あなたがこれから読むものは、決して起こることのなかった事実に関する報告です。
――連邦航空局事故調査課元課長 ジョン・J・キャラハン
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一九三六年一〇月一日、土木技術士のローラン・ペルティエは、ジャースクからパリへ向かう小型飛行機に乗っていた。時刻は十六時を過ぎた頃で、日が少しずつ翳ってきていたが、雨は降っていなかった。雲は出ていなかった。彼は操縦桿を握っていた。口笛を吹いていた。でたらめに。心のおもむくままに。空の状態は快調で、機体の動きも快調だった。前日までは曇天が続いており、場合によっては困難な旅となることを覚悟していたが、蓋を開けてみればすべては杞憂に終わり、安定した飛行が続いていた。このままいけば予定よりもずっと早く、日付が変わる頃までにはパリに到着できるかもしれない、と彼は思っていた。それまで思考のすべてをとらえて離さなかった不安も緊張も、一度過ぎ去ってしまえば何もかも馬鹿馬鹿しく思えた。すべては過ぎ去っていき、すべては過ぎ去っていった。飛行は人生に似ている、と彼は思ったが、そうした思いつきもすぐに忘れてしまうことを彼は同時に悟っていた。彼は人生を取り巻く法則のほとんどすべてを空で学んでいた。彼のまなざしは今なお眼前の空をとらえ続けていたが、思考は自然と現実から遊離していった。空想の中で彼はすでに、パリの自宅で恋人のミシェルと一緒にいて、空けたばかりのワインに舌鼓を打っていた。人は複数の世界を同時に生きることができる。物理空間に縛られた肉体を放置し、精神は遊離することができる。現実は無数にある。人間はそのことを知覚することができる。そのときの彼がそうであったように。心はつねに何かに引き裂かれ続けていたが、多くの人の多くの場合においてはそれでもなんの問題もなく、彼もまた、それでもなんの問題もなかった。しばらくのあいだ、彼は脳内で生み出されたもうひとつの現実の中で遊んでいた。口笛と鼻歌が空気を耐えず揺らし続けた。わずかな震えが機内を満たした。何もかもがうまくいっていた。人は瞬間を生きる動物である。神経伝達物質が現実を作り出す。彼は頭の中の無数の明滅が映し出す、その場かぎりの幻を生きていた。何もかもがうまくいっていたし、何もかもがうまくいくはずだった。けれど、世界の側はそうではなかった。状況が変わったのは突然のことだった。不意に巨大な物体がぶつかったような強い衝撃が機体を襲ったのち、機体ががたがたと音を立てて大きく揺れ始めた。視界は揺れ、操縦桿を握るのに精一杯で体制を立て直すのは難しく、彼には自分の身に何が起きているのかわからなかった。ペルシア湾とオマーン湾の間にあるホルムズ海峡のあたりを飛んでいたときのことだった。死への想像が脳裏に浮かぶのを彼は感じとった。胃の中で何か冷たいものが生まれ、全身に広がっていった。揺れ動く景色の中で彼は空の様子を注意深く眺めたが、変わったところは何もなかった。あいかわらず雲はなく、風も出ていなかった。次に彼は飛行計器類に目をやった。直感的に、燃料タンクが怪しいと彼は思った。これまでに自分ではそんな経験をしたことがなかったが、群れからはぐれてふらふらと飛ぶ渡り鳥が機体にぶつかって、その衝撃が燃料タンクに穴を開けることがあると、彼は仲間内の雑談で耳にしたことがあった。彼はそのときのことを思い出しながら、目を細めて燃料計の目盛を確認した。けれど燃料にも問題はなかった。もちろん計器が壊れてしまったわけでもなかった。計器類は、機体の損傷がどこにもないことをローランに伝えていた。彼は焦りと混乱の中で、窓の外と計器の目盛に、何度も繰り返し目をやった。結果は変わらなかった。結局のところ、揺れの原因はわからなかった。それは奇妙なことだった。そんなことはこれまでに経験したことがなかった。揺れは次第に激しくなってきた。異常事態であることは明らかだった。顔中から汗が噴き出してヘルメットの中を濡らした。混乱がすべての思考をつかんで離さず、ふりほどこうとして必死になるたびに頭の中で血管が強く脈打ち痛みを覚えた。そうしているうちにも身体は縦にも横にも激しく揺さぶられ、ローランは吐き気を催した。吐き気はやがて耐えられないほどになった。窓を開けてそこから吐いてしまおうかという衝動に何度も襲われた。ローランは操縦桿を強く握りしめ、眉間に皺を寄せて揺れとそれがもたらす苦しみに耐えながら、操縦席横の小窓から外を眺めた。するとそのとき、視界に奇妙なものが飛び込んできた。彼はそれに目を奪われた。小さく短い叫び声を上げた。それは何かが破裂するような叫び声だった。衝撃にも似た強烈な驚きによって瞬時に大量のアドレナリンとノルアドレナリンが放出され、それによって生存のために優先度の低い感覚は遮断され、吐き気はいつのまにか引いていた。恐怖とともに力が湧いてきた。まるで別人の身体に移り変わったような感覚だった。それまでの世界は崩壊し、まったく自分のあずかり知らない、異なる世界に投げ出されてしまったのだと彼は思った。開いた瞳孔が世界認識の解像度を上げた。身体中のあらゆる感覚器官が外部からの情報を高速でくまなく受容し分析し、ローランに生きることを求めた。ローランは自分の身体が世界の一部であり、自分は世界と関係しており、そして自分とは自分の認識可能な範囲において、世界そのものなのだと悟った。身体が拡張し、外部に存在していたはずの事物の何もかも――操縦等、速度計、燃料計、窓から見える雲の流れ、気温、湿度、空間を満たすあらゆる粒子たち――が、まるで自分の身体の一部であるかのように思えた。何もかもが止まっているかのように静かだった。そのときのローランには、あたかも時間は粉々に砕けて消尽し、自分は時間のない世界で生きているかのようにも思えたし、あるいはすべてがスローモーションで、極限まで間延びした時間が永遠に続くようにも感じられた。それからローランは、研ぎ澄まされた感覚の中で、それ――その後の人生で何度も反芻し語り直すことになるその奇妙な事物、あるいは現象――をこのうえなく明瞭にとらえることになった。
「それは、わたしの人生で目撃したものの中でも、もっとも異様な光景でした」と、彼はのちにパリで新聞記者に語っている。「最初に目に入ったのは巨大な渦巻きでした。それも、とても大きなものです。それから数秒のうちに、波が打ち寄せるように、海から何本もの黒い筋が現れ出てきたのです。それは、明らかに自分の意志を持って動いていました。次に小さな膨らみ――おそらくそれは頭部だと思います――が見えました。その頭部のような膨らみには長い首がついており、波間からときおり丸太のようなその影が見えました。波は渦を作り、やがて海を割って上昇し、空中に滝のような海水の壁を作り出しました。そしてそのとき、壁の向こうに、まるで大蛇が羊を丸のみしたときのような太鼓腹と、首よりも遥かに長い尾が見えたのです。そのときは混乱もあって、自分の見ている光景がとても現実のものとは思えないほどでしたから、私にはそれが何かということは見当もつきませんでした。もちろん今でも正確にはわかりません。しかし、それがある種の生物であることは間違いありませんでした。そのことだけは確信を持って言えます。それは恐竜のような、巨大な身体を持った動物――いえ、動物なんてものではありません、それは化け物じみた獣であり、まさしく、怪獣だったのです」
激しい機体の揺れに加え、ローランが見ている角度からでは、水面にたつ波紋が水平なのか垂直なのかはわからなかったが、その怪獣はさざなみをたてながら進み、その軌跡には泡の流れが続いていた。そして、たしかにその怪獣は一瞬、水中から頭を出した。彼はそれを見た。確かに見た。鱗に覆われた背中を見た。巨大な鉤爪が輝くのを見た。ほんのわずかな時間だったが、彼はそのとき網膜に焼き付けられた映像を、生涯忘れることはなかった。心臓が止まったかと思うほどの驚きのあと、回復した鼓動はまるで爆発しているかのように激しくなり、乱れた脈と呼吸の中で、彼は慌ててカメラを構え、シャッターを切ろうとしたが、機体の揺れと、緊張による指先の震えで、うまく撮ることはできなかった。機体のバランスを調整しながらシャッターを切っているうちに、怪獣は海中に姿を消してしまった。波が消え、渦巻きが消えた。そのときちょうど、飛行機の揺れもおさまった。やがてすべてが終わったあとで、無数の白いあぶくだけが海面に残されたが、それもやがて消えていった。海の底では人の脳のような形状をした珊瑚たちが八〇〇〇年の時を刻み、そして何もそこに留めず、ただそこに存在し続け、すべてを目撃し続けていたが、そのことを知っている者は私を除いて誰もいない。この宇宙で起きていることの多くを、人は知り得ぬままに生きて死んでいくが、そのこともまた人が知り得ることではない。
のちに現像された写真には、はっきりとしたものは何も映っていなかった。一面に巨大な影のようなものが映り込んでいるだけだった。けれどもそれは、確かに巨大な何かはそこに存在していたという風にとらえることもできる写真になっていた。幻視や錯覚、錯視や見間違いのたぐいではない、そこにはたしかに何かがいたのだ、とローラン・ペルティエは主張した。私たちの知らない、奇妙な何か、海の中に潜む、恐ろしい、巨大な生物が――。もちろんローランのそうした主張がすぐに多くの人々に受け入れられたわけではないし、現在に至っても概ねその状況は変わらない。後世の人々はその写真と、そのときの彼の証言のみに基づいてことの真偽を判定するほかなかったし、当初においても周囲の人々は彼が嘘をついているか頭がおかしくなってしまったかのどちらかだと思っていた。けれどそんなことは彼のかまうところではなかった。なぜなら自分は、実際にその目で見てしまったのだから。少なくとも、彼自身はそう思い込んでおり、自分で自分を疑うことはしなかった。そのためその体験について話す彼の口調や表情は真剣そのものだった。そしてその体験を話すことをのぞいては、彼の普段の言動や行動におかしなところはなかったために、彼自身の判断能力や誠実性が疑われることはなくなっていった。彼はいたってまともで、真面目な人間だった。彼は嘘をつくような人間ではなかったし、人をかつぐような人間でもなかった。だから次第に、彼の奇妙な話は一定の信憑性を持って耳を傾けられるようになっていった。けれど何よりも、現実離れした話の内容自体がおもしろく、多くの人々の興味を惹くものだったことには違いない。
ローラン・ペルティエの奇妙な体験は人から人へと伝えられ、ついには一九三六年一二月一三日のウェスト・フラッシュ・サンデー紙の一面で取り上げられると、それを皮切りに、単なる噂話に留まらない、巨大なブームのようなものに発展していった。たくさんの人が昼夜を問わず海岸線沿いに集まり、怪獣の姿をとらえようとした。日がな一日海を眺めては小さな潮の満ち引きのひとつひとつを写真におさめ、そこに存在しない巨大な影を目撃し、飽きることなく興奮気味に語り続けた。船乗りたちはそれまでには一度も話したことのなかった目撃談を新聞記者に向かってまことしやかに語った。しかし結局のところ、怪獣の正体が何であるかを知る者はいなかった。噂は噂を呼びながらさらに巨大なものとなり、その伝播力と信憑性を増していった。海岸近くの町には絶えず観光客がやってきて賑わい、店や漁師たちの収入が増えた。住民たちはもちろん、政府もまたそうした事態を歓迎し、さらに潤沢な資金が投入され、町は発展していった。ブームはやがて国全体の世論を動かし、社会を動かし、学術界をも動かした。ローランの見た怪獣は、恐竜の生き残りであるといった仮説や、未知の海底生物であるといった仮説が飛び交い、考古学者や生物学者が集められ、調査チームが結成された。数メートルを超える巨大な烏賊や蛸が何体も捕獲され解剖された。鯨の一種ではないかという声が上がり、鯨の生態についての研究が進んだ。しかし、調査チームはローランの目撃談に整合する巨大生物を二度と発見することはできず、仮説は仮説のままにとどまることとなった。結局のところ、たしかなことは何一つとしてわからないまま、一九三八年の八月に巨大生物の調査は打ち切られ、それから二度と再開されることはなかった。第二次世界大戦の戦況が激化するにつれ、海辺の町にも次第に戦争の影が広がり、観光客はまばらになり、やがて誰もいなくなった。
怪獣騒ぎはそのようにして、時代の変化の中に飲み込まれ、溶けていき、過去のものとなり、ときどき懐かしむように語られる類の、ある世代に共通する思い出として歴史の中におさめられることとなった。大人たちは語り合い、子供たちはそれを聞いてまた語り合った。人から人へ、街から街へ、記憶は輪郭をあいまいにしながら伝播していった。どこか神話めいたこれら怪獣に関する逸話は、人々のあいだで語り継がれるうちに都合よく改変が施され、より過剰に、華やかに、きらびやかな装飾と興味を惹く物語性を纏ってゆき、誰もが人生のうちで一度はどこかで聞いたことのある現代の伝説と化していった。伝承の過程で現代の伝説は古代の伝説と接続され、ローラン・ペルティエの見た巨大生物はいつしか、老いも若きも古今東西多くの人々が慣れ親しんだあの怪物の名――バジリスクという名で呼ばれるようになっていた。当初それはある種の通称のような便宜的な記号にすぎなかったのだが、語られるつど――受肉によって神が人の姿をかたどり、人によって思考可能になったように――怪物の名は具体性と固有性を帯びていった。古い名は古い体を脱ぎ捨て、新しい体を獲得していった。物語が始まり、物語は自らを書き換えていく。命名は命名のみにとどまらず、言葉はむろん、言葉のみにとどまることはない。存在するものが存在するように、存在しないものもまた、存在するのだ。本来どこにも存在しなかったかもしれない過去の存在について、それがあたかも自明であるかのように、現前する光景に連なっていることを、誰もが信じて疑うことがないように。
バジリスク。
ギリシア語で王を意味する巨大な蜥蜴。悪魔の象徴や、史上最も恐ろしい生物とも呼ばれるその怪物の実在有無は定かではなく、いつから語られるようになったのかということについても正確な記録は残っていない。しかし、その生物は少なくとも太古には実際に存在していたと考えられ、中世期までは目撃談や伝聞譚、見聞録や関連する逸話が書かれた文献には枚挙にいとまがない。最も代表的なところでは、古代ローマの大プリニウスが、地理学、天文学、動植物や鉱物などあらゆる知識に関して記述した大著『博物誌』において、実在する生物としてバジリスクを紹介している。「バジリスクはキュレナイカ(アフリカ北部、リビア王国の東半)に産する蜥蜴であり、その長さは十二指を超える。頭に王冠の形をした白い斑紋があり、その鳴き声はあらゆる蛇を逃走させる」と、プリニウスは書いている。文は次のように続けられる。「バジリスクは他の爬虫類のように身体をうねらせて進むのではなく、身体の前半分を直立させて進む。接触すればもちろん、その吐く息がかかっただけでも、あらゆる灌木が死にたえ、草が燃えあがり、石が砕けてしまう。それほど毒の力が強いのだ。かつて馬に乗った男が槍でバジリスクを刺し殺すと、その毒が槍の柄を伝って上ってきて、男ばかりか馬までが死んでしまったという。ところが、こんな怪物でも、鼬の毒にだけはかなわない。自然はどんなものにでも必ず敵をつくったからである。ひとはバジリスクの穴に鼬をほうりこむ。周囲の土が焼けただれているので、穴はすぐ見つかる。鼬はその匂いでバジリスクを殺し、自分も同時に死んでしまう。かくて、この自然対自然の闘いは終るのである」
バジリスクについてはまた、生物としての外貌や特性に関する記録のみならず、実際にあった人的被害についても挿話が残されている。とりわけ、ローラン・ペルティエの目撃談によって新たな歴史を重ねることとなったフランスにおけるバジリスクの伝説は概ね中世期より始まっており、南西部の小さな町にある古城を中心にして広まっていた。その概要は次のとおりである。舞台となる町の名称はラ・ロシェル。百年戦争の舞台となったことで知られる場所だ。時のフランス王シャルル六世は、この地を支配するために一万二千の軍勢を送った。だが、フランス軍はその半数を失い敗走した。この敗北により、フランス王の権威は大きく失墜し、フランスの支配体制も崩壊した。その後、この町を支配したのはフランス王国の将軍であるジャン王だった。彼は町の城壁を強化して要塞とし、さらに多くの軍勢を送り込んで支配を強化した。それにより、城塞都市として発展していくこととなったこの町は、やがてフランスの南の要として繁栄を極めることになる。ところが十六世紀のある日のこと、この地方の周辺一帯を支配していた領主ロベール公の命を受けた騎士たちが町を襲った。彼らは殺戮と略奪の限りを尽くし、城内へと侵入し、隠された金や銀や財宝のありかを求めて地下へと降りていった。そして彼らはそこで奇妙なものを発見した。石造りの壁に囲まれた巨大な地下道。狭く天井の低い道の先は深い闇に包まれており、一人の騎士が足元の小石を前に投げると遠くのほうで鳴ったわずかな反響音だけが聞こえてきた。入口近くの壁には文字が刻まれており、読むとそこには「人はみな死すべき運命にある。その他の事柄はすべて、ほんのわずかな違いでしかない」とあった。彼らの中にわずかな不安と恐怖心がめばえたが、それも一瞬のことで、最終的には好奇心と期待がまさった。彼らは足を前に進めた。入っていくと、暗い通路の奥からは鈍い咆哮のような不気味な音が聞こえてきた。どこからか何かが腐ったような嫌な臭いが漂ってきた。彼らは恐る恐る足を前に運んだ。奥へ進んでいくにつれて、不気味な音は次第に大きくなり、腐臭も強くなっていった。やがて彼らが辿り着いた場所は、無数の蝋燭によって照らされた広大な空間だった。そして、そこで彼らは信じられないものを目にした。そこにいたのは巨大な蜥蜴――王冠模様の斑紋を額に浮き上がらせ、石の玉座に鎮座する、伝説上の蜥蜴の王だった。玉座の周辺には大量の人間の死体があった。甲冑を着た騎士の死体もあれば、貴族らしく着飾ったものもあったが、いずれもみな無惨な死を遂げており、皮膚の表面は溶けてまだら模様を浮かび上がらせ、脚や腕はあらぬ方向に折れ曲がり、それほど腐敗が進んでおらずまだ顔のわかる者たちの表情はみな、恐怖に引きつったように目と口を大きく開いた状態で固まっていた。騎士たちは氷の刃で体を貫かれたような衝撃と寒気を覚え、悲鳴を上げながらその場から逃げ出そうとしたが、部屋のどこにも出口はなく、また、引き返そうにも入ってきたはずの道には光はなく、手を伸ばすと壁に触れた。入口はあとかたもなく消え去っており、焦燥の中で、彼らは自分がどこからやってきたのか思い出せなくなった。彼らの立っていた空間は少しずつ狭まってきており、それは壁が移動して押し迫ってきているのだと気づいた。それがどのような原理によってなされているのかはわからなかったが、玉座の上の蜥蜴が、何か奇妙な力を働かせ、彼らを圧し潰そうとしているのは明らかであるように思われた。しばらくのあいだ彼らは壁を押し返そうとしたり、なおも出口を探そうとあたりを何度も見回したが、いずれも徒労に終わり、やがて先頭に立った一人の騎士が覚悟を決めたように叫び声を上げた。彼は剣を構えると、蜥蜴のほうを向き直し、にらみつけた。「お前、何をしようとしている」と誰かが言った。「私は、私がやれることをやろうとしているだけだ」と剣を構えた騎士は言った。そうしているうちにも壁は迫り続けていた。汚れた空気が濃度を増しながら、彼らの肺を満たしていった。彼らは脂汗を浮かべながら細い呼吸を続けた。生にすがりつこうと必死だった。彼らにできることはそれだけだった。騎士たちはおぼろげになった意識の中で、あきらめるようにして次々と自棄になったような声を上げ、それから続けて剣を抜いた。先頭に立った最初の一人が地面を蹴ったのを皮切りに、彼らのうち、特に勇敢で知られた者たちはまっすぐ怪物に向かって走っていった。石段を駆け上がり、玉座までたどり着くと、彼らは飛びかかるようにして勢いよく剣を振り下ろし、岩のようにごつごつとした体に突き立てた。しかし、その怪物の皮膚に刃が触れたとき、血が噴き出したのは蜥蜴ではなく、騎士たちの身体のほうだった。血液が沸騰し、眼球が破裂し、筋肉が膨張しながら皮膚を突き破り、燃える血を撒き散らしながら音を立ててちぎれはじめたとき、騎士たちは自分の身に何が起きているのかわからなかった。骨が折れ曲がり、ところどころひび割れた頭蓋骨の中で脳が燃え上がりはじめたとき、彼らの意識に最後にのぼったものがなんだったのかは、もはや想像するほかにない。
こうしてバジリスクと遭遇した騎士たちは、怪物の身体には傷一つつけることができないままに、一瞬のうちに一人残らず絶命してしまったのだと言われている。それはバジリスクの怒りを鎮めるための地下王室でのできごと、ラ・ロシェルの人々は子供の頃から決して近づいてはならないと教えられていた場所でのできごとだった。
伝説によれば、ラ・ロシェルのバジリスクは人間に対してきわめて強い敵意をいだいていたとされている――少なくともそのように解釈できる、そのように解釈するほかない挿話はいくつもあった。ビスケー港の入江に位置し、一〇世紀の後半頃から海港として栄えたラ・ロシェルは、大西洋の交通の要路として物流において不可欠な場所で、必然的に欧州各地から食料・物資が多く集まり、人々の暮らしは豊かになったが、嵐や津波や高潮といった災害も多く、豊かになればなるほど被害が拡大していった。あらゆる災害は神によって引き起こされると考えられた当時にあって、街の人々は災害をあらかじめ避けるために、海底に棲まうとされる神に収穫の一部を捧げとりなすべく、一年に一度生贄となる若者を選定し、その若者の身体に供物として縛り付け、生贄となった若者は、崖の上から身を投げたのだと言われている。ラ・ロシェルが安定して発展を続けられているのは、神の加護があるからだ、と街の大人たちは口を揃えて言った。あるとき一人の男がその年の生贄になることを買って出た。男はそれまでの生贄がみなそうであったように、供物とともに崖の上に立ち、ためらいの表情を浮かべたのち、目を閉じ、深く息を吸い、吐き、それから心を決めた様子で重心を前に倒した。男の身体は静かに空中へと投げ出され、音も立てずに落ちてゆき、落下を意識するまもなく、次の瞬間には海面に叩きつけられた。男は白いあぶくを立て、青黒い渦の中へと消えていった。村人たちはしばらくのあいだ崖の下を眺めていたが、やがてあぶくも消え失せ、穏やかな波が一定のリズムで寄せては返す、静かなさざめきだけがあとに残された。人々は振り返り、その場をあとにし、街へと帰った。儀式は例年通り無事に終わったかに見えた。しかし実のところそうではなかった。若者は服の下にナイフを隠し持ち、海中で身体を縛る縄を切ると、供物だけを海中に置き去りにし、それから海上まで浮かび上がった。男は神など信じていなかった。神が存在しないことを証明するために、男はわざと生贄になり、そして最初から死ぬつもりなどなかった。すべては計画通りだった。男は必死に泳ぎ、そしてふたたび陸地に上がった。男は生きて家に帰った。男の母親は驚いたが、それはすぐに喜びへと変わった。母親と抱き合いながら男は言った、「生贄なんて必要なかったんだ、供物を求める神なんてどこにもいなかったんだ、全部ただの言い伝えにすぎなかった、全部嘘だったんだよ、母さん」。夜が来て、男は家族とともに眠った。男が次に目を覚ましたのは夜更けのことだった。まだ朝は来ていないにもかかわらず、外は妙に明るく、騒がしかった。窓から外の様子を見ると、いたるところで真っ赤な炎が渦巻き、建物からは黒い煙が出ていた。木々は燃え、家々は燃え、街全体が燃え上がっていた。人々は叫び声を上げながら逃げ惑っていた。男はそれが現実に起きていることだと理解するのにしばらく時間がかかった。男は自分がまだ眠りの中にいて、夢を見ているのだと思った。男は手の甲で目をこすった。しばらく目を閉じて、それから開いた。次の瞬間に、男の視界一面を巨大な蜥蜴の姿が覆った。蜥蜴は口を大きく広げた。太く長い舌が伸びてきて、男の身体を縄のように縛り上げた。驚くまもなく、男は蜥蜴の口の中に放り込まれ、噛み砕かれ、溶かされ、そして永遠の闇の中へと葬り去られた。蜥蜴はラ・ロシェルの人々を食らい、家々を押しつぶし、街を蹂躙した。蜥蜴はラ・ロシェルの人々を憎み、怒りをあらわにしていた。怒りは翌日の夜まで、国王の命により一〇〇〇を超える兵士が集められ、蜥蜴を捕らえることに成功するまで続いた。兵士たちは蜥蜴を殺そうと矢を射り剣を掲げ火をつけたが、蜥蜴の身体に傷一つつけることはできなかった。それどころか、蜥蜴に敵意を持って触れた兵士たちは皆、不思議な力によってその場で絶命することとなった。蜥蜴を海に流そうと、運び出そうとしても結果は同じだった。ラ・ロシェルの人々は苦慮のすえ、蜥蜴と共生する道を選んだ。蜥蜴の怪物を王として崇め、地下に蜥蜴のための王宮をしつらえ、玉座の上に蜥蜴を座らせた。そのあいだ蜥蜴は一度も暴れ出すことなく、誰一人として命を落とすことはなかった。それからラ・ロシェルの人々は、蜥蜴の怒りを鎮めるために、ときどき地下室まで降りてゆき、供物を捧げる慣習を持つこととなったのだという。もちろんこれは伝説であって事実であるとはされておらず、この伝説が生まれた理由は明らかではないが、怪物めいた姿かたちを伴った、蜥蜴によく似た何か実在の生物を目撃した者がいて、それが噂となって広まったのではないかと考えられている。
蜥蜴に似たそうではないもの。それではその生物とは何だったのか。ローラン・ペルティエの事件を契機に紐解かれたラ・ロシェルの文献群は、調査チームの頭をさらに悩ませることになった。恐竜の生き残りであるという説や、未知の海底生物であるといった説以外にも、怪物の正体については半ば憶測めいたものも含め、さまざまな仮説が提示された。たとえば、この怪物は単にバジリスクという通称で呼ばれていただけの大きな蛇なのではないかというものだ。なるほどたしかに大蛇は自然界に実在し、蜥蜴に見紛うことも多く、毒を持ち、恐ろしさと美しさを兼ね備え、どこか神秘的な雰囲気を纏っている。しかし、この説には疑問の声もあげられている。というのも、記録に残された怪物の外見上の描写には、蛇に似た部分がまったくなかったからだ。ラ・ロシェルの地下に封じ込められたバジリスクには四本の脚があったとされており、指の先には獣のように鋭い爪が生えていた。皮膚は岩のように固い鱗に覆われており、蛇のような鮮やかさや滑らかさはなかったと言われている。さらに、頭部から背中、そして長い尾にかけては棘状の突起物が連綿と生え揃い、あたかも王冠を被っているように見えたという。これらの特徴からして、ラ・ロシェルでバジリスクと呼ばれてきた生物はやはり蜥蜴に近く、『博物誌』が書かれた古代ローマから語り継がれるバジリスクと同種のものであると考えられた。意外なところで、バジリスクとは巨大な毒虫だったのではないかというものもある。猛毒を含む牙を持ち、硬い皮膚に覆われ、複数の脚と尻尾を持つもの。鱗と伝えられるものは硬い甲羅のような羽の見間違いであり、一種の甲虫だったのではないかという説である。しかしながら、この説はあまり有力なものとはされていない。複数残された絵画や図版のすべてにおいて、バジリスクは爬虫類のような姿で描かれており、それに合致する外見上の特徴を有する虫がいるというのは想像しにくく、十二指を超える長さや、地下室の玉座におさまる大きさといった説明に該当する体長を持った甲虫というのは、古代から現代に至るまで一度も観測されていないというのがその理由だった。こうした議論の末に、バジリスクは大蜥蜴の突然変異であるという説が最も有力なものとして多数の支持を集めたが、それでも説明のつかない点は少なくなかった。振り下ろされた剣をもしのぐ硬い鱗、刃を伝って作用する猛毒などの逸話と整合する特性などは、変異と言えども考えにくく、そのためやはり結論は保留とされている。その他の説には地球外生命体であるというものや、悪魔の象徴ではなく悪魔の使いであるというもの、あるいは悪魔そのものなのだというものがあったが、いずれも当時の科学技術では検証できないものばかりであったので、一種の思考実験あるいは単なる妄想や寝言の類だとして、主張の正当性は棄却された。
ラ・ロシェルの迷宮はいまではすでに取り壊され、バジリスクを封じ込めていたという地下室も残されておらず、真相を確かめるすべはどこにもないが、それでも伝説は人々によって後世に語り継がれ、二〇世紀に至るまで消えることなく残り続けている。バジリスクはかつてたしかに存在し、そしていまなお地球のどこかには存在しうる、学者や専門家の中にもそう考える者もいた。それは一九三八年。第二次世界大戦がはじまり、ナチスドイツによってパリが占領される二年前のことだった。その後の激しい動乱と混乱のなかで、ローラン・ペルティエのことも、バジリスクのことも、やがて人々の記憶の中から忘れ去られ、口にのぼることもなくなっていった。