◆作品紹介
本作は『anon press best of the best vol.1』の等価交換対象として執筆された、同書の書評である。書き手は2025年春に初作品集『さみしがりな恋人たちの履歴と送信』を刊行予定の笠井康平。日本語の言語表現に対して独自の探究を続ける笠井が――しかも再び小説へと復帰するこのタイミングで――種々の創作的実践を圧縮した『anon press best of the best vol.1』をどのように読んだのか。購入者の皆さまは、もう間も無く手元に届く(よう頑張っている)実物を待ちながら、ぜひお楽しみいただきたい。(編・青山新)
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編集長に「〈特装版〉と〈書評〉を物々交換しませんか」と持ちかけたとき、私は新しい戦前の昭和モダニズムについて調べていた。情報汚染とサブスクリプションの全盛期に印刷書籍(物体)を自主制作することの歴史的/現代的な意義について考えれば考えるほど、(ぼくもまたそれを繰り返すのか)と、とまどいながら僕達は――(文・笠井康平)
1.
このテキストは21世紀初めの日本語で書かれた。ウクライナ戦争はまだ続いている。イスラエル軍がハマス最高幹部をイラン国内で殺害したと分かった以上、イスラム諸国は報復の連鎖に与せざるを得ないだろう。新興国では王政復古の反革命が止まらない。西欧風のリベラリズムが孤立を深めている。これが「新時代だ」と皮肉りたくなるほど。
インターネットの情報汚染は、迷惑なアドフラウド(広告詐欺)の域をとうに超え、国家安全保障の重要イシューになって久しい。戦争広告と選挙動員がどのSNSでもかまびすしい。生成AIへの「過度な期待」に投機してきた金融市場は、夢破れた青年のようにデリケートだ。コロナ禍以来の世界同時株安は、私たちのフィルタ―バブルが決して安全ではなかったという教訓を後世に伝えるのかもしれない。えぐい時代だ。しんどいね。
2.
「anon press」は、2022年5月に設立された「未来を複数化させるメディア」である。「SFの社会実装」をミッションとするアノン株式会社のメディアレーベルとして、青山新(編集長)と樋口恭介(Chief Sci-Fi Officer)が創刊メンバーとなった。現在の編集部は8名と、(創作系のインディー・メディアにしては)大所帯で運営されている。
創刊からほどなくして開設されたDiscordチャンネル「Anon Future Communites」は、100人以上のヤバいひとたちが集まって、尖ったブラックジョークを安心して投稿できる「大人の部室」になった。
これはきっと伝わらない喩えだけど、草創期からその場に居合わせた私は、18世紀・日本の狂歌コミュニティみたいだと思っていた。大田南畝が生み育て、のちに蔦屋重三郎を輩出した、マッド・カルチャーの発信地。あたらしいかいじゅうたちのいるところだ。
このテキストが私に書かれた時点で、「anon future magazine」には120作以上の(いわゆる)フィクションが掲載されてきた。難波優輝から染水翔太に至るまで、なんだかよくわからないけれど面白そうなものたち――としか言いようがない。詩歌、散文、評論、調査報告、座談、漫画、展示、音楽、講座、懸賞をひとまとめにできる日本語を、私は「著作」のほかに思いつけないから。
だとすると『anon press best of the best vol.1』は、テキストデータとして公表された著作(化体)から、全体の10%ほどを精選した編集著作物(実体)である。ほとんど何も言っていないに等しいけれど。
3.
情報は無体物(みえないもの)であって所有権を観念できない。データが有体物(かたちあるもの)であるかは諸説あるけれど、いまから30年ほど前に、ひとまず「データとは情報の表現である」とする定義が国際標準になった。
この考えは世間にさほど広まらなかったものの、「書物」の歴史にひっそりと流れ込んでいて、それからというもの、私たちは「本」という言葉がどこからどこまでを指すのか、なんだかよく分からなくなったみたいだ。
高価なコピー機(複合機)には簡易な「製本」モードが搭載され、たいていのプロジェクター用スクリーンは会議室で「紙芝居」を読むために使われている。
私のスマートフォンは「お風呂で聴ける朗読マシン」に他ならない。字幕ありきの動画配信は、テロップだらけのテレビ番組にどんどん似てきた。
家庭用ゲーム機のAボタンは、おそらくそのほとんどが「テキストボックスに次のメッセージを表示する」操作に費やされている。普及期に入ったARデバイスを着ければ、いつでも目の前に「大画面」を表示できる。
そのすべてが「本」にふれることだとしたら、「本づくり」とは何なのか。「読書」とはいかなる行為なのか。「何も読まないこと」とはどうちがうのか。どこが「新しい」のか。
4.
この問いにちゃんと答えるのはとても難しい。おいそれと語り尽くせないし、作品というかたちでの表現については、説明不足による誤解を招いたことを謹んでお詫び申し上げるべきリスクだらけだ。
「俺たちは世界を変えるぞ」と意気込んで、苦心の末にどんな答えを生み出したところで、「それってあなたの〈思想または感情を創作的に表現したもの〉ですよね」と言い返されると、その先がつづかない。
出版の民主化は複製コストを激減しただけでなく、ひとつひとつの表現の価値をうんざりするほどのインフレに導いた気がする。まじめなクリエイターほど憂鬱に追い込まれがちな、受難と苦渋のバーゲンセールだ。
そんな時代に、私は、もう飽きちゃったんだと思う。それでも、この現在からそつなく予想できるものとは別の未来がまだありうると信じていて、なんなら試しに作ってみたかった。
だから、『anon press best of the best vol.1』の刊行が発表されたとき、anon press編集部は私とよく似た希望を抱いていて、しかもそれを具現化するところまで辿りついた気がして羨ましかった。
それで青山編集長に無理を頼んで、その「本」とこのテキストを物々交換してもらうことにした。
5.
お盆前の真夏日に、青山さんは「現物」を渡しにきてくれた。私は「現金」と引き換えにそれを受け取って、聞きたいことを聞き、話したいことを話した。
このテキストの終わりに話すけど、あらゆるテキストは「冷たい部屋」だと思っていた私に、青山さんは「開かれた庭」でもあると語ってくれた。
その日に話題になったのは、ムネモシュネ・アトラス、不気味な建築、砂の本、コンクリート・ポエトリー、反時代的毒虫。
6.
すでに注目されているように、この「書物」は330枚ほどの紙を束ねて、4本の六角ボルト・ナットで留めることで成立している。そのつくりは、コデックス装のアンカット本というより、和本装幀でいう「紐装」に近い。洗練された「抜け感」ではなく、過剰な「デフォルメ」を志向したら、かえって書物史のオーソドックスに立ち返ったとでもいうか。
さらに〈special edition〉を買うと、フルハンドメイドで「書物」を真空パックしたうえで、表面にキービジュアルを印刷した石膏で封緘してくれる。壊すと読めない〈外装〉と、壊さないと読めない〈内容〉が、反転するテキストとして一体化した様子を占有できる。石碑に封印された活字本を再発掘したとき、読者は時代不詳のノスタルジーを、出所不明の近未来感と一緒に味わえるだろう。
「本」という「もの」のあり方を疑ってみる態度でいえば、新潮文庫『マイ・ブック』の対極に位置づけられるかもしれない。『マイ・ブック』はソフトウェア(紙面)の「なんでもよさ」をさっぱりと打ち明けつつ、扱いやすいハードウェア(文庫本)であることにはこだわる。
それに比べて、この「本」は――ややこしい言い方になるけど――書物であることの「こだわり」から距離を取ることにこだわらず、かといって「こだわらないこと」にもこだわらないのに、そういう姿勢を保つことにはこだわる。ごく繊細に、粗野なパロディであろうとする。
7.
この「本」自身が2周年記念座談会で語ったように、この姿勢には『WERK』という雑誌が影響を与えたという。その雑誌が第26号で、モダンな建築様式としての「打放しコンクリート(Béton Brut)」を特集したとき、『WERK』編集部は自作を「本と紙くずのわずかな狭間にある(It occupies the tenuous latitude between a book and paper trash.)」と評した。
その言葉に照らしつつ、この「本」の初出がノート(Webサービス)のマガジン(機能)だったことを思い返すと、この「書物」の作り手が何を狙ったのか、ちょっと分かる気がする。
とりもなおさずこの「書物」は、anon press編集部が「文芸書」というメディア/ジャンルのあやふやなかたちをバラしてみる遊び/仕事の延長線上にある。画面にレイアウトの自由を行使し、その外にテキストを増殖させる趣向は、たとえば、永田大空「Multipotency」や「あなたのディストピア展」(文喫)といった諸作に連なるだろう。
青山さんの見立てによれば、どの収録作にも、実在する形式を借りて、過剰なパロディ(戯画化)とコラージュ(糊付け)を進めた果ての、なんともいえない乾いた明るさがある。その状態をアイロニー(皮肉)と呼ぶなら、「SFは絵なのだ」と悟った先人の言葉も、別の視点から再解釈できるだろう。絵は、誠実な皮肉のように軽い。たとえどんなにややこしくても。
8.
だからこそ、この「書物」は、コンクリートと紙くずの間に立って、ガッチリと仮綴じされた「ほんもの」であることにこだわったように見える。目次やノンブル、奥付はないのに、遊び紙と観音折りが何枚も使われ、余白とルビは丁寧に付されている。表紙のデータは1冊ごとに「線の太さを微妙に変えている」そうだ。プリンター(印刷機)の性能によって暗色の質感もばらつくし、経年劣化で紙はくたびれ、ボルト・ナットはゆるむから、これから歳月を重ねるにつれて、「かりずまい」の感じも際立つことだろう。
9.
青山さんは語ってくれた。
「未来の古本屋で見つかったら、きっと驚かれますよね。並んでいるだけでも存在感がある。本を読む/読まないに関係なく、無視できないものであってほしいなと。作家・編集者ともに、anon press初期の瑞々しさが保存されているという意味で、アーカイブとしても納得感のあるものになっていると思います。だけど同時に、paper trash(紙くず)のままだったとしてもかまわないんです」
10.
この「書物」を手にとって、気になったページをめくっていると、読めそうで読めない文字列(anon)を重層的に積みあげた意味空間が、多方面から加わるものすごい力で圧縮(press)されるうちに、なんだか「本」っぽいものがかたどられていく、その生成プロセスにたまたま誘われたような気持ちになる。
この感じは、夏休みに友達の実家へ遊びにいったら、いつのまにか庭先でバーベキューが始まっていたときのそれによく似ている。
青山さんがいうには、「庭」というのは、独自の生態系を複雑に備えた、それのみで自立した空間でありながら、部外者には閉ざされ、かつ絶えず体験者が参与する場である。「庭」は建てられない(un-built)建物(buildings)であり、都市でも自然でもないものであって、より大きなもの――山、森、野、池、川、海――のミニチュアである。
その作者たる「家主」は、ひとつの世界観とその道案内が混ざりあった「庭」を育て上げ、ある風景(landscape)に来客を招き入れるキュレーター(撰者)の立場に置かれる。石が砕けて砂となり、こなれた草木が土にかえる日を思いながら、その空間を「いい感じ」に保とうとする。言わずもがな、テキストの編著者のように。
11.
このテキストは、私が買った『anon press best of the best vol.1』(special edition)に書かれた。いずれ原文は封緘されるから、石膏を壊さなければ、だれにも読まれない。あなたが目にするのは、さまざまな画面に映る根なし草のようなコピーだ。顕注密勘、くずし字の活字、抄本の謄本。私はこの本をそのようにして読みたかった。私はこの本をそのようにして読みたかったからだ。
◆著者プロフィール
笠井康平(かさい・こうへい)
1988年生まれ。著書に『私的なものへの配慮No.3』がある。他の著作に「現代短歌のテキストマイニング――吉田恭大『光と私語』(いぬのせなか座)を題材に」、「場所(Spaces)」(共著者:樋口恭介、『異常論文』)「10日間で作文を上手にする方法」シリーズなど。2025年春に初作品集『さみしがりな恋人たちの履歴と送信』を刊行予定。