Ⅵ
拾得は、平常運転で真っ黒服装だった。
かという俺も黒一辺倒だった。多少の違いもある。拾得はいつもフード付きのパーカーだったが、俺はロングスリーブの上に釣り用上着を着るスタイルになっていた。拾得は手先が異様に器用なのだろう、パーカーのポケットから猫型ロボットのように的確に道具を取り出す技術を持っていた。一方の俺はそんな繊細な芸当はできず、ポケット数が多い服を着て、持参した道具の収納場所を習慣づけるほうが向いていた。
今宵の会場は、台東区だった。一〇月下旬の秋口で、暑さは完全に過ぎ去り、夜歩きにはちょうど良い季節になった。上野公園で合流し、近くのレンタル倉庫で武器を調達した。生憎、いつも使用している金属バットがなかったため、鉄パイプを選んだ。きっと、超電磁浅草寺の辺りが繁盛しているだろうと予測し、そこから周辺部へ流出する奴らをとっちめようと、東部にある隅田川沿いのビル群を歩いた。
俺たちは東京の宵だけでなく、たまに飲みに行くような関係になった。先週も、拾得の職場近くの神田で落ち合って、二、三時間酒を飲んだ。会話の大半は他愛のないものだ。祝福の効果を、俺の好調ぶりを、打ち明けたかった。それだけじゃない。話題は、俺の趣味である映画、拾得の趣味である音楽、仕事のことも。ついでに、東京の宵に関する作戦会議まがいのこともした。
血生臭い薬売りを殺した、という祝福の効果は絶大。
まず、仕事。俺が追い付かないほどの依頼が殺到。今月には、紙製の書籍が出版される。第二圏で流行している映画などの批評をまとめたもので、戌猫が強いバックアップをしてくれている。俺が旬なうちに、続けざまにもう一冊出版したい意向らしい。
次に、葉霊である。浮気の告解は衝撃的だったが、結局別れてはいない。索然としてしまってはいるものの、週一回ほどは食事に出かけてはいる。
憂いは消えた。
いや、そうでもない。
隣を歩く拾得はぼんやり。
高さ一〇〇メートルに設置されたテラスから豊潤な夜景を見る。向こう岸は、墨田区。第二首都高速が隅田川に沿っていて、自動車の灯りがものすごい速度で駆けていく。
俺はやる気がないし、隣を歩く拾得も同じようだった。
無言で、いつもの九寸釘を紙やすりで入念に磨いていた。拾得は、異なる種類の紙やすりを複数枚所有している。番号別で細かさに差があるようだが、ずぼらな俺にはピンと来ない。拾得に言わせれば、細かいほうが妖艶さが出るらしい。
今夜の二人の共通点は、弐号さんの思惑通りでは気に入らないことだ。ここでやる気満々で、血眼になって戦闘員を殺そうとしたら、弐号さんの思うツボ。おかげで、雰囲気も悪い。
無言に耐え切れず、俺は口を開く。
「なあ」
「なに」
拾得は薄く微笑み、やっと九寸釘をポケットに仕舞い、代わりに煙草を吸い始めた。
「お前、魂の存在とか信じるか? 人には魂があるからどうたらこーたらなやつ」
「魂ねェ。あってもなくてもいいな」拾得は、白黒の箱を取り出した見せつけるように振ってきた。「吸うか?」
俺は首を振り、拒否する。「大災厄以前の調査で、旧日本人の半分は魂を信じていたんだとさ。ま、現在でもあまり変わらんらしいよ。実在しているかはどっちでもいい。この世の中は、魂を信じている人間と信じていない人間が半分ずつで成り立っている。社會が情緒不安定なのもなんとなく納得できる」
拾得は煙を吐いた。「面白い解釈だなァ。そういえばさ、魂に関する昔聞いた法螺話があってさ。……誰から聞いたんだっけねェ。思い出せないな」
「どんな与太話だ」
「人間という存在には魂があると定義するならば、まだ人間は産まれていない」
「は?」
「僕らは所詮、原子が集合している存在を定義づけて、認識しているだけじゃないの。定義できる存在を、例えばビルと呼び、例えば細菌と呼び、人と呼ぶ。これらはただの集合現象で、魂という核を有する存在ではないってねェ」
「全人類、哲学的死骸かよ」
「そういう感じかな。現行人類、オールモスト・ヒューマンは真の人間を生み出すための踏み台。ここからがひどいんだなァ。三〇年前の大災厄は人間の懐胎であった。東京はつまり子宮だ。ゆえに、東京にはいつか魂を持つ真の人間が誕生する」
大災厄後に風靡した人類傲慢論のひとつだろう。
「現行人類は傲慢にも自分たちには魂がある、あるいはあったと思い込んでいる。過去もこれからも魂を手に入れることなど出来ない悲哀に満ちた存在、か。ううん、ひどい与太話だな」
「僕も同感、だったけど、東京の宵に参加してから、どうにも。人間扱いはされていないね」
「少なくとも、摂政には遊ばれているよ、俺たち都民は」
「ああ、僕らがいくら強靭になろうと、所詮使い捨ての駒だ。なんのための捨て駒かもわからない」
拾得は笑顔を作り、百メートル下を流れる川に視線を向けた。暗澹とした水面では、街灯の光を反射している波が震えている。
「ところで、今日は勝負しないのか。俺ら、異端者なんだろ」
拾得は煙草を消すと、携帯灰皿に吸い殻を放り込んだ。
「なんかな、萎えてんだよ。弐号さんのせいでさ。最初、ロックがいいなァと思って聴き始めたところで、脂っこいロックンローラーの『俺らの音楽ってさ』云々のインタビュー読んじまって、なんか聴く気が失せる感じ。脂っこいの苦手なんだよ」
わかるようなわからんような例示だ。
話が詰まる。
「で、寒山、異端者に目覚めてどう?」
「うん。まあ、普通か。強くなれるのは基本的に宵の間だけみたいだな」
と言いつつ、宵であっても精神状態が影響するのだろうか、今夜は前ほど力が湧き出ない。
「だよねェ」
「普段もならよかったけど……」
不意のことだった。数十メートル先にある歩道付近に、すっと影が降り立った。
身投げではない。それは見事に着地した。
ピンクのベレー帽、金髪、視界に入った瞬間、俺たちは踵を返し背を向けた。
「今日は無理」走り始めた拾得が叫んだ。
まさかのア美顕だった。
血生臭い薬売りのようにうまくいく気がしない。
「だよな」俺も続き、走り始める。
俺たちは川沿いを離れて、複雑路地構造へ駆けて行く。
避難先はカラオケBOXだった。
ジャニス・ジョプリンやカート・コベイン、カール・クラック、尾崎豊、リル・ピープ、エイミー・ワインハウス。
永遠の不良たちの熱唱参次元電飾が流れている中央広間を取り囲むように、客が入室している不透過の鉄匣が上下に移動していた。店内には、怪しげな世紀末的電子音楽が流れている。黒色の鉄匣は、絢爛な色彩が混じりあう靉嘔的照明を浴びて反射していた。
「拾得、うるせえんだけど」
「けど、ここなら人も寄りつかないしさァ。我慢だね」
店名入りのTシャツを着た接客係がエントランスホールを巡回していた。
「ここって、【第一圏】の店だよな。こういう風なんだな、他圏のカラオケBOXって」
【第二圏】のはもう少し平凡な気がする。文化比較研究の対象としておもしろいかもしれない。
「まァ、派手だよねェ、ふつーの店舗よりかは。……ん」
中央広間、熱唱参次元電飾の真下。鉄匣を見つめる影が立っていた。
おかっぱ頭の幼い女の子だった。
薄汚い衣服を纏っている。毒々しい闇の中で、上下左右に移動する鉄匣を睨んでいる。
「だれ」
「……地下住民じゃないの。それか、【第一圏】の浮浪孤児かしら?」
稚児はこちらを向いた。
「俺らを認識できるのか? じゃあ、ふつうの都民じゃねえってことか」
「やっぱ、地下住民かァ。警察に見つかりゃあ、追放されちゃうねェ」
拾得がつぶやいた刹那だった。
稚児は身を翻し、ぴょんと跳ねた。
「へ」思わず声が漏れる。
天使のように。参次元電飾を突き抜けて、五メートル上の鉄匣まで跳躍したのだ。
人力建物移動。すぐさま別の鉄匣に飛び移っていき、稚児は天井方向へ消えてしまった。
「猫かなァ?」
「都市伝説で聞いたぞ。幼い少年少女が集まって盗みを働いているんだけど、乱破みたいな身のこなしで官憲も捕まえられないって。確か、裏通りの悪童たちとか。なんだっけ、闇の中で踊る妖精とも呼ぶんだっけな」
「聞いたことがあるかもなァ。東京ってつくづく変な場所だ。追いかける?」
「めんどくせえだろ、あほらし」やる気が上がらない。
俺たちはエントランス近くに移動してきた鉄匣に乗り込む。鉄匣は音もなく浮上する。
中には先ほどの接客係がいた。マイクを握って、画面を見つめて熱唱。
労働放棄だ。
「拾得さ、一人カラオケとかやったことあるの」
俺たちは仙人掌皮革のソファーに深く座り、熱唱する接客係を観察する。
拾得は、テーブルの上にあったポテトフライを勝手に抓んで口に運ぶ。
「ありえないねェ。カラオケはあんまり性に合わないのさ」
「俺もなんだよな。絶望的に音痴」
「へえ、僕は、歌う行為が好きになれないんだよね。ついでにさ、ワーっと大人数で騒ぐのも苦手だな」
完全に油断していた。
鉄匣の扉が開く。続けざまに人が飛び込んできた。男だ。道化の拡張現実化粧。真っ白な顔、丸い赤鼻。手で握っていた武器をこちらへ向けた。
奇襲。耳鳴り。男は発砲。
露国極道の小型拳銃、トカレフ。
すさまじい炸裂音。マイク経由で、部屋中に反響。
傷みはない。
だが、歌は途切れた。
接客係がテーブルに顔を載せていた。マイクが床に落ちて、もう一回反響。店名入りTシャツの胸の辺りから、血が滲んでいる。弾丸は、接客係に直撃した。
道化が叫び、もう一度拳銃を構えた、はずだった。
「なにこれ」呟いた道化の腕は、拳銃ごと何か掴まれていた。それは、部屋の端にある暗がりから延びていた黒い霧状の影だった。「助けて、助けて。なんなのこれ」
だが、俺たちが動く間もなく、道化の躰が得体の知れぬ影に覆われる。
黒い闇の塊。
「だめ、だ」
瞬く間に、黒い影は道化を攫い、音もなく部屋の隅に吸い込んでしまった。
耳鳴りが途絶える。
「拾得、見たか」
道化は見る影もなく消失し、接客係の遺体だけが残っている。
「バリやば」
俺たちはロケットのように鉄匣を飛び出した。
宵が終ったとき、俺たちは花やしき跡地ビルの中階層にある拉麺集積地帯にたどりついていた。普段は、紅や朱、白の派手な電光暖簾が連なり食通で賑わっているが、夜明け前ではさすがに人通りはない。二人で暗い道をとぼとぼと進む。何をしたわけではないが、疲労感が漂い、身体は気怠かった。
上野まで移動し、そこで拾得と別れて家路についた。
不発の結果では、祝福もないので、楽しみもない。
夜まで眠った。起きたら、午後九時。
シャワーも浴びず、机に座りラップトップを開く。手持無沙汰が落ち着かず、とりあえず電脳網に接続。
ちょうど流れてきた報道番組で、銀髪の女性が神たる東京について語っている。
『最近、神たる東京が生物として語られる機会が多いですよね。我々の研究集団では、現在の傾向がさらに長期的に継続することにより、東京が自己再生自己増殖自己進化の資質を持つ怪獣のような存在になっていくのではと推察しています。それが都民にとってよいことかどうか、いささか不安なのです』
道化の末路のことを思い起こす。あの接客係は気の毒としかいいようがない、無関係の人を巻き込んだのだ。晦冥に引きずり込まれるというのは、確かに宵の罰則としては、妥当だろう。天国東京から奈落行き。
無意味な想像に耽りながら記事タイトルを斜め読みする。
その中に、『不審死。資産家殺人事件か?』という記事タイトルを発見した。接客係の記事、そんなはずはないあれは第一圏の事件だと思いつつ、クリックする。
内容は違った。
急転直下。
被害者は渋谷区在住の馬抜稀人、だった。
写真もある。その顔は見たことがある。
死んだのは、弐号さんだった。
いてもたってもいられず、速攻で拾得にコールした。午後十時過ぎだった。飲み会とか就寝していたら、出ないかもしれない。
「寒山、どうしたんだい」
電話には出たが、拾得の声からは動揺を感じない。まだ弐号さんが死んだことは知らないのか。
「報道見ていたらさ、弐号さんが死んだって。馬抜稀人って、本名で掲載されていたけど」
一瞬、拾得は間を置いた。「本当なのかい、それ」
「自宅付近の路地で、刺殺されていたんだって」弐号さんが住んでいた立派な和宅を思い出す。「昨日の宵で、他圏の戦闘員に殺されたんだろうな」
「あんな老獪な人を殺せるなんて、どんな奴なのかねェ。くわばらくわばら」
「さあ、ア美顕が昨日参戦していただろ。あいつじゃないのか」
「かもねェ」
「拾得、そんなに驚かないんだな」
「まァ、人間いつかは死ぬんだし、とか思ったらなんかね。今まで生き延びてきたほうが不思議な位だしさァ」
「確かに」拾得が冷静なので、喚いている俺が恥ずかしくなってきた。「ところで、弐号さんが討伐されると、何か起こったりするのか」
拾得の声は平坦なままだ。
「別に、【第二圏】の奴らがちょっと騒いで終わりでしょ。あんな高慢な態度じゃ、友達も少ないだろうしねェ。僕らだって、葬式に参列する義理はないだろ」
「そうだよな」
「悪い、寒山。今から電車乗るから、切るよ。また今度飲もう」
拾得に通話を遮断された。
戦闘員で、言葉を交わしていた人が死ぬのは初めてだ。
いずれ誰でも死ぬ、という拾得のセリフ。生者必滅。
俺や拾得、マルちゃんだって条件は一緒だ。
自分が死んだらどうしようもないが、最悪、拾得が死ぬ場合を想定しなくては。単独で動くか、それとも、誰かパートナーにするかどうすりゃいいんだ。チームに入る選択肢もあるが。
もちろん、拾得に相談できる内容ではない。自分が拾得抜きで宵に参加する姿を想像できない。誰かを殺せる気もしないし、一晩すらも生き残れない気もする。
今の俺はかなり拾得に依存している気がする。俺たちの距離はだいぶ縮まっている。本名さえも知らないというのに、距離も糞もないだろうが。悪縁だ。
拾得はどう考えているのだろうか。俺がいなくなれば、新しい相棒を探すのだろうか。
相談する相手はいない、自分で考えるしかない。
次の宵は、弐号さん昇天を知って、三週間後の一一月だった。
開催場所は、渋谷区だった。様々な企業の本社機能が、渋谷区に集中しているがそれだけではない。さすが神たる東京内で今最も隆盛している区だ。
第一の合流地点は、複合遊興施設である渋谷PARCOの入口前にしていた。標高二五〇メートルの位置に造設された第三空中公道には自動車が進入できる余地はなく、歩行者天国と化している。寝たら死ぬぞ。十代が燃えている。ハチ公参次元。空中遊泳広告群。異常幻覚剤を摂取してそうな若造たちが、きゃっきゃと騒いでいる。幼少から続く超競争高速義務教育で精神的に追い込まれた落伍者ばかりだ。前後左右からとめどなく押し寄せる音楽と映像の大嵐と幻想に身を委ね、諸々を忘却する。
俺も一度だけ訪れた。ぐちゃぐちゃになるまで一晩中、踊り狂った。大学中退が確定し、両親に家から追い出された熱帯夜だった。あれ以来、両親と顔を合わせていない。
絶えず、電子的派手花火が路上で咲き乱れる。制限がないので、普段の五倍の騒がしさ。耳を塞ぎたくなる。
一〇分ほど待っていたが、拾得は一向に姿を見せず、いよいよ移動しようとした時だった。
「寒山さん」代わりに違う女が話しかけてきた。
きらきらふわふわした輪郭。黒を基調にした耽美趣味少女衣装に身を包み、光沢を放つレーヨン素材の横須賀ジャンを羽織っていた。
マルちゃんだった。
今宵も化粧をばっちり決めていた。丸顔を活かした黒髪。大げさに盛られた黒いまつ毛、真っ赤過ぎる耽美な唇。まるでベティ人形のようだ。気怠く陰鬱な雰囲気で、ガードレールに腰掛けていた。
マルちゃんは俺の前に立つと、口角を上げた。
「こんばんは」そういえば、二人で話すのは初めてだ。「拾得と待ち合わせしているんだけど。マルちゃんも呼ばれたのか」
「呼ばれてないって」目をパチクリさせる。「二人の合流地点くらい把握しているし。寒山さんでも拾得ちゃんでもいいんですけど、ちょっとした忠告をしておこうかなと」
すぐバレるようなら、今度合流地点を変えたほうがいいかもしれない。それよりも、忠告とは何だ。
「なにが」
「犯人探しが始まったみたいだよ。他圏で名乗り上げる奴もいないみたいだし」
弐号さん殺し。
「でもふつうは調べたりしないでしょ。弐号さんだけ、特別扱いか」
「そう」マルちゃんは愛嬌のある微笑みを作る。「特別なんだよ。二〇年以上、【第二圏】の頂点に君臨していた伝説が、はい、天国行きですじゃ、みんなが納得できないの」
「確か、通り魔の犯行だろ。犯人だってすぐ捕まるんじゃないの」
「そっちじゃなくて、戦闘員のしわざに決まってんじゃん。寒山先生って、ライターて聞いたけど、本当なの?」
拾得がベラベラとおしゃべりで漏らしたのかも。合流地点も、かな。
マルちゃんの口調には棘がある。きっと、拾得と組んでいる俺のことが気に喰わないのだ。
「すまないね、まだ半年の初級者だから。あの、名無しのパンクスとかいうヤツなら、殺せるんじゃないのか。狙撃用長距離ライフルで、頭蓋に弾丸を貫通させたとか」
「それなら」マルちゃんはツンとした口調だ。「問題なしだけど。別の可能性も検証されているんだよね。……同胞殺し」
意外で最悪な展開だ。
「つまり、最後に弐号さんに会ったのが俺たちだから、犯人だとか疑われてんのか?」
「先生、ご名答。しかも目覚めたらしいじゃん、二人とも」
「へ、もう知ってんのか?」
「噂は早いよ、この界隈。ま、赤い人たち殺せるんだから、そりゃあ、弐号だって」
「俺も拾得も、殺す理由がない。あの日に会ったのが初めてだし、恨むようなこともないし。確かに、若干むかついたけども。それにさ、誰かが裏切って、弐号さんを殺しちまったとしてもよ、制裁なんてする必要あるのかよ」
「同胞殺しについては、ペナルティがないみたいなんだよね。一般人殺すのとか、区外に出るとかと違うみたいで」
「なんか釈然としないが」
マルちゃんは破顔した。「どっかの戦闘員が弐号さんを殺したじゃ、劇的じゃないじゃん。同胞殺しのほうが盛り上がるしさ」
険のある言い方だ。親切なのか、意地悪なのか、つかみどころがない。
拾得にもそんな気がある。達観しているというか、世捨て人な感覚でいるというか。
自分の生命なんかに興味がない恐れ知らず。
「なんだか気分が悪いよ」
「まあ、先生にきちんと理解しておいてほしいのは、みんな真実を知りたいんじゃなくて、生贄がほしいんだってこと。中世の魔女狩りに近いんだから」マルちゃんはわざとらしく丸めてある前髪を直す。「つまり、どっちでもいいんだよ。弐号さんを殺したっぽい相手と理由があれば」
確かに理屈は解る。別に裁判するわけでも、立証責任があるわけでもない。合理的な説明さえつけば、俺が殺したっていう話も成り立ちかねない。
「警告される理由がなんとなく腹に落ちた、ありがとう。教えてくれなかったら、エライ目に遭っていたかも」
「ま、新規の異端者になっちゃった二人には注目が集まっているからねー」マルちゃんは、ガードレールから離れる。「もうそろそろ出撃するかなあ」
「どこら辺を狙うんだ」
「寒山先生にはナイショ」拾得になら教えるのか。悲しい。「渋谷区は、アタシのホームみたいなもんだからさ」
「渋谷区に住んでんのか」
「違うよ、ライブでよく来るんだよね。原宿とか渋谷のライブハウスとかで」
「マルちゃんって有名なの? まあ、この聞き方が適切なのかはあれなんだけどさ」
「別に」ラメに塗れたマルちゃんの目つきが鋭くなる。癇に障ったようだ。「まあまあかな。ていうかそんなハナシ、関係ないじゃん」
「はあ」
「じゃね」
マルちゃんはすいっと喧騒の中に消えていった。
マルちゃんが去った後も、しばらく拾得を待った。
第二、第三の合流地点にも回ったが、姿はない。
もう区外に出ることもできない。
俺は顔に黒い塗料して、第二圏首都警察渋谷警察署が入居する複合行政機関建築へ向かっていた。
弐号さんの住居は渋谷区だった。犯行現場も。
渋谷警察署ならば、事件の情報を入手できるかもしれない。マルちゃんの忠告で、正直焦っていた。初対面の男が死んだせいで、時代遅れな魔女狩りだか赤狩りだかの対象になんかされてたまるか。
とはいえ、警察署はさすがに緊張する。最下層にある警察署は、黒塗りで重厚な感があった。上部には、交通局や税務署、官衛隊渋谷事務所などが入居している。入り口正面にある二メートル辺の正六面体電光掲示板には、極東危険名鑑に登録されている地下革命主義者や関東解放戰線、秘密結社の構成員たちの手配写真が次々表示されていく。
自動ドアを抜ける。無人総合窓口には申し訳程度の灯りが点いていた。待合室のベンチでは、泥酔した様子の男女が互いに身を寄せて、唇を重ねていた。
二階に位置する刑事課。薄明りの中、ブロードシャツを着た刑事が二人ほどがデスクで眠たげに座っていて、端末を操作していた。天井からは、表示装置が複数吊るされており、神たる東京渋谷区内の各所で撮影されている映像がリアルタイムに流されている。
ふと、白髪交じりの老女が、課長席に座っていたことに気付く。
蒲公英色のニットカーディガン。白髪交じりの髪の毛を後ろ手に束ねている。顔を隠さず、奇天烈な変装もしていない。五十代半ばくらいの老女は目を細めて、カップ珈琲を片手に、端末を見つめている。課長ではなさそうだ、耳鳴りもない。
「すいません」俺が声を掛けると、老女がこちらを向く。
「あらあら」老女は柔らかい口調で応答した。「全く気付かなかったなんて。敵だったら、耳が反応するんだけどね」
「それは?」俺は老女が持っている端末を指さす。
老女は、こくりと頷く。「お兄さんもこれ読みに来たのね。興味があるの、私くらいとタカをくくっていたのに。そりゃ、あの弐号君が昇天したのだから調べる人くらいはいるよね」
「はあ」
老女は課長席から立ち上がった。動作は緩慢だし、右足を引きづっている。
「無理がたたって、こんな脚になっちゃいまして。もう人を殺せないんですよ。祝福もなし」老女は俺に端末を手渡してきた。「それでも不可視的存在ってことを最大限生かそうと思ってね。こうやって何か起こった時だけ、調べものするのが趣味なの。大衆紙みたいなもんです。今後ともお見知りおきを」
俺は渡されたA4サイズの端末を睨む。画面には、『渋谷区資産家殺人事件』。
「これに事件の概要とかがまとめてあるんですか」
「正体不明の通り魔だって」大衆紙さんは、皺の多い顔を顰める。「そういえば、お兄さんは、なんで調べているのかしら」
「弐号さんと最後に会った人間が、たぶん俺だからですよ」
俺は正直に状況を説明した。やましいことはないが、念には念のためだと。
「粘着しているのは、きっと殻馬さんだね」大衆紙さんは訳知り顔で説明する。「熱心な弐号信者な人でね。真面目というか、几帳面で。弐号君を殺した人に天誅を下したいのね、だから忠臣蔵の大石内蔵助みたいな立ち位置かしら。吉良上野介が誰だか不明というのがなかなかだけどね」
殻馬、聞いたことがない名前だ。
情報詳細に目を通す。弐号さんの遺体は、十月二十日の午前一〇時ごろ自宅裏の路地で発見。午前六時前後に刺殺されたが、人通りの少ない路地裏だったこともあり、発見が遅延した。
特に暴れた形跡はなく、身分証タグだけが盗難。犯人は、知己の可能性が高く、仕事の関係者がリストアップされていたが、俺はその羅列された個人名を目を通してもピンと来ない。遺体の写真。くの字で寝込んでおり、見たことのある顔が青白くなっていた。首から流れたであろう血はアスファルトの上で乾いていて、赤黒い筋となっていた。首筋に残った裂傷は刃物によるもので、一〇センチほど。凶器は未発見。宵での殺され方は、実世界での死に方と異なるのだから、これは参考にならない。
周辺に配備されていた防犯カメラや監視機械の映像を洗いだしているが大した成果はないそうだ。警察権力に下僕たる証明への接続権限はない。
「悲しいな」大衆紙さんはしみじみと語り始めた。「昔は冴えないアンちゃんだったんですよ。オタク。馬鹿でかいシャツに、ミリタリーベストなんか着て」
名残り、まだ迷彩柄の化粧はしていた。
「なんかわかります」
大衆紙さんはぐっと唇を噛んだ。「そうそう思い出してきた、二人でペア組んでいてねえ」
「弐号さん、今はもう誰とも組まないって言っていましたけど。群れるのが嫌いだそうです」
「あら、偉そうになっちゃったんだね」大衆紙さんは、目を細めた。「若いときは誰だって試行錯誤じゃない。お兄さんは誰かと組んでいるの」
「ええ、同い年の男と。もう半年くらいですけど」
「ま、でも弐号君のあまり組みたくないって気持ちもちょっとわかるな。かわいそうだったんだよ。一七人殺した宵で、相棒も一緒に死んじゃって」
確か、転機がどうとかは言っていたが、関連しているのだろうか。
「そうなんですか」
大衆紙さんは改めて俺の服装を睨んで観察する。「真っ黒くろすけね。ううん、もしかして狂気的都市闘犬の二匹を倒したのって、あなたたち」
「はい、そうです」
「意外に小心者なのね。……でも疑似国本土防衛決戦である東京の宵では小心なほうが生き延びる。あなたは、弐号信者の殻馬さんよりも、弐号君に似ているかも」
褒められているのか、貶されているのかよくわからないが、あんな空虚そうな暮らしには向いていないと思う。
「ところで、殻馬さんが弐号さんの敵を取りたいって噂を耳にしてですね。同胞殺しを制裁するとか」
大衆紙さんは、一度咳をした。「基本的に同胞殺しに対しては、一般人を殺した時のような宗春からの罰則がない。徳川宗春ご公認暴力血祭の抜け穴を狙った案件は過去にあったし。昔、愚かな戦闘員がいたのよね」
「愚か者ですか」
「異常恋愛譚、一線を超える愛。【第三圏】の女と交際しちゃったの。出会いは東京の宵で、一目ぼれだったみたい。粂雄と百合枝みたいに盛り上がったんだか知らないけど、再会した勢いで交際を申し込んだって」
「まさか、オッケーしたんですか」
「男が首ったけで、付き合っているというより、主従関係だった。宵のときには、別の同圏を騙して、女に差し出す。このやり口で、十人近く餌食になったみたいだけどね。典型的な女郎蜘蛛的罠だったなぁ」
大衆紙さんは皺だらけの顔を忙しく動かして、息をするのも惜しむように矢継ぎ早に喋る。
「大恋愛は盲目狂躁、って感じですね」
「噂といえば」大衆紙さんは端末を俺から受け取ると、課長席に戻した。「きっと年明けの宵は荒れる。弐号君級の異端者が死ぬとね、追悼記念でみんな大暴れする」
「追悼って」
「天地動乱ってこと。楽しみにしていて」大衆紙さんは微笑んだ。「さてさて、そろそろ撤収しましょうか。久しぶりに人とお話しできたから、愉しかったわ」
「ええ、自分もです」
俺は次の日、ベッドで起床するやいなや、早速拾得へ電話した。といっても、昼過ぎだったが。
俺は口頭で、マルちゃんの忠告や渋谷警察署で仕入れた情報を簡単に説明した。特に俺たちに関わる問題は、殻馬という男が弐号さん殺しの犯人を捜しているということだった。
「確かに同胞殺しのほうが、盛り上がるよなァ。マルちゃんってそういうところ、鋭いからね」
拾得は呑気な回答をする。一昨日から昨日まで寝ずの仕事で、夜は早い時間から寝ていたらしい。
「ふざけんじゃねえって、俺は知りもしない殺人で疑われるなんてのは御免だ」
「寒山、戦闘員を殺している奴が騒いだって、説得力ないねェ」
俺の声は少し大きくなる。「冤罪は嫌だって話だ」
「ふざけているのは置いといて、殻馬さんが俺らのことを探るっていうのも気になるんだよな」
俺はそう報告したつもりだったが、うまく伝わっていなかったらしい。
「拾得、殻馬っていう人のこと知っているのか」
「もちろん、有名人だね。弐号さんのことを信奉しすぎて、中年のくせにファザコンの気があるってァ。特徴はサディスト寄りってとこ。拷問して嬲り殺すのが趣味なんだよ。ああいうのってよくなんていうんだ」
「快楽殺人者か」
「快感を覚えているんだ。苦手だよ、ああいう手練れは」
「殻馬に遭遇したら、注意しないとな」
「まあ、どうにかなるだよ。あの日の夜、僕たちずっと一緒だったしねェ。探偵小説でいうところのアリバイもあるんだもの。適当な戦闘員が、犯人に仕立てられるさ」
「次の宵、出撃はよしとくか」
殻馬が犯人を捕まえるまで、放置しておいたほうが得策かもしれない。
「寒山、宵に参加しないほうが疑われる」拾得は俺を嗜めた。「殻馬さんなんか猛禽類みたいな性格なんだから、隙なんか見せたら、それこそ命取りだ」
「確かに。来月どうすんだよ」
「まあね、繁忙期じゃないから大丈夫だと思うけどね。寒山先生はいかがですか? お忙しいんじゃないの」
マルちゃんみたいな意地悪な発言だ。
「来月は書き物の締め切りもないからな。まあ、融通が利く仕事だ」
「暇なのかい?」
「否定は出来ない。やることはあるけど、拾得よりは忙しくない。時間も自分で管理できるし」
「それじゃな。また飲みに行くとき、相談するべ」
「承知した」
電話を切ると、俺はパソコンに向かい、電脳網を立ち上げた。
拾得は掴みどころがない。付き合いが長くなっても仲良くなったのか、確信がない。野良猫のような奴だ。そのくせ、ちまちまと観察して、計算高い面もある。
経験を積んできて、俺も学んだことがある。
仲良くなる必要は皆無。宵で一緒に組んでいるだけなら、信頼はある程度で十分、だが、それだけだ。信頼だけしていればいい。
拾得は俺が窮地に陥っても、救いに来ないと信じればいいのだ。下手すりゃ囮にして裏切るかもしれない。
拾得も俺もそのことを理解している。
相手のことを知らないよりは。知れば知るだけ、助けようとしてしまうだろう。
親密になればリスクが高まる。
だから、これぐらいでよいのだ。
俺はラップトップの画面を見つめながら、そんなことを自分に言い聞かせていた。
十二月中旬。拾得と俺は、予定通りに参加した。
今夜の開催場所は、北区だった。区の北東にある大手遊技台専門店の裏で集合した。没入遊技台が並ぶ店内は静かだ。客たちは台の前の椅子に腰かけ、後頭部に台と脳を繋ぐ接続ケーブルをぶっ差している。中毒者の群れ。見ているだけで気が滅入る。
合流して街を歩く。
二人ともあまりやる気が出なかった。加えて、寒い。
屋上密林に設けられた赤羽公園の片隅にある掃除倉庫で武器を調達すると、赤提灯やバルが軒を連ねる飲み屋谷の狭間にある高さ七〇メートルほどの低階層ビルに移動した。誰もいない屋上へ向かい、息をひそめていた。
年季の入った建屋であり、茶色がかった地面は至る所に亀甲状のひび割れがある。ビルの縁には住民たちが後付けで乗せた瓦が敷設されており、小さな木製祠が祀られていた。桃色猟奇地下系統の映画産業集合体が入っている階下。撮影現場からは背景音楽や効果音、劇場からは笑い声が漏れている。
屋上には大量のプラスチック製のイームズ・チェアが並んでいたが、大半が破損していた。
拾得は持参した九寸釘を振りながら鋼鉄製の武骨なベンチに寝転んで、極東万里天蓋をじっと眺めていた。ぼやけた銀朏が西の辺り、生体天蓋の少し下の位置に顔を出している。
弐号さんと邂逅した夜から、やる気が湧かない。
「拾得、霄から敵は降下してこないぞ」
「ううん」マフラーで顔をぐるっと巻いている拾得は寒さを紛らわすように手を擦ってから、煙草を吸い始めた。「先入観だねェ。誰かが極東万里天蓋から飛び降りるかもしれないじゃない。バンジーアタック」
「地面に激突して、即死亡だ。やめてくれ、気味が悪い」
「神風特攻的な思考で、道連れにしてやろうって気骨のある戦闘員はいないからね」
「そんな輩はいないって。相当、相手に恨みつらみがあるんなら話は別だけど」
第二圏の誰かによる弐号さんを殺した戦闘員への報復攻撃ならあり得る。いや、ないか。
「だよねェ」拾得の回答には気持ちが入っていなくて白けていた。「たまに考えるだけどさ、時間的に効果が遅れてくるような攻撃ってどうなんだろ」
「どういう意味だ」
寒さは徐々に増してきている。強い風が吹くと、耳が千切れそうだ。
「チフス菌やら炭疽菌みたな細菌をばら撒いてみんなを感染させて、次の日に死にましたって場合かなァ。その場合、攻撃したの僕だから、僕が殺したことになるのかな」
「やってみればいいだろ」なんとも答えようがない。
拾得は口をへの字に曲げながら、煙を吐く。「寒山、意地悪なことを言うね。やりゃあいいって、簡単におっしゃいますけど、細菌なんか持ち歩いている奇特な奴なんか、見たことないよ」
「目に見えないんだから、わからねえだろ。なんかのボトルやらケースに入れて持ち歩いているかもしれんが」俺は拾得の九寸釘を指さす。「その九寸釘を、丑三つ時に相手の名前を書いた藁人形に打ちつけて呪ってやれよ。お前の呪いでお陀仏すりゃあ、殺したことになるかもよ」
「寒山、相手の本名なんか知りようがないじゃない、今日は意地が悪いよ」
「違いない、こんな時世だというのに、高性能兵器も使用禁止じゃどうしようもねぇ。……寒いしさ、屋内に移動しないか」
「それ、アリだねェ。名案」
くだらない会話で辟易しそうになっていたときだった。耳に反応がある。
「拾得」俺はバットを構える。
拾得も煙草を銜えたまま、跳ねるように立ち上がる。
ビル内へ繋がる扉から足音がする。二人、だろうか。
扉が開くと、どさりと男がなだれこんできた。両腕を後ろ手で縛られている。ニット製の目出し帽をしていたが、下着のみで痣だらけ。口元には、血のにじんだ布が巻かれて声が出ないようにしてあった。
全情報集受容疑似瞳で確認。こいつは【第五圏】だ。
続いて、眼鏡を着用した背の高い痩男がゆっくりと姿を現した。集中するが、痩男から反応はない。
俺たちと同じように全身黒で纏っているが、革のコートを羽織って、ピチTを着ている。俺たちも地味だからなんとも言えないが、特徴がないというか、奇抜さが足りない。歳は三〇代半ば。眼鏡の奥にある細い眼は鋭く陰気だ。
「自分の名前は、殻馬だ。時間もないので、さっさと済ませよう。二つ三つ、聞きたいことがあるのだが」
高圧的な物言い。大衆紙さんが教えてくれた男だ。弐号信奉者。
銀フレームの眼鏡を直して、殻馬は半裸の男の脇腹を蹴り上げた。男が唸る。こいつは探知機だ。同じ圏の人間同士だと耳鳴りはしない。そこで、こいつを捕まえて、俺たちを探していた。
拾得は弐号さんのときと同じく、顔をしかめている。気に入らないのだろう。
「用件って」俺が答えた。
「知っていることを教えてほしいんだ」早速、尋問されているような感がある。こんな厄介そうな奴が目の前に現れる理由は一つだけだ。「自分は弐号さんを殺した奴を探している」
殻馬は交互に俺と拾得を睨みつける。
「どうせ、どっかのが仕留めたんでしょう」
「弐号さんは、二〇年の間、宵で結果を出し続け、大災厄以後の混を生き延びてきた。その男を殺せる戦闘員なんてのは一握り。どこぞの馬の骨ではありえない。異端者か、候補者か、それとも……」
第二圏の誰か。裏切り。
「あの夜は、ア美顕もいたじゃないですか」
「ア美顕は違う、あの夜弐号さんと接触していないことは確認した」殻馬の言葉に苛立ちを感じる。「それ以前に、弐号さんがどれほど肌理細な男だったか、君たちは全く理解できていない。結論から言えば、誰かが血を流さないと事態が収まらん」
収まらないのはあんただけじゃないの、という嫌味は控える。「俺たちが初対面のあなたに情報を開陳しないといけないのは、弐号さんに会ったからですか」
殻馬は頷く。「君たちとはどんなやり取りをしたんだ」
「別に自分語りを聞いていただけですよ」
「ほぅ。一七人殺しとか、その辺りか」
「最悪でしたってば」拾得が俺の話を引き継ぐ。煙草を吸い終えると、すぐさまもう一本を口に運んだ。「自慢話は仰々しい上につまんねえし。家にさっさと帰って、寝ているほうが百倍マシでしたって」
殻馬の眉が動く。「いつものことだ。自分の推論では、【第二圏】の身内が弐号さんの行動を他圏に漏らして、殺させたんじゃないかと。目的が金銭かなにかは知らんが。とにかく有意義な情報を提供したら、こいつを殺していいぞ」
半裸の男が唸る。
「ちゃんちゃらおかしいですねェ。殻馬さんが捕えたんでしょう。あなたが好きにすればいい」
「もう好き勝手にはした。暴虐すのは趣味に合うのだが、引導を渡すのはあまりな」殻馬は半裸男の背を踏みつける。「で、アリバイはあるのか、君たち」
アリバイと言いやがった。殻馬はあからさまで、敵愾心を隠さない。
「僕と寒山はずっと二人でいましたよ。弐号さんなんか見てもいない。カラオケ店で道化の服装をした男に襲われましたよ。結局、部屋にいた一般人を誤射しちゃったんで」
「その無能は、黒い腕にどっかへ連れていかれたのか」
「なんか壁の隅っこに吸い込まれました」
黒い闇の塊。
「典型的な罰則だ。摂政の実力。下僕たる証明を介して都民の脳髄に強く干渉すれば、まるで実在すると錯覚するような幻覚を見せることも可能だ。……それは調べられるな」
完全なアリバイとはならないが、今よりはましだろ。
「こう言っちゃあ、なんですけど。僕らなんかよりも」拾得は殻馬を冷視する。「あなたのアリバイは?」
殻馬は腕を組んで、拾得を睥睨する。「喫煙小僧、なにもわかっていないな。自分に殺す理由などない」
一気に場に緊張が奔る。拾得が喧嘩を売りやがった。
無駄な争いだ。割り込むしかない。
「実はですけど……」
「なんだ」
「殻馬さんが俺たちを疑っているという噂を聞いて、警察署に向かいました。そこで、足を引きづっていた中年女性とやり取りしました」
「私が知りたそうな情報はあったか」殻馬の目つきがさらに鋭利となるが、拾得からは視線を外さない。「ついでにあの鬼婆から、なんか引き出せたか?」
「特にないですよ。それと、おばさんからは殻馬さんに注意しろと」
殻馬は舌打ちをして、拾得を睨むのをやめた。
「奴にこそ、気をつけろ。反東京新皇応援倶楽部。イカレた信奉者はあっちだ。平将門が絡んでいる」
平将門。都市伝説の多くは、嘘くさい。
旧合衆国にいた情報過激派たちが由来で、日出処謹製の吉宗や宗春などの摂政たちとも一線を画す人工智脳。その処理能力は神たる東京さえも完璧に支配下に置けるほどであるという。
「実在するのですか?」
「んなわけあるか。だから、イカレているんだよ」
「告げ口は嫌いですが」拾得が語り出した。「僕らの前には、花子という方に会ったとか。三か月前だったそうですけど」
「情報は得ている。渋谷区で一晩に三人を殺した女でな」殻馬は眼鏡を直した。「既に接触したが、何もなかったと関与は否定していたぞ」
「彼女は、弐号さんに対して同志にならないか、と誘ったらしいっすね」
拾得は嘘つきだ。
「間違いないか」殻馬は俺を睨みなおす。
「ええ」
「最初に教えてくれよ」
「まさか、俺たちを疑っているなんて想像してなかったですし。それに、人を売るような真似は嫌ですよ」
殻馬は寝そべって半べそをかいている半裸男の尻を蹴り上げる。「立て、こら」
男はうう、と唸ってから、立ち上がり、屋上のドアへ向かう。
拾得が背中に声を投げる。「僕らに譲るんじゃなかったんですかね」
振りかえった殻馬はやっと頬の筋肉を緩めた。「犯人が判れば、くれてやろうと思ったが、犯人は不明のままだ。まだ聞き取りしなきゃいけない奴は何人もいる」
殻馬はそのまま男の背中を押しながら、屋上を後にした。
拾得は手を振ったが、殻馬は無反応だった。
「拾得、なんというか」俺は感想を述べようとした。
「いけすかない気取り屋。しかも、便所コオロギみたいに陰気だ」
「そりゃまあ、便所コオロギってのは過激だな。それにしてもだ、花子さんは大丈夫かな」
「僕たちみたいに適当な言い訳すりゃあ、ちゃちゃっと済むでしょ。けど、これで僕たちへの疑いは晴れただろう。そもそも、誰が好き好んであんな唯我独尊成金野郎を殺すってんだよ」
殺す理由がない。本当にそうだろうか。
俺たちは殺されない理由を探すほうが難しいのではないか。
「寒山、時間があればだけど、僕の家に寄っていくか」
日が昇って宵が終了した時、拾得が提案してきた。殻馬と別れてしばらくは、若干ご機嫌が悪そうだったが、気付けばいつもの優男に戻っていた。
「ええと、明日何にもないから」日の出時刻の冷え込みでぼーっとしていた俺は突然の提案に少し戸惑っていた。「本当にいいのか」
拾得は親しい人間だからといって、容易に人を家に招くタイプでないと思っていたからだ。
「いいじゃない、どうせ遠回りになるだけだし。僕も明日は午前中だけ休むようにする予定だったからさ」
「わかった」断る理由もない。俺は頷いた。
拾得に従い、文京区まで移動した。外に居続けた躰は芯まで冷えていたが、電車の暖房で徐々に温められると、今度は眠気に襲われる。うとうとしている間に、水道橋にたどり着いた。拾得の自宅は、水道橋知識城の近くにある中層集合住宅の三一階にある一室だった。
無味無臭。それが拾得の部屋の印象。
ちょこっと緊張していたのか、眠気はどこかへ霧散していた。
広い。トルコ製ラグ。黒色のソファーと大型のテレビ。無臭の百合。几帳面な性格だとは思っていたが、必要最低限という印象だ。
特徴があるのは、壁に備え付けられた大きな黒色の棚だった。
各段にはびっしりとCDやアルバムが並んでいた。隣には、オーディオがどんと鎮座している。音楽が好きなのは知っていたが、ここまでとは想像していなかった。
拾得は暖房を作動させると、慣れた手つきで珈琲を淹れて、テーブルに置いた。室内に灰皿はない。
「楽器とかはないのか」
「ない。学生の頃は、先輩たちとバンドを組んでたけどね」
大災厄前の遺物。8インチのCDが一分の隙間もなく詰まった棚を睨む。一段に百枚くらいがびっしり、計八段あるから八百枚もある。日本語や英語の題名が並んでいるが、多分ロックっぽいラインナップだろう。何百枚もあるのに、よくわからない。
拾得がオーディオのスイッチを入れると、雑音交じりの艶っぽい音楽が流れ始めた。
「これは、誰だ」もちろん、聴いたことはない。
拾得はソファーに腰掛けた。俺はトルコ製ラグの上で胡坐をかいた。
「下北沢地元のシューゲイザー・バンドさ。しかも、【第三圏】」
「ん。そんなんいいのか」
「さァ、海賊版だけど。五圏東京移動権を行使して、ちょっとあっちのPCからダウンロードしていただいたいんだ。意外とこんぐらいなら下僕たる証明では取り締まられない」
「なんか、俺も知らんことばっかだな」
摂政の監視から雲隠れする方法は、いくつかあると都市伝説では提唱されている。摂政は都民の体内に埋め込んだ下僕たる証明と都内に偏在する機器に搭載された感受機構を中心に監視を行っていると推察されている。どうやって俺らを見守りしているかが解明できれば、その抜け道を探ることも可能ではあろう。容易なことではない。
摂政から隠れる秘術。
「僕は趣味を楽しみたいだけだ、東京への害もない。大災厄前や他圏の楽曲を切り貼りして、朦朧体新曲を作るんだねェ」
「誰にも聞かせられないだろ」
「ああ。それでもいい」
意外な一面だ。
拾得がこんなに嬉々として話をしているのは、初めて見る。普段から飄々とした態度や言動だから、余計に不思議だ。
部屋を見回す。違和感がずっと頭の周りに霞のように漂っていたが、その正体がなんとなく掴めてきた。欲望だ。この部屋では音楽の棚以外から欲を感じない。
前髪を掻き上げた拾得はソファーに戻り、珈琲を口に含んだ。
「実はさ」
口調が切り替わった。いつもの軽さがない。この緩急は厭な感じがする。そもそも何の理由もなく、他人を家に上げるような奴じゃないだろう。
俺は動揺した。「実は、どうしたんだよ」
「僕さ、東京の宵に出るのやめよかなって」
「なにを」いきなり。
「今すぐじゃないよ、来年の途中にでもさ。疲れちゃったんだよね、殺し合い」
「いや、不幸になるじゃん」
「そんなもの、人を殺してまで得るものじゃない」
胸の中に黒いものが拡がった。
喉の奥から声が勝手に出る。
「拾得、お前、すげー勝手だよ」声が荒ぐ。「俺を巻き込んだの、お前じゃねえか」
「寒山、ごめん。もうけっこう決心しているんだ」
拾得は申し訳なそうに頭を落とした。
「帰る」
これ以上は聞きたくなかったし、そのままいても罵詈雑言しか口にできない気がした。
俺は胡坐を解き、床から立ちあがって、さっさと部屋から出ていった。
拾得の顔は見られなかった。
十二月も中旬を過ぎていた。
著書の売れ行き好評を受け、年明け早々の一月に予定されている次回の書籍の出版に向けて、俺は準備を始めていた。神たる東京【第二圏】で流布している裏通りの悪童たちの噂を収集し、その実在を多角的に検証したルポタージュだ。
俺がカラオケBOXで出会った稚児は、裏通りの悪童たちの可能性が高い。天蓋魔境が生み出した正体不明の孤児たちは目撃例が増えており、都民たちも興味津々だ。気合が入る。繰り返される推敲、構成を整える、文献を調べなおす、まるでクソみたいな宿題。だが、無職だった頃よりは百倍改善だ。
その日は、太平洋からの漂流民や都我一如思想に関する古い文献を参照するために、文京区の大江戸大学に足を運んでいた。各圏の高等教育機関が集積しているこのビルは、太陽光経路を確保するためガラスを多用したプリズム構造設計されているはずだ。都内の多くの建築物は中層から下層部までに自然光が差し込みづらいことが問題視されてきた。このビルの構造の場合、中腹部くらいまでは光が届いている。
標高二〇〇メートル、昼過ぎのキャンパス内には木枯らしが吹いていた。
「どうも」
俺が第三共用研究棟前から中央図書館に続く空中ガラス回廊を歩いていると、目の前にすっと若い女が現れて、挨拶をしてきた。細い顎に目鼻立ちがくっきり。でかめの酒場上着にぴったりパンツという躰の曲線が出るシンプルな服装だった。
だが、知らない顔だ。
「どうも」
一応頭を下げると、女は微笑んだ。
「寒山さん、気付かないの」寒山さん、という小馬鹿にした言い方で分かった。
「マルちゃんかよ」
「そうだよ」マルちゃんはしてやったりというような感じで、顎をくいっと上げた。「寒山先生って鈍感なんだね。だから、尾行されても気づかない」
指摘の通りだ。今度から気を付けないと。
研究棟の前を通り過ぎる男子学生たちが、ちらちらとマルちゃんの顔を覗いていく。
「宵のときと同じような化粧じゃなきゃ、わかんないよ」思いのほかかわいすぎて、直視できない。「あのベティちゃんみたいなのとか、ラメだらけとか。通常時でもやってんのかと思っていたんだけど」
「できるわけないじゃん」
憮然とした態度で、距離感がつかめない。やっぱ拾得のことが好きなのかな。
「マルちゃんはなかなか冗談が通じないね」
「つまんない冗談は、むかつくだけだし」
「おもしろくなかった?」
「一点」
もはや何点中一点だったのかさえ問えない。
「さっき、尾行したって聞いたけど、それなら拾得の家くらいは調べてんの?」
「何回も挑戦したけど、拾得ちゃんには巻かれちゃうから。無理」
「まあ、謎の多い奴だよな」部屋に招かれた話は控えたほうがいいかも。
「寒山先生、寒いから、移動しよ」
大江戸大学の近所にある古めかしい無人喫茶店に入った。西洋風の木製椅子に腰かけて、俺たちは向かい合う。店内を配膳機械がうろうろしていて、古典的音楽が流れている。壁掛けの大型画面には、本格復興に動き出した海外都市部の映像特集が流れていた。和平交渉人工智脳である〈南北平定〉などの稼働開始により、分断内戦状態が一時鎮静化している合衆国が先んじており、ロサンゼルスやシアトル、デトロイト、シカゴなど国内主要都市の復活が始動している。破滅的状況という苗床に、復興という芽を育てることがいかに困難な道筋であったか。想像に難くはない。超圏で動く日本国外務省は、全面的に協力することを四半世紀前から表明している。いよいよこの十年でその動きが加速化する見込みだ。
俺は腕輪型万能端末を通じてアメリカン珈琲を、マルちゃんはカフェラテとフルーチアイスの北関東檸檬風味、チーズケーキを注文した。注文を待っている間、マルちゃんが提げていた木苺色のポーチから針のような手脚の化粧他足機械が出てきて、彼女の顔の上を移動しアイラインやチークなどを調整していった。注文した飲食物がテーブルに到着すると、勝手に引っ込んでいく。
「で、話って、弐号さんのやつ?」
「そ、犯人が判ったんだって」マルちゃんは大きな瞳で俺の顔を見つめた。「他圏じゃなくて、【第二圏】の花子っていう女の人らしいね。弐号の身分証タグが花子さんの部屋から見つかったんだって」
花子。弐号さんが俺たちの前に会った女性。
「身分証タグなんか捨てればよかったのにな」
きっと、殻馬が俺たちから得た聞き取りの結果を基に、部屋を荒らしたのだろう。
俺の家もやられてんじゃねえのかな。令状などないはず。
マルちゃんは冷たく言い放つ。「戦利品のつもりだったんじゃないの」
弐号信奉者が非合法な家宅捜索までしてくる異常者だとは夢にも思うまい。ただし、引っかかることもある。
「そもそも弐号さんが宵に身分証タグ持っていくような馬鹿じゃない気がするんだよな」
俺だって身元が割れるようなものは持参しない。
「別に、アタシたちと思考回路が違うだけじゃない。誰かに捕まるとかを想定していないでしょ」マルちゃんは、じぃっと俺の顔を見つめた。「あの誅犬、殻馬とは会ったの?」
「ああ、先月の宵で尋問されちまった」
「で、花子さんの名前を出した?」
鋭いな。「実はさ、弐号さんからは花子さんの名前は聞いていたんだ。だから、教えておいた。殻馬さん、俺たちのことを疑っている感じだったし」
「ふうん」マルちゃんは気がない様子で応えた。「別に、アタシは寒山さんが悪いとは思わないよ。殻馬の頭がおかしいだけ。花子さんが本当に殺したかもしれないし」
「本当にってなんだよ、花子さんが犯人で終いだろ」
マルちゃんは、細い指で銀色のフォークを使いチーズケーキを一切れ口に含む。「寒山先生も食べる?」
「いや、俺は遠慮する。洋風の甘いものが苦手なんだ。ショートケーキとか、シュークリームとか」
「へえ、損しているね」
「羊羹や饅頭なら食う」
「ふうん」マルちゃんは興味ない様子で、もう一切れチーズケーキを口に含む。
「それで、花子さんがさ、犯人だと気になることでもあるのか」
「動機。なんで弐号さんを殺したかったのかなって」
「羨ましかったんだろう。宵のときは誰しもが常識の枠が外れているだろうし、衝動的に」
「確かに、でも、なんかつまんないな」マルちゃんは窓の外を一瞥した。風が吹きすさび、上の階層から、落ち葉がひらひらと舞い降りてくる。「最近、拾得ちゃんと会ったの」
「いや、先月の宵以来会っていない」
頭を掻く。
「ふうん」マルちゃんは大きな目をぱちくりさせた。「まさかとは思うけど、拾得ちゃんと喧嘩でもしたんじゃないの」
「なんでそう思うの」
「顔にも態度にも出過ぎ」拾得のことを語るとき、眉間に皺でも寄せていたのか。「二人っていいコンビだよ。悔しいけど、ちょうどいいんだろうなァ、同い年だし」
彼女は俺に嫉妬しているのだろうか。
拾得が彼女を相棒にしない理由は、説明していた以上のことがあるのだろう。マルちゃんは、嘘を吐かない。正直な相手に嘘を吐くことは苦痛を感じる。
じゃあ、俺はどうなんだ。
拾得の言動はすべて嘘臭い。俺を家に招いたことが奴なりの最大の譲歩だったのだろう。あれ以上俺へさらけ出すつもりないのだ。思っていることも、何をしたかも。
「マルちゃんって、拾得のことが」
どうとでも受けとめられるようなひどく厭な聞き方をしてしまった。
「好きだよ、拾得ちゃんのこと。ずっと」
真っ直ぐな回答だった。
マルちゃんはそれきり寒々しい窓の外を眺めて、しばらく黙っていた。
*本記事のキービジュアルは永良新が作成しました。