◆作品紹介
事件です!
殺人事件が発生しました。場所は地球からはるかかなた、個人所有の宇宙コロニーのなか。というわけで、クローズド・サークルです。犯人はこの中にしかいねえ状態。まあ、宇宙空間で孤立しているのにそんなことやっとる場合か、と言われても、探偵がいるんですから、事件を解決してもらいましょう。……のはずがすったもんだしている間に、暴徒まで現れ始めて。
行先不明のノンストップ・クローズド・サークル・ミステリーをお楽しみください。(編・平)
以下、記事の本文です。
1
完璧だった夜はおぞましさにまみれてしまった。
今夜は誰もが有頂天だった。なにせ、世界有数の大富豪である龍玄業斗氏の有するあの〈露豪館〉に招かれたのだ。今宵を足掛かりにして、更なる成功への特急券を掴んだのだと誰もが疑わなかったはずだ。
だのに、だ。
「なんだよ……これ……?」
賓客のひとりである巌戸選馬は日焼けした顔面を引き攣らせる。空色のスーツ(言わずもがな、それは伝統的な不動産業者が好む由緒正しき服飾だ)に包まれた窮屈そうな胸元を緩めながら、狩り上げられた側頭部に滲んだ汗を掌でぬぐう。
適切に絞られ、しかし徐々に存在感を増し始めた陽光の真下、荒涼と広がった平地のそこかしこに、人体片がふつふつとばら撒かれていた。それも、ひとりぶんではない。複数人のそれが散らばっている。散った臓物と断片は現代アートよろしく散漫に配置され、堆積し、赤黒い水たまりが鉄の臭気を放っている。龍玄氏の愛用していた骨董品な車椅子が無造作に転がっていた。フレームが歪み、無惨にひしゃげている。そのすぐ傍らで、冗談みたいに地面から直立した両足の間に、強引に寸断されたと思しき氏の生首がちょこりと鎮座している。
そういったものたちが、目覚めたばかりの朝日に照らされていた。
つい先ほどまで、賓客たちは本館から二キロメートル先にある特設会場で催されていた盛大なパーティ――世界的ブルータル・デスシティ・ポップユニットである〈クロム・ディヴァージョン〉のライブで夜通し盛り上がり続けていた。音の本流を浴びながら、無我夢中でフェンスにしがみつき、ヘッドバンキングし続けていて……その帰路で、突として出くわした惨事だった。誰も彼もが汗まみれだったはずだが、それは瞬く間に揮発して、代わりにさむけを引き連れてきた。
「これはこれは、じつに、大変なことになってしまいましたねぇ」
モーセよろしく、黒山の人だかりを割って何者かが前に出る。
少女のように小柄な人物だった。しかし堂々と胸を張り、矍鑠と手を振り回しながら前進する。羽織っているコートはそれなりに上等なものだったが、サイズがてんで合っていない。だらりと落ちた肩の先で、だらしなく袖があまっている。対して、従者のように付き従うのは彼女とは対照的に背の高い女人だ。長く伸ばした髪の下で、影色のドレスを堂々と着こなしている。
一見して、ひどくちぐはぐなコンビだった。しかし「飴ノ森……飴ノ森、洒沙だ……!」
賓客のひとりが興奮気味に呟くなり、声は連鎖して「飴ノ森、って……いくつもの難事件を解決してきたっていう、ウワサの『名探偵』か!?」「先月も、川崎でブラック・マフィアと黑社會の抗争を未然に防いだっていう……」「奇跡だ……! そんなすげぇ探偵が、今ここに……!」
「すごいですね、みあれちゃん。こんなに褒められるの、小学校のお遊戯会以来かも知れない……えぇ、どうしよう、めっちゃ嬉しいな……」
探偵は露骨に得意そうににやけるも、「先生、承認欲求がだだ洩れです」と助手からやんわりと諫められるいなや「こほん」と咳ばらいを挟み、努めて涼しげに振る舞って「見たところ、死体は龍玄氏と……それといくつか、べつのものも混ざっているようですね」
その場に転がっている、引き千切れた腕部を拾い上げる。断面はずたずたで、その指先はタクティカルグローブに包まれていた。
「氏のボディガードのものでしょうか? サイバネ化されていますね。それも軍用の最新式。ざっと見たところ、軽く見積もっても何十人か亡くなっているみたいです。これだけの大惨事です。もちろん事故のセンもじゅうぶんに考えられますが……一番マズいのは、これが意図された、『殺人事件』であることですね」
ざわりと、ざわめきが伝播した。
「なんにせよ、警察の応援が必要ですが……誰か通報ってできます? というか、恥ずかしながらここのシステムをよく理解していないんですけど……みあれちゃん? 来るときは専用の船舶を準備して貰えましたけど、そもそも『迎え』って、どうなってるんでしたっけ?」
探偵は背後の助手に問うて「頃合いを見計らって、龍玄氏自身が迎えを呼ぶ手筈になっているようですが……」
「そうだ! 助けを呼ぶんだ!」
我に返ったように、巌戸は小さく叫んで、衆目の中から、目ざとく執事服姿のスタッフを見つけた
「おい! 今すぐ助けを呼んでくれ! 緊急事態だ!」
スタッフたちは慌ててどたばたと走り回り、程なくして数人掛かりで通信機器を担いで持ってきた。龍玄氏の趣味なのだろう。持ち込まれた機器はひどく|骨董品めいている。人々は、そのハンドル式電話機を模した機材の周囲に集まって「ラグは……大丈夫なのか?」「問題ない。精々、数分程度だと思う」「よし、起動するぞ」
腕に覚えがある技師たちが進んで集まり、通信を確立しようとするが……しかし待てど暮らせど、通信機が立ち上がるようすはなく、
「駄目だ。厳重にロックされてる……!」
「おい! どういうことだ!?」巌戸はスタッフに詰め寄り、
「パスワードは、旦那様が管理していて……量子暗号で、ロックされていて……」
「誰か、解ける者はいないのか!」
巌戸が呼びかけるよるも早く、技師たちは膝を突き合わせて討論を重ねていた。
「どうだ!? なんとかなりそうか!? おい! 大豆野郎ども! はやく答えろ! おい!」
「無理、ではない」「なんとかなるとは思うけど……多少、時間が掛かるでしょうね」「最低でも数日か、一週間か……場合によっては、それ以上……」
「なんだ、それくらいなら……」
技師たちの見解に、一同はほっと胸を撫でおろすも、
「……まずいですね」探偵はうつむき、あまった袖を鼻先にあてがう。
「周囲に中継点がある場合は比較的スムーズに救援が来るかもしれませんが……しかし皆さんもご存知の通り、この露豪館の場所は秘匿されている上、ひどく辺鄙な場所にあります。近場に中継基地のようなものがあればスムーズに救援を呼べるかもですが……しかし、そうでない場合は……」
探偵の意を悟ったのか、技師のひとりは「はっ」と息をのんで「つまり……最接近の期間を逃すと、最悪、数年先まで、迎えが来なくなる、ってコトか……?」
「ちょいちょいちょい、ちょっと、待ったってくれへんか!?」恰幅のいい壮年の男が声を荒げる。その相貌はびしゃりと冷や汗にまみれ、身に着けた蛍光ラメ色の着物が発する光を照り返し、すさまじい色合いを醸し出していた。
「ほなら……わしら、ここに閉じ込められて……それまで、これだけの人間を――軍用のサイバネを入れた連中を何十人もいっぺんに殺した犯人と、一緒に過ごさへんといけへん、ってコトかいな!?」
「……まぁ、そうなりますね」探偵は、不承不承頷く。
「そうなる、って……そんな、殺生な……」
龍玄氏によって催されたこの盛大な饗宴は、明確な期間は決まっていないのが常だった。各界のVIPを集め、手前の都合で拘束し振り回すことに優越感を感じていたのかもしれない。重ねて、賓客自身も同構造をなぞることで同じ優位性を体感することが可能だった。しかし今となっては、それ享楽自体が彼らを絡め取っていたのだ。
重苦しい圧力が人々を支配する。露豪館は、外部から遮断された閉鎖環境と化しつつあった。
「……ふざけるな!」
静寂を裂くように声を荒げたのは、巌戸だった。
「こんなところにいられるか! こんな……誰だかわからない人殺しがいる場所なんかに……自分の身は! 自分で守る!」彼はあらぬ方向へと全力で走り出して、
「……待ってくれ、俺もだ!」「私も!」「安全な場所に、連れていってくれぇ!」
追従するように人々が――のべ二千人の賓客から数割が、恐慌状態に陥った数百人が、ぞろぞろと先行した巌戸のあとを追い、大移動を開始した。
取り残された人々は押し黙り、互いを疑うように懐疑のまなざしを向け合っている。
「大変なことになってしまいましたね」
助手は背を折り曲げて、探偵の耳元で囁いて、
「ええ、頗るに……」
浮上し、いよいよ確立された陽光が惨劇の現場を顕わにする。飛び散った人体を、血の跡を、わずかに歪曲した地平を、窓面から覗く集光ミラーと、その奥間に無制限に広がる、真空の宇宙空間を。
露豪館――地球から遠く離れた政治的空白地帯、荒れ狂う磁気嵐と密集するマイクロメテオロイド群が渦巻く人外魔境の最奥に浮かぶ、個人所有のスペースコロニーで生じたこの未曽有の大事件を前に、人々は恐れ慄いていた。
2
差し込む陽光が、生い茂る木々の群れに寸断されている。
空に雲はなく、空気は嘘みたいに澄み渡っている。気温は暑くも寒くもなく、適温に調整されていた。静かだった。ここは風によってこすれ合う葉音や小鳥の囀りや獣声とも無縁で、そんな静けさを裂くように、電動モーターが発する甲高い駆動音が鳴った。
ハンドル制御式の一輪車が、深い並木道を走破する。
大型の車輪から差し伸ばされたハンドルを操作するのは、すらりと背の高い女だ。その背後では彼女よりはるかな小柄な人物がすがりつくように腰に手を回している。
「先生、危ないので、もっと強く抱きついてください。もっとぐっと、密着するように」助手が指示すると、
「えっ、あっ、はい。ふへっ、ふへへ……」
ぎくしゃくと、ぎこちない手つきで探偵は腕の力を強め、皮膚の下に伝わる彼女の体温を執拗に感じ取っている。
生い茂る草木が絡むように彼女たちを包囲している。濃密な緑色の真下では、相応に空気も澄んでいるように感じられたが……錯覚だろう。探偵はそう推量する。足元に広がる草原も、陽光を遮断する周囲も樹木も、すべて人造のイミテーションなのだ。視覚をごまかせても、膚を通して伝わる感覚はなんとなく味気ない。そう思うのは、ここでの生活がかれこれ二ヶ月以上続いているからだろうか?
並木道を走り抜けると、拓けた空間が視界いっぱいに飛び込んでくる。進行方向に対して大地は淡い曲線を描きながらわずかに落ち窪み、再び彼女たちの遥か彼方で隆起している。それは彼方で、切り立った壁面のように険しくそびえている。足元から地繋ぎの地面はゆるやかに弧を描きながら彼方で二キロメートル先の頭上の領域へと差し伸ばされ、そのままぐるりと再び彼女の足下へと戻ってくる。
彼方から溢れた光が、染み出た陰を淡く引き延ばしている。光源は頭上にない。彼女たちの進行方向の遥か彼方にある広大な床面には一定間隔で広大な面積の窓面が埋め込まれ、外壁に併設された複数枚の集光ミラーによって陽光を呼び込み、光源としていた。
彼方には完全に酔狂で建てられたと思しき時計塔やピラミッドなどの高層建築が無節操に立ち並んでいた。そのすべてが、利便性とはかけ離れた酔狂の産物。これを建造した人物の権力と傲慢のほどを如実に物語っている。
更にその奥には、左右それぞれ数キロ先には巨大な円形の金属壁が唐突に世界を塞いでるのが認められて――露豪館。半径一キロ、直径六キロメートルのいわゆるオニール型のスペースコロニー。目下、彼女たちの世界はこの広大な円柱状の中に納まっているのだった。
「あっ、みあれちゃん、停まってください」
指示するよりも先に、助手である頓宮みあれは一輪車の速度を落としていた。進行方向の先に、猫背の青年がとぼとぼと歩いている。
「見崎さぁん!」
洒紗は青年に向かってぱたぱたと手を振る。彼女の接近に気づいた青年は背を曲げたまま、億劫そうに片腕を上げて返礼した。
徐行していた一輪車から洒紗はぴょいと飛び降り、青年と並んで歩き出す。
「見崎さんが出歩くなんて、珍しいですね。お散歩でしょうか?」
「〈E9ブロック〉のほうでまた小競り合いだ。区画の整備に協力的な人間と乗り気でない連中との配給が一律定量であることにあまり納得がいかないそうだ。……それで、以前から導入が検討されている報酬制度の件と兼ね合わせて、そのあたりの調整のために向こうの区画の責任者と調整してくる」
「あー、それは……ご苦労さまです」
「体のいい、『使いっ走り』さ」自嘲気味に口角を持ち上げる。本来、見崎は賓客として招聘された技師だったが、今となっては露豪館内の現環境を維持するための、即席の〈調整官〉のひとりとして立ち回ってた。「そもそも、俺みたいなおたく気質なやつはここじゃごく少数だからな。だから白羽の矢が立っただけだ。貧乏くじを引かされているんだよ」
「いや、じゅうぶんに立派だと思いますけど? ねぇ?」
「ええ。見崎さんたちのお陰で、私たちも健やかに過ごせていますので」
「……ふん」鼻を鳴らして、青年は後頭部をばりばり掻きむしった。
技師たちの奮闘もあって、事件発生後から数日後には外部との通信を確立できた。しかし洒紗たちが懸念したよう、公転軌道の都合上、数日の遅れが膨大なロスを生み出し……結果として救援が駆けつけるまで半年、ないしはそれ以上の時間がかかるということだった。
つまり当面の間、露豪館は外部から隔絶された〈閉鎖環境〉と化すことになり、まっさきに必要とされたのは、生活基盤の構築だった。緊急時を見越してか、ある程度の備蓄は用意されていた。水資源と酸素は露豪館備え付けの循環システムによって工面されているため、即座に命の危機に直面するようなことは考えられなかったが、それでも程度というものはある。なにせ、賓客の大半は苦労知らずの富裕層ばかりなのだ。当初は基本の「節約」という概念を根付かせることが至上目標となり……必然的に、合意を共有する〈共同体〉の設立が叫ばれた。
館内には住み込みのスタッフが百名ほど常駐していたが、無論、彼らに長期間にわたって二千人を管理するノウハウはなく、外部からの早急な救援が望めない以上、露豪館に招かれた来賓自体による「自助努力」がすべての基調となった。まず着手されたのは、「名簿」の作成だった。露豪館に招かれた賓客の名簿はそれ自体がひどかどの財産と化す。予想されていたがファイルは通信機以上に強固に暗号化されており、アクセスすることは不可能だった。よって、自己申告による手作業が黙々と進められた。
露豪館内を複数の区画で分け、どの宿泊施設に誰が住み着いているのかを明瞭化し、勃発するトラブルの種を洗うため、人種や性別、性自認は元より、注意が必要な個々人の体質や病理、信仰宗教体系、お気に入りのプロスポーツチームまでリストアップする必要があった。果てしなく地味な作業だったが……しかしこれに関しては見崎を始めとする技師グループがわずか数時間で組み上げたソーシャル・アプリケーション〈スタッター〉によって劇的に改善された。その名の通り、それは統計に特化したツールだった。露豪館内の環境を常に監視し、強度の足りない部位に優先的にリソースを分配することに大いに貢献していた。利用者に解放されている各スレッド群には露豪館を取り巻く様々な報告が常時飛び交い、有事の際にはあらかじめ名簿上に名寄せされた的確な個人が対処にあたるようマッチングさせることも可能だった。
個々人の善意に依ったツールである。疑問視する者も少なくはなかったが、しかし事件発生からはじめの一週間足らずで疫病が――衛生管理の不徹底から、病原性大腸菌が広まった一件が決定的に契機となった。
閉鎖空間における疫病の蔓延は、ともすれば致命的な災禍に繋がりかねない。医療従事者は全体の比率から考えるとかなり少なく、専門分野の偏りがあった。館内の医師は美容整形医師と薬剤師と歯科医で、大病院の最前線で活躍するタイプの医師はひとりもいなかったが、それでも皆一丸となって、疫病の抑え込みに奔走した。幸い、疫病自体の脅威度は低く、ストックされていた医療資源でじゅうぶんに対処できるものだった。
〈スタッター〉による縦断的な管理とリストアップは十全に機能して、脅威を乗り越えたという共体験が人々に強い同朋意識を埋め込んだのだ。
――共に生き抜く。この場所で。以来二ヶ月間、人々はそのように露豪館の日々を営んでいる。
見崎に別れを告げて、探偵は再び助手の背後に取りついた。一輪車が走り出す
「それじゃあ私たちは、私たちの仕事に戻りましょう」洒紗は手首に巻き付けたフィルム端末状で〈スタッター〉を呼び出して「みあれちゃん、〈C4ブロック〉までお願いします。今日は、あの辺りの人たちにお話を聞きましょうか」
独自に管理している【聞き込みリスト:最終版Ver4のコピー(2).xlsx】を睨みながら、助手に指示を出す。
「よしなに」ふたつ返事で頷いて、彼女の助手は指示された地点へなめらかに直行する。
二者は風のない平地を走り続けて、切り拓いた平地を耕し続けている者たちがいた。彼らは人工芝の上に敷いたシートの上でこんもりと撒いた土で畝をつくり、土壌に無数の検査キットを突き立てて検分し、あるいは成形した簡易的な農具で素朴にそれらを耕していた。外敵は存在していなかった。にもかかわらず、周囲にはご丁寧に柵が立てられている。ある意味で、それは「農耕」という行為に対する誇張されたカリカチュアだった。
洒紗が指示する前に、みあれは一輪車を耕地へと差し向けて「精が出ますね。どうです? 首尾のほうは?」
「ああ、丁度ええところに来なすった」
洒紗たちを認めるなり、恰幅の良い壮年男性――宝田万福が首周りに浮かんだ汗をタオルで拭った。
「今日はビッグなニュースがあって……なんと! ようやっと、窒素固定細菌が定着したんや!」
「わぁ! やりましたね!」「絶妙、ですね」
洒紗たちも諸手を叩いて喜んで――宝田たちのグループは露豪館内で農耕を始めようと奮闘し続けていた一派だ。当然、土も木々も、取り巻くすべてがイミテーションである露豪館内では作物が育たない。そう思われたが……しかし彼らは根気強く遺伝子デザインされた人造細菌を土壌になじませ続け、そして化学肥料化に成功したのだという。
「コロニーに常設されとる遺伝子アーカイヴ内の家畜パッケージから再生できれば酪農も無理やないんやろうけど、せやけど人工子宮の都合がつかんからなぁ。……しっかしこの歳になって今さら土いじりなんて、それこそ始めたころは『死んでもごめんや』なんて思っとったけど……存外に楽しいもんやな。なによりも、達成感がある」
語らいながら、宝田は土まみれのランニングシャツに押し込んだ、でっぷりと突き出た腹部を撫で回す。
外での宝田は龍玄氏ほどではないものの、それでも一門の財産を持つ権力者だったという。それこそ事件発生直後は大いに取り乱し、誰彼構わず罵倒して回っていたタイプだったのだが……それが今となっては率先してインフラ構築に貢献しているのだから、不思議なものだと思う。
「どら、ちょうどええ。一服いれよか」
露骨に会話を断ち切るように、宝田は田畑を耕す同僚たちに手を振って持ち場を離れた。洒紗たちもあとに続く。
宝田たちの〈農場〉からそう遠くない場所に、その区画は存在していた。生前の龍玄氏が建てた、アメリカ西部のモーテルを模したと思しき古民家ふうの家屋とそのテラスに、まだらに人が集まっている。露豪館内に悪天候が訪れることはない。よって、各人が用意されている宿泊施設から好き勝手に調度類を持ちより、館内のそこかしこに思い思いの休憩場やサロンを設けていた。
洒紗は周囲に目を向ける。雑多な会議や成果主義的な論文から解放された学者グループが、これ幸いとばかりに持ち込んだホワイトボードに数式を書きなぐり、討論し続けている。他愛のない演劇や楽器演奏などを楽しむ人々やテーブルゲーム、編み物、スポーツに興じる者もいた。朝から晩まで、取りつかれたようにマインスイーパーに打ち込む者たちはもはや廃人寸前だ。
「あら、探偵さん。お久しぶりね」
鈴が転がるような声がした。大陸ふうの、目が覚めるような緑玉色のドレスを瀟洒に着こなす絶世の美女が、テラス席の一角を独占してくつろいでいた。丸テーブルの上にはネイルケア用品や空のティーカップ、読みさしの文庫本、書きかけの便箋で折ったユニコーンなどが堆積し、彼女のための自堕落な帝国を成形していた。
「あっ、るっ、瑠璃宮、さん。どうも、です。その……今日もお綺麗、ですね……」
探偵はぎくしゃくと視線を逸らして、背後では彼女の助手が静かに圧力を放っている。そのようすに、瑠璃宮はくすりと笑みを含んで「そこに一生突っ立ってるつもり? 席ならいくらでも余っているのだし、座ったら?」
「ほなら、遠慮なく」
間断なくどかりと腰を下ろした宝田に、一瞬だけ瑠璃宮はかたちの良い眉を持ち上げるも、すぐに元の涼やかさを取り戻して「失礼、スペちゃんにご飯をあげなくちゃ」彼を無視するように、手元の端末を操作し始めた。
「スペちゃん……?」
訝しむ洒紗に、瑠璃宮は端末の液晶表示を見せつけて、画面の中で愛くるしく蠢くのは――丸まると肥え太ったハムスターだった。
「わっ、かわいい」と洒紗は小さく声をあげるも「……ネズミじゃないですか」みあれはきゅっと眉間に皺を寄せて、
「えっ? かわいくないですか?」
「言い方が悪いかもですが、ゴキブリとか好きで飼っている人がいるじゃないですか。私に言わせてもらえば、そういうのと大差ないです。美観が壊れているのでしょうか?」
「そういうことは、あまり本人の前で言わないほうが良くない?」
呆れながら瑠璃宮は端末を操作する。画面の中では、彼女の〈スペちゃん〉が夢中になって機械式の自動給餌機に貪りついている。「ハムスター」と銘打たれているものの、その姿は厚い体毛に覆われた真球に近い姿で――宇宙ハムスターは、ちょっとしたビルサイズの質量を持つ宇宙怪獣である。高重力惑星生まれの彼らは温厚で人懐っこい性格だが、飼おうと思えばそれこそ国家主席クラスの財力と権力が必要とされる代物で……龍玄氏の財力には及ばないものの、それでも彼女、瑠璃宮魅舞はビッグバジェットの伝統的美少年ヒーローを何度も演じたことのある宇宙的アイドル声優だった。まさに、露豪館の賓客に相応しい……。
「遠隔操作が出来る環境を構築していたからなんとかなったけど、そうじゃなかったらスペちゃんも飢え死にしてたかも。備蓄はまだあるけど、どれだけ持つか心配だな」
「みんな汗水たらして働いとるのに、瑠璃宮はんは相変わらずやなぁ」
咎めるようにして、宝田は鼻を鳴らすも、
「かもね。……でも、あっちの人たちよりかは、なんぼかマシだと思うけど?」
瑠璃宮はターコイズ色で彩られた爪先で上方を差し、洒紗も視線を合わせる。
刳り貫かれた先にある窓面の向こうには、露豪館をそのままスケールダウンしたコロニーが憑かず離れずの距離にある露豪館〈別館〉――龍玄氏の美術館として用立てられたマイクロコロニーが、ゆったりとした速度で旋回している。
別館にはあの日以来、巌戸から連れられて出奔した数百人の人々がいまだに籠城したままだった。あちらにも相応の備蓄はあるだろうが、しかし当初はまだかすかに交わされていた通信すら今となっては完全に遮断されており、その実態は不明瞭だった。
「あっち側は、どうなっているのでしょうね?」「中でバグって、殺し合いとかしてないと良いのですが」
「ああ、それは大丈夫みたい」瑠璃宮は即答して、
「えっ、なんでわかるんですか?」
「こないだ、あの見崎っていうオタクっぽい人から聞いたんだけど……なんでも、あっちでも〈スタッター〉が動いてるんだって。見殺しじゃ夢見が悪いからね。完全に交流が途絶える前にあらかじめツール自体は共有してたみたい。もっとも、あっちで手を加えたみたいで、秘匿化されちゃってて中の動きまでは確認できてないっぽいけど。まぁ、マジでヤバくなったら、向こうから泣きついてくるんじゃないの? あの巌戸って人、マッチョぶってたけどいかにも根性なさそうだったし」
宝田は「ふん」と鼻を鳴らして「まったく、最近の若い連中はどいつもこいつも好き勝手しくさって……ほんまに、わしらZ世代の爪の垢を飲ませたいもんやで……。……まぁ、ええ。ひと昔前ならわしもカッカしとったけど、どうでもええ。好きにしたらええ」
首周りに引っかけていたタオルで顔をぬぐい、携帯していた水筒からアイソトニック飲料を摂取し始める。
「それこそ以前の、『外』にいた頃のわしは誰かと競い合うことばかり考えとって、誰ぞを蹴落として、成功することに血眼やったけど……正味、今となってはさして気にならん。……なんでか、わかるかいな? ここではみんな、まともに生きてくだけで手一杯や。当たり前やと思っとったことがどんだけ尊かったんか、骨身に染みてわからされとる」
「毎日、頑張られてますものねぇ」洒紗がねぎらうと、宝田は頷きながら破顔して、
「せや、今のわしは、この上なく全身全霊で生きとる! わしは確信しとる! みんなで頑張っていけば、きっとここは、これからもっとええ場所になる! 絶対にや!」
「殊勝な心掛けだこと。でも、私はまっぴらごめんだな。こんな宇宙の果てに、『愛着』なんて持ちたくないもの」瑠璃宮は宝田の熱意をすげなく躱したが、
「……ぎょうさん余裕ぶっとるけど、知っとるで? あんさんも、龍玄から『袖にされたクチ』やろ? な?」
怜悧だった瑠璃宮の相貌が、わずかに強張る。
「読んで字のごとく、〈露豪館〉は今は隠れとる将来の英雄豪傑たちを輩出して世に露すことを至上の目的とした、いわば龍玄はんの一大コンペ会場や。毎回大勢が集められとるが、中でもごくごく一部、龍玄はんのお眼鏡に叶った者だけが寵愛を受け、パトロンになってくれるっちゅうのは常識やけど……今となっては、なんもかんも『ご破算』や」
「生きてた頃は、私たちみたいな木っ端がすり寄って、顔色を窺いながら右往左往するのを楽しんでいたのだろうけど」ぽつりと、瑠璃宮は噛むように言葉を落として、
「せや。どんだけカネと権力を持っとっても、死んだらハイ、それまでや。ほんに、諸行無常やで」
ぼやきながら、宝田は水筒を机にばちんと固着させる。重力制御がまだ甘かった宇宙開発黎明期のなごりなのだろう。コロニー内の備品や調度類にはあらかじめ磁石が仕込まれており、容易に固定できるようになっていた。
故人を想っているのだろうか。神妙に押し黙るふたりの前で、探偵は助手に目配せして――前置きが長くなってしまったが、そろそろ「仕事」の時間だ。
助手がハンドバックから革製の手帳と使い方が今ひとつよくわからない万年筆を取り出す。
「故人に報いるためにも、おふたりにはお話を聞かせて欲しいのです。そうですね。まずは事件当日の、アリバイから――」筆記用具を受け取った探偵は、身を乗り出して聞き込みを開始するも、
「……それ、ほんまに必要なんか?」
「えっ」
ここまで好々爺然とした態度を崩さなかった宝田の表情が、硬質なそれへと置換される。
「今さら犯人なんかみつけたところで、ほんで、どないするんや? ここには裁判官どころかお巡りさんもおらへんで? わしらでふんじばって、座敷牢にでも閉じ込めるんか? そら私刑やで? なぁ?」
「えっ、いや……えっ?」
想像だにしなかった反論に探偵は泡を食い、助けを求めるように瑠璃宮へ視線をやった。しかし彼女はそ知らぬ顔で手元の折り紙を爪先で弾くだけで――強烈な違和があった。露豪館は、現在進行形で凄惨な殺人事件の現場なのだ。だのに人々の内面から、当初あったはずの危機感が抜け落ちてゆくのを感じた。気がつけば、凄惨な事件は日々の雑多さの中に容易に埋没している。現に回収された遺体は未だに解剖されることなく、冷凍室で無造作に凍りついている。相当数の証拠が現場から霧消してしまっただろうが、誰も気に留めていなかった。単純なリソースの問題もあるが……もはや事件のことは、人々の間で完全な「過去」と化しているようだった。
かてて加えて、先の疫病騒ぎ以降、互いに助け合い、窮地を脱したという経験自体が、人々たちの間に一種の「信頼関係」すら構築しているようだった。それこそ、犯人すら庇いたてるような……。
ふいに不安になって、探偵はあたりを見渡す。周囲から遠巻きな視線を、圧力を感じた。錯覚だろうか?「これ以上、余計なことをするな」と、まるで一挙手一投足を咎められるようで――突として、端末がぶるりと振動した。呼応するに、異常を告げるビープ音が周囲からも鳴り響く。
「わっ、ひゃあ」と探偵は背筋を跳ね上げて「えっ、なんですか……何……?」
「どうやら、コロニーの壁面機構が稼働しているみたいですね」
慌てふためく探偵とは対照的に、助手は冷静に〈スタッター〉のスレッド群を高速で流れてゆく通報群を確認して、おっとり刀で探偵も追従する。
『酸素が抜けている』『コロニーが故障した』『自暴自棄に陥った誰かが、露豪館を壊して集団自殺しようとしている』等の通報が相次いでいて……真偽はわからなかったが、なんにせよ、異常事態には違いなかった。
「行きましょうか」椅子から立ち上がり、椅子に掛けていたサイズの合わないコートを羽織った。助手はすでに一輪車を起動している。その後部に、探偵はぴょいと飛び乗る。
「待ったったれや! 自分たちが行っても、どないもならんやろ!」
宝田の言うことはもっともだったが――「どうにもならないかどうかを、実際に自分の目で確かめに行きます!」
挨拶もそこそこに、二者を乗せた車輪が甲高い駆動音を撒いて加速する。
みあれの背中に縋りつきながら、洒紗は〈スタッター〉を注視し続けて、加速度的に拡散され続ける情報の段瀑はすでに軽度のパニックを引き起こし始めていた。悲鳴のように折り重なるアラートが、鳴りやまない。
「先の疫病のときでも、ここまで差し迫った警告はありませんでしたからね……嫌な予感がします」
「精々、この騒ぎが『徒労』に終わることを祈りましょう。あいにく、私は運転で両の手が塞がっておりますので……先生、代わりにお願いできますか?」
「誰にですか? わたしたちをこんなはちゃめちゃな場所に置き去りにした、けちでちんけな神さまに?」
疾駆して、現地に急行する。
現場には、すでにそれなりの頭数が集まっていた。無数の通報通り、コロニー内環境を無惨に断ち切るような鈍重な金属壁はごうんごうんと大仰な騒音を吐き、足元が震えている。集まった人々は成す術もなく、ただ不安げに顔を突き合わせ、取るに足らない推論を交わすだけだったが……その無力な観衆の中に、洒紗は見知った人物の姿を見つけた。
「見崎さん!」洒紗は彼の人の元に駆け寄って「いったい、なにが……?」
「待ってくれ、今、それを調べている――」
見崎を含む技師たちはラップトップ端末のキーを叩きながら状況をたぐり、検分し続けて、その指先が原因に到達する。
「壁面向こうのドッキングベイに、外部からのシャトルが係留しようとしている……!」
ざわりと、どよめきが沸き立つ。
「てことは、助けが来たのか?」「いや、この識別子は……露豪館の、ここの備品だ……!」「て、ことは……」
技師たちは同時にある推論に辿り着く。あらかじめ、露豪館内に配備されているシャトルがあった。露豪館と別館とを結ぶ、連絡船が……。彼我間に光ピンセットを用いた牽引ビームで結んだガイドラインが引かれている。そのため、専用のシャトルさえあれば行き来することは容易だった。もっとも、今となっては、その経路は一方的に閉ざされていたのだが……。
畢竟、壁面の向こう側で作動しているのは、シャトルを迎え入れるための接合用プラットフォームということになり「とどのつまり、別館に籠城していた連中が戻ってきた、ってコトか……?」
なんだ。と、場の空気が弛緩する。おそらく、コロニーの監視機構に検知されたシャトルの機影と各所から寄せられた通報群が憶測と当て推量を混合しながらいたずらに交差し、一時的に〈スタッター〉を混乱させたのだろう。種が割れれば、なんともお粗末な顛末で、徒労や安堵、あるいはぬか喜びなど、様々な所感がない交ぜになった脱力に一同は浸る。
壁面機構が静止した。着艦が終わったらしい。
「やれやれ、ようやっと『根負け』してくれたのでしょうか?」「まってくもって、へたれですね」「とても大変だった時期に、まるごと不在だったわけですし、さすがに皮肉のひとつやふたつは言ってやりたいところですが……みあれちゃん、なにか良いアイディアはありますか?」「首に花輪でも掛けてあげるのはいかがでしょうか?」
程なくして、扉の向こうからは別館に籠城していた人々がぞろぞろと姿を現すはずだろう。探偵と助手は軽口を叩き合いながら、へらへらとことの成り行きを見守っていたが――「いっ!?」
絶句する。シャトルからぞろぞろと姿を現したのは、その輪郭を曖昧に覆い隠した、覆面の人々だった。
3
「――探偵を殺せ!」「我らの平穏を踏み躙る、探偵を殺せ!」「今すぐ見つけ出して、殺せ!」「殺せ!」「探偵を殺せ!」
今となってはすっかりお馴染みになったシュプレヒコールが、不当に澄んだ空気にこだまする。単一の意思のもとに集った人々が、今日も全身を装束で覆い隠し、隠蔽された無表情で地獄の門をくぐり抜けてゆく。
ここは露豪館。孤立した、宇宙の果て。
「ファンサービスしてきたら? ちょっと顔を出すだけで、みんな泣いて喜ぶと思うけど?」
往来から轟く物騒な声の連なりを聴き流しながら、茶化すように瑠璃宮は言って、
「ちょっと出すだけで、丸ごと顔がなくなっちゃうと思うんですけど…? というか、みんなわたしのことを買い被り過ぎてないですか? ただの探偵なのに……うんざりですよ、もう」
陰鬱な空気とは裏腹に、数日前から洒紗と瑠璃宮は十八世紀のフランス貴族の王宮を模したと思しき豪奢なパビリオンに移り住み、潜伏していた。天井からは煌めくシャンデリアがぶら下がり、足元には精巧な刺繍が施されたペルシャ絨毯が広がっている。そこかしこが金色に縁どられた壁面やラグジュアリーな調度類は今の彼女たちの状況に対してあまりに不釣り合いだったが、すくなくとも、必要以上に惨めさ感じなくて済むのは幸いだった。
「まるで、人生の勝者みたいな気分ね」ものの数日でパーソナルスペースをごみの山へと置換した瑠璃宮は、勝ち誇りながらどこからかくすねてきた発泡ワインの杯を煽って、
「こちとら、現在進行形で絶賛『お尋ね者』ですけどね」彫刻フレームのソファにぐにゃりと全体重を預けたまま、探偵は腹周りに引っかけていたコートを雑に摘まんでみせて「見てくださいよ?『いいトコ』にお呼ばれするってことで、せっかく奮発してコートを新調したのに……。これじゃカビちゃいますよ」
逃亡生活が始まって以来、毛布代わりに酷使され続けているそれは見る影もなく草臥れている。
「おろしたての服を着て出歩きたいのはわかるけどさ、死にたくなきゃ、しばらく我慢したほうが良いかもね」
返事をする代わりに、洒紗は重たく息を吐いて――露豪館は一変した。
「――これより我々は、〈秘匿主義者〉を標榜し、その意思を実践する」
あの日、扉の向こうから現れた覆面の人々はそのような胡乱極まりない主義主張を掲げ、三次元プリンタで生成したと思しき簡易的な銃火器とその異様な出で立ちが放つ剣呑さを十全に駆使して、露豪館の人々をたやすく制圧した。彼らが別館に籠っていた二ヶ月あまり、どうやら着々と準備は進められていたらしい。
〈秘匿主義者〉たちの台頭と同時に、〈スタッター〉上には無数の声明が矢継ぎ早に吹き上がり、それは主だって、以下のようなものだった。
『あの暗く狭い〈別館〉の中で、我々は絶えず互いを疑い合いながら過ごしてきた』
『見ず知らずとの他者との共同生活は困難で――この中の誰かが、恐ろしい殺人者なのかも知れない……そう怯えながら過ごす日々はひどく苦しく、我々は絶えず息が詰まるような重圧に晒され続けてきた』
『そのような抑圧の渦中で、我々は真理に至ったのだ。誰かを疑うのは、秘密を探ろうとするのは、この上なく不敬なことではないか――と』
『個人が有する秘密は、秘め事は、十分に尊重されるべきであり、それらはいたずらに暴かれるべきではない』
『そのような前提を共有したとき、はじめて我々は真に平等で、思いやりに満ちた社会を築けるのではないだろうか?』
『人間の本性が猫すら殺す探求心だというが、我々はそれを無条件に受け入れはしない』
『諸君、今こそ〈大覚醒〉のときだ』
『我々は自分たちの内側に光を見出した。これは寄与されたものではない、純然たる本物の思想だ』
『諸君たちが向かう道はふたつ。すべてに目を塞ぎ、かつての暮らしぶりを思い返しながら、みじめったらしく余生を過ごす敗者の道か……あるいは大昔の映画よろしく、赤いクスリを飲んで真実に目覚めるか……そのどちらか』
『君たちが正しい選択に至ることを、切に願う。目覚めよ、人類――』
眩めくような文言が踊った。
声明は匿名性のVアバターを介した合成音声によって大々的に流布された。それらはまるで正気でない、常識を逸した歪んだ思想だったが……洒紗にも計算外だったのは、露豪館内の相当数の人々が〈秘匿主義者〉たちに同調したことだった。
文明人として築き上げてきた叡智を無残に剥ぎ取られ、等身大の無力さを味わうことになった彼の人らの失意のほどは、いかほどのものだっただろうか?
誰も彼もが、平生ではおよそ直面することのない大量殺人や相次ぐ動乱を目の当たりにし、人間本来の脆弱さをいやというほど思い知ることになったのだ。それらは大いに、彼らの自尊心を大いに傷つけたことだろう。
見崎のようにインフラ整備に奔走したり、宝田のように上手く環境に順応する者もいたが、皆が皆、露豪館内の生活に上手く適応できたわけではなかった。
摩耗し、すり減って生じた心の隙間には、えてして都合のいい「物語」が入り込みやすいもので……そして彼らは、「それ」を見つけてしまったのだ。歪な信仰体系と原動力を。そこから連なる、空前絶後の生態系を……。
露豪館内の環境は〈秘匿主義者〉たちに驚くほどあっさりと占拠された。無論、抵抗する者もいたが……しかし土台となる主義主張はともかく、守るべき生活基盤すらあやふやなのだ。矢面に立った強硬派の反抗勢力は極少数で、そうでなくても賓客の大半は荒事に慣れていない富裕層だ。大多数は言われるままに従い、反乱分子と見做された者は拘束され「教化対象」となった。
重ねて、探偵である洒紗は「不当に秘密を暴く者」として、いつの間にか彼らの主義主張を脅かす不倶戴天の不穏分子として槍玉にあげられることになった。
探偵として鳴らした長年の嗅覚から、辛くも拘束されることだけは逃れたが……以来、洒紗と「なんかキモい」という理由から彼らに反発する瑠璃宮は成す術もなく、露豪館内に点在する賓客用の宿泊施設や寝泊まり出来るだけの機能やスペースを有するモニュメントなどを転々としながら、逃げ回っていた。根気よく家探しすれば程なくして御用となるだろうが、「他者に干渉しない」という秘匿主義者たちの教義自体によって摘発を逃れていることは皮肉だった。
「いっそのこと、やつらの仲間になっちゃったほうが楽かもね」往来に響く声が十分に遠ざかるのを待ってから、瑠璃宮はこの日二本目になるワインの蓋を開いて、
「わたしを生け贄に捧げて、それからあの人たちから蝶や花やと褒めちぎられますか?」
「それもいいけど……ああ、やっぱりごめんだな。私、はやく地球に帰って、お腹いっぱいラーメンを食べたいの。八王子のお店の、ニンニクをいっぱい乗せた、背油ギトギトのやつ」
「おや、ラーメンに命を救われましたね」
茶化し合うふたりの背後で、がちゃりと扉が開いた。
何食わぬ顔で入室してきた人物は全身を装束と覆面で覆い隠し、その額には〈X-444〉と表記されている。無貌の侵入者に対して、洒紗は微塵も動じることなく――「おかえりなさい。首尾はどうでした?」
闖入者が覆面を脱ぎ捨てる。中からまろび出たのはみあれの、探偵助手の素顔だった。問い掛けに、みあれは乱れた前髪を整えながら首を振って「どうにもこうにも。今のところ、食料や必要資源を独占しているようすはありません。というか、構築し始めていたインフラクチャーをそのまま換骨しているかたちですね」
「ということは、相応にめちゃめちゃな体制を敷いて猛反発を喰らう展開はなさそうですね。うぅん、弱ったなぁ」
もちろん、露豪館の人々が無事であることに勝ることはなかった。しかし目立った不平不満がないからこそ、このままなりゆきで彼らの存在が根付く懸念もあった。彼らの標榜する〈主義〉が……。
「それと、頼まれていたものを工面してきました」
みあれは肩から下げていた袋から、丁寧に折り畳まれた衣類を取り出して、
「おっ、上出来です」
洒紗は手渡されたそれを広げてみせる。〈秘匿主義者〉たちの愛用する、その正体を隠蔽する装束と覆面を。ご丁寧に装束のデータはオープンソース化されている。露豪館内に設置されている共用の三次元プリンタさえあれば複製することは容易だった。
「一応、瑠璃宮さんのぶんもあります。どうぞ」
「えっ、私はべつに、頼んでないけど……」
「せっかく準備をしたのだから、先っぽだけでも着てみませんか? 絶対に、怖くないと思いますので。本当です」
「なんでそんなに必死なの?」
不毛な押し問答を繰り広げる瑠璃宮たちを尻目に、洒紗は覆面に割り振られたシリアルコードを確認して「うわ、〈X-666番〉だ。もうそこまでナンバーが割り振られているんですね」
Xから始まるそれは〈秘匿主義者〉たちが自らに割り振った識別子だ。彼らは姓名を、かつての自己同一性を捨て去り、匿名性に埋没することを好んだ。
「いくつか欠番があるみたいですけど、それでもすでに五百枚近くはプリントされているものかと」
「順調に膾炙してるってことか……。まずいなぁ……」
みあれが用立てたそれは、今後の露豪館内での逃亡を容易にするために導入されたものだったが「……よし、決めました。露豪館を元の感じに戻してもらえるように、直接〈秘匿主義者〉の皆さんと話し合いましょう。直談判です」
「えっ」と驚く瑠璃宮を尻目に「着たり脱いだり、忙しないですね」そそくさと、みあれは脱いだばかりの覆面を被り直す。
「ちょっと、正気? あの人たち、たぶんガチだよ? ガチでキマってる感じ。それこそ、わざわざ殺されに行くようなものじゃない?」
「でも、ただ待っていても、この先状況が好転することはないと思いますよ? 時間を置けば置くほど、あの人たちのファニーな『教義』が広まることがわかったわけですし、露豪館の皆さんが、このまま妙ちくりんな方向にトガっていくのをただ黙って見ているのは、あまりに心苦しいです」
「好きにやらせておけば良いじゃない? あとどれだけ掛かるかわからないけど、いつかは助けが来るわけだし……」
「みんながみんな、ほんとうに好きでやってるなら良いんですけどね。でも、目には見えにくい、隠れたものを探しに行くのが探偵なので……えっ、みあれちゃん、これ、本当にSサイズですか? アレですか? 海外向けのやつ、みたいなやつじゃないです? ああ、ほんとうに……世の中の服は、どれもこれもあまりにクソデカじゃないですか? バグか?」
四苦八苦しながら装束と格闘し続ける探偵に、瑠璃宮はあきれるように目をやって「あの人、昔からあんなんなの?」助手に問う。
すると助手は口元を手で覆い隠し「そうなんです。私の先生はいつだって、本気で誰かを救う気でいて――ようするに、すこし頭がおかしいのです」くすりと、笑みを落とした。
「――やった! みあれちゃん! ひとりで着れました!」
だぶだぶの布地に包まれた名状し難き合成繊維のかたまりが、元気よく声をあげる。
「まぁ、よくお似合いです。海外のハロウィンで、よくみる感じですね」
「さぁ、行きましょう」
装束で全身を覆い隠した二者はずんずん屋外へ向かってゆく。付き合い切れないと言わんばかりに瑠璃宮は肩を揺するも「――瑠璃宮さん! 行きますよ! 急いでください! はやく!」
いつの間にか、頭数に加えられていたらしい。しばし、一人取り残された瑠璃宮は手元に残された装束に目を落としていたが。けっきょく根負けするように、それを頭から被った。
美麗な建築群が堆積し、密集する露豪館の市街地を装束姿の三者は横並びになって歩いた。瑠璃宮とみあれを両脇に挟んだ洒紗は必然的に「凹」の字を形成することになる。
消灯時間――ミラーによって光量が絞られる時間域までしばらくあったが、往来は静やかだった。覆面ごしに洒紗は周囲を注視する。見知った露豪館内の環境は見当たらなかった。誰も彼もが、自分たちと同じように覆面と装束で全身を覆い隠している。かつてはそこかしこで展開されていた討論や歓談、サロンの芽は完全に摘まれていた。個々人の性質を強調して、浮き彫りにするからだ。
みな、名前を失っていた。
秘匿主義者たちが「個々人の権利が尊重された真に平等な世界」を守るため、つるりとした印刷された銃器を抱え、そこかしこで常に監視の目を光らせている。通りをゆく無貌の人々はすれ違いざまに「ウス」「ザッス」「ッカレッス」と彼らの推奨する高度に圧縮されたチャントを駆使しながら軽く会釈して、それっきりだった。
「聞きしに勝るディストピアっぷりですね」シーツのお化けと化した探偵は、声を潜めながら辺りを見渡して、
「ほんと、完全にカルト教団の本拠地って感じ。抹香臭くて仕方がないな」
「まぁ、誰もが自分の人生に主体的になれるわけではないですからね。そういう人たちにとって、宗教とかその手の教義は、倫理や道義の外部委託先として、ちゃんと、機能していると思うのですが……」
語らう彼女の真隣を、ツナギ姿の人々が清掃機を引き連れて素通りしていく。露豪館の管理スタッフだ。彼らは秘匿主義者たちから咎められることなく、着の身着のままで淡々と作業をこなしている。そのありさまを見つめながら、洒紗は覆面の下できゅっと目を細めた。
「〈秘匿主義者〉たちは、かなりの高頻度で集会を開いています。そこに向かえば、いわゆる幹部陣と対面することが可能でしょう」先導するように、すらりと背の高い装束が矢面に立って「集会場所として特定の神殿は用いていないようです。場所は決まって屋外ばかりで……きっと、権威的なものが嫌いなのでしょうね」
「おや。ちやほやされたいわたしとは逆ですね。……ほんとうに、みぞみぞするなぁ」
三者は無闇に大きなピラミッドや大袈裟なモスクを複製した被造物の真横を横切った。暴力的な財の集積物がそれらは統一的な美観に欠け、整合性のかけらもない。洒紗はそこに生前の龍玄氏が抱えていたと思しきある種の人格的な欠落を感じ取るが――そういえば、誰も故人本人のことを顧みていないな。と、今さらながらに思い至った。
秘匿主義者たちの集会は建築物が乱立する密集地帯を通り抜け、しばらく歩いた先にある荒涼とした平地で執り行われていた。ランドマーク代わりに大きな木があったが、それ以外にはなにもない、拓けた空間に相当数の人々が集まっている。みな全身を覆面と装束で隠蔽し、誰が誰だかわからない。
足元に、赤黒い染みが色濃く残っている。洒紗は気がつく。奇しくもここは惨劇の現場だった。なにかしらの意思表明なのだろうか? 一瞬、洒紗はそう思った。しかしその手の圧力は皆無で……得心する。きっと、誰も覚えていないのだろう。それは無頓着さの証左だった。
『――諸君、これは奇跡なのだ! 私たちに残された、最後の……!』
拡張された声が朗々と空気を通り抜けてゆく。密集する群衆の表面が変色した。説法と同期しているのだろう。装束に仕込まれた電子ペーパーが作動して、群衆の体表面をキャンバスとして波打つ草原を想起させる緑色のパターンが投射される。
『此度の一件は、たしかに最大級の不幸だったかも知れないが……しかし、同時に最大級の幸福でもあったわけだ。穢れた外界の文明から隔離され、真実に目覚める最後の好機を私たちは手にしたのだ』
群衆と相対する人物は大袈裟な身振り手振りを交えながら、覆面に仕込んでいると思しき拡声器で独特の説法を拡散し続けて、装束越しでもわかるほど、その肩幅は広く、たくましい。
「あのがっちりした体型と声の感じは……たぶん、巌戸さんですね」
眇めるように探偵は目を凝らして、説法者の額部には〈X-1〉と表記されていた。
「……やっぱり、頭の番号って若い方が偉いんですか?」洒紗はみあれに耳打ちして、
「そうですね。建前の上では個人というものは存在しないのでみな平等ということになっているみたいですが、『若いナンバー持ちはより平等』というシステムが採択されているようです」
「そういうのを無邪気に信用できる人、契約書とかにまじめに目を通さないタイプなんだろうな」
呆れるように瑠璃宮は蓮っ葉に言って、秘匿主義者たちの最高位と思しき〈X-1〉は声を投げ続ける。
『今この瞬間、私たちは加速する文明社会の最前線に立っている。確かに、このような宇宙の果てに集落を浮かべる程度には人類は進化したかもしれないが……それが、一体何になった? 結局、原初の祖先と同じように殺し合って、互いに猜疑心を凝らしているだけじゃないか? そんな進化に、意味はあっただろうか……? いや、あえて断言しよう。――まるで無為だった、と』
言葉が染み渡るように、群衆の支持体は今度はゆらぐ深海のパターンへと変質する。聴衆を包囲するように、周囲には覆面のバンド集団が配置されていた。彼の人らは演説を引き立たせるための環境音役に徹し、毒々しく加工された楽器類を粛々と演奏していた。四方に積まれたキャビネットからは絶えずパッヘルベルのカノンが大音量で拡散しており、なんだか葬式会場みたいだな。と洒紗は思う。
『無分別に、無邪気にそうした形質をありがたがる旧弊の人々――いわゆる知的隷属者どもが、本来の可能性を駆逐しようとしている。そうだ。人類は……私たちのような、真理に目覚めた本物の人類は、今絶滅の危機に瀕している。構造を把握しろ。これはれっきとした侵略だ。穢れた旧世界から、我々の真なる世界に対する……』
勇ましい論調のわりに、被害妄想じみた世界観ベースなんだな。と洒紗は素朴に思ったが、直後、背後から波濤のように音の塊が押し寄せてくる。覆面ギタリストがエフェクターを踏み込む。ブーストされたファズギターが荒々しい音圧を放ち、追従するように怒涛のアンサンブルが吠え立てるように空気を揺らす。
『君たちは、このまま無力な羊として淘汰されてゆくのか? 無条件に、思考停止したまま外の世界をなぞるだけで一生を浪費するつもりなのか? ……違うだろ? 目覚めた君たちには、力がある。今こそ我々とともに立ち上がり、真実の時代を築こうではないか!』
呼応するように、野太く声があがる。群衆の表面を通して、電子の炎熱が暴れる。音圧と視覚効果、それを包括するような無軌道に力強いメッセージが、時空間を制圧していた。
「これからが真実の時代だ……!」「ありがとうございます……嬉しいです……ありがとうございます……!」「こんな素晴らしい気持ちになるなんて……草や花に生まれてこなくてよかった……!」
人々は装束から伸ばした手を突き上げ、嗚咽し、獣じみた雄叫びをまき散らす。あらかじめ配置されたサクラなのか、あるいは現在進行形で教化されている者なのか、判別は不可能だったが……連なる声のうねりは大気を震わせて、同調圧力――いや、巨大な一体感があった。
彼らの思想に与しない洒紗であっても、その片鱗に触れることができた。曖昧だが、なにか途轍もなく大きなものに抱かれ、その一部に浴することに対する安寧があった。
たしかに、ここでなら幸せになれるかもしれないと、わずかでも洒紗は思ってしまったのだ。
「――ふざけるな……! ふざける、なよ……!」
軽やかな発砲音が鳴って、甘い思考は断ち切られた。水を打ったように空気が冴える。
「人が苦労して作ってきたものを、好き勝手しやがって……」
装束姿の人物が、怒声を発しながら真上に腕を突き出している。怒り慣れていないのか、その語調は縒れ、震えている。その手の中には、簡素な印刷銃があった。銃口からは新鮮な紫煙が立ち昇り、次弾を装填しながら前進する。
「俺たちはなぁ、稚拙でも、あちこち至らなくても、それでもここで暮らすみんなのために、なぁ……!」
匿名の反逆者は全身から怒りを揮発させながら、〈X-1〉目掛けて果敢に邁進し続けたが、次の瞬間、側近たちからあっけなく取り押さえられる。銃を取り上げられた反逆者は数人がかりで地面に抑えつけられ、それでも「放せ! 触るな!」ともだもだ暴れ続けたが、苦もなく覆面を引き剥がされる。露出した素顔は――見崎のものだった。
おそらく洒紗たちと同様に潜伏し続けていたのだろう。同じ集会に参加していたのは偶然だったが、見崎はこの集会場に〈X-1〉が出席することを把握していたのかも知れない。しかしその無謀に過ぎた襲撃は、未遂に終わる。
「おやおや、きみは逃げ回っている〈調整官〉のひとりじゃないか?」端末に表示したリストと照らし合わせながら、〈X-1〉は大袈裟に肩を竦めて「こちらは平和的にことを進めているというのに、困ったら暴力か。まさに人類史の縮図だな。有り体に言って、きみたち〈旧人類〉は鼻持ちならない人間のクズだ。我々をここから追い出したばかりか、どさくさ紛れに自分たちの都合で勝手に露豪館を増設する始末で……意に沿わない者は、完全に『部外者』扱いということだ。……正直、傷ついたよ」わざとらしく、息を漏らす。
「違う……! なにもかもでたらめで……嘘ばかりだ! 第一、俺たちはあんたらを追い出したりはしていない……! 自分たちから、勝手に出て行ったんじゃないか!」
見崎の言う通りだった。いつの間にか、都合よく事実が改竄されている。
「それにそう思うなら……戻ってくればよかったじゃないか! こっちには、いつだってあんたたちを迎え入れる準備が……」
「すでに構築された、お前たち好みに調整されたコミュニティに頭を下げて加われと? ハッ、お前たちの魂胆はわかっている。そうやって同化させて、我々の意思や思想を無化するつもりなんだろ?『外』の連中と同じだ。目覚めた〈真の人類〉たる我々と成り替わり、その血筋を絶やそうとしているのさ」
「なッ……」二の句も告げられないようすで、見崎は絶句する。
「諸君たちが知っての通り、彼ら旧弊の知的隷属者どもは非常に攻撃的で、我々に対する敵意は根深い。このままだと何が起きるのか……? 賢明な諸君ならわかるだろう? そう、やつらは飽き足りない慣習を踏襲して、外部から我々のこの世界を乗っ取り、侵略するだろう。しかし、それを甘受するほど私たちは愚かではない」〈X-1〉は地に伏した見崎に語り続けていたが、次第にその目線を上げ、声を張り、背後に控える群衆たちへとその射程距離を広めていった。「我々はこの楽園を強固なものにするため、『対策』を講じることにする。具体的には露豪館の、コロニーのメインエンジンを点火して、警察ないしは救援の追跡を躱す。そうだ。我々は我々の信奉する真実のために成し遂げるのだ。露豪館の完全独立を――!」
「えっ」これには遠巻きにようすを窺っていた洒紗もさすがに驚いて、
「なに、言ってるんだ……? 露豪館内の備蓄なんて、一年も持たないんだぞ……? それこそ循環機構が故障したら、それまでだ。ここでは水も酸素も綱渡りで、そんな環境で、独立なんて……!」
「心配することはない。私たちなら、きっと上手くやれるさ」
自信満々に、しかし根拠に欠けた言葉を〈X-1〉は群衆へと投げかけて「私たちはあまりに脳に贅肉をつけすぎた。ここで暮らしてきて、わかっただろう? 人間が暮らしを営む上で、ほんとうに必要な知識というものはほんのわずかなんだ。たしかに問題は山積みかも知れないが……しかし我々ならきっと上手くやれる。我々だけが、我々を露豪館から追い出し、ここを独占しようとしたずる賢い連中とは違う、清く正しい人々だけが新天地へと行ける。この露豪館が――我々の新たな秩序の象徴、〈聖地〉と化すのだ!」
「万歳! 新しい時代の到来だ!」「〈X-1〉! 時代が望んだ我らの救世主!」「こんな素晴らしい気持ちになるなんて……草や花に生まれてこなくてよかった……!」
歓喜のうねりが、露豪館を震わせる。解釈の整合性は度外視され、扇動された人々は万雷の拍手と喚声でその乾坤一擲の脱出策を迎え入れた。一連の模様は〈スタッター〉を介して露豪館中に中継されており、この大胆な戦略を新たな進化の過程として受け入れる者が無軌道にスレッドを乱立させた。
「くそっ……! 放せ……! 聖地……だって? ふざけるな、俺たちの必死の頑張りを、そんなお題目に還元されてたまるかよ……! そもそも露豪館自体、あんたたちのものじゃないだろ……!」
果敢にも、見崎は抵抗し続けた。しかし彼の細腕は哀れに空を切るばかりで、
「馬鹿ね。こんなの、ほとぼりが冷めるまで黙りこくって、適当に切り抜けちゃえばいいのに」
虚しい抵抗と弾ける狂気を遠目に眺めながら、冷めた声音で瑠璃宮は嘯く。
「そうですね。わたしもそう思います。……だけど、それで守られるものもあります」
「先生」みあれの呼びかけに「行ってきます」洒紗はゆっくり頷く。そしていつかと同じように、人の群れを割って堂々と前へ出る。
「その人に、見崎さんに乱暴なことをするのはやめてください」
するりと、当たり前のように覆面を脱ぎ払い、探偵は衆目に姿を晒した。
その顕現は、あまりに脈絡がなかった。虚を突かれた人々はしばし、呆けたように硬直していたが「……いたぞぉ! 探偵だぁ!」
たっぷり数拍以上の間隙を挟んで、波濤のように暴威と熱量が伝播する。
「殺せ!」「殺せ!」「探偵を殺せ!」
血気盛んな無貌の人々から取り囲まれた洒紗はあっという間に取り押さえられ、担ぎあげられ、そして平地に聳える大樹に括りつけられることになる。洒紗を縛り付けた人物は、装束ごしでもわかりほど恰幅のいい人物だった。彼女の小さな体躯をロープで樹に巻きつけながら「頼むさかいに、あまり暴れんといてや。なるべく、痛くせんようにするから」と、なだめるように彼の人は呟いて、
「大丈夫ですよ。宝田さん、これくらいへっちゃらです」
「わっ、わしは宝田なんて男やない……! いっ、今のわしは、由緒正しき〈秘匿主義者〉の、〈X-193〉や!」
「顔を隠してもわかりますよ。あなたは、宝田さんですね? 元気そうで、よかったです」
「ほんま、堪忍やで……」覆面の人物は消え去りそうな声で言って、そそくさと早足で背後の群衆に紛れてゆく。その急いて傾いだ後ろ姿を、洒紗はどこか寂しそうに見送って、
「……まさか、自分からノコノコと姿をあらわしてくれるとは夢にも思わなかったよ」
秘匿主義者の最高位――〈X-1〉がゆらりと洒紗と対峙する
「君とは一度じっくりと『異業種交流』をしてみたかったが……わかるだろ? もう収まりがつかないんだ」〈X-1〉は背後の群衆を、そこから揮発する無軌道な殺意を背負って――探偵を殺せ。と、人々は声を枯らして叫ぶ。そこに内包されている意味を、実際のところ彼らは本当に理解しているのだろうか? と、訝しんで、
「あんたには悪いが、私たちの世界はふたりの生け贄によって始まる。最初は龍玄氏、その次が探偵さん、あんただ」
「やめたほうがいいですよ? たぶん、これで終わりじゃないと思いますから」
文字通り手も足も出せなかったが、縛られたままでも舌は回る。探偵は淀みなく続けて「人柱を求める社会はどうせ、次の犠牲者が欲することになるでしょうから……そうです。これは素晴らしいものなんかじゃない。新しい連続殺人事件の、その始まりです」
「……私は、〈X-1〉だ。巌戸ではない」憮然とした口振りで〈X-1〉は抗議するも、
「人間は、数字ではないですよ? 巌戸さん」
「その名前で、私を呼ぶな……!」
「どうしてそんなに嫌がるんですか……? ああ、そうか。あなたたちにとってそれは――無力さの象徴なのですね?」
探偵は、自分の言葉を噛み含めるように納得して、
「『外』の世界だったらさぞかし『怖いもの知らず』だったのでしょうね。そもそもここに呼ばれているのは、上等なスーツを着て、他者を顎で使うことに慣れ親しんでいた人ばかりです。そういういわゆる『エリートしぐさ』が骨の髄まで沁みついたあなた方にとって、徒手空拳での原初的な暮らしぶりはひどくつらかったはずです。なにせお得意の人脈も財力も、ここではなにひとつ役に立ちませんからね。ひょっとしなくても、生まれて初めてだったんじゃないですか? ここまで決定的な敗北感を味わうのは? だから、既存の文化スキームを拒絶するんですね? それが無為であることを証明すれば、傷ついたこともチャラになりますからね。……違いますか?」
「面白い推理だ、探偵さん。あんた探偵なんかやめて、今すぐここで死んだほうがいい」
茶化すような口ぶりとは裏腹に、その声色はぞっとするほど硬質だった。
「やはりあんたは罪深い。他人の心を推量して、勝手に知った気になって……唾棄すべき知的隷属者のふるまいそのものだ」
「――人一倍、臆病なんです」そんなふうに、探偵は前置きして「あなたと同じですよ。わたしも、わからないことばかりで……怖くて怖くて仕方ないんです。だからすこしでも知ってることを増やして、どうにかしようとしているだけで……誰だって、みんなそうなんです。あなたもわたしも、同じ無知で無力な人間なんです」
「全然、違うな」〈X-1〉は洒紗の言葉を脊髄反射で拒絶して「命乞いのつもりかな? あいにく、同情はできないな。そうだ……我々は完璧で完成された新世界をつくる。そしてその世界には、きみのような愚者の居場所は存在しない。ここには清く正しいものだけが残ればいいのさ」
探偵はすっと目を細めて、その目の色は、深い哀しみの色に揺れている。
「そうですか……そう、ですか」彼女はそこにある事実を噛み締めるように囁いて「……でもわたしには、まだまだ知りたいことがあります。こんなちっぽけな箱庭じゃなくて、大勢の人たちが暮らす場所で生きていたい。もっと色んな場所へ言って、色々な美味しいものを食べてみたい。面白い本や映画を浴びるように摂取したい。他人の犬を撫でたい。もっと有名になって、みんなからちやほやされたい。特に、声優とかコスプレイヤーから……だからわたしは、あなたたちの考えに同調することはできません」
――ごめんなさい。小さな声を吐いて捨て、それから彼女はいっぱいの息を吸って、解き放つ。その小さな体にため込んだ、大きな思考を。
「この中にいらっしゃる真犯人の方――あなたに告ぎます」
ざわめきが、覆面の真下で伝播する。その不可解な言動に人々は困惑して、探偵は続ける。「お願いです。ほんの少しだけでいい。あの夜に起きたことを再現してください。今、ここで――」
探偵は虚空に向かって声を張るが――待てど暮らせど、なにも起きなかった。必死の声明は、密閉された空の中にむなしく溶けてゆくばかりで「何事かとちょっぴり焦ったが……ふん、ただの虚仮威しか。まったくもって知的隷属者が好むような小手先だけの汚いやり口だ。気が済んだかな? さて、それじゃあそろそろ――終わりにしようか?」
側近から〈X-1〉はバールのようなものを受け取る。それは人間の命を砕くかたちをして、〈X-1〉は手の中にある無骨な感触と重量をしばし楽しむ。鈍く輝くそれを振り下ろせば、眼前の小娘の脳髄を収めた頭蓋なぞたやすく破砕されてしまうに違いない。人間が人間を殺すこと。そこに付随する、原初的で純粋な快楽に淫している。
「探偵を殺せ!」「探偵を殺せ!」「探偵を殺せ!」「殺せ!」「ぶっ殺せ!」
「悪いな。私としては多少不本意なんだが……ご覧の通り、ここから先はみんなのお望み通りの展開でね? ……頼むから、あまり恨んでくれるなよ?」
「どうせやるなら、ちゃんとあなたの意思で殺してほしいのですが。ねぇ、巌戸さん?」
「知らない名前だな」
朗々と膨張してゆく殺意を浴びながら、眼前の輪郭がふわりと腕を持ち上げる。凝り固まった、匿名の悪意がこの場に凝固している。その手の先には、純化された殺意の先端があって……ああ。もはや、ここまでか。探偵は観念するも――刹那、知覚する。木に括りつけられたまま、大地を通して蠢く、かすかな蠕動を背骨越しに感じ取っている。
――始まる。確信していた。次に起こる現象を。
それはいみじくも、あの夜の惨劇の再来だ。
「伏せてください! なんでもいい。なにかに捕まって、全力で全身を固定してください!」
探偵はこの場にいる、あるいはこの場にいない不可視の不特定多数に呼びかける。一連のやりとりは〈スタッター〉を介して露豪館内中に中継されている。視聴率は限りなく100パーセントに近いはずだ。果たして、呆気に取られつつも大多数の人々は指示に従った。無論、秘匿主義者は警告に耳を貸すことなく、意気揚々と大地を踏みしめて――その分断が、致命的な分水量となった。
「それじゃあ、adieu」
〈X-1〉は手にした凶器を、その鈍重さを無責任な自由落下に解き放とうとしたが――刹那、その体躯がふわりと浮き上がる。秘匿主義者の、全身が……。
「なっ――!?」
その現象は大規模で、一律に平等だった。大地に縋りつき、哀願するように背を丸める人々を尻目に、覆面の人々が、ゆっくりと中空に巻き上げられ、緩慢に高度を増してゆく。
「なんだ、これは……!?」「助けてくれぇ!」「お母さん!」「これ、何? 夢?」「There's no way!」「こんな思いをするなら……草や花に生まれてくればよかった!」
浮かぶ人々は伸ばした手足で虚空を掻き分け、あるいはかき抱いた楽器を支点としてその場でくるくる旋回して――それは奇妙な光景だった。伏した人々が見守る最中、寄る辺なく浮遊する人々は緩慢な速度で上昇し続ける。統率を失ったためだろう。単一だった装束の電子表示は同期を欠き、てんででたらめな電子のモザイク模様を中空に描く。鮮やかに。ある程度の高度を維持した彼らはしばしそのまま静止していたが、あろうことか、彼の人らは地上の人々たちから徐々に遠ざかっていく。始めは鈍足だったが、次第に速度をかさ増しして、滑るように離れてゆく。みるみる小さくなってゆく無貌の人々は虚空に取り残されたまま、じたばたと無軌道な空中浮遊にその身を投じたが、そのまま対面から迫ってくる巨大建造物に――生前の龍玄氏がその財を投じて乱立させた虚栄の象徴に真っ向から激突し、四方八方へ弾き逸らされた。
地に伏した誰もが、その異様な現象を口をあんぐりと開けて見送り続けて――「先生」
ふわふわとした足取りで地面を蹴りながら、いち早く探偵のもとへ駆けつけた助手はするするとその拘束を解いて「大丈夫ですか? ……ああ、そんな、こんなに小さくなってしまって」
「ちんちくりんなのは、元からです」
締め付けられていた部位をさすりながら、探偵は目を落とす。
弾き逸らされた人々たちが広範囲に渡って転がっていた。みな身体を折り曲げ、苦悶のうめき声をあげており――相応に怪我人はいるようだが、幸いにも死者は見当たらない。
〈スタッター〉下での配信機能が生きているらしい。ピラミッドの頂点に落下した〈X-1〉――動乱の渦中で覆面を失ったと思しき巌戸はその尊顔を開示して、でんぐり返しの姿勢で器用に固まり、白目を剥いてぶくぶくと泡を吹いている。
「よかったですね。〈真犯人〉の方はかなり温情のある方みたいです。本気なら、みなさんバラバラになっていたでしょうから」
蹂躙の痕跡を遠目に睨みながら、洒紗は赤く跡の残る手首をみあれにさすらせて、
「なにが、起こったんだ……?」
這う這うの体で地面に貼りつきながら、見崎が訊く。
「一時的に露豪館の――コロニー内の重力が、ゼロになったんです」
不敵な笑みを浮かべ、探偵は答えてみせた。
「事件の夜、犯人は外部から力を加え、物理的にコロニーの回転を止めたのです。そうですね。時間にして数分間。そうなると、どうなるか……? 遠心力によって生じていた露豪館内の疑似重力が消失し、龍玄氏やボディガードがその場で浮かび上がります」
洒紗は指先をまとめ、いわゆる「キツネ」のかたちをつくり、それを目の高さまで持ち上げて、
「再起動させれば、コロニーは徐々に元の速度を取り戻し始めます。お馴染みの、いわゆる〈オニール・シリンダー〉型のコロニーは直径6.5kmで、施設内の人工重力環境はだいたい1G程度。その場合だとコロニー側面のだいたい時速600km……だいたいマッハ0.5くらい出るみたい。すごいですね。で、だいたい同じ形状をしている露豪館は直径1km、中の重力だって半分近い0.6Gだから、相応に回転も小ぶりになって……面倒くさいから、コロニーの厚みとかコリオリ力とか、諸々は考慮しないことにして、この際だから、重力加速度も地球と同じ9.8 メートル毎秒にしましょう」語らいながら、探偵はちらちら目線を泳がせて、視線の先では助手が手帳片手に現在進行形で数式を書きつけている。「すると、ええっと……? 露豪館の、コロニー側面の回転速度は……0.0785ラジアン/秒! つまり、非常にざっくりですが時速270……くらい? ざっと四捨五入して、時速300km近い速度でぐるぐる回っている計算になります。ちょっとした高速鉄道くらいの速度はあるわけですね。さて回転運動を再開されると、コロニー内には遠心力による疑似重力が満ちますが、しかし宙に浮いた人たちはその恩恵に預かることができません。彼らはどうすることもできず、ぷかぷか空に浮かんだままで、迫り来るのは凄まじい速度で迫り来るコロニー内に乱立する無数の高層建築物です」
洒紗はもう片方の手でも同じかたちをつくり、「キツネ」同士の口先を「ばん!」とぶつけてみせる。本人は状況を視覚的に再現しているつもりらしいが、正直、あまり説明が上手くないな。見崎は思った。
「死体が散り散りかつ無軌道に広がっていたのは凶器である建造物が――激突した対象がそれぞれまちまちだから。まぁ、見つかっていないだけで、もっと遠くまで吹っ飛んだ死体がいくつかあるかもです。今回は〈真犯人〉の方がかなり速度を抑えてくれたようで……精々、時速五十キロメートル程度でしょうか? それくらいの速度で、秘匿主義者の皆さんは設置されているビルやピラミッドに激突したわけです。死にはしないけど、まぁ死ぬほど痛いでしょうね」
「先生に無礼を働いたのです。それくらいの罰はあってしかるべきでしょう」
粛々と話を進める二者に「ちょっと待ってくれ!」と見崎は割って入り「簡単に言うが……いかに小ぶりといえ、コロニーだぞ⁉ コントロールを掌握したわけでもないし、そんなほいほい止められるはずがないだろう! 馬鹿でかい宇宙人が外からコロニーを掴むでもしたか? そんなこと、絶対に不可能だ!」
「いや、わたしもギリギリまでわからなかったのですが……皮肉にも、その答えは巌戸さんが教えてくれました」
洒紗は彼方で伸びている〈X-1〉を――巌戸を見上げて「演説の中で、『露豪館が増設されている』って言ったじゃないですか? ずっと露豪館の中にいたわたしたちは気づかなかったけど、一度別館に移った彼らなら、外からなら見えたんですよ。――つまり、本来のかたちよりも面積を増やしている露豪館を」
「増設って、何を……?」
「コロニー規模の巨大建造物なんて、ちょっとやそっとじゃ増やせるものじゃないですからね。仮にそんなことが出来るとしたら……同規格のものを、まるで縦列駐車するみたいに接続すれば増設したように見えるんじゃないかって、そう思ったんです。――ねぇ? 瑠璃宮さん?」
探偵は視線をやって、彼女の視線の先で、瑠璃宮魅舞は不敵に立っていた。
「瑠璃宮さんの飼われている宇宙ハムスターですが、滑車代わりに、この露豪館と同じコロニーを使っているんでしたよね? 個人が完動状態にあるコロニーを所有するのはかなり困難ですが……しかし断片的にしか機能の残っていない廃コロニーを滑車代わりに用いるのなら、まだ芽はあるでしょう」
瑠璃宮は否定しなかった。続きを促すように堂々と腕を組んでいる。
「さて、回転するコロニーを止めるには、少なくとも同程度の速度と、トルクが必要ですが、少なくとも同規格のコロニーがあれば質量周りは解決できます。問題は動力ですが……そこで登場するのが宇宙ハムスターです」
「宇宙ハムスターって、あの宇宙怪獣か……? 馬鹿みたいにデカいっていう……」
「そうです。高重力惑星生まれで全身が発達している宇宙ハムスターなら時速三百キロで走るくらい、わけがないでしょうね」
「まさに害獣そのものですね」
「みあれちゃん、宇宙ハムスターに厳し過ぎじゃないですか? ……閑話休題。さて、事件当日、わたしたちはライブに夢中で会場内の手摺やフェンスにしがみついて必死に頭を振っていましたから、結果的に浮き上がらないように身体が固定されていたわけです。まぁ、そのあたりの塩梅も、何度かここに招待されたことのある瑠璃宮さんならではの『配慮』だったわけですね。……なんにせよ、お陰で助かりました。唾棄すべき殺人者ですが、だけどあなたは命の恩人です。本当に、ありがとうございました」
洒紗は姿勢よく仁王立ちしているその人物に、ぺこりと低頭して、
「あーあ、黙っとけばよかったのに……。ほんとうに、なにしてんだろ、私……」目いっぱい背筋を反らして、それから瑠璃宮は盛大に息をつく。
「すみません。バラしちゃって。でも、このままじゃみんな一生外に出られなくなっちゃうし、せっかくの瑠璃宮さんの一世一代の犯罪も有耶無耶になっちゃうから……そういうのはたぶん、瑠璃宮さん的にもあまり『本意』じゃないかな? って思いまして……」
すると瑠璃宮は「……そうね。その通り。龍玄さんを殺したのは私。その汚名は私だけのもの」ふっと、口角を持ち上げる。
「どれだけキャリアを重ねても、私、龍玄さんから認められなかったんだなって、魚の小骨みたいに、引っかかってたから、だから証明したかったんだろうな。私を袖にしたあの男に、私が、一番有能で、一番強いってこと。だから、みんなまとめてぜんぶぶっ殺してやった。ざまぁみろって感じ」
「なるほど。たしかに一理ありますが……あいにく、その価値観が通用するのは『けだもの』の世界の中だけです。わたしたちが生きる『人間の世界』でそんなこと誇示されても、正直あまり意味がなかったですね」
「……そういうの、もっと早く聞きたかったな」
昏倒する人々を見渡しながら、瑠璃宮は自嘲気味に笑みを含んで、
「でもさ、そういうあなたも犯人探しに躍起になっていたけど……それだって、あんまし意味がなかったんじゃないの? どうせたかだか何ヶ月か先にはぜんぶバレちゃったろうし」
「たしかに、わたしはどれだけ偉ぶってもしょせんは取るに足らないただの『探偵』なので、警察みたいに犯人を逮捕することもできませんし、実際、瑠璃宮さんをどうこうすることもできないですね」
存外に、洒紗はあっさり首肯してみせたが「……でも、助けが到着までの、ここにいる人たちに安心感を与えることはできます。ひょっとしたら突然起きるかも知れない次の犯行に、誰だかわからない殺人者の脅威に無闇矢鱈と怯えなくて済む安心を、識ることで、怖いことを払拭することが出来るんです。わたしにここで出来ることは、精々それくらいですけど……だけど、それなりに誇れる成果でもあります」だぼつく袖の先で、探偵は照れながら後頭部を掻いて、
「……ヘボだと思ってたけど、あなたの先生、けっこうやるね」
冗談めかした瑠璃宮の言葉に「はい。存じております」と、彼女の助手は誇らしげに答えた。
4
救護艦隊が露豪館に到着したのは、予想よりもはるかに早く、事件発生から三ヶ月後のことだった。
洒紗たちは知る由もなかったが、どうも地上では相応に騒動になっていたらしい。露豪館内の人々を救出するため、官民を抱き込んだ大規模な救護団が結成されていた。露豪館が座する宙域軌道付近を航行していた通商船などを上手く抱き込み、あるいは不慮の事故で火星に取り残された遭難民を救助した船舶を更にスイングバイさせるなどして船団を形成し、おどろくほどの迅速さで馳せ参じたのだった。
たっぷり数日をかけて、シャトルを用いて救護船へと弾丸輸送されたかつての賓客たちの、日常への回帰――地球への移送が開始された。かすかに根づき始めた新たな生活基盤を手放すことを躊躇する者もいたが、大多数は母星への帰還を望んだ。
稀代の殺人事件の犯人と目された瑠璃宮だけは母星に還ることなく、宇宙官憲から拘束される手筈となった。そもそも、政治的空白地帯に位置する露豪館内で起きた殺人はどのような罪科が適応されるのが適当なのか……この先、法曹たちは侃々諤々の討論に興じることになるのだろうが、少なくとも、今はまだその時ではなかった。
「瑠璃宮さん」
撤収時、制服姿の官憲たちから連れられて行く彼女を目ざとく見つけた洒紗は、その背中に声をかけた。救援が到着するまで、瑠璃宮は宿泊地のひとつに軟禁されていた。だからだろうか。心なしか、以前よりもすこしやつれて見えて「わたしのせいで、楽しみにしてたラーメンが先延ばしになってしまって、その、申し訳ないです」
恭しく、頭を下げる。その姿を眺めながら瑠璃宮は「……『申し訳ない』なんて、微塵も思ってないくせに」くすりと笑みを零して「私は人殺しだからね。全体的になんとなく申し訳なくて、私はコミットできなかったのだけど、でも、生きるのって大変なんだなぁ、ってみんなを見ていて、素直にそう思えて……ヘンな話なんだけど、色々すっきりしたな。そう思えるのも、探偵さんがお陰かも知れなくて――」
瑠璃宮は官憲たちに目配せして許可を仰ぎ、それから洒紗に歩み寄り、その小さな身体をきゅっとかき抱いた。
「ありがとね。私の罪を、暴いてくれて」
「オヒッ、瑠璃宮さん、顔が近いです……! オヒッ、オヒヒッ……!」
「先生、顔が完全にエロガキです」
「ああ、そうだ。それと――」
瑠璃宮は洒紗になにかを洒紗に手渡す。入射光の真下で硬質に光るそれは、コロニー用の操作端末だった。
「ハムちゃんのこと、任せたから。あんまし詳しくないけど、探偵ってそういうのも請け負ったりするんでしょ? 大切にしてよね? 必ず、迎えに戻るから。それじゃあ、ばいばい」
そして官憲たちに囲まれ、しかししゃんと背筋を伸ばしたまま、瑠璃宮は去っていく。
「家族が増えてしまいましたね」探偵は肩を竦めて、
「責任を持って、先生が面倒をみてあげてくださいね。あるいは、コロニーごと殺処分するか……」
「殺しません。わたしは探偵ですので」
露豪館の人々を収容して、救護船団が動き出す。
洒紗とみあれには個室が用立てられた。窓から見えるイオンエンジンが灯す幻想的な光の帯の連なりたちを、しばし洒紗は楽しんで……その奥間に垣間見える露豪館を凝視して「聞きました? 見崎さんは帰ってからインフラ構築の仕事を探してみるそうです。口先ではぶつくさ文句を垂れていたようですが、どうやら性に合っていたみたいですね。あそこでの暮らしは決して楽しいことばかりではありませんでしたが、それでも誰かが活路を見出したのなら、じつに喜ばしいことですね」言葉とは裏腹に、その声色にはどこか弾力が欠けていた。
集光ミラーが縁取る複数の窓面から覗く歪曲した地平には、ぽつぽつと人の姿がある。装束でその輪郭を隠蔽した無貌の彼らは寄り集まり、凝固し、平坦なまなざしで過ぎ去る船団を見上げていて――けっきょく、〈秘匿主義者〉の大多数は露豪館に残ることを選んだ。
かくして地平から文明社会に染まった邪魔者たちを排斥したことによって、彼らの言うところの「目覚めた人々」たちによる真の世界が築かれた。無論、露豪館内の資源には限りがある。循環機構を始めとするコロニー内の生命維持装置が故障すればそれまでだ。仮にあの中で子孫を成したとしても、遺伝子多様性の問題で共同体を維持することは困難だろう。そのような事象の数々を、洒紗たちは長い時間をかけて秘匿主義者たちに懇切丁寧に説き続けたのだが、しかし結果はなしのつぶてだった。
「――だって、やってみないとわからないだろう? だったら出来る限り、やってみるさ」
「せや! この命ある限り、全身全力でやるで! 可能性は無限や!」
そういって、未知の世界へ漕ぎ出してゆく巌戸たちを抑止することはできなかった。
「あの人たちを救えなかったことを、悔いているのですか?」
彼女の考えを汲むように、そっと助手は洒紗の肩に手を置いて、
「先生の言うところの『狭い世界』に進んで残ったのは、あの人たちの方です。気に病む必要はありません」
「そうかも知れません。でも、あの人たちだって、他の誰かを傷つけたりするつもりはなかったはずです。ただ世間一般的な『正しさ』の側につけなかっただけで――あの人たちはあの人たちなりに、本気で誰かを救おうとしていたんだろうなぁ。わたしと同じように……。……それでも、ああするしかなかった。わたしはただ、自分の世界の範疇にいる人たちをあの場から分け隔てただけで……ほんとうに無力で、狭量ですね」
洒紗はごろりと全身を投げ出す。そのまま側臥位の姿勢になって、みあれの膝の上に頭を据え置いて「わからないことばかりだなぁ」それだけのことを、絞り出すようにして呟いた。
「負けないでください、先生」
彼女の助手はその小さな顔を撫でるように、そっと手を置いて、
「ええ、負けません。がんばります」
探偵はあまった袖の先で目元をぬぐった。その視線の先にある露豪館は幽く滲み、ゆれている。
◆作者プロフィール
水町綜(みずまち・そう)
福岡出身。anon pressに掲載された前作『ネクロボティック・サマー』が当初の公開期間が終わった瞬間次の公開期間が始まったり扱った題材がイグ・ノーベル賞を受賞したり図らずともBでLな界隈でかすかにざわめきを起こしたりとやたらと妙な動きをみせた。年末に主催する同人サークル〈水色残酷事件〉にて『特殊部隊全滅アンソロジー2』を頒布予定。よろしくね。