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水町綜「情熱! 激闘! グルメバトラー・ポルコ!」

水町綜「情熱! 激闘! グルメバトラー・ポルコ!」

◆作品紹介

非合法組織〈馬骨一家〉に飼われる孤高の天才料理人ポルコは、料理対決に臨む。彼が切り札として繰り出したのは、惑星ハルシアに棲むという幻の水棲生物〈ピッカブリック〉。その圧倒的な美味で勝利を収めるが、料理を口にした審査員たちは謎の奇病に倒れてしまう。責任を負わされたポルコは、相棒の科学者と共に原因究明のため、劇毒に汚染された惑星ハルシアへと降り立つ。彼が腕を振るい、完成させる「幸福な食卓(ラ・ターヴォラ・フェリーチェ)」。それは孤独を癒す無償の愛か、それとも甘美なる絶対支配か。(編・平大典)

以下、記事の本文です。

――私らとしたことが、気でも狂っていたのか。いや、こんなおいしい食べ物があったのに、今まで食べずにいたとは/フォレ族のことば

 

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今さら無駄な悪あがきを。勝負は、もう決まっているというのに――。

今宵、料理対決の舞台となった〈ジメッツ食堂〉に集まった誰もがそう確信していたが、それでもポルコは朴訥ぼくとつとした姿勢を崩さなかった。トレードマークの香草を咥えたまま、淡々と調理の下準備を続ける。

彼に浴びせかけられる視線は冷ややかで……それほどまでに、対戦相手であるデカラビア錠島じょうじまの繰り出した料理は圧倒的だった。

完全栄養食ハッピーパック〉――いかにも楽しげなパステルカラーのブロックで成形された最高級の合成食を、錠島は食品プリンターで出力してゆく。ブロックには精製レシピを吟味したコロニー内工場で手に入る最高峰のイーストが用いられ、さらに錠島は「ある工夫」を加えていた。特注のイーストにはあらかじめ、多分の金属イオンと導電性のマイクロビーズが含まれていたのだ。

「オラッ! ガチで痺れるくらいに、たっぷり喰らいやがれッ!」

錠島は秘密裏に、厨房に低温プラズマ発生器を仕込んでいた。審査員たちが合成食を口にした瞬間、彼ら目掛けてプラズマジェットを放つ。刹那、青白い光に包まれた審査員たちの口内に疑似的な電気信号がはしった。

「――あばばばばばっ!?」

舌部にある味覚を司る器官――味蕾みらいに直接微電流を流し込まれた審査員たちは感電しながら歓喜に咽ぶ。味蕾は信号を誤認識する。これまで味わったことのない、未知の「味覚」であると。それらは彼らに筆舌し難い快楽を与え、中にはその場で性的な絶頂を迎える者さえいた。

「ウオーッ! これは完全に、決まっただろッ!」「このあとじゃ、どんな料理も霞んでしまうぜーッ!」「オレも痺れてェーーーッ!」

とくべつ呼び寄せたわけでもない暇な野次馬たちが無責任に囃し立てる。会場のボルテージは頂点に達し、この後ではどのような料理も霞んでしまうだろう。

「こっ、こんなやり方……いくら何でも卑怯じゃないか……?」「というかコレ、料理? なんですか……?」

食堂の店主であるジメッツ老人と彼の伴侶が抗議するも、

「うるせえッ! 勝負に勝つためなら、何をしても良いんだよ! チンカスにも劣る負け犬が惨めったらしくさえずるんじゃねぇ! ザコ語で鼓膜が腐る!」

錠島は得意気にでっぷりと突き出た腹を掌でぴしゃりと叩き、返す刀で老夫婦は不安そうな視線をポルコに送る。諸々の事情から彼らの「代理人」として勝負に臨むことになったポルコが敗れた場合、この店はそのまま対戦相手の錠島の手に渡る手筈となっていた。

一方のポルコは、一連のやり取りにはまるで頓着することなく、黙々と調理を続けて「――頃合いか」

そう呟くなり、あらかじめ厨房に持ち込んでいた途轍もなく巨大なクーラーボックスから、異様な物体を取り出す。

「――なっ、なんだぁ!? アレは!?」

妙に熱っぽい野次馬のひとりが声を張る。それほどまでに、ポルコが用立てた「食材」は異質だった。

博識な者が見れば、かつての〈母星テッラ〉に存在したという海豹アザラシを想起したかもしれない。しかしポルコが調理台に乗せたそれは海豹よりもふた周り以上小さく、脂肪の部位もずっと少ない。鼻に当たる部位はすっかり退化しており、眼下も分厚い瞼に覆われていた。水棲生物にしては細身な肢体はともすれば人間的ですらあって……そう思えば、その相貌にもどことなく見慣れた意匠を見出すことが出来るのだった。

「なんだ、あれ……?」「バケモンだ……」「怖いのきらい。怖いから」誰もがその異形に恐れ慄くが、

「ピッ、ピッカブリックだ……!」ずれた眼鏡をかけ直しながら、データ・タイプの野次馬が答える。

そう。それは『ハルシア』に生息するという幻の水棲生物――〈ピッカブリック〉だった。

「あれが噂の……」「すげぇ……! マジに実在したのか……!」「完全に勝負は決まったものと思ったが、もしかしたらアイツ、やるんじゃねぇか……?」

誰もが息を呑む。彼らの住まう〈水瓶コロニー〉をその重力均衡点に抱く鉱山惑星〈ハルシア4〉――破れた夢の跡地に住まうという海の住人を、目の前の料理人はとさも当然のように持ち込んでみせたのだ。

「てめぇ……! そんな御大層なモンを、一体どうやって……!?」

錠島は表情を引き攣らせる。食料の大半を合成イーストで賄うコロニーの食品事情上、本物の生鮮食品が与えるインパクトは桁違いだ。

「勝負に勝つためなら何をしても良いんじゃなかったのか? それに食材を足で稼ぐのは、料理人の基本中の基本だと思うが?」

「ぬっ、ぬかしやがって! そんなわけのわからないなんかなんか、どうせコケ脅しに決まって……!」

ポルコは臆することなく、ピッカブリックの腹部に包丁を突き立てた。

医療従事者や合成家畜の管理者を除く大多数の者が、動物を実際に解体する光景を目の当たりにするのが初めてだった。ポルコが厚い皮下脂肪の先へと包丁を進めるとどろりとした鉄臭いにおいが辺り一面に広がった。嗅いだことのない臭気に顔をしかめる者も少なくはなかったが、しかしポルコの包丁さばき、解体の手際の良さに見惚れる者も決して少なくはない。

ともすればグロテスクですらあった腑分けは、いつしか妙技による調理へと遷移していた。機械的なまでにスムーズに切り分けた肉塊をさらに薄くスライスし、丁寧に白磁の皿に盛り分けてゆく。ポルコはそれらに先に取り掛かっていた灰白色のソースをとろりと振りかけ、バーナーで軽く炙った。

「――完成だ。食え」

解体からものの数分で、皿上には鮮やかな薄肉の花が咲き誇った。

「これが本当に……先ほどまでの、あのおぞましい生き物なのか……?」

流麗に変わり果てた姿――ものの数分足らずでマリネになったピッカブリックを前に、審査員たちは感嘆の息をはき、一人、また一人とおそるおそるなめらかに光る薄肉を口に運ぶ。直後、彼らは驚嘆のあまり顔面を歪めて、

「なんか、よくわからんが……なまら美味いぞ!」「なんだこれ……? 情報量が、多い……!」「味がする」

「ふだん気の抜けた合成イーストばかり食している貴様らにはいささか刺激が強すぎたかも知れんが、よく味わって食すといい」

ポルコに促されるまま、審査員は言葉すら忘れて彼の仕立てた一皿を食べ進め「このなんか……なんか上にかかってる、この白っぽくて、なんかねっとりしたなんかは……?」

「脳だ」

「脳!?」

驚愕する審査員らを前に、ポルコは鼻を鳴らす。「驚くことはない。かつて〈母星〉にあったという四川シセンという地域では薬膳として猿の脳を食したという。通常のレシピとしても、仔牛のセルヴェルは絶品だ。ネパール風に揚げ物にしても美味い。そしてなによりも……同じ食材から作ったソースがその肉に馴染むのは、あまりにも当然だ」

もはや、返す言葉すらなかった。

「いや、これはもう、比べるまでもないな……」「圧勝だろ」「さっきのあいつ、なんだったんだ?」

フッ。と息を吐き、ポルコは勝ち誇るように微かに口の先で香草を上下させる。

「それでは『約束』通り、二度と料理が出来ないように、貴様の指を……」

「まっ、待て! カネなら払う……! 待ってくれ……! べつに料理人としては微塵は未練はないが、ゆっ、指だけは……!」

目に見えて狼狽える錠島を尻目に、先の取り決め通り、ポルコは包丁を手に取るが、しかし――、

「――こっ、ここ、こっ、コッ……」

彼らの背後で、今しがたポルコの料理を食べ終えた審査員の一人が、震えていた。

「どうした? まだ感動しているのか? 無理もない。俺としても自信の一皿だ。余韻まで、しっかり味わうと良い」

肩を震わせる審査員を前に、ポルコはゆったりと腕を組むも、

「こっ、こここ……ここくぉおおおおおおおおおおォッ!?」

奇声を上げながら、椅子ごと卒倒する。一体、何が起きたのか? 絶句する人々の前で、審査員は壊れた玩具のようにのたうちまわり、口からぶくぶくと泡を吐き続ける。その目は限界まで見開かれていた。あたかも、我が身を苛む窮状を形態的に表現するかのように。

彼だけはない。今しがたポルコの料理を食した誰もが同じような症状を引き起こし、次々と地に伏してゆく。誰もが蟹のように口腔から泡交じりの唾液を漏らし、全身をがくがくと激しく痙攣させて――、

「そんなに? そんなになの? ねぇ!? どんな味!? ねぇ!?」

あまりの美味に卒倒したと勘違いした粗忽な野次馬を尻目に、審査員たちは死にかけた羽虫のように床に転がり、痙攣し続けていた。

「なんなのだ、これは……?」

生まれたばかりの惨状を前に、ポルコは口元から香草をぽろりと落としてしまい、どさくさ紛れに錠島は逃げ出していた。

対決の舞台に満ちていた熱量が、急速に冷めてゆく。

 

1

 

ポルコは〈バードレ〉たちの食卓を眺めていた。

テーブルを囲む盛りを過ぎた壮年の男たちは一心不乱にがっつき、啜り、噛み千切る。かぶりついた肉塊を喉の奥へ、胃の底へと矢継ぎ早に送り込み続けている。コロニー環境下ではまず口にすることが許されない合成家畜のステーキ――非合法に入手した医療用のそれを、当たり前のように咀嚼し続けていた。

そこにはマナーはおろか食物に対する畏敬の念も皆無で、てんでしつけがなっていない。

そのようなテーブルに、ポルコは透徹とした眼差しを送り続けて、

「――はっきり言って、お前には失望したよ。がっかりだ」

明度を絞ったアンティークな照明の真下で、でっぷりと太った髭面の男が食後の葉巻を楽しんでいる。特別仕立てのダブルのスーツの腹部はぱんぱんに膨らんでいて――ミケーレ・ブランドン。コロニー有数の権力者と、ポルコは対峙していた。

「事前に行った衛生検査は完璧だった。鮮度も問題ない。食中毒はまずありえないし、人体に有害な成分も含まれていなかったはずだ」

底意地の悪い赤ん坊をそのまま何十倍にもスケールアップしたかのような大漢を前に、ポルコはさして臆することなく、朗々と語らうが、

「そうか。あくまでも、お前は与えられた仕事を完璧にやり遂げたと……そう言いたいのだな?」

押し殺した声でミケーレは言って、直後、手元にあったクリスタル・ガラス製の灰皿を当たり前のように投げつける。ポルコは避けなかった。投じられた灰皿は過たず彼の額に命中する。コロニーの低重力下でも、衝撃はかなりのものだった。灰皿の接触点から微かに血が滲む。降下する血潮はポルコの側面を蝋細工のように滴り、暗い明度の真下でゆっくりと黒い痕を残した。

「あァ……? 誰がどうみたって、てめぇの詰まらんミスだろうが?」「ポルコ風情が、言い訳してんじゃねぇぞ!」「このダボが! ぶっ殺すぞ!」

ルイジ、デヴィッド、シビル……ミケーレと食卓を囲んでいた〈家族ファミリア〉の最高幹部たちが口々にポルコを罵倒する。ルイジたちは目を血走らせ、たるんだ顔面を真っ赤に紅潮させながらあらん限りの罵詈雑言を投げかけて……彼らの怒りももっともだった。そもそも料理勝負自体がコロニーの暗部を牛耳る非合法組織――〈馬骨一家ピンコパリーノ・ファミリア〉による狡猾な茶番プロモーションだった。

此度こたび、コロニーをその重力均衡地点に抱く鉱山惑星〈ハルシア4〉との間に「資源盗掘業者を介した独自の輸送ルート」を確立した〈家族〉は便乗して、ピッカブリックの大規模輸出を画策していたのだ。

なにせ水瓶コロニーの住人は日々の大半を占める合成食に飽き飽きしている。低重力によるカルシウム流出と降り注ぐ宇宙放射線によって絶えず心身を蝕まれるコロニー民にとって、こと食というものが人心に齎す比重は非常に大きく、そのような環境に導入されるピッカブリックは環境を一変させる劇的なカンフル剤として、生半可な麻薬よりも一気に膾炙かいしゃする、はずだった。

かてて加えて、「潰れかけの食堂を救うため、腕は確かだが悪名高い合成料理職人であるデカラビア錠島を打ち破った幻の生鮮食材」という大衆好みの筋書きは人々の耳目を集め、それらは〈家族〉に莫大な恩恵を与える算段になっていたのだが……、

「それがてめぇのせいで、全部おじゃんだぜ……。莫大なカネが〈家族〉に転がりこんでくる完璧ペルフェットな計算がよぉ……? なぁポルコ? お前、どう落とし前を付けてくれるんだ? あァ……?」

ルイジは怒気の籠った眼差しでポルコを射竦めるが、しかしポルコが主張する通り、料理はおろか食材として用いられたピッカブリックからは一切の毒物が検知されなかった。にも関わらず、彼の料理を食した人々は現在進行形で痙攣や幻覚を諸症状とする謎の病理に蝕まれ、中には事実上の人事不肖に陥っている者もいたのだった。

「方々に手を回して原因はあの『なんとか』とかいうデブが使った機材による後遺症ということにしているが……しかし大衆はアホだが、愚鈍じゃあない。一度ケチのついた食材は絶対に口にすることはない。絶対にな?」残った骨をしゃぶりながら、デヴィッドは続けて「なぁ? ポルコ、我々はお前のことを三十年近く庇護してきたわけだが……親に対するお前の仕打ちは、あまりに『親不孝』じゃないだろうか?」

「たしかに感謝はしている。恩義もある。しかし自分の仕事に間違いはなかったと、それだけは断言できる」

「てめーのオママゴトみてぇな仕事の出来栄えなんざァ、どーだって良いんだよ!〈親父〉に恥をかかせやがって! あ?〈豚〉風情がよぉ……!」

痺れを切らせたシビルは椅子を吹っ飛ばすように席を立ち、そのまま突進するようにポルコへ差し向う。巨躯ぞろいの幹部の中でも、シビルは一際巨大な体躯を有していた。まるで歩く小山のような威圧感。ポルコも上背のある方だが、それでも対面すると子どもと大人ほどのスケールの違いがあった。やろうと思えば今すぐこの場で彼を縊り殺すことが出来るだろう。

しかしポルコは微動だにせず、いつもの透徹とした眼差しをシビルに向けるだけだった。

「なんだよ、その目はよォ……?」シビルはぎりぎりと歯ぎしりして「いつもいつも、何考えてんだ……? マジで気持ち悪いぜ……。俺たちを睨みつける、そのお前のスカした視線がよォ……心底、頭にくるぜ……」

「シビル」と、ミケーレは彼の名を呼ぶ。「我が自慢の息子よ、すくなくとも私の前では礼節を重んじろ。〈家族〉の一員として、ふさわしい身の振る舞いを、な……」

〈父〉であるミケーレから咎められ、シビルは舌打ちして静止する。それでも憤懣やるかたなしという体で、ポルコに威圧的に迫り「おい、ガキ。どの道、てめーはここでおしまいだ。『実の母親』と同じようにバラバラに切り刻まれて『量り売り』の刑だ。よかったじゃねぇか? そっちの方が、てめぇのママゴトみてーな仕事よりよほど誰かの役に立てるだろうさ」

下卑た笑みを浮かべながら、シビルは〈父〉たちの席に戻った。

ポルコは押し黙ったまま、香草を噛む。透明色の眼差しを浮かべたまま。

斯様な異様の空気の渦中だった。「――〈パードレ〉、検査の結果が出ました」

細身のスーツを着こなした伊達男が彼らの「食卓」に入室してきた。〈馬骨一家〉子飼いの医療科学者であるロンバルトである。

ロンバルトはちらりと室内の様子を目敏く窺い「おや、どうやら『お取込み中』だったみたいですね。これは失礼」と、そのまま一礼してそそくさと退室しようとしたが、

「構わん。そのまま話せ」ミケーレは促して、

「仰せのままに」ひとり立ち尽くすポルコにさりげなくウインクして、ごく自然体でロンバルトは続けた。

「ラボに持ち込んで徹底的に調査しましたが……ポルコの使った食材、〈ピッカブリック〉からは……一切の毒素が、検出されませんでした」

「それはもう聞いたぞ?」うんざりとデヴィッドは目を細めて、

「ハルシアの主成分である水銀を始めとする諸々の毒素もしっかり体内から除去されていましたし、寄生虫の類いも皆無。念のため分子構造も調べましたが……これに関しても、問題はないようです。えぇ、まったくもって、どこもかしこも綺麗プリーレでした」

「だったらどうして大勢がひっくり返ってんだ! 理屈がつかねぇだろうが!」「あったんだよ! このガキがしでかした、致命的なミスが!」

ルイジとシビルは激昂しながらポルコを指さして、

「まぁ、待て」ミケーレは殺気立つ「息子」たちを諫める。「ポルコよ、お前も一介の料理人なら、自分の仕事に誇りを持っているだろう?」

「無論だ」腕を組んだまま、ポルコは首肯する。

その屹然とした態度を前に「よろしい」とミケーレはうべなって「人間は一人では生きていけない。誰もが互いに助け合って生きている。そう、人と人が想い合う『信頼』によって社会は成り立っていると言っても過言ではない。この世でもっとも恥ずべきことは、信頼を裏切ることだ。それは社会の秩序を乱すことで……中でも、もっとも大切な〈家族〉の信頼を裏切ることは大罪だ。ポルコ、哀しいことに今のお前は罪人になってしまった。行為の瑕疵ではない、結果としてだ。結果として、お前は〈家族〉を裏切り、そして世間からの信頼まで毀損したのだ。お前の犯した罪に対して、なにか申し開きはあるか?」

今一度、ミケーレは問うて、

「言い訳はないが……しかし挽回のチャンスがあるなら、必ず報いてみせよう」

「いい返事だ」ミケーレは頷いて「〈父〉として、あえて狼口に飛び込むお前の旅路を祝福しよう――」

――栄えある〈家族〉の一員として、私の役に立ってみせろ。ポルコよ……。

彼の行く末を祝言は、呪いのように彼の中に染み渡った。

 

2

 

「――まったくもって、お前の愚直さには頭が下がるね。毎度いいように扱き使われてよォ……いい加減、飽きないのかねぇ?」

「まぁな。反復は料理の基本だ。飽き足りることなく、日々をやり遂げること。そこに俺は、微かな達成感を覚える」

「一ミリも褒めてねぇよ、バカ」

毒づきながら、ロンバルトは足元の石を蹴り上げた。蹴り上げられた石は低重力下で淡く跳ね返ったあと、光る水面へと吸い込まれる。それは彼方の波濤から別たれ、しかし勢いづいて押し寄せるさざ波に洗われて、たやすく行方不明になる。

波打ち際を、全身を簡易的な防毒マスクとスーツで覆った二者が歩く。惑星〈ハルシア4〉の、劇毒に濡れたみぎわを。

しばしポルコは立ち止まって、波音に耳を澄ませてみる。多くの人々の意志を砕いた、闇雲に繰り返されるその単調さに。

かつて、〈母星テッラ〉より散らばった星の子孫たちは大いなる発展を夢みた。彼らは星系の垣根を越えて、一世紀以上をかけてそこかしこに散らばったが、その成果のひとつが〈ハルシア〉だった。いや、そこには「成果」と呼べるような芳しい結果はなかったが……。

当初、海底鉱床に多大なレアアースやウラン、水銀を含むハルシアは鉱山惑星として大いに期待された。惑星開発の主体となった企業連合体は新設したコロニーを中継基地として設置し、その名の通り「水瓶」として潤沢に資源を吸い上げることを目論んだが……しかし惑星の七割以上を占める海洋に含まれる水銀による毒素は決して軽視できないものだった。重ねて、レアアース採掘中に鉱床からフッ素化合物が海洋に漏出。毒性汚染によって海洋は強アルカリ性に汚染され、順当に各種機材や重機を腐食させた。並行して相当数の作業員が重度の皮膚・呼吸器障害を引き起こし……結果としてものの半世紀足らずで企業連合体は開発に見切りをつけた。

斯くの次第で、早々に企業連はハルシアとコロニーを見限り、以来、数百年間。あとに残されたのは白けた夢の残骸だけだ。

皆が皆、身軽に立ち回れるわけではなかった。〈水瓶コロニー〉に取り残され、あるいは自発的に居残った人々は無為に世代を重ね、無為に日々をひさぐだけで……だからこそ、〈馬骨一家〉のミケーレはいう。コロニーには、「絆」が必要なのだという。寄る辺のない不安な人々を強く繋ぎ止めるための、血の繋がった実の「家族」のように強い、揺るぐことのない絆が……。

「ケッ、なにが〈家族〉だ」ロンバルトは鼻を鳴らして「家族というなら、だったら、どうしてお前を殴る? 犬畜生みたいに軽んじる? しょせん、ただの言葉じゃねェか。そんなもんに絆されやがって……なぁ、ポルコよ? お前は神経性のマゾッホなのか?」

「そうはいっても、親父パードレには『借り』がある」

顔面を覆うフィルター・マスクの真下で、ポルコは器用に咥えた香草を上下させる。ロンバルトが指摘するよう、強固な「血の連帯」を謳う〈家族ファミリア〉の中でも、ポルコの立ち位置はより一層不当な位置に置かれていた。なにせ彼の出自は一般的な「コロニー生まれ」のそれとは違い、臓器摘出用の、医療用の豚の子宮を用いて生み出された非合法の「飼育人間」だからだ。

本来ならドナーの病理に合わせて、成長段階に合わせて解体され「腑分け」されるのが持って生まれた彼の運命ファタリアだったが……しかし彼の類まれなる鋭敏な感覚、才能を見抜いたミケーレはポルコを傍に置き、〈家族〉が擁する一流の料理人まで育て上げたのだった。

「そこだよ、相棒」ロンバルトはマスク越しにポルコの額を突いて「確かにお前の立場として、〈パードレ〉に逆らえないってのは、まぁわかる。しかし一端の料理人として技術を身に着け、身を立ててきたのはお前自身の実力や努力によるものだろ? 同い年のよしみであれこれアドバイスしてやってるが……いい加減、見切りを付けろよ? このままじゃお前、〈一家〉に骨までしゃぶりにしゃぶりつくされて、哀れに野垂れ死ぬだけだぜ?」

〈馬骨一家〉は――特にミケーレは、いかにも寛大な家長として自身を見せたがるが、その実ひどく短絡で情け容赦がない。

此度の件だっていかにも温情があるように振る舞っているが、その実、〈ピッカブリック〉の件を解決させるため、非合法な盗掘業者に同行させ劇毒で満ちた死の惑星へとポルコたちを徒手空拳で送り込んでいた。ご丁寧に相棒として、かつて渡り損ねた「危ない橋」……その失態から〈家族〉に莫大な借金を課された医療科学者を同行させて。ポルコもロンバルトも、「死ぬなら死ぬで別に構わない」というわけである。

しかし同時にこの流刑にも等しい措置自体が――先の一件でブランドが大いに毀損されたとはいえ――組織がピッカブリックの輸入を完全に諦めたわけではないことを指し示す証左でもある。大衆というものは往々にして「自分にだけは瑕疵かしが及ばない」という都合のいいバイアスを堅持したがるもので……そこに活路がある。ピッカブリックの安全性さえ証明できれば、再起の目はあるのだ。

「……で、ぶっちゃけ、目星はついてるのか?」ロンバルトは訊いて、

「まったくだ。皆目見当つかん」ポルコは首を振る。

「なるほどな。そいつは確かに、有用な情報だ」

皮肉ではなかった。名うての料理人であるポルコをして原因に思い当たらないということは、つまり「通常の調理の範疇で起きうる事象はあらかじめ度外視できる」という算段だ。

あらためてロンバルトは、隔離入院中の審査員たちのカルテを呼び出して「主だった症状は頭痛と関節痛、痙攣、衰弱……中には重度の不眠症と幻覚の症状まで引き起こしている患者までいて、それでいて発熱の類いは皆無。当然、体内に抗体もできていない。要するにこの病理は人体の免疫システムを素通りしていて・・・・・・・・・・・・・・・・・……なんなんだろうな? これは?」

「フグ毒のような、検出されない毒素が原因である可能性は?」

「テトロドトキシンは神経毒なんで、症状的にちょっち食い違う感じだな。宿主の免疫を抑制するトキソプラズマ原虫という寄生虫もいるが、こいつも感染すると発熱を伴う。まぁ、ピッカブリック自体が全然解明されていない、限りなく未知の生命体なんで、そもそもオレたちの常識を持ち出すのもナンセンスかも知れんが……」

無体なことである。〈ヘルシア4〉はコロニーをその重力圏内に抱いているにも関わらず、開発計画頓挫後は相互の導線は完全に廃れていた。コロニー建設以来数世紀が経過しているにも関わらず、ピッカブリックはおろか惑星自体の調査もおざなりになってる。誰も興味を持たないし、その予算もないからだ。

「もしピッカブリックの体内に人類が未だ発見していない、観測できない毒素が含まれているとしたら……」

「お手上げだな。精々、人智の及ぶ原因が見つかることを神に祈ろう」

ロンバルトはおどけるように両の手を持ち上げて、その運動に呼応するようにぐぅ。と、彼の腹の虫が鳴った。

「失礼。まぁ、とはいってもオレとお前の仲だ。大目に見てくれ」

「案ずるな。軽食を作ってきている」ポルコは襷掛けにしていたポシェットから、遮断パックに包まれた軽食を取り出す。「パニーニ(イタリア風サンドイッチ)だ。遠慮なく食らうと良い」

透明色のパック越しに丸パンに挟まれた生ハムとチーズが見てとれた。

「おっ、こいつは美味そうだ! さすが料理人、気が利くじゃないか! ……って、ハルシアここの大気中で、どうやって喰うんだよ?」

言わずもがな、ヘルシアの汚染された大気内でマスクを脱ぐことは自殺行為である。そのような基本を見落とす相棒の粗忽ぶり苦笑するも、対するポルコは「こうすればいい」と平然とマスクの口元を捲って僅かな隙間を作り、そのまま口内にパニーニを放り込んだ。

「危ッぶねぇ!」

絶句するロンバルトを尻目にポルコはもしゃもしゃとパンを咀嚼し「うむ。ハムの出来栄えに多少の不安があったが……悪くない。上出来だ」

豪気にサンドイッチを味わい続けるポルコを、ロンバルトは恨めし気な視線を寄越し、ぐぅと、もう一度腹が鳴る。しばし、彼の人は自らの生命と食欲を天秤に懸けるように手の中のパンを見つめ続けたが……さしもの医療科学者も目先の食欲には勝てなかったようだ。

息を止め、ポルコに倣ってマスクを捲って素早く口元にパニーニをねじ込む。

そのまままぐまぐと口を動かして「美味いか?」

「めちゃめちゃ美味いけどよ……。料理人が、客に命を懸けさせるなよ……」

「俺はいつだって自分の仕事に命を懸けている。だったら等しく、それを喰らう客も命を懸けるべきだろう?」

「通らねぇよ。その理屈は……」

釈然としないものの、味は確かだった。悔しいが、それだけは認めざるを得ない。

「しかしこのハム、美味いには美味いが……なんだか、食べたことのない味だな? 合成イーストでもないみたいだし……こいつは一体、何の肉だ?」

「ピッカブリックだ」いけしゃあしゃあと、ポルコは答えた。

「――馬鹿野郎!」

防毒マスクの中で吹き出しそうになるのをすんでのところで我慢する。

「当然のように食わせてるんじゃねぇよ! 渦中の激ヤバ厄物をよォ!」

「……おい」ロンバルトの抗議をさらりと受け流しながら、ポルコは彼方を指さす。

「あぁ……?」ロンバルトはその指先へと視線を合わせる。切り立った崖に囲まれた浜辺の一角に、無数の生物が転がっていた。それらは一見して海豹のような肢体を晒している。しかし図鑑に記載されるそれより遥かに細身で、関節のそこかしこが骨ばっていて――ハルシアに住まう幻の水棲生物、ピッカブリックだった。

「いたぜ……。お魚マンウーモ・ペッシェが……」

ロンバルトたちは息を殺してピッカブリックの一群ににじり寄る。目ぼしい外敵がいないためか、警戒心は限りなく皆無に近いようだ。始めこそふたりは細心の注意を払っていたが、次第にずかずかと足音を立てて近づいて、結果的にかなりの距離まで近づけた。そのまま手近な岩場に身を隠して、しばしその様態を観察した。

動かなくなった個体の周りに、放射線状に広がっている。どうやら死した個体を車座になって取り囲んでいるようだ。葬儀の風習でもあるのだろうか? そう思い、しばしふたりは遠目から水棲生物の様子を窺っていたが……ある一体が腹ばいになって距離を削り、そのまま死者の腹部にかぶりついた。

「あっ! やりやがった!」

ロンバルトは息をのむ。すると続けざまに、他の個体も先の一体に倣うようにして死体に歯を立て、分厚い皮膚とその下にある脂肪を食い破り、その真下にある新鮮な肉を群がるように摂取してゆく。そのような凄惨な「食卓」が、展開されていた。

「共食い、してやがる……」

なるほど――。不快さに顔面を歪めるロンバルトを尻目に、ポルコは合点する。過酷なヘルシアの環境下において、ピッカブリックたちがどのようにして主要な栄養素を摂取しているのか、どのようにしてあの分厚い皮下脂肪を維持しているのか、疑問だった。ある程度は海洋中のプランクトンかそれに類するものを摂取しているのだと予想されていたが、しかしそこに同種間の「共食い」を組み込んでいるのなら……。戦略として、そのようなかたちで不足するタンパク質やビタミンを補っているとすれば……。極端ではあるが、しかしある程度の確度が期待できる理屈だった。

ふいにロンバルトの端末が着信を告げた。旧世代式の物理端末を通話モードに切り替えながら、組織の医療科学者はひとつ咳ばらいを挟んで「――私だ。ああ。そっちの首尾はどうだ……? ああ。ああ……――なんだって?」

それから先方と二三、事務的な手続きを取り交わしたあと、ロンバルトはポルコに向き直り「念のために行っていた、ピッカブリックに対する解剖実験の結果が出たらしい」

〈馬骨一家〉はあらかじめ複数体のピッカブリックをコロニーに持ち込んでいた。解剖に回したのはポルコが調理に使ったものとは別個体であるため、施行された解剖はあくまでも補佐的な、さして効果を見込まないものだったが「〈家族〉が用立てたすべての個体に、等しく異常が見つかったんだと」

「何だと……?」

ぴくりと、ポルコは香草を上下させて、ロンバルトは続ける。

「どの個体も脳みそがひどく損傷していて、まるでスポンジみたいにスカスカだったらしい。重度の神経細胞浸食――神経膠症グリオーシスを発症していて、どこもかしこも星状膠細胞アストロサイト(損壊したニューロンを修復する役目を果たす神経膠グリア細胞)まみれで、まるで末期の痴呆症患者のようだったと」

「なにかしらのウイルス……感染症の影響か?」

ポルコは微かに表情を強張らせる。なにせその損傷まみれの脳をソースにして彼人らに喰らわせたのは、他ならない自分自身で……。

「いや、先の検査と同様に、その手の異変は見つかっていない。そもそも、ピッカブリック自体が種としてそのような特異な脳構造を有している可能性もあるが……いや、しかし……」

マスクで包まれた顎の位置を指を沿え、思考の海に沈むロンバルトに「おい」と、今一度ポルコは岩礁の先を目でさして、

「あ? 今度は、一体……?」

ロンバルトはポルコの視線の、その向こう側を凝視して――絶壁を乗り越えた先で、摩耗し朽ち果てた機械製の鉄塔が無言で死に体を晒している。

 

3

 

それは高度な文明の凝縮体だった。

同時に、完全に機能の大部分が死に絶えていることがわかるほど内部は腐食し、風化していた。

自家発電機構があるらしいが、非常灯のようにか細い光源以外、なにも働いていない。船内のフィルターも碌に動いていない。外と同様に大気は水銀とフッ素に汚染されていた。どこもかしこも堆積した埃や黴、分厚い赤錆に覆われていて……少なくとも数十年、あるいは数百年単位で放置されていることが窺えた。無論、生活の根拠は皆無だ。

ロンバルトたちはこれらを人類が未だ見えたことのない外宇宙の文明――あるいはこの星に根付いたピッカブリックに与するものとして検分したが……程なくして得心する。

船内に引かれた導線や高低差、照明、配置された機械盤、インターフェイスの類いはあまりに人体工学に沿った配置されていた。しかしそれらはコロニー内の現環境で見受けられるものより高度で、より洗練されていて……間違いない。先史の、〈母星〉からの船だ。つまり彼らの世界を丸ごと見捨てた、原初の企業連合の。

おそらく、これはそのうちのひとつだろう。いかなる理由があってこの一機だけがハルシアに残ったのか、そして当時の乗員たちはどこへ消えたのか……? その痕跡を求めて、ロンバルトたちは奥へ、奥へと足を進めた。

深度を深める度に、空間は名も知れないぬめる茸や絨毯のように生い茂る苔類に包まれていった。まるでゴチックな怪奇小説の登場人物になったような気分だった。その異様な光景にロンバルトは物怖じするが、しかしポルコは物怖じせずにどんどん前進していって「ロンバルト、着いてきているか?」

「速ぇよ。こんな気味の悪ぃ場所、勝手にどんどん前進していくなよ……。社会科見学中のガキかよ……?」

「しかしここから先は、大差ないようだ」

「あ……?」

唐突に、開けた区画に到達する。あらかじめ防腐処理が施されていたのか、他の場所と比べれば腐食具合が軽微だった。区画のそこかしこに、立体的な金属ラックに収納された無数の薬品や調合用の合成槽、大規模な生体プリンターがいくつも転がっている。一見して医療――あるいは科学実験区画のようだ。これだけの施設があれば、船内である程度まとまった研究を行うことも可能だっただろう。

「ひょっとしなくてもコロニーで使ってるものより上等だな。へっ、哀しいね。この数百年間、オレたちはまるで進歩しなかったんだな」

使い方すらわからない精巧な医療器具を持ち上げ、目を眇めながらロンバルトは自嘲気味に吐き捨てて、

「――あれを見ろ」ひとりでずんずん先行していたポルコが何かを見つける。

「おいおい、おいおいおい……マジかよ……」追従してきたロンバルトは大袈裟に声をあげ、いよいよ彼らは「核心」に到達する。

区画は多層的な居抜き構造になっていた。ポルコが見つけたのは現在の研究区画より一段下の階層で、区画全体に無数の水槽が配置されている。下の区画へはスロープで繋がっていた。苦もなく下層へと到達したふたりは配置されていた膨大な水槽群を検分して――中には、無数の海豹アザラシのような生物がぷかりと浮かんでいた。十や二十では収まらない、膨大な数の生物標本がホルマリンの海に沈んでいる。それらは今しがた彼らが浜辺で観察した生物と酷似していて――、

「こいつは……」

「ああ、間違いないな」

常識的に考えて、それらはハルシアの海洋から捕獲されたピッカブリックたちであった。しかし、どことなく違和感があった。形質的な、違和が……。

ポルコたちは並べられた標本の真横を練り歩く。ひとつひとつ、検品するように。そこで展開されるのは、進化の過程を逆走するかのような悪夢的な光景だった。あたかも鈍足で展開されるクレイアニメのようだった。それらは段階的に、あるいは迷走を交えながら微小な変異を繰り返し、徐々に見慣れたピッカブリックから、その輪郭や意匠をとろけさせてゆく。

そして並べられた水槽――その出発点に近しい位置に配置されていたのは――「つまり、そういうことなんだろうな」

ロンバルトのその言葉に、ポルコは応えなかった。ただ黙したまま、口先で香草を強く上下させるだけ。

人魚、あるいは半魚人……限りなくヒトの意匠を残した水棲人間。そのようなものの生物標本がホルマリンに浸かっていた。その暴かれた肢体が、濃縮された生のおぞましさが、すべての解を放っている。

「超ラッキーだ。お誂え向きなものがあったぜ」

ロンバルトは水槽に接続されていた管理端末の、その表面に積もっていた分厚い埃を手で払う。そのまま風化した端末から、ロンバルトは自身の端末を接続して情報を吸い出す。幸い、拾ったものの方が高度だったらしい。端末側でエンコードしてくれたようだ。

「ここは我々の家だ。この毒まみれの水たまりこそが我らが、我が家族が暮らす家。我々は支配して、征服する。家名にかけて――」

そのような警句と共に展開されたのは、膨大な研究ログからなる遺伝子改良史で――間違いない、開発企業体が撤退したあとも〈ハルシア〉に残った彼らはハルシアの、その環境を「征服」しようとしたのだ。自らの身体性を惑星に適応させることで。

「なるほど……惑星側の過酷な淘汰圧に耐えるために、細胞記憶転移……後天エピゲノム的な水平遺伝子転移システムを――つまり生存戦略として共食い・・・・・・・・・・を組み込んだのか。体内のタンパク質に封入され、メチル化された遺伝子情報がそれを食した者のシナプスにエピジェネティックな記憶様信号を送る設計になっている、と」

「実際に食ってみると美味かったのも、『戦略』の一部なのかも知れんな」

その物言いに、ロンバルトは皮肉っぽく口角を持ち上げて「あまり理解できないタイプのジョークだ。まるきりサイコだな」

「しかしこれで、はっきりしたことがある」

審査員たちに生じた不随意運動や幻覚を伴う症状群、情報を伝播させるためにあらかじめ感染性の性質を持たされたタンパク、そして共食い――提示された無数の事象が、単一の「原因」を示していた。

「どうやら、神さまはオレたちのことがお気に入りらしい」

ロンバルトも同調して、審査員たちが罹患した正体不明の病理――その正体に、辿り着く。

やっこさんの体内で生じたのは配座感化コンフォメーション・インフルエンス――つまり、とある個体の中で偶発的に生じた異常なタンパク質……悪性のプリオン(タンパク質感染因子)が隣接する健全なタンパク質と結合し、それらを悪性の、致死性プリオンに変換させる。そいつは更に隣接する正常なタンパクと結合して、悪性のそれに変換して……そんなふうに、『ドミノ倒し』のように闇雲に広がってゆく悪夢的な連鎖反応――」

無体に増殖し続け、ついに対象の脳内――中枢神経系まで侵入した悪性プリオンによって引き起こされる壊滅的な神経変性疾患を、人はこう呼ぶ――。

「クールー病……あるいは、クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)――」

遺伝子情報を広めるための個体間の「生存競争」という摂理の上に成り立つ病原菌やウイルスとは違い、悪性プリオンによる連鎖反応によって機械的に増殖し続けるこの疾患はまさに「生物物理的なエラー」と称することのできる得意なものである。そこには免疫による宿主との駆け引きが生じない。重ねて、この疾患が有す奇異な特徴のひとつに「同種以外の感染が困難」というものが挙げられるが……しかしピッカブリックが人類種、あるいはそこから分化したヒトと限りなく近しい種であるのなら話は違ってくる。

つまり審査員たちは同種間――と断言するにはささやかな抵抗があったが――による「共食い」によって、彼らが体内にため込んでいた悪性プリオンをそっくりそのまま取り込んでしまったのだ。

「そりゃ、わからんよなぁ! 原因は食中毒や感染症の類いじゃなく、伝達性の海綿状脳症! ふつう、悪いモンを食っておかしくなった連中の脳みそなんてよほどの気合の入った変人じゃないと調べないからなぁ。盲点だったぜ」

驚き呆れながら、ロンバルトはマスク越しに額を叩いて、

「CJDにしては、尋常じゃないほど発症が早かったようだが?」

「おそらく遺伝子情報の水平遷移システムが悪さをしてるんだろうな。『加速型CFG』と言ったところか? オレたちの〈ご先祖さまアンテナティ〉は、後先考えずにとんでもねぇシステムを組んでくれたものだな」

しかし原因さえわかれば、除去は可能だ。つまり悪性のタンパク質に汚染された個体を除き、また汚染されていない個体を用いて養殖方を確立させれば……食用ピッカブリックの安全な供給は、十分に可能ということだ。

「『なれ果て』とはいえ、オレたちのご先祖さまだ。それを食いたいかっていえばかなり微妙だと思うが……しかしそこは隠しておける。まぁ、オレはまっぴら御免ゴメンだがな。あっ、でもさっき食っちまった……。げぇ。オレもすでに、『人食い』かよ」

「これで一件落着、だな」安堵するようにポルコは腕を組むが、

「おいおい、なに解決した気になってるんだ……? 相棒、これは立派な勝機だぜ? たった今オレたちは、大逆転のカードを手に入れたんだ……!」

ロンバルトは目を細める。とびきりの悪戯を思いついた悪童のように。

「これは強力なカードだ。『連中』にちらつかせて取引するのも良し。なんとかコンタクトをとって、どこぞの学術研究機関とパイプを繋ぐもよし。どこぞの宇宙的変態肉屋に売り飛ばすのも良し。選べる手段はまさによりどりみどりで……嬉しいね。少なくとも、これで〈家族〉と対等以上の交渉ができるだろうさ」

「ピッカブリックを出汁だしにして、〈家族〉を、脅すのか?」

「喜べよ? 上手いこと立ち回ればあのジジィ共に、ヘイコラ頭を下げなくてもよくなるんだぜ? 少なくとも、これまでよりかはずっと仕事がやりやすくなる。……なぁ、兄弟? オレとお前で……ビッグになっちまおうぜ?」

「料理人と医療科学者で? フッ、じつに頼りない音楽隊ブレーメンだな」

「立場なんて関係ねぇよ! オレとお前なら、それができる。できるからこそ、こうしてオレは真っ向からお前を口説いているのさ?」

ロンバルトは真っ向から言い切ってみせ、

「〈家族ファミリア〉から、足抜けするつもりなのか?」

いつになくポルコは声のトーンを落とし、すかさずロンバルトは彼の肩を掴む。強く、引き込むように。

「おいおいおい……ポルコ、頼むぜ? しっかりしろ。オレたちの未来はバラ色で……あんなクソバカ反社に、今さらそこまで義理立てすることかよ? それこそ望めば、良いオンナとガキをこさえて本当の家族だって作れるぜ? なぁ、おい? 冷静になって考えてみろよ? お前はあの誰かの富を掠めとること以外に興味を持たない、あの醜く肥え太ったブタ連中とは違う。お前には、人を喜ばせる才能がある」

ロンバルトはなんとかポルコを説き伏せようと、そのよく回る舌で黙々と口数を重ね続けたが、しかし――、

「――お前には悪いが……〈家族〉を裏切ることはできない」

ポルコは拒絶し、ロンバルトは憤慨する。

「なにが〈家族〉だ! そんなもの、お前を良いように利用するための呪いじゃないか!」

「それは……違う」

「なにも違わない! どうしてわからない? お前は連中に愛着を持っているのかも知れんが……だけどあいつらは、お前ほどにはお前を愛していない! 尊重していない! 俺は違う! 俺はお前の才能を買っている! お前の仕事に敬意を持っている!」

マスク越しに唾を飛ばしながら、ロンバルトは語らう。

「合成麻薬の売買で下手打ったとき、おれはもうこの世の終わりだと思ったね。この先一生、〈家族〉に食いものにされるんだって……。だけどよ、あの時お前から作ってもらったスープを飲んで、『こんなに世の中に美味いモンがあるんだ』って、なんだか泣けてきてよ……ああいう、奇跡みたいな瞬間があるんなら、まだ世の中捨てたもんじゃねぇっていいうか……いや、依然として世の中はクソだがよ、でも少なくとも、生きてく『甲斐』みたいなやつはあるんじゃないかって、そう思えてさ……なぁ、ポルコ? 頼むぜ? オレにはお前しか居ないし、お前が良いんだ。だから……」

ロンバルトはポルコの肩を抱いたまま、熱っぽく言葉を尽くし続けたが「――それでも俺は、〈家族〉を裏切ることは、できない」

「ああ、クソ。どうしてだよ……? どうして、わかってくれない……?」

ロンバルトは頭を抱えた。彼は逡巡する。そこから続く言葉を言うか言うまいか、散々葛藤したあとで、くるりとポルコに背を向けて、

「――寂しいんだろ?」

ロンバルトは、ポルコの核心に迫る一言を放つ。

「いつだってどこにいたって、場違いな気がしてる……。誰とも上手く繋がれない。心の底から、自分以外の誰かを信用することができない。その手の孤独が、常に心の中にどっかり居座っていやがって……同じだよ。オレだって、そうさ? だからあんなクズどもにもころっと絆されて、良いように扱われちまうんだ……」

滔々と語らうロンバルトを尻目に、ポルコはよく手入れされた調理ナイフを取り出す。

「でも、オレは違う。オレはお前を縛らない。〈家族〉とか、そういう都合のいい言葉で、お前を騙したり試したりしない。オレなら完璧に対等な友人として、お前を……」

ロンバルトは思いの丈を、内に秘めた心の真実を吐露し続けたが……あいにく、ポルコは頓着しなかった。ゆらりと、音もなく彼の背後に回り込んで――そのまま頸部にナイフを突き刺すような無粋な真似はしなかった。必要なかったからだ。酸素タンクに繋がる供給チューブに刃を立て、ぷつりと寸断する。ただ、それだけだった。

「……は?」

大気中に滞留する高濃度の水銀とフッ素を体内に取り込んで、瞬く間にロンバルトの顔面が変色する。濁った死の色へと。

「どうして……だよ?」驚愕に歪むロンバルトの相貌を見送りながら、

「俺はただ……家族を守りたいだけだ」いつもの冷然とした態度を崩さず、ポルコは言った。

「だったら……」

だったら? だったら一体、何だというのだろうか? しばしポルコはその続きに耳を澄ませたが、あいにくロンバルトは事切れていた。

 

4

 

「――それで、どうしたんだ?」

ミケーレ・ブランドンたちがずらりと並ぶ

「殺した。〈家族〉への忠誠を裏切ったからだ」

ポルコがピッカブリックを取り巻く諸々の顛末とロンバルトの辿った末路を語り終えると、ルイジはぴゅうと口笛を吹いて、

「〈家族〉への裏切りは重罪だ。ポルコ、お手柄だ。よくやった」「わかってきたじゃないか。俺たちのやり方ってやつをよ……」「あの『ナントカ』って医者のガキだけよぉ、ぶっ殺したトコ、忘れずに撮影チェキしてるよな? あとで俺にもデータにも送ってくれよ。ちゃんと名前付きで、拡散バズしてやるからよ」

幹部たちはロンバルトの死に様を哄笑しながら持て囃して、

「ポルコよ。お前が守ったのは一家の誇りだ。我々に対する礼節を欠き、愚かにも歯向かうと、どのような残酷な末路を辿るのか……。その情け容赦ない行為を通して、お前はその信頼を示してみせた。どうやら〈家族〉の教えと誇りは……お前の中にもしっかり息づいているらしい」

ミケーレは満足げに頷く。それはどちらかといえばポルコの感嘆しているというよりかは彼の中に根付いた「教練」――それを授けた自分自身に感じっているようで……。

「あんたたちに、俺なりの誠意を示したい」

念を押すように、ポルコは続けた。

そうして一家の料理人は、あらかじめ隣室に準備していた配膳台を〈家族〉の前に持ち込む。台には人数分の銀蓋クロッシュが乗せられている。ポルコはなめらかに光るその蓋を、淀みない手つきで取り払って――、

「おい、こいつは――」

先ほどまでの浮かれた態度から一転して、ルイジは顔面いっぱいに嫌悪感を滲ませる。

美麗に盛られた料理の皿が差し出される。白い陶器の皿の上に、差し色のように鮮烈な暖色が散っている。それらは此度の騒動の原因となった先の料理勝負の一皿――ピッカブリックの切り身だった。

「前回は炙りマリネにソースを浮かべたが、今回は初めからソテーにしてオレンジソースで仕立てた。いくつか試作したが、どうやらピッカブリックは生で食すよりも、十分に加熱したほうが旨味が増すようだ」

「料理の仕方については誰も聞いちゃいねぇよ」と額に青筋を浮かべながら、ルイジ。

「おい、ポルコ、お前……俺たちを試すのか?」デヴィッドは押し殺した声色で言って、反目と疑惑の眼差しが殺到する。

幹部随一の武闘派であるシビルに関しては血走った眼球の真上で、ふつふつと青筋を浮かべていた。ミケーレから指示さえ出れば、この場で今すぐポルコを殴り殺してみせるだろう。

「安心しろ。悪性のプリオンは取り除いている。完全に安全な個体を選んだ。これからコロニー内で安定供給するにあたって、養殖も必要だろう。これはその雛型だ」

「美味いとか安全とか、そういう問題じゃねぇ」「ピッカブリックってのは、要するに大昔の人間の『成れの果て』なんだろ?」「お前は俺たちに……敬うべき大切な〈家族〉に、共食いしろっていうのか?」幹部たちは口々に非難するが、

「まぁ、いい。黙ってろ」

ミケーレは一同を制す。

「しかしよ、〈親父パードレ〉――」

「これより私たちは同じ狼口に臨む。これはそのための、真の家族としての食卓なのだと……そう言いたいのだろ? ポルコ?」

ポルコは無言でうなずく。その気持ちに偽りはなかった。

「良いだろう。信用しよう」

なんにせよ、ポルコは組織の裏切り者を排除して頓挫しかけたピッカブリックの輸入計画、そこに介在していた問題を排除し、今一度その計画を軌道に乗せようというのだ。その働きぶりを評価しないわけにはいかなかった。

まず口をつけたのはミケーレだった。なめらかに光るナイフとフォークでピッカブリックのオレンジソテーを丁寧に切り分け、おそるおそる口へ運ぶ。ルイジたちは顔を見合わせ互いの出方を窺うも、〈父〉だけを「生け贄」にするわけにはいかなかった。根負けしたように料理に手を付けた。

「こいつは……!」

誰もが絶句する。本当に、これがあの水銀まみれの海で泳ぐ醜悪な生物が放つ味なのか……! 濃厚な海の珍味を凝縮したかのような旨味に一同は言葉を失う。

はじめこそおっかなびっくり料理を口を運んでいた一同だが次第にそのペースを加速させ、ついには貪るように咀嚼していた。言葉すら忘れ、耽溺していた。ピッカブリックの絶味に――。

ものの数分で完食したあと、誰ともなしに「ふぅ」と息をつく。完全に、飲まれていた。目の前の料理人――ポルコによって授けられた、この至福の一皿に。

「以前よりも、さらに洗練させた一皿だ。俺はこの料理を、この〈水瓶コロニー〉の家庭の味として定着させたい」

その言葉に応える者はいなかった。まともに応答できる者がいなかったからだ。

ポルコは嘘はつかなかった。先述した通り、毒素と悪性プリオンは完全に取り除いている。そう。あくまでも、人体に対して害となるものは……。

そしてピッカブリックに舌鼓を打ち、その加速性のタンパクをたっぷり体内に取り込んだミケーレたちはとろんと酩酊したかのようにその表情を蕩けさせる。すっかり正体を失い、曖昧になる。オレンジソースを使ったのは、彼らから警戒されるのを避けるためだった。前回と同様に、ピッカブリックの脳を使ったことを……。想像以上に、上手くいった。ポルコの口の先で微かに香草が上下して――彼は笑っていた。薄く、しかし確かに。如実に。

歓喜が溢れ出すのを堪えることができなかった。ああ、この瞬間をどれだけ待ち望んだことだろう。いつしか彼の中でとぐろを巻くように渦巻いていた積年の悲願……誰にも打ち明けたことのなかった願望が、今夜、ついに成就されるのだ……!

ポルコは渾身の一皿にある「工夫」を加えていた。

料理に付け加えたのは自身の血――遺伝子情報だ。

ピッカブリックはプリオンを介して遺伝情報を水平伝播させる性質を持つ。かつての〈母星テッラ〉の技術……彼らの設えた「生存戦略」を介して、今まさに、ポルコと血よりも濃い遺伝子を埋め込まれた〈家族〉の面々は得も知れぬ愛情をポルコに対して抱き始めていて――「さぁ、わが息子たちよ・・・・・・・――」

やさしく、ポルコはささやきかける。低く、しかし心地よい声色で。

「いつだって俺はお前たちを――自分のじつの子どものように想っていたよ」

罵倒され、小突かれ、心無い仕打ちを受けるうちに、いつしかある情動が彼の中に生まれていた。

〈家族〉は――ミケーレを頂点とするこの連中はあまりに幼稚で、未完全で、それはまるで、年端もいかない子ども、あるいはスケールだけが大きくなった赤子のようで……そうだ、彼らはあまりに不完全で、愚かで、脆弱な生き物なのだ。

自身の感情を制御できず、すぐに当たり散らす。暴力や恫喝で他人を従わせようとする。他者を信じることができず、隷属させることでしか関係を築くことができない……それらの性質のすべてが、ポルコにとっては愛おしい、拙い癇癪かんしゃくのように感じられた。

そうだ。ポルコはいつしか〈馬骨一家〉の面々に、限りなく「父性」に近い感情を抱いていたのだ。

彼らを庇護し、守らねば――。

そのような厳しくもあたたかなまなざしを、ポルコは絶えず彼らに送り続けていたのだ。

「さぁ、今日から俺は、お前たちの――〈パードレ〉、だ」

今この瞬間、遺伝子的な繋がりを持った彼らはポルコからの無償の愛を注がれる完全なる「庇護」の対象となった。

「思う存分、俺に甘えるといい。俺はお前たちを赦そう。お前たちを脅かすすべての災いからお前たちを遠ざけ、庇護しよう。全身全霊を持って、お前たちを愛してみせるとも――」

「あっ……あ、あっ……」「ぱっ、ぱ、ぱっ……」「う、あぁ……」

お父さんパードレ――」

ルイジが、デヴィッドが、シビルが、そしてミケーレが。彼よりも遥かに年嵩で遥かに恰幅のある男たちが、ポルコの胸に一身に群がる。押し合いへし合いながら、我先へと。ポルコはそのすべてを真っ向から受け止め、掻き抱き、その頭をやさしく撫でてやる。するとみな恐ろしく安堵に満ちた表情をみせ、直後に目を瞑り、すぅすぅと寝息を立てて――眠っていた。空腹を満たされ、絶対的な庇護者に抱かれることで、心の底から安堵してしまったのだろう。

そこには完璧に完成された信頼だけがあった。

胸のうちに収まった無数の寝顔を、彼は満足げに見下ろす。もっとも欲しかった家族を、彼らと囲む幸福な食卓ラ・ターヴォラ・フェリーチェをついに勝ち得たポルコは万感の想いに浸っていた。

こんなにも素晴らしかったのか。こんなにもあたたかで、こんなにも、しあわせで……。ポルコは遠い異星に住まうピッカブリックたちが繋いでくれた絆に感謝して――いや、今となっては彼らも大切な〈家族〉の一員で、もう、ひとりではなかった。

それどころではない。これから本格的に始まるピッカブリックの導入が軌道に乗れば、コロニーの人々にも自身の遺伝子情報を埋め込むことが可能で――「そうだ。皆、俺の家族になる。俺が皆の、〈父〉になるのだ――」

ポルコは素晴らしい光景を幻視する。みんなここに与している。みんな、同じ食卓を囲んでいる。年齢にセクシャリティ、社会階層、思想、善人も犯罪者も、すべて分け隔てなく。

太古と今、種族、星すら超えて。ひとつの皿に、とけあうように。

耳の奥で、あの波の音がきこえた気がした。

 

◆著者プロフィール

水町綜(みずまち・そう)

福岡出身。美味しんぼエッセイスト。近所でドクターペッパーを扱うスーパーを見つけて小躍りした数日後に見知らぬ競合者にすべて買い占められるなど、美食には一家言を持つ。