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樋口恭介「イアン・マッケイについて思い出したこと」

樋口恭介「イアン・マッケイについて思い出したこと」

作品紹介

エッセイです。(著者・樋口恭介)

唐突だが(すべての話は唐突だ)、俺が生き方のレベルで強い影響を受けたミュージシャンが二人いる。一人がイアン・マッケイで、一人がTha Blue HerbのBoss(The MC)だ。

ギリギリの判断を迫られたとき、俺は「イアン・マッケイならどうする?」「Bossならどうする?」と考えて、心のイアン・マッケイやBossから答えをもらって、いままでなんとかやってきた。みんなはどうなんだろう? 浅井健一は「神様はみんなの中にいる」と歌ったが、俺の心の中の神様はイアン・マッケイとBossで、頭の中で悪がよぎるとき、二人のことを思い出す。俺にとって理性とはつまりイアン・マッケイとBossのことなのだ。みんなはどうだ? みんなの神様も教えてほしい。神様の話をしよう。そんなわけで、今日はイアン・マッケイについて話したい。

 

1980年、イアン・マッケイは自分で自分のレーベルを作った。人生で初めて組んだTeen Idlesというバンドの7インチEPを出すためだ。名前はDischordレコーズ。資金はそれまでやった35回のライブで稼いだ600ドル。プレス1000枚。ジャケットはメンバーがハサミで切り抜いて、折って、糊で貼って作った。そこに一枚ずつ手でレコード本体と歌詞カードを入れた。これがすべての始まりだった。その頃マッケイは18歳で、高校生だった。すべてのティーンエイジャーがそうであるように、その頃のマッケイには何もなかった。でも同時にすべてがあった。

その後マッケイは、Minor Threatをやり、Fugaziをやり、そして伝説になった。そう、「成功した」というわけでは決してなく、「伝説になった」。マッケイやMinor ThreatやFugaziは、他の殿堂入りロックバンドと同じように経済的な成功をおさめたわけではないが、別の仕方で唯一無二の伝説になった。

マッケイのキャリアを一言でまとめるなら「DIYを徹底した人」であり、言い換えるなら「自分のビジネスをスケールさせなかった人」ということになる。でもそれは正確じゃない。正確には、「スケールさせないことを、何十年も意識的に選び続けた人」だ。前者は結果で、後者は意志だ。そして実のところ、ビジネスはスケールさせることのほうが簡単だ。毎日、毎回、向こうから勝手にやってくるスケールの誘惑を拒否し続け、ずっと高校生の頃のままでいるというのは、つまり毎日戦っているということだ。

 

有名なエピソードがある。1993年9月、ニューヨークのローズランド・ボールルーム。Fugaziの2日間ソールドアウト公演に、アトランティック・レコーズの創設者アーメット・アーティガンが楽屋を訪ねてきた。ローリング・ストーンズとレッド・ツェッペリンを契約したやり手の男だ。アーティガンはFugaziの4人に言った。「前にこうしたのはローリング・ストーンズに自分たちのレーベルと1000万ドルを渡したときだ。金は好きなだけ出す、自分たちのサブレーベルも作っていい。つまり、いままでどおり自由にやっていいんだ」と。

けれどもFugaziは断った。ガイ・ピチョットはこう振り返っている。「いい人だったし、DCの話をした。でも彼が俺たちに提供できるものは何もなかった。オファーを受けていたら、それは俺たちにとって最も愚かで自滅的な行為になっていただろう」

1000万ドル以上の金を断るというのは、どういう感覚なんだろう。でも一つだけわかるのは、それが「金がいらない」という話じゃないということだ。

Fugaziのライブチケットは5ドルだった。マッケイたちはホテルにはほとんど泊まらず、ツアーのルートはガソリン代を節約するように自分たちで組み、マネージャーもブッキングエージェントも雇わなかった。5ドルですべてを回すために生活を設計していた。そしてFugaziのツアーバンには、5ドル札を詰めた封筒が積んであった。客が暴れて誰かを殴ったら、マッケイは演奏を止める。それからそいつのところに行って、5ドルを返す。「はい、帰れ」。マッケイは「金がいらない」んじゃなくて、「金の出所と行き先を自分でコントロールしたい」人間だった。客と演者は対等な関係だ。金を払った客が偉いんじゃない。客に払わせる演者が偉いのでもない。そこにはただ、純粋なコミュニケーションだけがあったし、そうあるべきだとマッケイは考えていた。マッケイはこう言っている。

「アメリカのビジネスは今、基本的にアイデアを開発して、利益が出るうちに売って、売り抜けるか多角化するかだ。全部を吸い上げる。俺の考えはこうだ――パンを焼くのが好きで、パンを売る。みんな気に入る。もっと売る。いいパンを作り続けて、みんなが幸せだから、パン屋を続ける。それだけだ」

町のパン屋。これがマッケイの自己認識だ。派手なロックミュージシャンじゃなくて、もちろんストレートエッジという宗教の教祖なんかでもなくて、ただのパン屋。毎日パンを焼いて、適正な値段で売って、店を続ける。それ以上でもそれ以下でもない。つまり彼らは「金がいらない」んじゃなくて、「金の出所と行き先を自分でコントロールしたい」人間だった。大事なことだから二回書いた。大事なことは何度書いてもいいし、何度も書いたほうがいい。

Dischordのレコードには「Pay no more than $○.○○――これ以上払うな」と刷られていた。CDは一律8ドル。1990年代半ば、レコード店でCDの平均小売価格が16ドル98セントだった時代に。もし店が大幅に上乗せしていたら、Dischordに直接注文すればいい。送料込みでその値段で届く。価格を刷るという行為自体が、中間搾取の構造を可視化する装置になっていた。当たり前だ。パン屋に搾取もクソもあるか。

 

ここまで書いて、一つ思うことがあったので、ここでイアン・マッケイからいったん離れて、別の話をさせてほしい。インターネットの話です。

まずは起源から。時は1968年、場所はカリフォルニア州メンロパーク。スチュワート・ブランドという男が、一冊のカタログを作った。『ホール・アース・カタログ』。サブタイトルは「Access to Tools――道具へのアクセス」

冒頭にはこう書かれている(らしい。いまはただググっただけだから本当かどうかは知らない)。

 

「これまで、遠隔的に行使される力と栄光――政府、大企業、教育制度、教会を通じて――は、その著しい欠陥が実際の成果を覆い隠すほどにまで成功してきた。この状況への応答として、親密で個人的な力の領域が発展しつつある――自らの教育を行い、自らのインスピレーションを見つけ、自らの環境を形づくり、興味を持つ者と冒険を共有する、個人の力が」

ブランドは元々、ケン・キージーのメリー・プランクスターズの一員だった。1966年のトリップス・フェスティバルを共同プロデュースした男だ。サンフランシスコのロングショアマンズ・ホールに1万人以上が集まり、多くがLSDを摂取した。ストロボライト、マルチメディア・プロジェクション、アシッド・ロック。テクノロジーとカウンターカルチャーが融合した原初の場所。

 

『ホール・アース・カタログ』は、その延長にあった。11×14インチの特大判。ニューズプリント紙に白黒印刷。タイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていた。広告は一切なし。掲載されるための基準はシンプルだった。道具として有用であること。自立教育に関連すること。高品質か低コストであること。郵便で入手可能であること。本、種子、工具、測量機器、初期のコンピュータ。読者もレビューを投稿できた。

1971年に出した号は150万部売れて、全米図書賞を受賞した。

スティーブ・ジョブズは2005年のスタンフォード卒業式スピーチでこう言った。「パソコンもデスクトップパブリッシングもなかった時代の、紙のGoogleみたいなものだった」。最終号の裏表紙に書かれていたのが「Stay Hungry。 Stay Foolish(ハングリーであれ。愚かであれ)」

ここで俺が言いたいのは、ジョブズの引用がどうとかそういう話ではない。『ホール・アース・カタログ』のやりかたの話だ。自分たちで作る。中間業者を通さない。読者と直接つながる。適正な価格で届ける。道具へのアクセスを民主化する。

1980年にワシントンD.C.でイアン・マッケイがハサミとのりでレコードジャケットを切り抜いていたとき、1968年にメンロパークでスチュワート・ブランドがタイプライターとハサミでカタログを作っていたとき、この二人は同じ構造を別の場所で発明していた。「Access to Tools」と「Pay no more than $○.○○」は同じ文法で書かれている。お前にはこれにアクセスする権利がある。誰かに仲介させる必要はない。自分の手で取りに来い。

 

そしてブランドはそのカタログの次に、インターネットに向かった。

1985年、ラリー・ブリリアントと共にThe WELL(Whole Earth 'Lectronic Link)を立ち上げた。『ホール・アース・カタログ』の電子版。ダイアルアップのBBS、つまり電話回線とモデムでつながる掲示板だ。月額8ドルと接続時間1時間あたり2ドル。匿名は禁止。

ハワード・ラインゴールドはそこで「ヴァーチャル・コミュニティ」という言葉を生み出した。彼はこう書いている。「WELLに落ちた他の人たちと同じように、俺もすぐに気づいた。自分は観客であり、演者であり、脚本家であり、それが全部同時に進行している即興劇なんだと」

1996年、ジョン・ペリー・バーロウがダボスの世界経済フォーラムで「サイバースペース独立宣言」を書いた。グレイトフル・デッドの作詞家で、EFF(電子フロンティア財団)の共同設立者。カウボーイブーツで一晩中踊りながら書いた850語の宣言文。

 

「産業世界の政府どもよ、肉と鋼鉄のうんざりした巨人どもよ。私はサイバースペースから来た、精神の新しい故郷から。未来を代表して、過去であるあなたがたに頼む。われわれを放っておいてくれ。われわれが集う場所に、あなたがたの主権はない」

「われわれは、すべての者が――人種、経済力、軍事力、出生の地位による特権や偏見なく――入ることができる世界を作っている」

5月までに5000のウェブサイトがこの宣言を掲載した。

多くの人はもう忘れているが、これが最初のインターネットだった。すべてがつながる、サイバースペースへの夢想。電子のフロンティア。『ホール・アース・カタログ』が紙で実現していた自由の、その先にあるもの。自分たちで作る。中間業者を通さない。全員がアクセスできる。政府も企業も入ってくるな。道具は全員のものだ。

ティム・バーナーズ=リーがCERNでワールド・ワイド・ウェブを提案したとき、上司はメモに「漠然としているが面白い」と走り書きした。2012年のロンドン五輪の開会式で、バーナーズ=リーはスタジアムのLEDパネルにメッセージを表示させた。「This is for everyone――これは全員のためのものだ」

 

で、最終的にその夢はどうなったか。

 

「あなたが製品の代金を払っていないなら、あなたが製品だ」。2010年、Metafilterへの投稿。ティム・オライリーがリツイートして拡散した。でもこの構造を最初に指摘したのは1973年だ。リチャード・セラとカーロタ・フェイ・スクールマンのビデオ作品「Television Delivers People」。「商業放送において、視聴者は自分自身が売られる特権に金を払っている。消費される者は消費者だ。あなたがテレビの商品だ」。テレビで起きたことが、インターネットで再演された。

ジャロン・ラニアーは『You Are Not a Gadget(あなたはガジェットじゃない)』でこう書いた。「ウェブはデジタルの楽園として始まった。ホームページを手作りし、仮想世界で遊び、楽しみのために美しい小さなプログラムを書いた。基準はまだ決まっていなかった。大金も大企業もまだ来ていなかった」。ラニアーは80年代のシリコンバレーでバーロウやケヴィン・ケリーと一緒にいた人間だ。夢の当事者が、夢の変質を見届けている。

一体何が起きたのか。Access to Toolsが、Access to Usersになった。道具へのアクセスが、ユーザーへのアクセスに反転した。ブランドの「道具はみんなのものだ」が、プラットフォームの「ユーザーはみんな商品だ」に変わった。バーロウが「政府は入ってくるな」と宣言した空間に、政府の代わりにGoogleとFacebookが入ってきた。主権は国家から企業に移っただけだった。いまはXとTikTokか? どうでもいいが。

ブランド自身が1984年に言っていた。「情報は自由になりたがっている。なぜなら伝達コストがどんどん下がるから。同時に、情報は高価であろうとする。なぜなら情報はとても価値があるから。この二つの力がずっと戦い続ける」。この緊張は解消されなかった。自由の側が勝ったように見えて、実は高価の側が勝った。情報は無料になったが、その代わりに俺たちの行動データが対価として支払われている。

 

でも俺は、理想が死んだとは別に思っていない。

イアン・マッケイは2013年、アメリカ議会図書館で90分の講演をした。テーマは「パーソナル・デジタル・アーカイビング」。Fugaziは1987年から2002年まで1048回のライブを行って、そのうち952回を自分たちで録音していた。今、そのうち898本がDischordのサイトとBandcampで公開されている。1本5ドルから。リスナーが支払い額を選べる。

2020年、Dischordは40年分のカタログ全体をBandcampで無料ストリーミング公開した。聴くのは無料。買いたければ買えばいい。中間業者は最小限。アーティストに直接届く。

これは2020年代のテクノロジーを使って、1968年の夢をやっているんだと俺は思う。Access to Tools。道具へのアクセス。898本のライブ音源は道具だ。誰でもアクセスできる。でもSpotifyのアルゴリズムがレコメンドするわけじゃない。自分で探して、自分でたどり着く必要がある。その「自分でたどり着く」という行為が、実はアクセスの本質なんだと思う。手渡されるんじゃなくて、取りに行く。

マッケイはインターネットについてこう言っている。「インターネットはずっと大きなフラットな競技場だ」。でも同時にこうも言った。「ファイル共有には賛成だが、音楽は完全に広告に包み込まれるだろう。新しい音楽を作るにはお金がかかるから、過去の音楽でしか楽しめなくなる覚悟をすべきだ」。そして、「音楽の役割は、究極的には、人が集まることだ」と。

ここにマッケイの思想の核がある。インターネットは道具として肯定する。でもインターネットが目的になることは拒否する。道具は人が集まるための手段であって、集まること自体が目的だ。Dischordがウェブで898本のライブを公開しているのは、デジタル・アーカイブを作りたいからじゃない。あの夜、あの箱で起きた「何か」を、別の時間の別の場所にいる誰かに手渡したいからだ。

 

ところで、俺はanon pressというインディーのウェブマガジンをやっている。

これも手作りだ。自分たちだけで作っている。SF作家、詩人、マンガ家、プログラマー、翻訳者、8人のチームで回している。みんな友達だ。noteとKindleとBOOTHで、自分たちで配信して、自分たちで売っている。2022年に立ち上げて、週1本のペースで作品を出し続けて、今200本を超えた。儲けのことは考えていない。損得を考えてこんなことやっていたら馬鹿だ。でも楽しい。馬鹿であることは楽しいのだと思う。

anon pressはウェブマガジンなので、もちろんインターネットの上で動いている。noteとKindleでやっている。それは昔のインターネットではなく、現代のインターネットだ。だから俺たちは商品だし、ピンハネされている。搾取されている。でも魂は違う。俺たちは夢を見ているし、noteやKindleでやるのは、それが現代のガレージだったからにすぎない。一番速く動け、そして届かすことができるもの。でももっとDIYでいたい。みんな働いているので時間はつくりにくいが、少しずつでももっと別のことをしたいと思っている。自分たちだけの独立国家をつくりたい。もちろんそれはパン屋であるべきだ。

2024年に最初のアンソロジーを物理本として出した。『anon press best of the best vol.1』。330ページ。装丁は金具とボルトで綴じた特殊装丁で、一冊ずつ手作業で組み立てて、エディションナンバーを振った。受注生産。BOOTHから直接売っている。

インターネットの大きな夢は裏切られた。バーロウの宣言は実現しなかった。Access to Toolsは Access to Usersになった。でも、その廃墟の中に、まだ小さな場所を作ることはできる。noteのページとBOOTHのショップとKindleの電子書籍。プラットフォームの上で動いているけれど、プラットフォームの論理には従わない場所。PVを最大化しない。バズを狙わない。アルゴリズムに最適化しない。その代わり、週に1本、自分たちが本当に面白いと思う作品を出す。200本。300本。続ける。

anon pressのスローガンは「未来を複数化させるメディア」だ。単一の未来じゃなくて、複数の未来。これはブランドの「道具へのアクセス」と同じ構造だと俺は思っている。一つの巨大なプラットフォームが一つの未来を配信するんじゃなくて、小さなメディアが複数の未来を提示する。そのためには、一つ一つが小さいまま存在し続ける必要がある。スケールさせた瞬間に、複数性は単一性に収束する。

 

「でもそんなのはお前の妄想だろ」と言われることがある。あるいは、言っていなかったとしてもそう思っている人は多いだろう。

まあ、そうかもしれない。でもDischordレコーズは45年続いている。セブンイレブンの地下から、看板もなく、契約書もなく、握手だけで。バンドはマスターの所有権を持っている。スタッフには給料と健康保険が出ている。マッケイはこう言った。「毎日やりたいことがある。人生にこれ以上何を求める?」

45年続いている。それが答えだ。そしてマッケイは生きる伝説になった。いまも伝説をやっている。

マッケイはこうも言っている。「俺のやっていることを真似したいと言うバンドがいるけど、ほぼ不可能だ。なぜなら1980年から始めなきゃいけないから。途中からはできない」。たしかにそのとおりだ。いまこの瞬間に、45年の蓄積と対等になれるなんてことはない。でも俺は、始めることはできると思っている。1980年から始めることはできなくても、2022年から始めることはできる。anon pressはまだ4年目だ。Dischordの45年には遠く及ばない。でも構造は同じだ。自分たちの手で、自分たちの基準で、続ける。

1968年にブランドがカタログを作った。1980年にマッケイがレコードを作った。1985年にブランドがThe WELLを作った。1996年にバーロウが宣言を書いた。2022年に俺たちがanon pressを作った。

同じ文法。同じ構造。自分たちで作る。中間に誰も入れない。適正な価格で届ける。手作りで、続ける。

 

anon pressのメイン読者はたぶん、数十人くらいしかいない。でも奇跡は20人だけが目撃できるとイアン・マッケイは言っていた。

あるいは、スチュワート・ブランドが『ホール・アース・カタログ』の冒頭に書いた「自らのインスピレーションを見つけ、興味を持つ者と冒険を共有する個人の力」。それは20人の箱の中にある。anon pressのページにたまたまたどり着いた読者の中にある。アルゴリズムにレコメンドされたんじゃなくて、自分で取りに来た人の中にある。深夜にインターネットサーフィンしていたらたまたま出くわして、そのままわけのわからない文章を読んで、頭の中で何かが炸裂する。それは数万人とか数十万人に起きることじゃない。そういうものだ。

Fugaziは1048回ライブをやって、そのうち898本の録音を公開している。その一つ一つに、ある夜がある。そしてその全部が、測定不能だ。KPIにならない。アルゴリズムに乗らない。わけがわからないことが起きる。でもその夜にいた人間は知っている。20人だけが本当にすごい体験ができる。そして俺はその20人の側にいたい。

インターネットはとっくに廃墟だが、俺はその廃墟の中に、小さなパン屋を開いている。それはXがつくったアテンションのアルゴリズムの外側にある。誰も怒らせないし、誰も悲しませない。ニュースには触れない。ゴシップには触れない。俺たちはただ、毎日パンを焼いて、適正な値段で売って、店を続ける。看板はなくていい。セブンイレブンの地下でいい。ボルトで綴じた本を、無駄なチューブがついた本を、注文した人のところに届ける。noteのページに、週に1本作品を載せる。それを続ける。毎週毎週、休まずにやり続ける。イアン・マッケイ的に何かを成し遂げるということは、大きな花火をぶち上げるということじゃない。自分の生活を、自分の手でやるということだ。

死ぬまぎわに振り返って、ずっとパン屋を続けていてよかったと思えたら、それで十分だ。

 

◆著者プロフィール

樋口恭介(ひぐちきょうすけ)

パンクロックが好きな会社員。最近はGoogle Cloudの資格をとることにハマっている。理由は、結果がすぐ出ておもろいから。取得資格は以下のとおり。

  • Cloud Digital Leader
  • Generative AI Leader
  • Associate Cloud Engineer
  • Associate Google Workspace Administrator
  • Professional Cloud Architect
  • Professional Data Engineer