実在しないのでは、と主張する学派も存在する。
「なるほどなァ。はあ、知らんことばかりだ」
「ま、死んだ人は、次の日の朝方にそれぞれの住んでいる辺りで遺体になって発見される。死因は、交通事故やら通り魔による殺人、心筋梗塞でもなんでも。天狗も実社会では死んだ理由は、多分異なる事由になっているはずだ」
耳に九寸釘をぶち込まれた天狗。
「あれで恩恵を受けたんだろう。どういうのだったんだ、具体的に教えてくれ」
拾得ははにかんだ。「すぐに判るよ」
「那村君」太くて快活な声が響いた。
声の主は、恰幅の良い中年の男性だった。ロックの王様の写真Tシャツを着ていたが、腹が出ているせいで、プレスリーのハンサムな顔立ちが歪んでバナナのようだ。
「朝帰さん」声のトーンを上げた拾得は、頭を下げる。「お久しぶりです。二カ月とかじゃないですか、前に会ったの。今日は友達も連れてきたんですよ」
俺も頭を下げた。「どうもです」
「よろしくね」朝帰という男性は顔が紅潮していた。既に何杯か飲んでいるようだ。「よし、景気づけに麦酒でもぐいっとやろうや。今日は俺が出すから」
拾得がちらりと俺を見遣る。「キップがいいっすね」
「投機で大勝ちしたんだよ」朝帰は、小躍りでもしそうなほど上機嫌だった。「株を持っている生体情報分析系の企業が上場してさ。ドカンと一発だ」
「へぇ。すごっ」
朝帰は長財布を掲げ、バーテンダーに注文を開始した。
拾得は俺に近づき、耳元で囁いた。
「あの日以来、毎晩行く先々でオゴってもらっている。あの人、ココの常連。ちなみに那村君は偽名なんだよねェ」
一人の代価にしては、ちと安い気がする。
となると、ほかにも何か恩恵があるんじゃないかと訝しむ。
質問しようとしたが、拾得は朝帰に続いてバーカウンターへ移動していた。
この男、拾得は何を目指しているのか。短い期間だが、所作や言動からはっきりと感じる。
それは寂寥感だった。拾得は祝福でどんな生活を得たいのだ。
そして、俺もどうなる。負け犬の日々を過ごしていた俺には、摂政の憐憫なのか、手が差し伸べられた。
俺はどこへ向かうのか。
*本記事のキービジュアルは永良新が作成しました。