Ⅳ
八月、真夏に開催された東京の宵は最悪だった。
拾得が便所で用を足している間に、人通りの少ない路上を独りで歩いている中肉中背の犬耳酔漢を発見した。
両手に匕首を持っていたが、背中はがら空きだった。千鳥足だったことから察するに、飲酒して酩酊状態だったのだろう。好機と意気込み背後から忍び寄って、持っていたようなもので殴ろうとしたが、躊躇してしまった。ふと、どこを殴ればよいのかわからなくなったのだ。後頭部を殴ってうまくいけばよいが、失敗したら両手の匕首で反撃を受ける。かといって殴打するのは右手か左手か。どちらがよいのかが判断できなくなってしまった四苦八苦しているうちに、酔漢が俺に気付き全力疾走で逃走された。直後に突発豪雨を喰らい、惨めな気分で帰宅した。
万事がこの調子だったので、祝福を享受することもない。いくばくかの原稿依頼。葉霊との関係は修復しただけ。
九月半ばの夜、俺は拾得に連絡して、新宿区へ足を運んでいた。黄金赤提燈街で安酒を呑むためだ。
「そう落ち込むなって」
拾得に慰められる俺の顔は紅い。狭苦しい立飲屋に入店してから、再現飲料である日本酒をグラス三杯あおった。
頭に鉢巻を巻いている年配の店主は、房州団扇を片手に腕を組んで、仮想野性空間で写真精密再現された獅子と狼の殺し合いを大型パネルでボーっと眺めていたが、あくびをしてから超圏的祭祀である並行世界の女王授賞式の中継にチャンネルを変えた。
達磨下手祭囃子が流れる通りは酔っ払いで賑わっている。最初に聞いた注意では、無関係の都民に対し、東京の宵に関する事項を口外することは禁止されていたが、案外ふつうに会話するだけくらいでは、制裁の対象にはならないようだ。摂政もそこまで暇ではあるまい。まあ、葉霊に無理やり聞かせたらどうなるかは試せないが。
「なんでよ」つまみの月餅を頬張る。「落ち込むだろ」
「殺しが慣れた、なんてのは、いい人生じゃないねェ。といいつつ、今夜あたり怪しそうだよ。しっかり殺さなきゃな」
「ったくよーわからんやつだ」
俺は、着替えを詰めてある足元のスポーツバッグを睨みながら、日本酒のグラスを空ける。
「もうそろそろ」拾得がハイボールを口に含みながら、苦い顔をする。「僕たちも結果出していかないと、やばいかも。自分で愛を掴め。……実は家賃を上げられそうなんだよね。改装工事だかなんだか」
「んだよ、俺は追い出されそうだってんだ」
「で、原稿は何書いたの?」
「んー、平成時代の淫猥作品の批評をいくつか。あんまし金になってねえ」
こつこつと貯めてあった金銭もあと、三カ月しかもたない。経済危機だ。
両親も頼れない。神たる東京においては、家父長制の基盤となる相続制度が解体されている。家族関係が大災厄以前に比べて希薄になっているのだ。だいたい、就職が契機となり縁が切れる。俺の場合はドロップアウトしたときだったが。拾得も同じようなものだろう。
まあ、すぐに金を稼ぐ手段などない。殺すしか。頭を抱えたときだった。
東京の宵の開始通告が全情報集受容疑似瞳に入る。
「寒山、酔っ払い過ぎているんなら、便所で吐いてきたほうがいい」
「今夜はどこだろうな。近所だとありがたい」
全情報集受容疑似瞳に文字。
『千代田区』
「千代田区」拾得の口元がほころぶ。「遠くも近くもないな。真霞が関、東京五角議事堂、東京の中枢だ」
「秋葉原電脳郷もある」
「さて今夜は結果を狙わないとねェ。前みたいに背後からの奇襲で躊躇しているだなんて、やめてくれよ」
拾得の指摘に反論はなかった。
便所で着替えを済ませ道路上で合流すると、拾得は黒い艶のある複数繊維重素材の雨具を纏っていた。足元は、ヴァンズの青色スリッポン。俺は釣り用上着に、ストレートのブラックデニムで足元はムーンスター。
二人で電車に乗り、神田区画まで移動した。乗客の反応を観察したところ、まだ俺たちの姿は認識できるようだった。東京の宵が完全に始まると、目さえ合わない。耳元で咆哮しても、反応されない。
第二首都高速の下に設置され縦長い形状をしている西神田駅の北口改札を抜ける。高架電線では、武骨なヒト型多機能重機が整備作業をしていた。
拾得は歩きながら、俺の顔にスプレーを吹きかける。
武器調達の為に標高一〇〇メートルに設けられた空中公道を進む。周囲の建築群は、少し老朽化が進んでいる。並ぶビルの壁面は墨色に掠れ、一部はぼろぼろと剥がれていた。廃棄物集積所脇の壁面には、エミリ・ディキンソンの詩歌がレーザーで焼書きされていた。角地にあるおんぼろいビルの中に入る。仄暗い廊下の奥、店舗の空き物件があった。薄い扉の前には、『入居者募集中』という看板が張りつけてある。
拾得が錆びついたドアノブを握ると、すっと扉が開く。鍵はかかっていない。
「今宵の武器を選ぼうか」
中に入ると、既に|先客がいた。
前の貸し倉庫と同じく、薄暗い壁際の棚にずらりと武器が並んでいたが、そこには不釣り合いな姿があった。
小動物のように、小柄で若い麗女だった。一五〇センチ程度の背丈だが、手足は長い。派手な紫色のスウェットに黒のスキニーを履いている。足元はソールまで真っ青のAIRMAX95だ。右手首には、濃緑に染められた水引組紐の腕輪。顔の化粧は煌煌とした銀河が渦巻いており、そこに目や鼻、口が乗っている。騙し絵化粧か。
武器は既に選び終わったのか、長いようなものを抱えていた。
「拾得ちゃん」麗女は拾得に向かって笑顔。声はハイトーン。
「マルちゃん、久しぶりやね」
「こちらのお兄さんは?」
マルちゃんと呼ばれた麗女は俺を指さす。爪先には真っ赤でラメ満載のマニキュアが塗ってあった。
「どうも、寒山です」
俺が頭を下げると、マルちゃんは幼さが残る頬を緩めた。
「きゃ、真面目」それから、目つきが一瞬鋭くなる。「拾得、なんて名前にしちゃったのは、この人のせい」
「そうだよ。偽名なんだからいいじゃないの」
「真面目な人がいいんだね」棘がある言い方だ。
拾得が頷く。「僕の相棒だからねェ。僕が優柔不断な分、彼のように芯のある男を選んだわけだよ」
「アタシと組んでくれるって約束したじゃん」
「してないってば。こわいなァ」拾得はとぼけた声を出す。「そこらへんの女とか男とかひっかけりゃいいじゃない」
「アタシって、なんていうのかな、女の子とうまくやれないんだよね」そのことを微塵にも駄目だとは思っていない喋り方だった。というよりも、自分が特別とでも暗に主張しているみたいだ。「男の人は、拾得ちゃん以外ムリ」
「そりゃあ、まァ光栄なことだよ」拾得はやわらかく流す。「今日はてっきり秋葉原の方面に顔を出していると思ったんだけど」
拾得は並んでいる武器から、細い柄の小刀とナイフを手にした。俺は、倉庫の隅にあった金属バットを選んだ。
「武器選ぶのは、ここが穴場だしね。これから、向かうよ。アタシ、真霞が関よりは秋葉原のほうが地理勘もあるしさ」
マルちゃんはそう告げると、愛嬌たっぷりに手を振りながら、部屋から飛び出していく。
「拾得、彼女はメイク落としたら、可愛ぃんだろうな」
「可愛ぃのは確定事項だ、気になるあの子。職業がアイドル歌手だからねェ」
「おー、なるほど」
「東京の宵で山ほど殺して、国民の恋人になるのが夢なんだって」
「……以前に組もうって提案されたのか? あんな子、勿体ない」
拾得にいろいろと助言したのも彼女だろうか。
「ジジくさい言い方よしなって」拾得はいつも通りの笑顔を浮かべたままだ。「でも、断った。マルちゃんは戦闘員を殺したことがない。格好だけさ」
「東京の宵で殺せないってことか」
「度胸がないんだよねェ。多分、人を殺したくないっていうのもあるだろうけど、別のどこかで、自分の実力で有名になりたいっていう願望があるんだろうね。僕らみたいな不埒な輩とは違うんだ、初心なんだよ」確かに、殺せない奴と組めるか、と問われれば、無理と答えるだろう。「まあ個人的にはマルちゃんっていい子だから、手を引いてほしいんですけど」
「昼はアイドル、真夜中は人殺しじゃ、裏表とかの次元じゃないよな」
出発は意気揚々だったが、敵と遭遇することもなく二時間近くが過ぎていた。大手町のオフィス層帯をぶらつき、東京駅跡地に慰霊碑として建立されている全長四〇メートルで再現されたオーギュスト・ロダンの『地獄の門』辺りで待ち伏せをしていたが、思いのほか戦闘員の姿は見当たらず。跡地の外れでは寂しげな老婆が、誰もみていないのにサディスティックな人形浄瑠璃を上演していた。
人影を求めて、もう少し明るい虎ノ門の周辺部へ移動することにした。【第二圏】の同族がいれば、何か情報を入手できるかもしれない。
ビルの壁に設置された朱色文字のデジタル時計が示す時刻は、一時を三十分ほど過ぎたところだ。今夜も不漁で終了した場合。明日からの生活を想像すると、なんとなく嫌な気分になる。
二人でこそこそと虎ノ門のビル群を抜けていく。
真霞が関の官庁街辺りまで、標高六五〇メートルに位置する空中公道を進む。似たような平面的な灰色のビルが並ぶなか、特に巨大なビル五棟が目立つ。各圏の行政機関が一挙に入居している。経済産業省や大蔵省、厚生労働省、科学技術省。被造物からの指示を忠実に守る執行機関。
圏を越えた行政を展開するのは、各国政府などとの外交を担当する外務省と地方隷治や内政、各圏調整を管轄する地方総務省だけだ。この一帯の道路は、テロを警戒しているのか、異様に簡素な造りで見通しがよい。重装備の官衛兵や官衛隊装甲車輛、自律飛行機編隊が警邏している。
拾得は、公道の真下を一機、マルチ・ローターの自律機械が飛翔していくのを見届けると、落下防止帯から身を乗り出し、不夜城と化している周りのビル群を睨んだ。
俺も観察するが、絶壁のように聳える高層ビルのフロアに、のっぺりとした明かりが灯っているだけでつまらない景色だった。
気が抜けていたところで、何かの影がひゅん、とビル谷の晦冥に堕ちていった。
きっと身投げだ。
地の底に肉体がぶつかる。飛び散る血肉。確実な死。東京は地面から人間の血を啜り、さらに上へと成長していく。
「拾得、こんな真夜中まで仕事したくないな」
「ま、それどころじゃないかもねェ」
「へ」
拾得は微笑んだ。「なんか追われている気がするんだな」
「俺もそんな感じ、というか雰囲気が」
俺は強がった。耳への反応もないどころか、人の気配なんか全く感じちゃいなかった。
拾得は視線だけを後ろへ送った。「背後を取られてるね。耳に反応があるのは、半径三〇メートルくらいのはずだ。その範囲に進入しないように、音も出さずに後を追っている」
「ごめん、さっぱりだった」心臓が少しズキズキする。
「きっと手練れだからさァ。このままじゃ、格好の餌食だ。どうすっか。……あそこがいいかねェ」
正面に見えてきた重厚で長大なビル。超圏横断庁舎。高さ七一〇メートル。三〇年前の建設当時は、都内で最も高い建築物だった。
屋上には後乗せで造設された東京五角議事堂、五圏政治の中心。目にするのは、小学生のときの社會科見学以来だ。照明を浴びる中央塔がひときわ目立つ。復興開始の記念碑的な意味合いがあり、階下には超圏行政の外務省と地方総務省が入居。各圏の立法機関が、五角形の建物に集約されている。五つの正門、五つの議場。
徳川宗春公は、その深奥に鎮座しているという噂もある。
「マジかよ」
拾得は走り始める。「マジ、全力疾走でよろしく、寒山」
俺も続く。
すると、どこから湧き出てきたのか、背後から影が。
紅い影、二つ。
拾得は舌打ちをする。会ってはいけない二人組。
「まじかよ」
「マジだ。マジかよマジかよ、あほみたいだよ、寒山。バリヤバいんだよ状況は。血生臭い薬売りだってんだ。並ぶなって。密着せずに分散するしかないな」
「逃げきれるか?」
「いや」拾得の目つきが変わる。ぐっと鋭さを増す。「たぶんふりきれないねェ」
背筋に冷たいものが奔る。
異端者二人、血生臭い薬売りは螺旋状に動きながら、追跡してくる。
俺たちは【第三圏】の議事堂正門から敷地に入り込み、玄関を目指す。
「くそ」
ロータリーが整備されている敷地内には警備員が立ち、監視用多翼機械群体が飛んでいる。もちろんこちらに見向きもしない。
玄関入り口に設置された階段を駆け抜け、半分空いている大きな扉から内部へ滑り込む。
扉の先は厳かな雰囲気の中央広間だった。
凌霄花のレリーフが彫り込まれた高い天井。床には艶めいた大理石が敷いてあり、ぼやっとした灯りを反射させている。
第三圏議事堂内には、拳銃を携帯している警備員が複数名いた。それに、背広を着た男女も数人。誰も俺を見ない。呼吸を整える。摩擦の少ない床はつるっとしている。気に喰わず、絨毯の上に乗った。
若干、マシだ。
耳鳴りが始まって、振り向くと、扉から赤い二人組が飛び込んでくる。
先陣を切ってきたのは、沸騰する血の如く真っ赤な毛皮を全身に纏った筋骨隆々で大柄な男だった。毛皮は顔までもを覆っており荒々しい容姿だ。右手には五〇センチほどの鉈が握られている。
これが野獣道。根性気合の力技。腕自慢。前傾姿勢のまま俺に向かって突っ込んでくる。
その後から、女が続く。薙刀を携え、紅色蛸の拡張現実化粧で頭を覆っている。
こいつが蛸頭。沈着冷静の速攻。韋駄天。
二人合わせて、血生臭い薬売り。一三英傑。
狂気的都市闘犬。赤い調査員。リアルでシュールな赤影。
覚悟を決めるしかない。
俺はバット、拾得はナイフを構えた。
すぐさま、俺には野獣道が接近。
「真っ黒ども、遊んでやるか!」
隣では、蛸頭と拾得が交戦開始。
野獣道は俺に向かい、鉈を振り回す。バットの切っ先で、刃を弾く。二三回交えると、野獣道は距離を置いた。
「ちょい新鮮覚醒しかけんな、てめえ」
「なんのはなしだ」
「ふむ、さっさと片すわ」
野獣道が鉈を構えたところで、俺たちの間にすいっと影が割り込んだ。
一般人だ。
背広を着た眼鏡の官僚だった。手が止まる。
膠着状態だ。武器を振り回せば怪我をさせるかもしれない。眼鏡男は俺たちの間で立ち止まると、A4サイズの端末に目を通し始めスワイプしつつ唸っていた。
まさか、金属バットを持った黒づくめの男と毛むくじゃらに挟まれているとは夢にも思うまい。
拾得の救援は期待できない。何十もの触手が頭部で蠢いている蛸頭は薙刀を自在に使い、拾得を壁際まで追い込んでいる。
いよいよ死ぬかも。相手は異端者。
汗が頬を垂れる。拳銃でも持ってくればよかった。爆薬でもいい。
「おい、モノノケ親父」蛸頭が野獣道に怜悧な声を投げてきた。「こっちは終わりそうだ、お前もさっさとやれ」
大理石の床に膝をつく拾得に、蛸頭は薙刀の切っ先を向けていた。
拾得はナイフを手にしているものの、肩を揺らして呼吸をしながら薙刀を睨んでいるだけで、すでに戦意を喪失しているようだった。
詰み、だ。
「はん、うるせえんだよ、タッコング。ちょい待ってろや」
眼鏡男がため息を吐いて、移動開始。
再開。
鉈の刃先が飛来する。試すような乱撃。
すべて金属バットで弾いたが、かろうじてだった。
野獣道が密着して、鍔迫り合いとなる。
脂ぎった剛毛より垣間みえる炯炯たる眼。
「なァ、しかしよ異端者に挑むとかおかしんじゃないんけ?」
「ぐ」会話する余裕はない。
「まあ、ええ、蛆虫が。……もう飽きてきたな」
野獣道が鉈を大振り。俺をバットごと打ち据える。
怪力。本気。
俺は耐え切れず、五メートルほど吹っ飛び壁に激突。バットも手放す。
大理石の床を這っていると、野獣道が詰めてきて、片手で首根っこを掴まれ一気につるし上げられた。
剛力。
「ぐ」首がぐぐっと締め上げられる。
「はん。味気ないの。目覚めかけ程度じゃ、こんなモンかのぅ」
万力で絞められているようだ。静脈が的確に締められ、徐々に意識が遠くなっていく。
野獣道は、ふんと鼻から息を吐く。
「ん? もうお陀仏か」
「……離せェ」
「おい、親父」薙刀を構えていた蛸頭が割って入る。「遊ぶか?」
野獣道が仄暗い笑い声を発した。
「ちょうどいい。……そうだなァ、垂直落下式根性試し遊戯、でもやるか」
拾得は俺を見つめていた。
いつもの余裕は、完全に消え失せていた。
逆転の秘策はない。これから俺たちは、命をもてあそばれる。
*本記事のキービジュアルは永良新が作成しました。