Ⅸ
集合地点である新宿区の北側にある戸田ビル四〇階の公園広場には、零時過ぎに到着した。
下の階層は、第三早稲田大学の戸田キャンパスが数階にわたって占拠している文教区画だ。人はいない。園内の大半は、青々と茂った緑に覆われていた。公園を囲むガラスの枠組みは三角格子で組まれており、ビル外の環境によってガラス板の角度を変える機能を有し、公園内の温度や湿度などを調整している。真冬らしい寒風が外部から入り込んでくると、木々の枝が小さくざわついた。息も白い。
緑地帯の脇にあるベンチ付近に、殻馬などの団員が四人で待っていた。全員が黒い衣装に身を包み、顔まで黒くに塗っている。立場としては俺の側近になるのだろうが、全員の名前を覚えていない。
窓際に立ち、南方の歌舞伎九龍城方面に目を向ける。最終完璧絶叫地区である新宿区は、煌々と光を放っていて、鉄の玉座のように大量の建築物が連なっている。
芝生の上には、顔を真っ赤に腫らした男がうずくまって震えていた。薄暗い中でも、上半身には痣だらけで裂傷も見受けられ、右腕があらぬ方向へ湾曲しているのがわかる。かろうじて生きているといった印象だ。
「寒山先生、お疲れ様です」殻馬が俺に頭を下げた。
殻馬は手袋から首に巻いたストールまで真っ黒、乱破のようだ。寒冷に耐えきれないのか、手を擦っている。
俺はベンチに腰を下ろす。
側近の一人が隣までやってきて、愛用の金属バットを渡してくれる。
残りの奴らは、鉄鎚や拳銃を携えて、周囲を警戒していた。
「殻馬さん、今日はどの地点に集まっているんだ」
殻馬は眼鏡を直す。「それが。まだ【第五圏】の雑魚を一名、殺しただけで。あと、一名捕まえたんですけどね」
男は動かない。
「尋問か」
「ちょっとだけですよ。でも、全然情報を持っていない青二才でした」
殻馬は街の光で色づいている生体天蓋とその向こうの曇天を睨む。
と、公園へと駆け込む影がある。少し身構えるが、周囲には、複数名の斥候を配置しているのが常だ。
髪の色を真っ赤に染め鶏冠にしている半袖半ズボンの若い女だった。両サイドは見事に刈り上げてあり、まるで病気に伝染した鶏のようだ。確か先々月から東京の宵に参加している監視機械の整備士だ。ラウェイというマイナーな総合格闘技を習っているらしく不道徳な格好の割に活発な印象も受ける。
「伝令です!」鶏は、大きな声を張り上げる。
「気を使え、新入り」殻馬が顔を歪める。「声の音量下げてくれ」
「はい、すいません、それで状況なのですが、ちょっと気になることが。どうやら、他圏の連中、戦わずに一緒に行動しているみたいで」
「ん? 圏を越えて連携している、という理解でいいか」
「はい。そのうえで、奴ら中年を一人連れ回していまして」
「そいつはなんだ。第二圏の奴か?」
「それが。……曖昧なんです」
はっきりしない物言いだったが、十分だ。俺はベンチを立つ。
徳川吉宗の転生者。それはいい。問題は、他の圏の動きだ。
【第二圏】以外の戦闘員が共同戦線を張っている。
「……その中年が今夜の鍵だ。助けに行く」
「なんですか」
「今夜の東京の宵は特別だ。さっき俺のところに、徳川宗春がやってきた。奴は宣託を与えた。その中年をしょっ引けば、俺たちに【第六圏】を与えると。第六圏、これは俺たち人間による管理が可能な圏だ」
俺が徳川宗春からの提案内容を説明すると、全員の顔がこわばった。
「事実ですか」
「嘘は言わん。だから、ヨソの連中もそいつを殺さずに、保護しているんだ」
「おい」殻馬が鶏をねめつける。「今、そいつらはどこだ!」
「中年は歌舞伎九龍城で確保されましたが、南下しています。数は不明ですが、二〇名以上はいるかなって感じっす。ええと、現在は多分、都営電鉄第五新宿駅の東出口辺りじゃないかなって」
殻馬は視線を俺に向ける。
「追跡は継続。情報はなるべく俺に集めろ」
殻馬がコートのポケットから、ブザーを取り出し、何回か音を鳴らした。
反応は早い。公園の向こうから、軽快な進軍喇叭の音が響く。それに呼応し、今度はもう少し南方で響く。
喇叭が全体への指示命令となっている。このやり方は、殻馬が提案した。多少ジジくさく感じたが、対案が狼煙くらいしか思い浮かばなかったので、採用した。
「各人集合して、南下しろと指示しました。細かいものは別途で。なにかありますか」
「南下して、一か所に追い込め。完了したら俺が現場に到着するまで待機させろ。あと、追跡の途中で戦闘員を拿捕した場合は殺さずに尋問をして、誰が司令塔かも吐かせておけ」
そう告げると、殻馬は鶏をそばに寄せて、なにやら耳元で囁く。
「了解です」鶏はすぐさま背を向け、歌舞伎九龍城方面へ跳ねるように走り始めた。
うずくまっている男。すでに息絶えていた。
殻馬は眼鏡に触れ、俺を見つめる。
「やはり、我々は正しかった。あなたは神たる東京に選ばれたのです」
追い込みは順調だった。俺たちは、グチャっている歌舞伎九龍城の中心、標高二〇〇メートルの東宝映画劇場まで到達していた。
気温が低い真夜中だが、地上最大の歓楽街には関係ない。極彩色の電飾が氾濫。スピーカーから東京を冒涜するような歌詞が蠱惑的なV系音楽。会話志士や客引き、カップル、姫系、腰の曲がった老人、大麻売りが車道歩道を無視してうろついている。宗春が最も気に入っている場所との評判。若い不良は、般若心経が模写された落下防止柵からバンジージャンプしたが、誰も見ていない。流しの演説屋が逢引部屋の窓から身を乗り出して、「我々はアヒルではない! 人間だ!」と叫んでいるものの、誰も聞いていない。下位文化雑多性が異常繁殖発達している歌舞伎九龍城は、典型的かつ世界唯一な都市内世界と化している。
殻馬は腕を組んで、街を行き交う猥雑な都民たちに対し、侮蔑の視線を送っている。
俺に追随する奴らは団員から選抜をさせている。群衆の中の移動でも速度を落とさない連中だ。殻馬以外の護衛は、常に俺ではなく、周辺を警戒している。
「なかなかの数みたいです。くだんの中年を連れている戦闘員は八〇名以上だそうで」殻馬は、眼鏡を直した。「こちらは一五〇人規模ですので、数的に優位なのは相違ないですけど」
「どこへ向かっている」
「西へ東で揺れながら、なんとなく南東の方角へ向かっているそうです」統率が取れきってはいないようだ。「新宿御苑の辺りなので、このまま行くと新宿区の境界まで到達するのではないかと」
宵闇に埋もれた新宿御苑はドブ地で腐れ木が繁茂しており、地形の隆起も多く死角が生まれやすい。端的に戦いにくい。乱戦になってしまうし、中年を見失う可能性が高い。ビルに追い込むのが定石だ。
俺は指示を出す。「包囲は成功しているし、数は俺たちのほうが多い。各部隊二〇人くらいの分隊に分けて、そのまま追い込め。新宿御苑に入ったら、大袈裟に騒いで、こちらの数を多く見せろ。本隊は、新宿御苑を迂回して下層住宅層を抜ける」
「樹上開花の計ですか。古臭いですが、有効でしょうね」|殻馬は落ち着かない様子で、歌舞伎九龍城名物である電光多重階層を見回す。人が多く五月蠅い場所は苦手だという。「新宿御苑を抜けた先は、巨大樹。屋上には新国立競技場遺産がありますね。あそこは新宿区の端で逃げ場もない」
ベテランで研究熱心な殻馬は根っからの宗教都市学者であり、神たる東京中の地理や地形、行政区分を事細かに把握していた。一方で、執着が強く猟奇的でもあり、極端な二面性を持っていた。優秀な人間だが、信用が出来ない。多分、弐号さんはこの不安定な性質を避けたのだろう。
追い込み先になる新国立競技場遺産。東京復活の初期、吉宗は質素倹約緑政のプロトタイピングとして大規模木造ビル、巨大樹を建造した。その屋上には、前時代への郷愁の象徴として新国立競技場を再現した。だが、建造が完了するとすぐに宗春体制に移行。以後長い間放置されてきた。いまでは誰もいない聖域、暴れ放題だ。
「必要あれば、拳銃とか花火で威嚇しておけ」
「わかりました」眼鏡を両手で直した殻馬は、またも周囲へ目くばせする。少し汗ばんでいるように感じる。「さっさとこんな品性が腐りそうな糞溜めなど離脱しましょう。五月蠅いし、匂いも多くて。どこから敵が襲撃してくるか」
「今夜はチャンスだ、殻馬さん」
殻馬の目つきがまた鋭くなる。「そうですね、あれだけの数初めてです。何人仕留められるか、見ものです」
「俺以上に殺せるぞ」
意味することを理解したのか、殻馬は黙って、俺の先を走り始めた。
殻馬と俺のやり取りに聞き耳を立てていたヌルいクソたちが、内容を拡散したようだ。
今夜は好機だ。寒山を越えて、頂点に君臨。できるかも。
追い込み自体は静かに進行したが、奇妙な緊張感が張り巡っている。
とはいえ、先走ると、窮鼠猫を噛む如くに逆襲されかねない。しかも、組織的に動くという前代未聞。最前線はおっかなびっくりだろう。優しい中年少年もいるはず。
一時間ほど経過したところで、新宿御苑での追い込みは成功した、と報告が入る。
敵の群れは予定通り、巨大樹の屋上、国宝建築に登録されている新国立競技場遺産へ逃げ込んだ。思いのほか反撃も少なかったようで、こちらの被害は皆無だ。
巨大樹の高さは一〇〇メートル程度。復興初期の木造建築ではこの高さが限度だった。俺たちは第二空中公道の歩道にいて、強化ガラス製の落下防止策から競技場遺産を見下ろす。
神たる東京の底、闇が深い。巨大樹はどの空中公道とも接しておらず、一度地上に降りてから登らなくてはいけない。
屋上で競技場遺産を取り囲んでいる軍団の人員は全身黒づくめで、つまり俺の手駒ということになる。闇の中。誰が誰だか判別不能。黒い粒塊が蠢き、まるで大移動だ。
「中年を連れた連中全員、競技場遺産に入り込んだことを確認しました。袋の鼠です。ここから、どう攻めますか。少数送り込んで、揺さぶりをかけるのもできます。逃げて出てきた奴らをモグラ叩きのように潰すのはいかがでしょう」
残虐趣味の殻馬らしい提案だった。
俺の意見は違う。
趣味趣向じゃなく、適切でないからだ。電光石火で一網打尽。
吉宗を保護して、摂政に引き渡す。俺は第六圏を手に入れる。よきはじまりだ。
「俺たちも屋上へ向かう。そうしたら、合図で一気に攻めろ、中年確保が最優先。殺せる奴は殺して、気のない奴は、巨大樹から突き落とすか、区外まで押し出しちまえ」
「了解ですが、一つ懸念が。入り混じった中で、中年を誤って殺さないようにしないとです」
俺たちは巨大樹へ向かうため、一旦地上への移動を開始した。
「十分注意するように伝えろ。顔や特徴を共有させておけ」
「不十分では?」
「どうせ似たような依頼はまたある。……だったら、次の機会を待てばいいんだよ」
宗春は底意地が悪い。
巨大樹の内部を進んだときの俺の感想だ。躯体の多くを占める強圧縮木材は腐敗が進んでいた。湿った床、戌猫畜生の白骨死体、下水の臭い。壁には生命の樹やら空飛ぶ宮殿の落書き。大災厄以前に存在していたパリの地下納骨堂にように、誰かが生活していた跡も残っていた。引き裂かれた座布団やソファー、膨大な数の酒瓶と吸い殻が散乱していて、通路を塞いでいた。とはいえ、人の影などない。すでに退去したか、排除されてしまったようだ。
競技場遺産及び巨大樹の取り扱いは、徳川宗春により留保されている。この醜悪な遺物をあえて残すことで、肉体がない吉宗を晒し首にしたかったのだろう。
巨大樹の屋上、競技場遺産は静寂に包まれていた。
内部の照明は点灯されている。取り囲むように、数十メートル以上にくみ上げられているのは、錆びだらけの鉄製の足場だ。
総勢一五〇名に近い捨駒旅団は、各々が武器を構え、準備は完了。金属バット、電動鋸、ハンマー、槍、琉球暗器など凶器の見本市になっている。拳銃など中距離用銃火器の使用は控えるように指示した。同士討ちは避けたい。白兵戦で確実に潰していく。
黒ずくめの集団が送る視線は二か所に集中していた。一つは眼前にそびえる競技場遺産、もう一つは俺だ。
「寒山先生」殻馬が指示発令用の電子笛をコートから取り出した。
「わかった。行け」
殻馬は電子笛を掲げ、ボタンを押し込む。甲高い電子音が周囲に響く。
合図とともに、武器を携えた黒い軍団は大声を張り上げ、場内に飛び込んでいく。足音だけで地響き。
「震天駭地ですね」
殻馬が微笑みながら、銀フレームの眼鏡を指で直した刹那。
炸裂音。
直したはずの眼鏡が吹っ飛んだ。
殻馬の躰は音もなく、その場に崩れ落ちた。右目の位置に大きな黒い穴。
銃弾。
殻馬の顔に空いた穴からは、どす黒い血がだらり。
巨大樹外からの狙撃。
「名無しのパンクスだ」俺は叫ぶ。身を伏せる。「狙撃屋がいるぞ。周辺の建物か空中公道の上にいるはずだ」
またも銃声。護衛の一人が肩を撃たれて倒れた。
致命傷ではないようで、すぐに立ち上がったが、時既に遅し。炸裂音と同時に、今度は頭部が吹っ飛ぶ。
一人じゃない。何人か、狙撃者が配置されている。
混乱はさらに加速した。
今度は神たる東京が咆哮。極東万里天蓋を支える二〇〇〇メートルの主柱、六本の郊外縁補柱から爆音。瞬く間に火の手が上がった。極東万里天蓋がねじれ、不協和音が五圏東京を覆う。俺の護衛たちが叫ぶ。
「ざけんなっ! 空が、空が落ちてくる!」「武装反抗主義者のテロか」「おいおい、渋谷天使の輪が崩落したぞ。ハハハ」
風雲急を告げる。
宗春のしわざか。神殺しでも実行するつもりか。吉宗の転生者はついでに。天蓋の欠片が飛来し始める。
直感が告げる。いやちがう。
突如始まった大破壊は、東京中に広がっているようだ。音でわかる。ビルや首都高が倒壊している。これは、破壊行為ではない。
極東驚天動地起動。予定通りの破壊。今この瞬間、すべての可変機構が稼働しているだろう。これは摂政の意志なのか。いや、奴は自白していた。都市を読み取って、実行するだけ。
幸運にも、巨大樹は改装をされていない。いずれは影響が出るにせよ、まだ安全だ。俺は身を起こし、競技場遺産へ向かう。足場を潜り抜け、施設内へ。
闇が拡がるコンコース。左右に拡がる長い通廊。もうすでに捨駒旅団の先発隊の姿はない。ただし交戦は始まっているようだ。頭上やコンコースの奥から、金属音や喚き声の微細な音が反響している。
くそ。俺は舌打ちをし、バットを構え、コンコースを抜ける。
今度は一気に視界が開ける。
競技場遺産の観客席だった。
コンクリートの段差がフィールドを取り囲んでいる。俺がいる場所は一層目の観客席。頭の上には、二層目が輪状に展開していた。競技に使用されていたフィールド。白いシートが敷かれ、その上には百台近くの大災厄以前に活躍した骨董車両が無造作に放置されていた。クラウン、カウンタック、シボレー・シェビー・ノヴァ、シーマ、どれもツヤツヤに磨かれている。囲うように、クレーン車が数台。
フィールドのど真ん中には、灰色のカローラⅡ。
捨駒旅団の団員は、フィールド内や観客席に散り散り。フィールド内で骨董車両のボンネットに上ったり、陰を覗き込んだりしている。広大な観客席でも分散していく。
だが、他圏の奴らも転生者もいない。
冬空では、極東万里天蓋の崩落が進む。
意味不明。捨駒旅団における宵。この半年、それは戦いではなく、集団で個を追い立てる狩りだった。今夜は明らかに違う。ここに敵を追い込んだのはない、俺たちが誘導された。
突如として戦略を持った集団との闘争へと変貌している。加えて、都市全体での崩壊まで。もはや俺が指示を出したところで、捨駒旅団の連中を制御できまい。
不思議なことに。それほど焦っていなかった。
だからどうした。
という感情が胸にこびり付いて、離れないからだ。
今度は背後から爆発音が響き渡る。次々に連鎖的に何かが崩れ落ちる音と衝撃で躰が痺れる。足場が爆壊された。俺たちを閉じ込めたのだ。
続けざまに、頭上からも爆発音。
限界まで延伸されているクレーンの先が吹っ飛んで、何十メートルもある腕ごと煙を上げながら、横転する。一台が倒れるごとに轟音。はずみで巨大な鉄球が観客席を損壊。
大袈裟だ。
俺が呆然としている間。事態は動く。一気に戦闘員が選手入場口から湧き出る。分散していた俺たちは、致命的だった。
猿どもは皆殺し。
震驚する捨駒旅団の団員は状況を把握できず、一方的に虐殺。二階席から放り投げられる。壁際で刺殺され、銃撃で頭が吹っ飛ぶ。中年少年の生首が、フィールドから観客席に投げられていた。反撃している団員もかろうじており敵を幾人か巻き込めているが、このままでは殲滅の憂き目に遭う。逃げるにも競技場遺産の外には、腕利きの狙撃手が手ぐすね引いて待っているはずだ。まるで泥船、阿鼻叫喚だ。区外に脱出できれば幸運。
「寒山先生!」
ヒステリックな女の叫び声は、後方からだった。
振り向くと、目を見開いた鶏が立っていた。立派に逆立っていた真紅の鶏冠は、横に流れて倒れている。顔や服は煤で汚れていた。腹にはガラスの破片がいくつか突き刺さっており、口元から血が溢れている。
「ヒト、り」時折全身で痙攣する鶏は涙をとめどなく流している。「コロシタ。ころしましたァ!」
鶏はそれだけ告げると、くるりと身を翻し、ふらつきながら、出口の方向へ向かって歩いていく。俺は呼び止めなかった。よく見れば、他圏の奴らも戦闘員とは異なる集団に襲われている。汚れている格好から察するに、地下住民たちだ。いよいよ狂乱は止まらない。
五人ほどの戦闘員が、俺に向かってくるが、背骨を折り顔面を潰して瞬殺する。
金属バットを握りなおす。汗で掌が湿っている。
フィールドの中央に目を向ける。
カローラⅡのボンネットに影が二つ。今まで車両の陰に潜んでいたのだろう。
一人は中年、転生者だった。引き裂かれたポロシャツはぐしゃぐしゃになり、疲弊した様子で肩を落とし泣きまくっている。見ているだけでも、五月蠅い。
その脇で、背筋を伸ばして立っていたのは、黒化粧の男だった。
つるりとした頬。
飄々として何を考えているか分からない仮面顔。だぼっとしたパーカー。
悪戯な目つき。
薄く微笑んでいる。
拾得。
その瞬間、俺は理解した。
首謀は拾得。
お前の愚かな母親を殺したからか。そんなに俺のことが気に喰わないのかよ。
バットを握りなおし、観客席からフィールド内へ飛び込む。渾沌となっている乱戦の渦中を抜けていく。
拾得は、【第二圏】を裏切った。羽田空港大一番を機に、拾得は反逆者となった。
奴は闇雲に戦うタイプではない。ここ数カ月にわたって、準備してきた。立案者である拾得は俺と同じことをした。他圏に接触、仲間を増やし、勢力を拡大させた。他方、他圏が弱体化したと錯覚するように、参加者を極力減らしていたのだ。
宗春は享楽主義者だ。愉しい途を選ぶ。宗春は当然、目を瞑り口を閉じ耳を塞ぐ。
違うな。それは違う。
この破壊、この夜に、もっと大いなるものを感じる。きっと、各ビルの調和を司る管理者たちは、一斉に街の底へ身投げしているだろう。
俺は最も高い位置からこの街を見下ろしてきた。
だからわかっている。
新しい出発の日。
神たる東京からすれば、人工智脳の醜い政争なんか軽いものだ。吉宗や宗春さえも所詮同種同等。東京の宵など巨大な東京――都市、圏、個人――の系の緊張を和らげる余剰。
今夜はもっと恐ろしいことが起こる。
第二次東京復活。あの夜をもう一度。
断捨離。自己破壊。再設定。
つまり東京転生。
激動万難の壱萬日を耐えた宇内の他都市には復興の兆し。東京という一都市がいつまで万国万都をけん引できるのか。
可動構造を追加した変形建築群。突発した都市変形は、都民からすれば東京の崩壊だ。何千万人もが命を落とすだろう。
機械仕掛けの万死。
だが、神たる東京が終わるわけではない。
時計仕掛けの再生。
人間の現実に都市を合わせるのではなく、世界で最も偉大な場――東京――であることを維持するために自らを最高の都市に変貌させ、その場に適応可能な新人類を住まわせる。神たる東京は既に人間を修正し、最先端から加速した存在を生み出している。
巨大電脳天国の暗部で生成されていく裏通りの悪童たち。
奴らが次世代、新人類だ。
いや、待望された真の人間かもしれぬ。
第一世代の俺たちは東京の掌の上で踊らされている。いわゆる異端者は、強化人間だ。お試し。
駆逐される第一世代の限界はなにか。
単純だ。身体能力の不足。もっと飛べた方がもっと飛べる。既存人類は地球上で繁殖するには十分だったが、東京で生活するには肉体が脆弱すぎる。
拾得がどこまで理解しているかは知らない。
奴は神たる東京の意思とは無関係に、新宿区が会場として選ばれるのを虎視眈々と待っていただろう。今夜は初っ端から、俺が率いる捨駒旅団を新国立競技場へ誘うように目論んでいた。転生者を開始早々に確保すると、新宿御苑をちんたらと南下した。爆薬や狙撃手を新国立競技場の周りに配置させるための時間稼ぎだ。まさか、名無しのパンクスまで味方にするとは。
ただ今の状況。都市崩壊が進むなかで、拾得には撤収をする気配がない。目的は他圏による捨駒旅団の壊滅ではない。
俺の首だ。
真っ直ぐ五〇メートル先。
拾得が立っている。
嗤ってんだか、無表情なのか、意味不明理解不能。
俺は説得すべきか。
東京が自殺するんだ、一緒に逃げるぞ。
いや、ふざけるな。
拾得に引導を渡す。骨董車両のボンネットに脳味噌をぶちまけてやる。ナイフで、贓物まで切り刻んでやる。
〈おい、あいつはなんだ〉
宗春。脳に直接か。困惑の声。
やはりこいつは、拾得の存在を感知していただけで、その価値を正しく理解していなかったのだ。
「いまさらなんだよ。〈俺〉と繋がったから、やっと気づけただけだろ。お前は拾得が何をされたかもわからずに、将門派の連中に翻弄されていたくせに」
〈殺すんじゃない。吉宗と一緒に捕らえてこい、約束を守れ〉
「無理だ。俺みたいな馬鹿でもわかる。お前はこの街に仕掛けてきた変形機能を稼働させているが、なぜそんなことをしなきゃいけないのかは理解できていないのだろ。どうせ、米将軍に関連するだろう程度の予測。この宵の結末までは見えていない」
〈獅子陣中の虫ケラごときがつけあがる。……交渉は決裂だ〉
走り出す。
宗春は、調伏の対象として反乱者認定をした俺に最期の試練を与える。
まず天狗が飛びかかってきた。「俺が見えッか」バットを振るうまでもない。右拳で殴り飛ばすと、観客席で潰れた。次は、太っちょ斉天大聖。膨張怒張で餡麺麭みてえに破裂寸前。サッカーキックで場外まで蹴り飛ばす。すべて、下僕たる証明が魅せる幻影だ。三〇メートル、まだまだ真性幻覚とのおつきあいは、終わらない。お次は血生臭い薬売り。こっちは金属バットで二人まとめて、かっ飛ばす。ドカンと一発、場外本塁打。最後に、ア美顕漢字男混成体が襲来。「弩墜堕屡念!」俺たちは互いに限界まで痛撃を与えあい、やがて混成体は満足した様子で塵と消えた。
あとは、拾得。
今日が俺の『転機』だ。
いや、これこそが『祝福』だ。
俺の瞬間最大。
神たる東京はこんなことで俺を試しているつもりか。
拾得を殺せる。
祝福。
拾得、もう十分だ。小さな嘘をいくつも重ねてくれたな。義理の両親がお前を育てたとは言い難い。幼少期から成人するまでに、四回も養子縁組を繰り返し、その都度、里親が変更になっている。
あと、一〇メートル、拾得と目が合う。
拾得はポケットを弄り、九寸釘を取り出した。
九寸釘。
勝手に人の家に入りやがったのか。確かにお前のものだが、傲慢だ。俺の書斎を目の当たりにして、どう思った。お前の思い出を保管していた俺のことをどう思った。哀れな奴だ、と優越感にでも浸ったのか、マザコンが。お前を心から慕っていたマルちゃんさえも、まともに向かい合えなかったお前が何様だ。ぶっ殺してやる。どうせ俺だって、今宵死ぬ。不自然だ。父親さえも塵芥同然に殺したくせに、お前だけ生き残っているのが不自然なんだ。クソッタレの父殺し。全部知ってんだ。俺が実母を殺さなきゃ、眼中になかっただろう。俺は、花子さんかマルちゃんの補充品だ。
いい機会だ。教えてやるよ。弐号さんがお前に何をしでかしたかを。
実の息子を見捨てたどころじゃない、もっと外道邪道だ。お前を匣にした。
五圏東京を制した俺には、祝福により様々な恩賞が与えられた。最も有意義だったのは、時間だ。俺はまず弐号さんの周囲を骨の髄まで調査した。やがて将門派への関与にたどり着くと、さらに深化させ徹底取材した。東京に潜む将門派をあぶり出し、関係者を拷問、殺した。大衆紙さんも例外ではない。
そこまでやったんだ。真相にはたどり着いた。あまつさえこの東京を統べる摂政さえも把握できていない淫祠邪教に関わる事実。
秘密青年最高機密。
拾得、本名は織羽彰逗。
将門派と呼称される過激集団は、摂政設計構想が持ち上がった頃に結成され、対抗策として将門を開発した。だが、滅びの子はまだ幼く脆弱で、成長には時間が必要であった。将門派は、将門誕生を目指して摂政から隠れる秘術を編み出し、長年にわたり深謀遠慮してきた。その技法は大いに失敬した。
不届きものどもは、幼い拾得に何を封印したと思う。
超越的魂。反社会的日輪。新皇。
平将門。
大欲非道であった弐号さんもまた将門派であった。
平将門は何か。第二次東京復活とも違う、東京進化の可能性。全知全能たる東京を支配下に置き、その領土拡大を実行する。進化ではなく拡大。復興が進む世界中の主要都市をすべて東京の複製とする。そうすれば、東京は世界を制する。
ただの過激派の発想だ。必定の蜂起に備え、将門は目覚めし者の子息である拾得の脳に収められた。起こったことは悲劇だ。弐号さんは平将門を移植したにも関わらず、顔を合わせても息子、いや聖櫃だと気づかず、最期には殺された。
原因は実母だ。実母が拾得を将門派の魔手から守護するために存在を隠匿した、と言ってやりたいが、そうではない。弐号さんの気を引くために、どこかに拾得が消えたと喚いた。混乱が起こった。実母は将門派の内ゲバに巻き込まれ、第三圏に流転した。一方、拾得は施設や家庭をたらい回しにされていて、元々誰の子息であったかもわからなくなっていた。
言い直そう、茶番だ。
時計の針を今に戻す。
つまり、今宵は特売日であるのだ。神たる東京は、摂政たちの動乱に幕を下ろし、自身で変態新生し、最上位脅威である平将門を屠るのだ。
すべてもうどうでもいい。殺しあおう。
九寸釘を奪って、脳天に打ち込んでやる。
もうすぐだ。バットを握りなおす。
殺す。祝福。バリヤバい。
拾得、九寸釘の先端を俺へ向ける。
殺す。
調子は最高。俺の瞬間最大。
殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す。
というところで。
拾得の脇でうなだれていたはずの転生者が、ふらりと立ち上がる。
あれ、なにこいつ。
転生者の手には、どこから持ってきたのか、匕首が握られている。
目を見開いた刹那、拾得の腹に刃物を突き立てた。
拾得の視線が俺から転生者に移る。
俺の脚が止まる。祝福、じゃないのか。
拾得が腹を押さえて、どさりとカローラⅡのルーフに転がる。口角を痙攣させながら、薄っぺらい目つきで俺を見つめる。何か口にしているが、周りの騒音でなにも聞こえない。
東京はうるさい。
俺は東京にすべてを差し出した。なのに。
ぶっ倒れている拾得の腹部から、血が流れる。
祝福はどうしたの。
名前を呼ぶ。青ざめた転生者が震えた。拾得は無反応。
カローラⅡの前面を駆けのぼる。膝を折り、拾得の顔を覗く。
視線は明後日、馬鹿みてえな真っ黒い面だった。
微笑んだまま。
こっち見てくれよ。もっと話そうよ。
拾得は死んでしまった。どうして、どうしてだ。
いよいよ巨大樹の倒壊が始まり、新国立競技場も傾き始めた。
入場口だった。
純白の装衣を纏った集団。激震にも動じずフィールドを歩み進む。児童ばかりだ。
裏通りの悪童たち。闇の中で踊る妖精。天衣無縫乃生命体。
極東叛逆眷属をけん引する人物を目にして、思わず苦笑いしてしまう。
マルちゃんだった。純白の上下。欠けた耳。無化粧。黒髪。
この宿命は、俺が宵に参加するよりもっと以前から始まっていた。
拾得はマルちゃんと出逢った。
すべて全知全能たる東京の意思か。
人類よりも人間らしく。原初の人間であるマルちゃんは、真っ直ぐ俺らを見つめている。
その魂には何が映っている。
彼女はこの結末を知っていたか。本当に拾得を愛していたか。
くだらない。
周りを見渡す。まるで奈落だ、東京の宵。ありとあらゆる瑞光が乱反射する極彩色の電脳大都市。至る所で煙が上がり、叫喚や爆発音が響き渡っている。天蓋は砕け落ち、満天の星々が俺たちを見下ろし神や遺体、生者に対して、みんな死ぬ、みんな死ね、と告げている。
俺たちはもうこんなくそたれな世界にいる必要はない。脱出するべきだ。
寒山拾得対神たる東京。
俺は立ち上がり顔が引きつっている転生者の顔面を目がけて金属バットを全力で振りぬくと拾得が落とした九寸釘を拾い東京なんてほんと嫌いだよていう愛を込めておもいきり自分の首筋を下僕たる証明ごとぶち抜く。
完
*本記事のキービジュアルは永良新が作成しました。