Ⅶ
あっという間に、追悼の夜が来た。
祭りの開催会場は大田区だった。派手に殺し合うには十分な広さがある。
神たる東京の最南端。蒲田工業地帯、人工島である平和島や昭和島。地図上でひときわ目立つのは、かつての日本国際空港、つまり羽田空港だ。じつに区面積の三分の一を占めていて、滑走路には生体天蓋を支える高さ二〇〇〇メートルの郊外縁補柱、通称【水色霊樹】が建立している。
俺たちは、他都市との貿易における結節点となっている品川門で合流すると、電車に乗り込み、南方へ向かった。
年が明けて二週間が過ぎていた。徐々に寒さが深まっている。
揺れる電車。首にマフラーを巻いている老婆や半笑いの酔漢、眠りこけている青年。
俺たちは扉近くに立っていたが、ロングシートでは同じ【第二圏】の男女五人が並んで座っていた。
みんな同一の格好。深い藍色の特攻服、腕に紅色腕章。武器は木刀。一番背丈のある偉丈夫は、天井に着きそうなくらいの立派な黒色団旗を掲げている。『弐号昇天/乱賊天誅』という文字。金色の刺繍。全員窓の外を見ず、まっすぐ前を睨んでいる。
拾得と言葉を交わしたのは挨拶のときだけだった。電車に乗っても、しばらく俺たちの間には沈黙があった。
俺は声を出してみた。「意気衝天だな」
なんともしょうもない内容だ。
「まゆ毛もないよ、あの不良たち。目を合わせるのはよそう」
一瞬、間がある。
「寒いな」
「まあ、冬だしね。予報じゃ、今夜か明け方に雪が降るかもだってさ。小さい頃は雪だとワクワクしたんだけどね。……そういやァ、新刊読んだよ。裏通りの悪童たちが題材だなんて、けっこう攻めているね」
「早いな。一昨日、出たばっかだ」
「売れ行きは、今日の成果次第かい」
拾得の家で取り乱したことを謝ればよかったかもしれない。宵から距離を置かないように説得すればよかったかも。しかし俺が伝えるべきことは違う気がした。
速度を上げた電車が揺れる。
拾得はつり革を掴んでだらっと姿勢を崩して、車窓の外を眺めていた。
「拾得、一つ教えてくれ。弐号さんを殺したのは、お前か」
視線を俺に向けた拾得は、いつもの半分微笑んだ表情のままだった。
「殺したのは、僕だ」
答えると同時に、平坦な声の車内アナウンスが地上一五〇メートルに位置する第五蒲田駅への到着を伝えた。
俺たちは電車から降りホームに立つ。工業地帯独特の匂いが漂う。勢いのある風が体温を奪うようにびゅっと吹き荒れる。
「なぜ」
と、俺が質問したときだった。耳に反応がある。
駅のホームには安っぽい覆面や化粧をしている三人がいて、地面に這いつくばっている一人へ亀を虐めるように殴打を繰り返していた。
俺と拾得は、武器を構える。今夜は俺が金属バットで、拾得はコンバットナイフだった。二人とも、弐号さんの追悼という宵であることを考慮し、警戒してほかにもいくつか拝借してきた。
後ろからの奇襲は成功。
一人は取り逃したが、二人を仕留めた。ワーワー叫ぶばかりの雑魚だったので、頭割りをかました。幸先がいい。逃がした奴は特攻服軍団が落下防止柵から駅の外に放り投げ、東京の底へ落とした。ホームに転がっていたのは、腕に赤い腕章を巻いた総髪の女だった。首は明後日のほうへ向いて動く気配はない。
「拾得、いきなり二人もやれるなんてな」
「弱すぎるね。が、注意するに越したことはないわな」
「きっと、弐号さんの追悼って話が界隈に伝わって、普段は顔を見ないような雑魚まで参戦してきているんだろうな」
「厭だねェ、お祭りは苦手だ」
第五蒲田駅から標高一六〇メートルに位置する環状第八号線に出ると、先ほどの特攻服集団が、大股で胸を張り、東へ向かって歩いていた。よく見るとほかにも腕に赤い腕章を付け、変装した【第二圏】の連中がうじゃうじゃと、緩やかな傾斜となっている環状第八号線を東に向かっている。
戦闘員たちの仰々しい行進。
ピカソモチーフの猥雑な拡張現実化粧で躰全体を装飾している女子たちが、三角錐拡声器を神輿にして、暗黒律動強調曲を爆音で垂れ流していた。空色の前衛的な意匠のタスキやスカートを纏う坊主頭の若者は、他圏の遺体に環状鉄鎖を巻き付けて引きずっていた。多彩な格好、まるで百鬼夜行の様相を呈している。先頭は電車にいた背丈の高い偉丈夫であり、雄々しく黒色団旗を振りかざしていた。
南方には、神たる東京を囲い、田舎者や外敵から護る聖なる立入禁止壁。その向こうには川崎大農場があるはずだ。南蛮地帯とも呼ばれているが、足を運んだことはない。
「このまま環状第八号線を進むと、何がある」
「下り坂だからね、地上で間違いないでしょ。うーん、つまり羽田空港」
不意に肩を叩かれる。
「寒山先生、拾得ちゃん」
甘ったるい声。振り返ると、マルちゃんがいた。今日は顔中をラメで装飾している仕様だ。服装は合成皮革の登山着に、穴あきのスキニー。耳には橙色と黄緑の星形ビーズのついたピアス。
化粧をしていないときの素顔とは、別人のようだ。
拾得が薄く微笑む。「マルちゃん、今宵は一段と気合が入っているじゃないの」
「もちろん、二人も羽田空港に行くんでしょう?」
マルちゃんに背中を押され、俺たちも環状第八号線を羽田空港方面へ進みはじめる。マルちゃんがいるせいで、先刻の続きを話せない。
「なんかイベントあるの? 弐号さんの追悼宵だってのは知っているけどさ」
「聞いていないんだ、拾得ちゃんたち」マルちゃんは大げさに目を丸める。「羽田空港で処刑するんだって、花子さんの。それと、弐号を仕留めたって吹聴していた他圏の奴が二人くらい」
花子さんか。
陥れたはずの拾得は花子さんの末路を耳にしても、眉一つ動かさない。
「そりゃあ、酷いな。断頭台で斬首でもするのかねェ」
「公開処刑の情報が、戦闘員中に伝わっていて、みんな羽田空港に集まっているんだってさ」
拾得は周りを見回す。「環状第八号線を攻められたら、結構危ないんじゃないの」
「みんな、祭りが好きだからね。弐号シンパの人たちが周りにいる連中を排除して、安全は確保しているし、この人数に刃向ってくる他圏はいないよ」マルちゃんは、耳に付いたピアスを指で弾いた。「むしろ、羽田空港にどんどん集まっているみたい」
航空機が空を飛ばない時代。荒廃が進む羽田空港は島形状だ。接続口は三つ。自動車や電車に轢かれない自信があるならば他の通路も選択肢に入るものの、歩道がきちんと整備されている環状第八号線が一番都合良い。
羽田空港と本土を繋ぐ穴守橋までたどり着く。集団の進む方向に羽田空港が見えてくる。広大な埋め立て地は煌々と輝き昼のように明るい。
「こりゃ大惨事だねェ」
拾得が漏らすと、マルちゃんは目を細めた。
羽田空港までの一本道。左手と正面に滑走路や発着場。滑走路の周りは、鉄条網が張り巡らされていた。黄色や赤で彩られた各圏の『立入禁止』の警告電飾が多重に重なり合って仰々しい。
錆びついた鉄条網越し。滑走路の景色は、お祭り騒ぎだった。
伝説的英雄の霊魂を昇天させるための鎮魂歌。
そびえたつ郊外縁補柱の麓。真紅と橙を基調とした投光器で彩られた広大な敷地内で、戦闘員が入り乱れている。青い光を放つ巨大灯台。奇声や銃声が遠くから響き、何か所か同時に閃光爆発光。停まっているボーイング777の残骸。摂政の意向であるのか、はるか上空に位置する極東万里天蓋には、西野七瀬の容姿をした戦乙女によって英霊の館へと導かれていく弐号さんの漫画動画が投影されていた。
俺たちは歩を早める。先行していた特攻服集団も鬨の声を張り上げ、全力疾走を開始。
特攻服集団は、さっさと滑走路を取り囲む鉄条網を引き裂いて、人間大の穴を開け、侵入を開始。
「アタシも参加しよう」嬉々とした声を出すマルちゃんは颯爽と集団に続く。
「僕たちも行こう。この流れに乗り遅れちゃダメだろうなァ」
「拾得」俺は拾得を呼び止める。「さっきの話だけど」
「寒山に隠し事をするつもりはないよ。他言しないことだけは約束してほしいけど。もしほかの奴に口外すれば、殺す」
殺すと言った部分、本気な気がした。
俺たちは乱雑に引き裂かれた鉄条網の穴を通る。
と、いきなり目の前に、鬣のある鉄仮面をした男が出現。【第五圏】、敵だ。このクソ寒い中で、筋骨隆々の上半身をむき出し。茶色の袴を履いている。
「お前ら、新規の異端者だろ」獅子王は、三角状の刃が付いた槍頭をこちらへ向ける。「献血しろや!東京の宵」
掛け声タイプの戦闘員か。
俺は釣り用上着の内ポケットから拳銃を取り出す。武器庫にあったリボルバー式のニュー南部拳銃である。重量もあるが、小ぶりであり、手で持つと収まりもいい。
「寒山、準備がいいな」拾得がサバイバルナイフを振りかざす。
「今日はなんか普通じゃだめだと思って」
「僕も今日は手錠を持ってきたしねェ」
両手で握って、狙いを定め撃鉄を上げる。獅子王は臆さず向かってくる。
「反動があるから、下を狙え。一撃で仕留めろ」
拾得の忠告を聞き、引き金を引く。
炸裂音。
獅子王は動きを止めた。が、見る限り怪我はない。
外したのか。
「寒山、さすがだな」拾得は自分の股間を指さした。
獅子王の股間に注目する。茶色い袴が徐々に赤色に染まっていく。
「あ、あああァあ」獅子王は槍を投げ捨て、踊るように腰をくねらせて、その場に崩れた。
拾得は薄ら笑いのまま、駆けだす。
「あとは勝手に死んでくれる、さっさと行こう」
だたっぴろい滑走路内にはいたるところで遺体が転がり、まさに戦場。銃声や爆発音も。俺たちは、なるべく慎重に人に見つかりにくい陰を進むことにした。夜は長い。好機を待つ。
草むらの上には、おっさんの上半身が横たわっていた。内臓がぶちまけられ、耳が切り落とされていた。
滑走路の中央辺りまで行くと、直径三〇〇メートルの郊外縁補柱の足元、幾多の支柱やパイプを縫うような位置に、大きな御焚上が設置されていた。周囲では、全身を焔でまかれた戦闘員がふらふらとしていた。よく見ると、中心部に黒焦げの影。
「花子さんだ。それ以外の頓珍漢もな」拾得は凄絶な私刑の結末を冷たい目で見ながら呟いた。「聞きたいことがあるなら、聞けばいい」
「なんで弐号さんを殺したんだ。お前には殺す動機がないだろう」
俺たちはまるでシンデレラ城のように聳える発着場を目指しつつ、会話を続ける。
「あるよ。それよりもさ、なんで僕が殺したと思うんだ」
俺の見立てはシンプルだ。みんな、宵の間に殺されたと勘違いさせられている。渋谷警察署で読んだ事件記録が、そのまま事実であれば。
「場外戦だ。お前は弐号さんを朝方に殺したんだ。あの夜、宵から家に戻った隙だらけの弐号さんを狙った」
「さすが、冴えているね。正解だ」
「俺はお前が弐号さんを殺すなら、どうやるかを雑に推理しただけだ。こんな簡単に白状するとは思わなかったけど」
「盗むのはなんでもよかったんだけどねェ。タグが一番証拠っぽかったし」
衝動的ではないはずだ。拾得は犯行前に、防犯の状況を念入りに調べていたのだろう。
計画的に殺した。
「弐号さんに、なんか恨みがあったのかよ」
「あるよ」拾得は呟く。「僕ってさ、父親が戸籍上に存在しないんだよねェ。母親も行方不明で調べようもなかったしさ」
「弐号さんが、拾得の父親とか言いだすんじゃないよな」
俺たちは発着場に踏み込む。
ここなら、今のうちは安全地帯だ。大して油断できないが。
俺たちは、待合エリアの座面がボロボロになっているベンチに座り込む。
「寒山、おもしろくない回答でソーリーだけど、弐号さんは僕の遺伝上の父親だねェ」
いつもの黒塗りの表情が少し歪んでいるように見えた。
「なんだよ、認知しなかったから殺したのか」
「そこはもう少し複雑、なのかなァ」拾得は煙草を吸い始めた。「実母と弐号さんは東京の宵で知り合った。まだ弐号さんも二十過ぎの半人前だったんだけど。年上の母親と関係を持った。僕を妊娠して産んだまではよかった。弐号さんは若すぎて認知しなかったみたいだが、関係が終わったわけでもなさげでね」
「気色悪いな」
「でも、大きくてややこしい問題が生じた。祝福ってのはさァ、周囲の人たちが下僕たる証明を経由して脳内をいじられることで、自分に有利な状況が与えられちゃう」
弐号さんは、転機を境に、大いなる祝福を受けた。子どもが生まれた時期だったら。
「お前を産んだ人は、弐号さんが一七人殺しを達成したことで不安になった。下僕たる証明の影響で、自分の子供が不幸になることを恐れた」
「でもさ、弐号さんへの恋情が薄れることはなかったんだねェ。僕が四歳の時失踪しちゃったよ。で、僕は養子として義理の両親に引き渡された」
「弐号さんはどうだったんだ?」
「馬抜稀人、産まれた僕を認知しなかった男だ。僕が災難に遭うことなんてさ、屁とも思っちゃいない」
「で、母親は弐号さんに会えたのか」
「再会しただろうけど」拾得は煙を吐く。「弐号さんは追い払ったんじゃないかなぁ。恐怖でしょ、昔の女が子供を捨ててまで訪ねてきても」
発着場の外では、銃声が二度ほど響く。盛り上がっている。
「弐号さんが父親だなんて、どうやって調査したんだ。興信所にでも依頼したか?」
「日誌だ。実母はあいつとのやり取りを記した日誌を置いていった。昔は目を通しても、文字として認識しているだけで理解できなかったんだけど、それが」
「戦闘員になってから読めるようになった」
「ちょうど一年くらい前かな。親の日誌なんか読むもんじゃないねェ。僕を生んでからも、弐号さんのことばかりだ、嫌悪に値する。僕のことなんか眼中になかったんだ」拾得は少し俯いて、煙を吐いた。「だから、弐号さんが僕の遺伝上の父だってわかってから、もう殺すことしか思い浮かばなかった」
拾得は、弐号さんが有望な戦闘員と接触するという情報を得ていた。で結果を求めたのは、祝福を受けるためでなく、弐号さんに会う為。
「拾得、難しい奴だ」
拾得はポケットから九寸釘を取り出す。「これって、実は母親の愛用品だったんだよね。一応、お守りみたいな感じかな。ちょっときもいな」
「マザコンだろ。歪み過ぎだ」
拾得は口角を上げた。
グラスウォールから滑走路へ目を向ける。
ボーイング777の残骸の間で、火花が上がっている。コンテナの合間を、血まみれの女が揺れながらうろついている。青っぽいラバースーツを着て西洋刀を携えていたが、頭の半分が吹っ飛んでいて、顔や年齢は不明だった。やがて、アスファルトの上に転がった。
発着場の別の場所からは、破壊音や銃声が耳に届いたが、すぐに途切れた。
俺たちはベンチから腰を上げる。
同時に、耳に反応がある。
俺はすぐさま金属バットを構える。
「バリやばいな」相手の姿を見て、思わず口にしてしまう。
「僕の台詞、パクんないでよ」拾得はため息を吐く。「殺せるかなあ」
「逃げるという手段もある」
待合エリアに入ってきたのは、ア美顕だった。
安っぽい桃色のベレー帽。金髪。この真冬の状況でも前と同じデニム地の窮屈そうな半袖のGジャンにホットパンツで、引き締まった筋肉質な身体をさらけ出している。顔はアニメイクで、ばっちり二重。くっきりした鼻筋、ふっくらとした唇。身長一八〇センチ半ばの躰に、そんなデフォルメの顔が載っているのだ。不気味この上ない。
俺たちは武器を構える。拳銃は選択肢にない。慣れていない武器を試す相手ではないだろう。
ア美顕は、日本刀を左手で握っている。
柄の先には、半人半猫の装飾具が垂れ下がっている。もちろん、血まみれだ。
改めて直視すると、異様な姿だ。童顔アニメロリフェイスに、真っ白い陶器のような筋肉質の身体。
驚異的葉隠殺戮機械と呼ばれる女傑、ア美顕は舞台俳優のように胸を張り、口を開く。
「今日はいい日だ。みんな調子がエエ。ワタシもだ、今日は六人殺した。弐号とかいう老害が死んだせいなんだろう? いつもは尻尾を巻いて逃げるような間抜けまで刃向ってくるノさ」
ア美顕は、右手でジャケットを弄り、何かを取りだし、俺たちの足元へポイっと投げた。
つるっとした床の上に転がったそれは、耳だった。
耳たぶには、発色の良い橙色と黄緑の星形ビーズのピアス。見覚えがあった。
マルちゃん。
「この小娘、オマエサンらの友達だよな。一緒にいるのを見かけたことがある」
俺はうまく答えられなかった。
「そうだ」拾得が回答したが、笑んだままだ。
「……どうにも、殺し損ねた奴ラの顔は忘れられなくてさ、目を付けてはいたのヨ、お前ら。孵化しちゃうなんてのは、予想外だったけドサ」
「で、あなたが殺したんすか」
相手は明らかに挑発している。こちらも容易に手出しできない。
格闘戦ならば無双だ。
「殺していない」金髪を右手の指先でいじるア美顕の口調は淡々としたままだ。「勝手に自殺した。ハンガーデッキで吊るして、足首の腱を斬って拷問をした。足とか手の骨を折ると喚いたんだけどさ、錯乱状態でも顔だけは傷つけないでって懇願されたんで、十字に斬ったら、舌噛んで絶命。さっきのは訂正する。五人殺して、独り自殺した」
拾得に視線を移す。
表情から笑みが失せ、なにか思案しているようだ。
「あとお前ラ、血生臭い薬売りも殺したのダロ。……そうだ、ここじゃ、邪魔者共も入るし、味気がない。せっかくのイカレポンチ同士。神たる東京にもアピールできるように、一番オモロい場所で決闘しようヨ」
「なんでもいいですよ」拾得は頷く。「さっさと殺させろ」
「さて、さすがに誰もおらんなァ、深夜の東京安全膜には」ア美顕は化粧を歪ませて笑んでいる。「普通の奴らじゃ、高山病にもなりかねなイ」
東京番外地。標高二〇〇〇メートル。神たる東京で最も高く、最も平たい場所。
俺たち三人がいたのは、極東万里天蓋の上。郊外縁補柱の貨物用エレベータで最上階まで一気に上昇した。
都民禁制である郊外縁補柱の内部に入ったのも、東京の頂上に足を運ぶのも当然初めてだ。見渡す限りに広がる神たる東京の被膜、漆黒の生体天蓋は少し艶めいている。一歩踏み出すごとに、白っぽい同心円状の波紋が生じる。
白い雲が立ち込めている静寂の天上世界。地上では戦闘員たちによる血まみれの暴力饗宴。
隣に立つ拾得はどんよりとした灰雲が渦巻いている空を睨んでいた。「ったくここまで来たのになァ、星座てのを生で拝みたかったねェ」
「そりゃ同感だ。ガキの頃、ここには天国が拡がっているって妄想していたよ。大人は騙されているか、嘘を吐いているかって思って」
あまりに殺風景で、高天原とは言い難い。
「わかる気がするな。映像を観せられても納得できなかったねェ」
「……で拾得、落ち着いたか」
拾得は静かにア美顕を睨んで笑む。
「いや、全然だ。あいつ、殺したいんだよねェ」
「星満ちる空ってホントきれいよ」ア美顕は日本刀を構える。「ここはスキ。極東万里天蓋はワタシたちのお仲間ダ、全知全能である東京に選ばれた守護者。そして、天と地を繋ぐ世界軸であるこの巨大な柱を登ることで、我が魂魄は気高さを増す。……さァ、お前らの血を捧げようジャないか」
言い終わる前に、俺たちは動く。
「ホンイキみせるかノ」
ア美顕が武士駆動。
いきなり超高速の刀撃が俺に飛んでくる。
とはいえ、俺だって初遭遇とは違う。
金属バットで防御。鍔競り合い。
膂力も五分。
それに、今度は拾得もいる。
拾得がア美顕目がけてナイフを振るう。
ア美顕は反撃を避けて、後ろへ跳躍。
修羅の庭。構造物がなく、全力で殺し合うには絶好の場所。
「ふぅん。いい感じに目覚めてンナ、いいなあ、気持ちE。殺したい」
隙は与えない。
俺は突進、ア美顕の脚へ狙いを定めて、バットを振りぬく。
が、空を切る。
長い手足を器用に折り畳み、ア美顕は飛翔。
次の瞬間、日本刀の突き。
俺はバットで受ける。
ア美顕が着地すると、今度は高く跳ね上がっていた拾得の番。
ピンク色のベレー帽めがけて、ナイフを振り下ろす。
仕留めた、はずだった。
さすが異端者。
ア美顕は刀身の棟でナイフを受け流すと、ステップを踏んで後退。日本刀を片手で握りなおした。
並の戦闘員なら、二度は攻撃を当てている。
俺たちは横並びで、武器を構えなおす。冷えた風が吹く。
「さすがに」今の攻防だけで、俺の呼吸は乱れていた。「強すぎ」
右腕に痛みがある。
流血。ナイロンの素材がざっくり。俺は一歩後退。
逃げるのも手だ。
今なら、脱出可能かも。二人がかりでも、敗北の線が濃厚だ。
地面に投げ捨てられたマルちゃんの耳を思い出す。
別にファンでもない。友人でもない。むしろ、嫌われていた。
が、ア美顕には殺す価値はある。
拾得の目つきは鋭いまま。
降参などするはずがない。
決意したところで、事態はさらに悪化。
「寒山」拾得の視線が後ろへ向く。「挟まれた」
振り向く。
「バリヤバい」
いつの間に。背後にいたのは、『漢字』だった。
剛力本気暴力。街の狩人。人間破壊獣。
白のブリーフ一丁という潔い服装で、標高二〇〇〇メートルの高所にいる。照明を反射するほど見事な禿頭に、岩石のように強靭な肉体だが、思いのほか小柄だ。ア美顕の半分くらいの大きさに感じる。
分厚い鳥胸には『心』、禿頭には『頭脳』、ぶっとい両腕には『爪』、背中に『翅』。躰中に黒文字が明朝体で刻まれている。
両拳は鮮血に濡れて真っ赤だ。何人か、仕留めてきたのだろう。
最悪の敵に、最悪の敵。
こんな状況を何と表現すればいい。
退路なしの無間道。
「意味不明」汗だくの拾得が莞爾として嗤う。「理解不能。男子畢生危機一髪だ。こいつら、寒さ知らずなのかなァ。元気だね」
「拾得、いけるか」
「見ろよ、寒山。あのつるっぱげ」拾得は視線を漢字へ送る。「高校時代、世界史の先生が言っていたよ、禿げは人類で最強って」
「また駄法螺かよ。死ぬかもしれないってのに」
「猿から進化した人類は、体毛を失った。失ったんじゃない、必要なくなったんだ、ってさ」
頬が緩む。「元来、毛髪は身を守るために必要なものだ。つまり、攻撃される心配がないから、なくなるってことか」
「都市生活適応型ヘアーさ」拾得はウエーブのかかった毛髪をバサバサと左右に振る。
くだらない会話の間にも、漢字は徐々に接近。
「そこの筋肉馬鹿」荒げた声を発したのは、ア美顕だ。「こいつらはワタシの獲物だ」
「御免」漢字は速度を上げた。
「くそ」ア美顕も動く。
先に二人で殺し合う気配はない。まずは、価値の高い俺たちを仕留める。
「噴」
漢字が弾丸のような正拳突きを俺に放つ。避ける。
が、続けざまに、右足回転蹴り。
バットで防ぐが、躰ごと吹っ飛ばされた。
極東万里天蓋に波紋を作りながら転がった。
まだ終わらない。ア美顕が割り込んできた。
銀色の刀身が俺の首筋をめがけて、振り落とされる。
寸前で、拾得のナイフが間に挟まれ、日本刀を弾き返す。
「修羅れや、寒山」
「おう、拾得」
躰を起こす。拾得と一緒に、ア美顕と数回剣戟。
東京の空に、金属音が響く。
「メンドいなァ、テメエらぁ! 火山が大噴火ダ」
ア美顕は焦るように、日本刀を振り回していた。
と、不意に漢字が俺らの死角から接近。
漢字の鉄拳、隕石のような衝撃を受けた拾得が弧を描いて宙を舞う。
「邪魔すんナ!」
ア美顕を無視する漢字。
「破」
ふたたび閃光のような蹴撃。俺の躰も飛ばされる。
体勢を直した拾得が、追撃を狙う漢字の前に飛び出す。
俺は今度こそちゃんと両足で着地。衝撃で波紋が発生した。
拾得がナイフを振るうと、漢字は一気に距離を取って、上段受けの構えを取る。
血の味がする。めまいもする。生体天蓋には俺の右腕から血が垂れていたが、瞬時に吸収されていく。
俺はバットを構えなおす。
ア美顕は、呼吸を整えながら漢字と横並びになる。
漢字も無傷ではない。
鼻頭から血が流れている。拾得のナイフが裂いた。ダメージはある。相手は無茶苦茶だが、不死ではない。
漢字はア美顕に視線を送る。
「愚鈍」
「この筋肉ゴリラ禿げ、邪魔だ。消えろ」
ア美顕も減らず口を叩く。残飯処理のような立ち振る舞いをする漢字にいら立っているのだろう。
まあ、劣勢だ。目の前には、空前絶後の殺人機械が二体もいる。日本刀で首をチョンパられるか、拳で顔面を原形留めないほどに潰されるか。その後で、こいつらは東京において最も高い位置で、頂上決戦にでも興じるのだろうか。今生の危機でさえ、妄想が前向きじゃない。
冷風がさらに強まるが、肉体や感度には影響しない。俺たちは人を超えている。異端者だ。
ふと、前髪が風で揺れている拾得と目を合わせた。
目が訴える。
笑っていやがる。
戦力差は歴然、万事休す、圧倒的窮地だが、活路はあるかも。
やり方は単純明快。
息を合わせる。ただし、一心同体の領域まで高める。
俺たちならば。俺たちにしかできない。
会話も目くばせもなしで以心伝心。
血生臭い薬売りは、異端者という身分に甘え、ただ二人でつるんで戦っていただけだ。ラスボス級のア美顕と漢字もその意味では同種同等。連携が出来ていない。
俺たちはただの組を超えられる。
ア美顕が再び仕掛けてきた。腕をしならせてから、縦一文字の刀撃。
俺が一歩前に出て、バットで受ける。
同時に。
拾得が反撃。
ア美顕の腹筋を裂く。
「んア!」
と、ア美顕の脇から、今度は漢字が飛び込んでくる。
俺らは〈同時〉に反応。
上段に拾得の刃。足元に俺のスイング。
「愚!」
漢字は防ぎきれず。飛び石のように波紋を作りながら、はるかかなたまで吹っ飛んだ。ア美顕は目を丸くしている。
「超苛々ァ!」
起き上がった漢字は怒りの眼で拳を構えたまま、火の玉全力疾走で向かってきた。到着に合わせて、ア美顕も全力剣舞を開始。
俺たちは、ずっとコンビで戦ってきた。
なんと呼ぶか。
以心伝心戦闘方法。
それが俺らの武器だ。
拾得と俺はつかず離れずの距離で円弧を描くような武闘。
感覚で起こる攻撃と防御の切り替えし。
二匹の強敵は、超爆撃のように疾風怒濤の攻撃。
しかし俺たちを崩せない。
「硬すぎる!」ア美顕は咆哮。
「否否否!」漢字もだ。
目にしたことがない武闘と当たらぬ攻撃に、俺たちを挟み込んでいるア美顕と漢字は同時に焦った。
これを待っていた。
不用意に繰り出された突きと突き。
俺らはよける。
ア美顕の日本刀がまっすぐ漢字の拳を肘まで貫いた。
誤爆。お見合い。ごっつんこ。
武器を失った二人は、声も出せていなかった。
後は児戯に等しい。
起死回生、今度は俺らが攻撃。
拾得は九寸釘をア美顕の首に打ちつけた。
俺はア美顕から奪った日本刀を漢字の額に突き刺し、極東万里天蓋の外へ殴り飛ばした。
「嗚呼ァ」天蓋に倒れたア美顕は息も絶え絶えに俺たちを睨んだ。金色の前髪は汗でべっとりと真っ白い額に張り付き、片目のまつ毛がずれ落ちている。「はっ、あの筋肉野郎がいなきゃア」
「俺たちからすりゃ、あんたも同種同等だよ」
「ふん」ア美顕は遠い目をした。「お前らはツヨかったけどおもしろくなかった、あの小娘のほうがよかった、よかっタ、ナァ……」
呟き終えると、ア美顕の動きが止まった。
耳鳴りも収まる。空を見上げてみたが、やはり灰雲に覆われたままだった。
祝福で我慢しろというのが、東京の伝言らしい。
俺は膝を曲げ、桃色の安っぽいベレー帽を掴む。力いっぱい引っ張ると、カールのかかった金髪ごと取れる。予想通りウィッグだ。
現れたのは、見事な坊主頭だった。しっかりと白粉を付けてある。
「やっぱね」拾得は肩で息をしながら破顔。「禿げ最強説」
「俺の負けだ」ほおが緩む。「拾得、今回はお前が満点だ」
「今回って、言い方が意地っ張りだよね、寒山。いつもでしょ」
拾得が皮肉を言い切ると同時に、貨物用エレベータの稼働音が響いてきた。しばらくすると、生体天蓋の上にぞろぞろと影がやってきた。
窮地を脱しても、再び窮地。
戦闘員一〇人以上が一挙に来襲。
手には包丁や拳銃、棍棒などを握りしめている。滑走路で好き勝手やって、興奮しているのだろう、先陣を切るパンツスーツのノッペラが俺らを見るなり奇声を上げた。背中にはリュックサック。
「ア美顕閣下! なんてことを」
懐かしさが胸を過った。
腕の傷から流れた血が、指先から滴って、漆黒の極東万里天蓋に落ちて吸われていく。
俺は拾得の顔を見る。口が半開きだ。「あの人、今日もバッグ持ってきているみたいだけど、やっぱ手榴弾が入ってんのかな」
「寒山、バリヤバすぎて、返しが思い浮かばないねェ」
大饗の終焉。貨物用エレベータで戻ると、地上は静寂に包まれていた。加えて、濃紺に染まっていた空の端が徐々に白んできていた。
ごうごうと燃えていた大きな御焚上の火焔は消えうせ、灰の中で花子さんの遺体がどこにあるかはわからなくなっていた。身体はくたくたで、舌も思うように回らない。止血したはずの右腕がジンジンと痛む。拾得も同様だろう。汗で黒塗りの額が少し剥げていたし、目も虚ろだ。
「今日は殺しまくったな」
拾得は力なく微笑んだ。「大勝利だねェ」
極東万里天蓋へは次から次へと敵が押し寄せたが、全員返り討ちにした。俺は一七人、拾得は一五人という戦果だ。ア美顕と漢字という大物を含む。ついでに、ノッペラもだ。
前人未到の大饗大殺戮。極東万里天蓋には、無数の死体を置いてきた。
気付けば、弐号さんの戦績をも超えていた。どんな祝福がもたらされるのか。頭では理解していたが、そこまでの歓喜を実感できない。
拾得はマルちゃんの生死を口にしなかった。俺もできない。
後は、帰宅するのみ。勝利道中膝栗毛。
「おい、寒山」
「え」
三〇メートルほど離れた滑走路上。
一騎当千甲冑に身を包んだ年配の猛女が、麗女の肩を担いで運んでいる。
麗女は、マルちゃんだった。
殺されてはいなかった。顔には包帯が巻かれている、耳を削がれたのは事実のようだ。
しかしだ。殺されてはいない。
「くそ、ウソかよ」
拾得が笑う。俺もつられて笑う。
「はぁ、よかったな」
「ふむ」拾得は一度下を向いた。「引退、よそうかな。これだけやったんだし。もったいないよなァ」
終わりの雰囲気が漂う。
が、今夜は特別な宵だ。
そんなに簡単にはいかない。
急な耳鳴り。見回す。
視界の端に影。
同時に、横から右側頭部に噛みつかれた様な衝撃。
奇襲、脱力、地面に崩れた。
油断大敵。言葉を反芻するが、躰が動かない。視界の隅で、拾得が動き回っている。相手は、金槌を握っている入院着のような服に身を包んだ枯れ枝のように痩身の女だ。
頭が割れるように痛い。拾得は交戦している。相手の女は狐の面かなにかで顔を隠している。
拾得は今回の宵を生き残るだろうか。
どうなんだろう。
拾得が俺をコンビとして選んだ理由。
それは、俺ならばいつでも切り捨てられるからだ。
大衆紙さんによれば、一七人殺しを達成した宵で弐号さんの相棒が成仏した。弐号さん本人からは、かつて転機があったとも。
神たる東京に試される。導き出される予想は難しくない。
相棒を見捨てれば、一七人を殺せる。相棒を救えば、一七人は殺せない。
弐号さんは前者を選んだのではないか。
母親の日誌には、弐号さんの転機についても詳細が記載されていたのだろう。相棒ごと殺した経過を、拾得の実母は弐号さんから聞いていたはずだ。
加えて、俺の存在は保険にもなる。もし花子さんがいなかったら、罪を擦り付ける相手が必要だった。
俺ならば捨てられる。それを予期して、コンビを選んだ。
知っていた。知っていたけど。
俺は意識を失った。
目が覚める。
掌で頭を押さえる。血がべっとり。
ふらつきながら、上体を起こす。冷えたアスファルトの地面。かじかむ十指。巨大な郊外縁補柱。照明を落とした巨大灯台。
俺の脇には散した狐の面。
目を擦る。
場面は最高潮。
拾得が女の上に馬乗り、九寸釘を右手で握りしめていた。女の手には金槌はない。というか、右手の指は切り落とされて肉片と化していた。
「拾得」俺は背中に声を掛ける。「さすがだ」
「寒山、死んだんじゃねえかって勘違いしたよ」拾得の声は震えていた。ひどくか細い。
太平洋へ目を向ける。雪は降っていない。
「最後だ、殺して、羽田空港から脱出しないと」周りを見回す。もう人影もない。「日が昇る前に」
女は、痙攣しつつも、真っ直ぐ拾得を見つめていた。年配の女だ。末期に怯えているのか、顔中の皺が引きつっていた。蒼白な顔には赤黒い血が飛び散っている。色が抜けている長髪はぼさぼさとしているが、眼も鼻もすっきりとしていて、控えめだが品のある顔だちだ。
拾得は九寸釘を構えていたが、突き刺さない。丸めた背中からは拾得が長い間ため込んできた、いや、意図的に隠してきた無意識が流れ出ていて、それは悲哀の色をしており、俺にはぜったいに晒したくない心情だと思えた。
なんだというのだ。
「拾得」俺はゆっくりと距離を詰める。流血している頭だけでなく、全身がひび割れたように痛い。ア美顕に斬りつけられた右腕は思うように動かない。「さっさと終いにしよう。殺せば終わりだ」
拾得は振り向いた。目から涙が零れていた。
笑っていない。迷子になって途方に暮れる小学生みたいな情けない様子で、泣いていた。唇も震えている。
黒化粧を剝いだら、青ざめているはずだ。
「寒山、ここが僕の転機だねェ」拾得は自分に言い聞かせるようだった。「この女、実母だ」
女のげっそりとした顔を見る。拾得の実母。我が子を捨てた女。
「お前は弐号さんを殺した。これが転機なら、殺さないと」俺は声を張り上げた。なぜか、俺は拾得に実母を殺してほしい。「楽にしてやれ」
女は瞳孔を開いて、中空を見つめているだけだ。意識も朦朧としているようだ。口元からは血が流れている。
転機。
理解もするし、意味も分かる。
拾得の心中は、愛憎が滅茶苦茶に入り混じっているだろう。
けれども、俺の胸には別の思いがこみ上げる。
だからどうした。
「殺せ」俺はもう一度口にした。
拾得、五圏東京がお前の思い通りになるとでも。
うなだれた拾得は九寸釘を捨て、ふらりと立ち上がる。
「ごめんよ、寒山」
「拾得、殺せ。どうせ、その人は死ぬ」
「ごめん」拾得は焦点の合っていない目から涙を流し、鼻水まで。みっともない。「本当にごめん」
「この人は、お前を捨てたんだぞ」
拾得は答えない。発着場の方向へ歩いていった。
俺は拾得を呼び止められなかった。
あいつは、終わりだ。確かに、母親を殺すという酷な転機かもしれないが。
だからどうした。
お前を捨てた女だ。ケダモノだ。
それに。お前の価値は弐号さん以下なんだ。
拾得の母親は、大きく呼吸を繰り返している。白い息を吐くたびに、苦悶する。
滑走路から拾得の姿はもう消えていた。
もうあいつは、終わりなんだ。あんたの身勝手のせいで。
地面に転がっている九寸釘が白くぴかついている。
あと、五分もすれば神たる東京に色白な太陽が昇る。郊外縁補柱が滑走路に巨大な影を作るはずだ。
母親は薄弱として数回咳き込むと、泡交じりの血を盛大に吐き出した。
まだだ。
叙事詩の幕は下りていない。
ジャケットから拳銃を取り出す。
どうせ死ぬ。
拾得、お前は俺を殺せるかを摂政に試されていたら、俺を殺したのか?
俺は拳銃を向け、引き金を引いた。
女の頭は見事に吹っ飛んだ。
*本記事のキービジュアルは永良新が作成しました。