◆作品紹介
クリックして閲覧してください。(編・樋口恭介)
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けばけばしく高収入を謳う広告カー歌舞伎町のYouTuberは売春婦を嘲笑うアパートに住んだ方がいいと分かってるのにネットカフェで過ごす27歳の娼婦石田英敬は「現代のレミゼラブル」だと言ったインターネットには犯罪紛いの広告が溢れ俺たちの欲望を煽ってる俺たちは憎悪と嘘から利益を得るアテンションエコノミーに入り浸っては労働に倦んだタナトスをやり過ごすチェンマイで在チェンマイ総領事館を表敬訪問したときその物腰の柔らかさに吸い込まれそうになったこれが国か国なんて滅んでいいだろ滅びろよ家族制度LGBTQ差別弱者切り捨て加速主義新反動主義資本主義リアリズムだがそんなポスト資本主義になんの意味があるっていうんだ
iPhoneゆ宇多田ヒカルは響めきつUberEatsの乱鴉らは泊つ
銀白の真珠の指輪つきかげに耀きゐるを指に搦める
G線上のアリア流れつわうごんの毒杯をもて我は眠らむ
世界はフーコー的不能感に陥っている。パレーシア、日々ソーシャルメディアでライフログを切り売りし肉の告白に明け暮れている。性の歴史、それすらが精神分析的牽強付会となり、SDGsの阿片となる。私が無であることの言表それ自体、言表内容と言表行為とに引き裂かれ、自己啓発とオンラインサロンが結託してその虚無を更に加速させる。加速、ニック・ランドが語った加速は資本主義を加速させることで資本主義を自壊させ私たち人間には捉えることのできない外部、すなわちOutsideness(外部性)を現出させる。ネオリベと結びついた自己啓発と自己への配慮、すなわち真理を語る勇気とは縁遠いキリスト教の告解と精神分析の告白の系譜を継ぐマネタイズでしかない。「良き労働者たれ。良き消費者たれ」が現代の聖書だ。ビリオネアたちは敬虔に祈る。何を? この世界の黙示録か天国行きの切符かだ。唐突だが俺は妊婦とファックして中出ししたいバックから突き上げ騎乗位で母乳を吸いたいそして赤ん坊のいる子宮へ中出ししたい。新世紀、20世紀を風靡した言葉はTikTokやLINEスタンプのエモティコンに取って代わられノンバーバルな、緩衝材、つまりメタファーを介さない表象行為と表象内容が合致したコミュニオンが現出した。もはやそこに精神分析の入る余地はない。精神分析は「人は本当のことを話さない」という前提があって成立する。言明が全部偽であるならジジェクは「この世界には何もない」という境地に至った。その何もなさに対抗してきたのが女児向けアニメや萌え漫画だ。なぜ女児向けアニメや萌えの世界に男性が不在なのかというとそれこそジジェク的な何もない世界を否定しようとしたから。それはもはやニーチェ=ハイデガー的な「不気味なもの」への注目ではなく、「きらめき」への注視だ。それはもう哲学というより宗教に近い。ジジェクのいう、ポストモダンの何もなさこそ、何かに対する悪意だったんしゃないか。「マラルメはこの世界のすべてがそこに帰着するような絶対的な<書物>を構想していたが、この構想が実現することはなかった。マラルメによるこうした<書物>の構想とその不可能性は、古典主義時代までの文芸がモデルとしたような、真理を語る聖なる書物が失われたことを示すものである。マラルメの不可能なる<書物>は、永久に逃れ去る文学の存在を露わにする。」(『フーコー文学講義――大いなる異邦』)
花蓮の蛋捲よゆびさきに白鳥石の花を散らして
ちゃんみなの金砂子なる真夜深くラップをすなるSpotifyはや
ギャングスタ・ラップを聴けるハロウィンに月夜烏はあたらよ羽搏つ
Amazonでエロゲーの「妹孕ませっくす」を買ったらゲームじゃなくて手作りの動画が送られてきた完全なる詐欺だがどこに申し立てればいいのか分からない俺は早送りもできない動画でヌくことすらできない現代の広告は犯罪と同じだ「数人殺したら殺人罪。何百万人殺したら英雄」と同じで人の不全感を煽り劣等感につけ込み依存させる感情ポルノに他ならない能動(する)でも受動(される)でもない中動態のネガティブな面=広告や宣伝に無意識のうちに行動をコントロールされ消費行動に参与させられてしまっているビッグ・テックに仕掛けられた罠で「遊ぶ」ことしかできないモノを買って消費することはセルフケア/セルフラブではない資本主義的なゲーミフィケーションから逃れるために國分功一郎×宇野常寛は圧倒的な物事に触れて心が侵された後のものづくり=「制作」を説いた「お母さんは俺専用!」というエロゲーには6種類の動画しかない、なー俺にもオイディプス的欲動があるっていうのかコロナ禍から三年。十月。久しぶりに訪れたベトナム・フエは相変わらず喧噪と狂騒に包まれていたバイクのエグゾーストとクラクション俺は傀儡の皇都で煙草を吸う紫煙が俺の超自我を貫く……連れていかれたのはHon Chen廟。阮王朝の前のチャンパ王国の時にできた女神を祀る寺だ。ユネスコ無形文化遺産に登録された「Mau Tam Phu」(聖母道)という女神を祀る宗教の聖地。HMCC(フエ遺跡保存センター)の職員が熱心に拝んでいたのが強く印象に残っている。僻地にある川をボートで渡って行く。後ろの崖からは崩落、地盤も沈下している。零細企業が保全できるわけねーだろ( ^ω^)・・・重要なのは、社会秩序との関係で文学の問題を考えるのではなく、弱毒化された「狂気」でもなく、伝達不可能性としての「狂気」を突破口とすることだ。ブルトンではなくアルトーだ。十一月。初めて訪れたタイでカルチャーショックを受けなかったのがショックだ。もう変われないということだから。北部のプレー、ランパーン、チェンマイを回った。プレーでは「生姜パン様式」と呼ばれる伝統建築と西欧のハイブリッド建築を、ランパーンでは王立シャム地方建築家協会を視察した。俺のFacebookにはタイ語とベトナム語が乱立してる。コオロギなんて食うわけねぇだろ、イナゴもハチノコもタガメもセミも食わねぇよ。美少女のおしっこは飲むよ。
あをしらの江戸切子にて飲み干しし金砂ゆらめくモエ・エ・シャンドン
翡翠の瑠璃色したる羽根模様七晩続く華燭の典の
鳩の首色したるネイルのおみなをりメタバースには柳絮降るらむ
スピノザは世俗的な政治秩序と神との契約の二重の契約の緊張状態が必須と結論付けた。現代日本は世俗国家とカルトが共謀している。安倍晋三は死んだ何の思い入れもないあるいは憎しみだけを拗らせて氷河期の怨嗟によって胸のすく思いがするきゃろらいんちゃろんぷろっぷきゃりーぱみゅぱみゅはいう「テロリストは美しい」ともう死んでしまった人間とどのようにつながりを求めればいいのだろう「死者に取り憑かれてはならない」母が死ぬ間際に言った言葉だ我々は死者たちと交歓することができない無駄に命を散らすテロリストのその無為に私(たち)は死と侵犯を見出せるのだろうかこういうとあまりにもバタイユ的だ身体はエロスとタナトスの間で引き裂かれている俺にはもう何もないと以前書いたが今も同じ気持ちだニック・ランド『絶滅への渇望――ジョルジュ・バタイユと伝染性ニヒリズム』を読む『暗黒の啓蒙書』では最後に遺伝子工学で超人ならぬ「怪物」を作り出すことが説かれたがそれってブルース・スターリングの「工作者/機械主義者」の二番煎じじゃねえのかとか国葬とかマジでやめてくれ国葬する金あるなら一律給付金配れや今まで10万しか配ってねえってほんとに日本死ね現代のメシアニズムなきメシア的なものとはブロックチェーンなきサトシ・ナカモトだWEB3.0は情報産業によるゲーム的に他のプレイヤーと承認を交換する快楽への中毒の解毒とはならないこの文章はChatGPTの紛い物に過ぎない詩は、また立ち上がれるか?
大南の旧正月に沸きたる霄漢にぼっち・ざ・ろっく! 響きやまぬも
薄化粧のごとパヴァーヌは哭くつきかげのTikTokに樹華散らしつ
◆著者プロフィール
桜井夕也(さくらい・ゆうや)
日本の詩人、歌人。早稲田大学第一文学部哲学専修卒。2013年、『現代詩手帖』7月号に「My Fuckin' Valentine」が、2021年に「Synthetic Anthem」が『Urbanomic』に掲載された。2018年度未来短歌会評論・エッセイ賞受賞。現在は世界遺産であるベトナム・フエの「フエの建造物郡」における伝統木造建築を保存・修復するためフエ遺跡保存センター(HMCC、 Hue Monuments Conservation Centre)との共同作業に従事しており、ベトナムへの数十回に及ぶ訪問を経た経験をもとに詩と短歌を書いている。
Twitter ID:@yuyasakurai
Website:http://yuyasakurai.net
※次回作の公開は2025年10月22日(水)18:00を予定しています。
※本稿の無料公開期間は、2025年10月22日(水)17:59までです。それ以降は有料記事となります。
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