◆作品紹介
西暦3000年、誰もが仮想空間に住まうようになった世界。そこにも依然として彼らは存在した。極道。ピクセルの血と硝煙を撒き散らし、切っても切れないブロックチェーンで結ばれたアウトローたち。考えてみれば彼らほど、契りの似合う者もいないだろう。改竄不可能な契約で満たされた世界。それはどこまでも透き通ったスマートなものではなく、むしろ仁義が支配する修羅の道にこそふさわしいのかもしれない。このようにして本作は、Web3やDAOといったワードが跋扈するわたしたちの世界から華麗に道を踏み外してみせる。ベタすぎるほどにベタなヤクザ映画プロットと、これでもかと乱舞するルビの快感に導かれるまま、奇妙に歪んだ未来の極を駆け抜けてみてほしい。(編・青山新)
以下、記事の本文です。
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「――おう、そろったかいの」
仮想東京ネオ新宿イチの歓楽街、歌舞伎町Xの一等地にある高級料理亭、狂桜。日夜日陰者たちが権力者と裏取引を交わす、闇の社交の場。
すぐ側の通りには黒塗りの高級車が幾台も停車し、今夜ここで、無間会の裏賭博があることを存分に示している。
親の帰りを待つが如く行儀よく並ぶ、その車列の合間から、突如現れるいくつもの影法師。清掃員の格好の侠たちが暗闇に紛れて行軍する。
その中の一人の侠が口を開く。
「本当に、一般人さんに迷惑はかけないかい?」ひどく柔和な、まるで布袋のような優しい声色。
武来組の組長、ムラサキの声だ。
精悍な成りをした別の侠が応える。「はい、おやっさん、戦争をかけるポイントに一般人が既にいないことは確認済みです」
その答えに、ムラサキはゆっくりと頷き、そして黙って目をつぶる。
同時に、私の視界も暗転する。ムラサキの視界を共有しての窃視。
勿論、無断で撮っているのではない。むしろその逆、ムラサキから直々に頼まれてのことだった。歌舞伎町Xの喧騒を追う、記者の一人として、これから起こる惨劇、その一部始終をくまなく捉え続けてくれと、この私――桜田膳丸に依頼してきたのだ。
暫したあと、ムラサキがすっと目を開いた。私の視界も回復。
「おし。じゃ、いこか」
ムラサキから放たれる鬨の声――開戦の印。突如、周りの計算場を歪ませるかのような覇気が周辺に立ち込める。
ムラサキは集う中の一人の侠に無言で目を向ける。武来組の特攻隊長、烈火の虎の異名を持つエンドーに。
その目線を受け止めたエンドーは、半身を思いっきり折り曲げて頭を下げ、そのまま暫し微動だにせず硬直してから、再び頭を上げると、近くに停車してある清掃車に乗り込む。その間、始終無言、盃を交わした組長との今生の別れに言葉など、今更不要だとでも言うかのように。
彼が乗り込むんだ瞬間、汚れきった清掃車が一転、黒光りする四トントラックに変形する。この日のために、特注に塗装された、慣性制御が外された特攻車に。
彼はエンジンを蒸すと、すぐに一抹の逡巡も感じさせない加速を見せ、料亭の入り口に見事な突撃を決めた。
逃げの姿勢で突っ込むのではなく、あえて正面なのは、不退転の決意。この戦の最初の花火を輝かせる者としての伊達と酔狂。"烈火"の二つ名を持つ、彼なりの美学が為せる技。『極道の価値は、その生き様ではなく、その死に様で決まる』。常日頃から彼の語る哲学を完璧なまでに表現した、冥土への花道を彩る一塵の煌き。
衝撃で破壊された壁の破片が四散する。深夜の歌舞伎町Xに轟く爆音が日本庭園の池に波紋を描き、その侠気に奮い立ったのか、狂桜の優美な日本庭園の池に住まう錦鯉が飛び上がる。
宙で黄金の錦鯉が月光を鱗粉の如く散乱させながら、物理演算に従って放物線を描く――ポシャンと住処に舞い戻るまでの刹那、集う侠共の汚れた青いツナギの服装が一瞬で消え去り、宝石のような絹糸で輝く、漆黒の高級スーツに鮮やかに移り変わった。
彼らにとっての特攻服。死を撒き散らす死神の装飾、あるいは自らの弔いのための喪服である、ダブルの黒服に。
お色直しを終えた任侠一行は、逃げ惑う客や従業員と入れ違いに悠然とした足取りで、料亭の玄関から入る。各々、自分の最後を飾るに相応しい、自身の武器をこれでもかと見せながら、堂々と肩を揺すって、石畳の敷かれた庭園の回廊を進む。
狙うは、無間会組長、九鬼大典の命。
先頭を征くムラサキ、決して身長は大きくないはずなのに、池に反射するその姿は、まるで巨人のよう。
半身を露わにした彼の、修羅に染まったその背中が水面に映る。背中に描かれた刺青が彩る極楽浄土では、仏が意味深に微笑んでいる。まるで今宵の戦いの結果を、はるか古来から悟っていたかのように。
「なんじゃいわれオオウ!」
そのまま館内への敷居を跨げば、逃げ惑う大衆の中から、黒服を纏った敵方が飛び出してくる。
相手方の響く怒声。その殺気を往なすように、ムラサキはすうっと息を吸ってから、カカンッと喉を鳴らす。
――控えなすって、手前稼業縁持ちまして、万事万端よろしくお頼の申します。
辺りに響く特級の唄声、低く小さい声ながら、先程の轟音よりもずっと身体の芯に響きわたる。無間会の鉄砲玉が慄く様子に見向きもせず、ムラサキは廊下を一歩一歩、大股で進んでいく。
――生国は仮想東京この歌舞伎町X、性は紫、名は捨八郎、仮初の器に注がれた、この電子の魂に誓いましてぇ、ここで仁義を発させていただきやす。
西暦3032年。地球上を寒波が襲って以来、私達人類は、この計算世界の幽世で、数百年間に渡って生死を繰り返していた。
大寒波。近代文明の副産物である温暖化を嘲笑うように、地球は氷河期に突入した。
世界中に吹き荒れる氷点下マイナス三十℃の凍の世界。地球上のどこにも逃げ場をなくした人類は、当時技術が進んだ、脳転移技術と量子コンピュータ、そして、社会実装された仮想世界。これらのシステムが三位一体となって見事に組み合わさり、人格と肉体を電子の世界に移した。
そうして、最小限のエネルギーで、最大限の実存を担保するため、形をもたないあらゆるモノ、生命や人権や文化や法律や愛といった不定形を、すべて計算上の世界に持ち込んだのだ。
大断行。逃げ場をなくした人類は、現実を捨て、仮想世界に移行した。
だが電子の世界にも、個体ごとに、寿命は存在し、修復不可能な怪我を負えば死ぬ。このゼロとイチの量子化された世界にも、未だ死と暴力は健在なわけだ。
故に至極当然の帰結として、極道もまた存在する。
この仮想世界のうち、日本管区をつかさるのは、"縁起"と呼ばれる大型計算処理だ。
縁起の実行する量子賽ノ目によって、私達の性質は生まれた瞬間に決定される。
公共化された神によって、私たちは電子の海から人の子として鋳造される。ある者は賢く、ある者は競争に秀で、またある者は社会に馴染めず、爪弾きにされて生きてくことを余儀なくされる。
死と暴力が余すこと無く移植されたこの世界において、極道とは、縁起による一回限りの出目の結果、社会の極をひた奔ることを余儀なくされた、悲しき者共の集まりだ。
――浮世の渡り名は爆裂仏頭、渡世の故にて、仏の名を拝してついに五十年と余年。
ムラサキの口上が朗々と流れていく。爆裂仏頭はムラサキが若い頃、所構わず突っ込んでいくことから付けられた任侠名だ。縁起によって、割り当てられた彼の本性をこれでもかと表す二つ名。
望んでか望まずかは推し量るしか無いが、ムラサキのその才能を最も活かせるのが極道という生き方だったことは事実だろう。
向かってくる三下を歴戦の戦いを一緒に過ごした部下に任せ、破裂寸前の核弾頭の如く覇気を伴いながら、正面だけをひたすら睨み、一心不乱に廊下を進む。
このムラサキを長とする武来組は、仮想東京が成立した当初から走り続けた伝統ある一組織だ。構成員の数は少ないながらも、この仮想東京の一区画、歌舞伎町Xで、自前の仮想土地と計算資源を持ち、ひとつの組として界隈では認められていた。
だが、その由緒正しく守り続けた武来組の仮想土地を荒らす蛮族が突如現る。
それが、無間会だ。
突如姿を現した無間会が流し込んだ、無秩序な電子覚醒剤によって、武来組が長年培ってきた秩序は、目も当てられぬほど完膚なきまでに破壊された。
もはや今に至って、こうなった手打ちのための慈悲はない。
武来組にあるのは唯一つ、組の存亡をかけて行う、戦争だ。
――最後を飾る花道、向後万端、四方同席にて、どうぞよろしくお願いします。
口上が終わると、奥座敷に繋がる大広間の屏風を勢いよく開ける。
何十畳もあろう広大な奥間には絵札が散乱し、ほんの寸刻前まで鉄火場に興じていた跡が畳の上にありありと散らばっている。
「なんじゃいワレェ! いてこましたろかおおおおん!」
入るとすぐ、突っかかってくる大巨漢。九鬼のボディーガードが、「おまえアホンダラ、ここがどこだと思って、突っ込んできたこと、後悔させてやるけんのぉぉぉぉ!」とムラサキに向かって、延伸する似非関西弁とともに向かって突進してきた。
柔道の等級ならば、間違いなくテラバイトクラスの肉体が激突する――刹那、ムラサキは、自分の重量の数倍はあろうかという巨漢を一本背負いで畳に叩きつけた。
「ぐっふぉぉあ」
地獄の様相が画かれた屏風に叩きつけられ、喀血をしながら、痛みに悶える大男。
だがムラサキは振り返らず、浴衣をさらりと着流し、縁側で庭先に向かって月見を興じる、ひとりの侠に近づく。
この空間の主であるその胡乱な侠は、日本酒を手酌で注ぎ、こちらに背を向けたまま縁側から朧月夜を眺め、喧騒にも微動だにしない。
「おう、なに無視してんね」
ムラサキがその侠にズンズンと近づき、懐から原子と原子の間を切断する日本刀を引き抜いて、背中越しに頸動脈へ白く光る峰を当てる。
だが白刃を向けられた侠は、振り返ること無く、迫るその刀身を素手でを掴み、座ったままへし折った。
顔を一瞬顰めるムラサキを、眼鏡の隙間から凍える目つきで一瞥し、そのままゆっくりと立ち上がる。
身体を緊張させるムラサキ、だが侠は、ムラサキがまるで透明な存在であるかのように、するりと横を通り抜ける。
そして、そのまま大の字で横たわる部下の元へと近づく。
「すいませんね。こんな弱い部下で。歯ごたえなかったでしょ」
そこで、侠は初めて口を開くと、「今片付けますんで」と言ってから、浴衣の帯に挟んでた銃を取り出し、寝転がる巨漢に、躊躇なく六発パパパパパパと打ち込む。
そして、部下の死を肴にするかの如く、長髪をゆらりと振るわし、左手に持ったままの徳利を一気に呷る。
私はムラサキの目を通し、その侠の全身をまじまじと見る。
これが、無間会の組長、九鬼大典。
「おんどれぇ! 慈悲はないんか」
刀を投げ捨て、激高するムラサキ。たとえ敵でも、既に敗れた者に手を出すなど、良識ある極道の嗜みではない。ましてや、それが仲間の手によるものならばなおさらだ。
そのムラサキの鬼気迫る怒声を、まったく意に介さずに九鬼は言う。
「他の親のやり方に口ださんでくださいな。役に立たないモンには、はいこれ死。ってのが無間会の掟なんですよ」
「メッキのような薄っぺらい掟やのう。まるでお上りさんかいな」
「ところで、あの強面の若頭、今日はいらっしゃいませんね」ムラサキの言葉を無視するかのように、九鬼は視線を遠くに動かして挑発するように言う。「ひょっとして逃亡で?」
「ミトラか。あいつはお勤め中や」
「それは残念。是非ともご挨拶したかったのに」
そう、その点については私も甚だ疑問だった。この大一番に、なぜあえて、武来組のナンバー2、ミトラの若頭が電子刑務所にいるときに行うのかと。
ムラサキは拳を握り、改めて闘いの姿勢を向ける。「あいつにおんどれの汚い血は浴びせさせんぞ。俺らでこの場でカタをつけちゃる」
「そこまでの言うならしょうがない――武闘ってやりますよ」
その一言を機に、ムラサキの眉間の皺の一筋一筋に修羅が奔り、長年裏に控えさせていた筋肉が、火山のように盛り上がった。
組のすべての計算量によって、拡張された肉体。
この仮想世界において肉体の優劣は処理速度に依存する。つまり極道においては、肉弾戦は組の計算量の多寡によって、優劣が決すると言っても過言ではない。
武来組のすべてを全掛けするその姿勢は、ムラサキに油断はない証。決して相手を舐めているわけでも格下に見ているわけでもなく、一人の侠として認めていたのだ。
対して、九鬼は柳のように身体をゆらりと動かすのみ。ムラサキの覇気にまったく怯まないのは、敵ながら天晴と言いたくなる。
先を取ったのはムラサキだった。
畳を蹴ると一瞬で間合いを詰め、一発の掌底を九鬼に放つ。
だが、九鬼はまるで羽虫でも避けるかのように、ゆらりゆらりと交わし続ける。
一見すると、剛と柔の闘いにも見えるが、その本質はまったく異なる。
「はい、顔」
九鬼が言うと、ムラサキの顔に殴打される。同時に、私の視界に衝撃が走る。
「次、腹、右腕、左足、顎」
宣言通り、ムラサキの部位をリズムよく打つ九鬼。
相手の宣言通りの打撃に、ムラサキの剛力が、九鬼にまったく対応していない、段違いのスピードで太刀打ちできていない。
処理速度が――計算量が違いすぎる。
この窮地に私はただ、ひとつの疑問しか浮かばない。
いったいどのように、九鬼はこのような力を手に入れたんだ?
絶体絶命のムラサキ――だが圧倒的不利の戦局に関わらず、彼が不敵に嗤っていることが、私には確かにわかる。
――観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
突如、ムラサキは連々と独り言のように経を諳んじ始める。
――照見五蘊皆空 度一切苦厄
ムラサキは心臓に手を当て、眼を限界までかっ開く。
――舎利子 色不異空 空不異色……!
高周波が電撃のように鼓膜を震わすと、伝わる映像は白く染まる。ムラサキは最後、身体に仕込んだ浄土爆弾を炸裂させたのだ。
あまりの衝撃に、遠く離れたホテルにいる、私の視界も同時に果てる――
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「――おう、起きたか、桜田」
朧気な視界の中に目にしたのは、赤シャツに、白スーツ、短くも丁寧に整えられた髪、身長が百八十センチ越えのスラリとした切れ長の眼をした侠だった。
煙草の煙と一緒に、彼の身体に染み付いた危険な匂いが漂ってくる。歌舞伎町X随一の武来漢、あるいは稀代の傾奇者にして反逆の愛の者、三浦虎吉――通称、ミトラ。
「はよ……ざいます……」状況が飲み込めないまま、一時保存用のカプセルベッドから半身を起こす。「あれ、ミトラさん。もうお勤めのほうは終わったんですか……?」
「は、何寝ぼけてんだよ?」
私はホログラフィックで空間に描かれた現在時刻を確認する。そうか、あの最後の戦争のあと、ストレージホテルの月極契約で、実に半年もの間、私はずっと籠もっていたのだ。
まだ思考が散漫としている私にミトラは、「俺を迎えに来るならまだしも、なしてわざわざ一般人のお前を迎えに来なきゃいけんのさ普通逆やろがい」と言いながら、豪快に笑う。
「ムラサキのおやっさんから、何ヶ月か前にもらった手紙にいの一番に訪ねろと書いてあったから、まずここに来たけどよ」
ミトラは視界にホログラフィックを展開する。ムラサキが彼にあてた手紙の文面が目の前に輝く。
ああ、なるほどと、私はすべてを理解する。
「ってことは、やっぱりミトラさん。まだ知らないんですね」
一切の情報が切断された、電子刑務所で合計五年のお勤めをしていたのだから、"仁義鎖"が更新されずに情報断絶になるのは致し方ない。
「知ってるも何も。手紙には『なにも知らずに、まずここに来い』と書かれてたから、未だお勤め前と同じ状態、まさにウラシマよ」色気のある笑みを浮かべて一区切り。
と、急に表情を一転させ、「で、なにがあった?」と迫ってくる。
その一瞬で、途端に剣呑な空気が場に張り詰める。冗談めかしてはいるものの、ミトラも組になにか、異常事態が起きたことは察しているのだ。
私は納得する。ムラサキから戦争の一部始終を記録するように言われたのも、ここでしばらく身を隠せと言われていたのも、すべて、そういう理由だったのか。
六ヶ月前のあの戦争の前、私がムラサキ組長から託されたのはあの戦争の結末を撮影すること。
そしてもう一つは、万が一負けた場合はここに身を隠し、ミトラがお勤めを終えたら、すべての事実を共有することだった。
「ミトラさん。今からあなたの仁義鎖を更新します。それで、組に一体何が起きたのかわかるはずです」
私は、ミトラの頭に手を当てながら、改めてムラサキの絵図を理解する。
おそらくこれはプランB、ムラサキは、あの戦争が失敗に終わった場合を見越して、ミトラにすべてを託したのだ。
仮想世界とは、すなわち究極の共同幻想だ。何が真実であるかは、人々が最も"正しい"と"信じる"世界が採用される。
だが、どうやって、人々が"正しい"と思う世界を決定すればいいんだろうか?
そこで採用されているのが、分散台帳のブロックチェーンによる管理、正確には、皆が正しいと思った情報をもつブロックへの寄与だ。その結果、比率が計算能力ベースで全体の五十一%を越えたブロックに刻まれた情報が"正しい"とされる。
ただし、一般社会でブロックチェーンを取り入れ、改ざん不可能としているのは、環境構造を除けば寿命を含めた自身の生体情報や、法や戸籍情報や預金情報などの基本的人権に関わる部分だけ、例えば自分の身体情報はその管理に含まれないため、いくらでも変更可能だ。
だが、極道世界の場合、そんな緩いことでは困る。
極道の文化には、身体的に刻む不可逆の印が必要不可欠だ。例えば指を詰めたり、身体に彫り物をしたとして、それがあとで如何様にも修復可能ならば、なんら意味がなくなってしまう。
指詰め、刺青、魔羅の大改造。肉体に関わる事以外にも、誰と誰が盃を交わし、誰が誰の傘下なのかなど。一般人が些細に思うことも、極道は、自分の命をかけて守り抜き、矜持をかけた戦いを呆れ返るほど非効率なまでに繰り返す。
極道は極道であることを演じ続け、やがて、極道となる。極限まで計数化された仮想世界において、更に独自の共同幻想を非効率な方法に保つことで、自らの魂を守り続ける集団――それが極道。
そのために極道は、一般人とはまったく別のブロックチェーンシステム――仁義鎖で裏社会を管理している。
極道達が自前で実装したブロックチェーンで履歴を管理し、この肉体の無い仮想世界に於いても、自分たちの伝統を貫き続けているというわけだ。
裏の道を志す者は皆、盃を交わすことで、一般人のチェーンから、極道の鎖に誓盃し、裏社会への参入を許され、同時に二度と表の世界に戻れなくなる。
仁義鎖は極道のすべてを管理する。仮想土地の縄張りから、子から親に流れる計算資源の量、構成員同士の上下関係、ひいては構成員ひとりひとりの身体や記憶の一部すら。
極道は自らを強力な鎖で縛ることで、自分自身の存在を縁取っているのだ。
「ミトラさん、仁義鎖の更新、終わりました」
ただし、他の構成員とは一部違う形で。
仁義鎖を最新に更新した上で、私の記憶これを一番上にくっつければ、過去の記憶を維持できる。
私は"本当"の記憶をミトラに共有し終えた。
「あの、ミトラさん……?」
滞りなく更新が終わったはずなのに、微動だにしないミトラに恐る恐る声をかける。
すると、突如、ミトラは目を見開くと、一張羅スーツを乱雑に脱ぎ、紅のシャツを破るように脱ぎ捨てた。
その突飛な行動に私は愕然とする。
が、すぐにその理由を察した。
「ミトラさん、背中が……」
トレードマークである三ツ首の虎と武来組の代紋の刺青が、ミトラの背から綺麗に消え去っていたからだ。
極道にとって、皮膚に描かれたその彫物は、一般人がつけるようなただの装飾とは一線を画す。
それは、自身の存在意義を表現する烙印。
「……なあ、教えてくれよ」血反吐でも吐くかのように、苦々しい声でミトラが言う。「どうして、こんなチンピラに、おやっさんが負けて……こんないなげな……武来組の痕跡がこの世から、影も形もなくなってんだよ」
「それは……」わからない。あの血みどろの光景を、ムラサキの主観映像で見ていた私でさえも。
背負う代紋を亡くしたミトラの姿が、今まで見たこと無いほどに矮小に感じる。私はあえてミトラを正面から見ないのが、人情であるとわきまえる。
私が更新した仁義鎖が秘めていた情報は、ミトラを除く武来組の構成員全員の死。
さらに、武来組という組織が、仁義鎖から、全て極道の歴史から消されているという事実だった。
仁義鎖の正しさは、すべて計算量で決定する。ブロックチェーンの性質上、計算量が過半数を上回れば、現在どころか過去にさかのぼって記録を改変できてしまう。
そして、仁義鎖は、極道のすべてを管理している。故に、ブロックを過去から修正し、武来組の痕跡を跡形もなく消し去ることは、たしかに原理的には可能だ。あくまで局所的な、極道限定の仁義鎖ならば、一般人の社会を書き換えるよりも難易度は高くない。
だが、いくら一般人のブロックチェーンシステムよりも規模が小さいからと言っても、計算量をほかすべての組より上回るのは並大抵のことではない。
無間会、もとい九鬼は、その巨大な計算量を一体どこで手に入れたのだろうか?
暫し沈鬱な空気が充満する。
絶えきれず、私は意を決してミトラに言う。
「組員でもない私が言うことじゃありませんが、ミトラさん、どうか、おやっさんの弔い合戦の準備を」
武来組の歴史を秘めているこの履歴は私とミトラ、たったふたりだけのものだ。仁義鎖で管理された世界において重要なのは、過半数が何を信じているかということ。他の圧倒的多数の極道にしてみれば、少数派の私たちの存在は、狂った妄想を抱く人間が二人いるのと変わりない。武来組を復活させるには、なんとしてでも、私たちの履歴を示さねば。
私はミトラに、更に詰め寄る。なんとしてでも、無間会の秘密を明らかにし、武来組を元に戻すべきだと。
「このまま、武来組の……おやっさんの形跡すら消えたままで、本当にいいんですか?」
だが、ミトラの返事は、私が思っていたのとはまったく違った。
「悪ぃけどよ。ちょっとの間、部屋、出てってくれねぇか」
ミトラは俯いたまま微動だにしない。仕方なく、私は裸の背中をそっと眼を見ながら、ゆっくりと部屋を出た。
人気のない薄暗い廊下で、上着のポケットに入れっぱなしになっていた煙草を咥え、火を付ける。昔吸ってた電子麻薬ほどではないが、寝ぼけ頭には十分な威力だ。
「おやっさんの弔い合戦をしましょうよ、か」
照明も切れかかってる廊下で紫煙を燻らせ、私は先程のセリフを思い返して、つい自虐的に笑ってしまう。
「一般人を語っちゃいるが、だいぶ極道の思考に染まってきているわけだ」
おそらく、もう、どうにも引き返せないところまで。
デジタルの世界にも、未だ死と暴力が存在する。
ついでに労働もしている。
数年前まで私は某零細出版社のメディア担当の職務についていた。ギリギリアウトな嘘と誇大表現を駆使して、いかがでしたかと無価値な情報を量産する毎日。入ってきた新人は毎度数ヶ月で辞め続け、たった一人で大量の正しくも間違ってもいない無価値な記事を連日連夜生産し続けた。
加えて私は、どうも事件を呼び込む星の元に生まれたらしく、常にあらゆるところで、妙にトラブルに巻き込まれる質だった。
結果、泊まり込みで問題に対処し続ける私の姿を見た同僚から与えられた名は、波乱の連勤術師。
だが、どんなに自分で気をつけようとも、日常に襲いかかる凶運は止まらない。
「好きな色は?」
「えっ? 黄色」
ある日、魔剤を買うために訪れた薬局で、店番の怪しげな婆さんが突如そう尋ねてきた。てっきり、客との小粋な会話だと素直に応えれば、婆さんの急に目つきが一瞬で変わり、謎の容器に入ったパウダーを渡してきたのだ。
これが、私と電子麻薬の出会い、ひいては闇の世界との初めての接触である。
婆さんは連勤で目つきがヤバい私を常用者と勘違いし、カマをかけたのだ。合言葉にするならば、伽羅煤竹色とか紺天鵞絨色とか、うっかり言い難い色にしておいてほしかった。
とはいえ、波乱の連勤術師と薬の相性は抜群で、私は一日が七十二時間あることを前提とした仕事を見事にやり遂げ続けた。そして、稼いだ金をすべて薬に投入する毎日、仕事をするために薬を吸っているのか、薬を吸うために仕事をしているのかがわからなくなる日々。
当然、そんなギリギリの日常など長くは続くものではない。暫くして私は会社をクビになり、かといって薬もやめられず、自身の臓器を売らなければ行けないところまで追い詰められた。
「おもしれえやっちゃ。おい、お前ぇ、武来組の専属になれ」
だが、捨てる神あれば拾う仏あり。人生の最後を覚悟した私の前に現れたのは、あのムラサキだったのだ。
極道とは、切った見栄で勝負する商いだ。自分の人生を切り取るために、場合によっては組専属の記者を配置することがある。故に、私のような、ライター兼カメラマンを昔から求めていたのだと、ムラサキは語った。
こうして私は、武来組のお付きの記者となった。
最初こそ、戦々恐々としていた私だったが、郷に入れば郷に従え、当初、覚悟していたよりも遥かにすんなりと極道世界に馴染むことができた。
ひとつの理由には、普通の会社もビジョンやパーパスで仕事をするところはヤクザと特段変わりなかったからだろう。"アットホームな会社"というカタカナキャッチコピーが"義兄弟の契"と書かれた毛筆に変わった程度の差しか無い。
だが、何年か経ってやっと一層内側に入れるようになると、極道の世界は、私にとって、恐ろしいほどに興味深い世界だった。
なぜ、ここまで不合理で不器用な生き方しかできないのか。なぜすべてが記述可能となった世界でも、義理と人情のような、わけのわからないものを自分の命よりも大事にするのか。
危うくも魅力的な世界を垣間見続けた私に宿ったのは、単純な好奇心、あるいは文化人類学的な学術的興味と言ってしまっても良い。
世界が大きく変化しても、どうして、このような特殊な集団が、ずっと伝統を維持し続けているのだろうか。
ヤバいとわかっていても、私の生まれ持った気質は、その蠱惑的な魅力に引きつけられ、離れられないでいた。
いや、今なっては癒着し、その闇と融合すらしかけている。ムラサキの無茶な頼みに一も二もなく快諾し、あまつさえ、途絶えた組の伝言役までやってしまっているのだから。
「おう、なにボケっとしてんだよ」
部屋から出てきたミトラが、肘で私を軽く小突く。
「もう大丈夫なんですか?」そう私が挑発気味に尋ねると、ミトラは「なにがよ」と不敵に笑い、また私の胸をバンと叩く。
そのおかげで、私も少し笑顔を取り戻す。起こったことはしようがない。過去は振り返らず、倒れるときは前のめり。それが、極道の嗜みだ。
「それに、きっちりやり返して、おやっさんの義理事を盛大にやってやらにゃ、一人の侠としての示しがつかねえよ」
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ネオ新宿の一区画、歌舞伎町Xの一番街。ギラギラと赤く光るアーチをくぐれば、魑魅魍魎が跋扈する繁華街がお目見えする。
まだ夜は始まったばかりなのに、道端に寝転がるアル中とホームレスが積み重なっている。積み上がた生ゴミのせいで異臭が蔓延り、邪に輝くネオン看板が深海に潜む怪魚の如く発光している。
乾ききった仮想世界のはずなのに、ここにだけはいつも湿った空気が漂っている。
犇めく無料風俗案内所の合間を抜け、違法建造されたビルの軒先で輝くエロティックな看板を幾重も潜り、裏道にある灰色のビルの五階にまで続く螺旋階段を上がってやっと、"武来企画"とだけ張り紙がされた、武来組の事務所に辿り着く。
その扉をミトラは極道蹴飛でこじ開ける。
「やっぱし、なんものこってねえなぁ」
元鞘の武来組の事務所は、誰の仕業か無味乾燥とした部屋に徹底的にリフォーマットされていた。黒革のソファも、毛筆で画かれた豪胆な意匠も、代紋の御旗も存在しない。
なにかヒントになるものが無いかと訪れたものの、残念ながら、アテが外れたようだ。
「次、どうします?」
私がミトラに水を向けると、彼は急に腰を落とし、右手を目の前に差し出した。まるで四股を踏む相撲取りのように。
そして、思いっきり息を吸い込んでから、大声とともに吐き出す。
「お控えなすってぇぇ!」
空間が張り裂けるんじゃないかと思うほどの怒声。その奇行に、私は事態を飲み込めず呆けていることしかできない。
だが暫し後に、ミトラの呼びかけに応えるように、部屋のどこかから声がした。
――いやいやあんさんからこそ
聞き馴染みのある声……くぐもってはいるものの、これは、確かにムラサキの声だ。
「そんじゃあスジが通りやせん。あんさんからどうぞ」
ミトラが再び声を張り上げると、突如すうっと、部屋が暗くなる。
やっとミトラが私に何をしたのか教えてくれる。
「おやっさんと、事前に決めてた秘密鍵だ。特定のタイミング、声質で仁義口上を述べると、事務所に組み込まれた特定の処理が走るようになっているんだよ」
納得できるようなできないような説明に、暗闇の中であるのをいいことに微妙な表情をミトラに向けていると、数秒経って、部屋がまた明るくなる。
だが、目の前には無味乾燥とした壁の姿は既に存在しなかった。
代わりに浮き出ているのは、精緻に描かれた幾何模様と、極彩色に彩られた何百体もの仏の図。
「これは……ひょっとして曼荼羅?」
数多の仏と無限に連なる空間を折りたたんだような、その濃密なフラクタルに唖然とする私。
対してミトラは、その壮観な景色をまじまじと見つつ、ひとつの像に注目していた。
「おう、ちょいとこれ見てみな」
その部分をよく見れば幾何の形が他の部分と異をなし、変に角ばって見える。少し見つめてやっと分かる。放物線上に囲まれた円の中心に三角。これは武来組の意匠だ。
「――あの経」突如、ぼそりと、ミトラが言う。
「最後におやっさんが残したあの口上、か」
「最後って、呪文のようななにかですか?」
「おう。ありゃ、般若心経の冒頭の一節、観音様が舎利子、つまり弟子に自分の教えを説く箇所だ。色は空に異ならず、空は色に異ならず――」ミトラは、コンコンと壁を叩く。「加えて、曼荼羅とは多元宇宙を表す」
「つまり?」
「つまり、これはおやっさんからのメッセージだ。俺たちに向けて夢から醒めろ、この仮想東京の外を目指せ、そう考えりゃあ、意味も通る」
「じゃあ」私は浅く息を吐く。「この代紋の意味は?」
私が疑問に応える代わりに、ミトラは無言で壁に手を当て、スケールモードをオンにしてレイヤーを表示させる。曼荼羅はピクセルごとに分割され、左下を起点にサイコロ状に空間が切られてから、等間隔に並んだ点々が浮き出てくる。
ミトラが代紋の位置に指を当てると、壁が十字に区切られ、位置が点滅した。
代紋の位置は、横が35.4122、縦が139.4130。
「こりゃあ……値の範囲から見て、おそらく緯度と経度の、日本……東京のどこかの座標を指してるんじゃねえのか」そして、少し置いて、短く切るように言う。「それも、この仮想東京でなく、現実のな」
ミトラの放った、そのたった一言に、私の心筋が冷え渡る。
――現実世界
現実は一般人と極道双方における絶対の禁忌。仮想東京の都条例にも引っかかるのは勿論、ヤクザの仁義においても、手を出すことはご法度とされている。
その理由をなぜかと問うことすら忌諱される、究極の不可侵。
口に出すのも憚れるその単語を訊いて、私は慌てて言う。
「もし無間会の秘密がそこにあるんだとしても、そんな現実に出るなんて、ほんと想像の域を越えてますよ」
だが、その禁忌に堂々と歯向かうかのように、ミトラは言う。
「ヤクザにとって重要なのは、ルールの外で物事を考えることだ。暴力による脅し、論理の外からの因縁、値がつかないようなモノの売り買い、まさか、そんなことするやつおらんやろ、そう普通なら思うような手をいかに何発も打てるか。そうした闇の想像力を蓄えることこそ、極道にとって何よりの、武器」
ミトラは、屈んだままだった身体を屈伸させ、改まって宣言する。
「それに、おやっさんが俺に現実出ろ言うんなら、俺はそれに従うのが親への道理だ。親のためにこの身体を捧げる、それが俺のできる、最大の供養だろ」
私は仁王立ちをするミトラの目を見る。ミトラの目線の先が示していたのは、少し前まで、ムラサキが座していた奥間だった。
「でも、ミトラさん……」
現実になんて、一体全体、どうやって行けば?
3
ドン鈴木――本名、鈴木太郎は、約百五十年前、仮想東京の第一世代として生を受けた。
彼は多情多感の十代期を、仮想東京の焼け野原で暮らした。自伝には、まだ少年の当時、肉体を失った喪失を完全に脱却できていない第ゼロ世代を間近で見て、無味乾燥としたこの仮想世界に彩りを与えることが自身の天命だと悟ったという。
極貧の少年時代には、裏路地で唄と踊りを披露し、裏世界の客との人脈を形成すれば、現実時代の映画の再上映や海賊版の違法販売で頭角を現して、表の世界に出てからは、演劇、歌謡、アイドルグループなど、次第にポスト・アポカリプスの世界に対して、初めて、まっとうな"娯楽"を提供し始めた。
その偉業によって、現代においてはあらゆる快楽を牛耳る巨人として、死んでなお名を偉人として残している。
そして同時に、彼がエンターテイメントに携わる者の宿命として、極道と数十年来の仲にあったことは公然の秘密だった。ドン鈴木が生きていた当時、最盛期を迎えていた極道たちは、社会を裏から操っていたのだ。
日の当たる世界に出たあとでも、裏稼業で培った人脈は健在で、ドン鈴木は極道と協力し、かれらの抑えた仮想土地で、商売を続けていたとされる。
大企業になった今でも、エンターテインメント部門をあえて歌舞伎町Xに構えてるのは、黎明期に世話になった、極道たちへの義理によるものだとも、界隈では噂されていた。
「相変わらず、気色悪りぃ場所だ」
歌舞伎町Xの一区画にある目玉、エンターテインメントの聖域である、スズキ・オフィシャル・デジタルの本社屋。
煌々と光を灯す不夜城の中では、深夜を超えても社員は必死に新しい番組を生み出すことに躍起になっている。
大理石の材質が敷かれたエントランスに入ると、マスコットのDXスズキくんが、下世話な笑みを四方に撒き散らしていた。簡素な猫のキャラクターだが、そのシンプルなデザインにも関わらず、数兆オーダーの解像度で仕立て上げられていると噂されている。
その計算効率の悪さが、娯楽の大聖堂の邪な輝きをより一層厭らしくさせているのだろう。
巨大な彫像を口を開けて見上げる私に、ミトラは「行くぞ」と促す。
彼いわく、この会社には、"伝手がある"とのこと。
昔、ミトラがまだ駆け出しの頃、なにかアングラな企画に応じたらしく、その時のプロデューサーに頼めば、ひょっとしたら現実までの渡りを付けられるんじゃないかと考え、その一縷の望みにかけるとしたのだ。
たしかに一般人ならば、仁義鎖の影響も受けず、ミトラは未だ極道として扱ってくれるかもしれない。
だが、いくらエンターテインメントの力を借りたとて、果たして現実になど、本当に到達できるのだろうか?
「つまりですね。もし御社でその番組である程度の人気が獲得できるならば、なる早でやりたくなるほどの非常に魅力的な提携話ではあるのですが、ここですぐ参入の意思決定ができるかでいうと難しいですね」
「おう、ほんなら取材の仲介人として、御社が絵図を用意してくれるってことでええんか」
「え? あれこれ、ちゃんと話通じてます?」
ロビーのソファー席で、深夜番組のプロデューサーを相手取ってのビジネス用語と任侠用語の空中戦。
相手が同じ言語圏に属しているか、お互いがいよいよ怪しく思い始めたタイミングで、私は口をはさむ。
すると、ひゅっと指を振り、ミトラは私に命じてくる。
「桜田、通訳」
「えー弊社の三浦は、『御社となんらかのスポンサーシップを結べないか』と、申しております」私はわざと畏まった表現で返す。
私の返事に、相手はなにかの強迫観念を感じるほど綺麗に七三に整えられた髪をぺたりとなでつけてから応える。
「そう申しましても、弊社としても時勢にあった娯楽を届ける社会的義務がございましてですね。極道と現実世界というのは流石に……そもそも移動の方法もありませんし」
「『移動方法の用意はなかなか難しい』と」適当に意訳して、要点だけミトラに伝える。
私の言葉に、ロビーのソファーにふんぞり返るミトラが、より一層険しい顔に変わる。
その瞬間――
「「「おはよう御座います!」」」」
背後のエントランスの方から、突然、挨拶の大合唱が谺した。ちなみに時刻は深夜二時だ。
目の前でしたり顔を見せていた七三プロデューサーも急に立ち上がり、髪型が乱れるのも気にせずに九十度のド直角で頭を垂れる。
いったいなにが起きたのかと、私達もつい振り返る。
周りの社員の目線の先にいたのは、花魁のような派手な衣装に身を包んだ綺羅びやかな女だった。
女性にしては上背の、その肢体を最大に魅せる優雅な玉歩でこちらに近づいてくる。
「あの人は……!」
私でも知っている界隈の有名人、ドン鈴木の孫にして、悦楽の女王の異名をもつ、ファビュラス・鈴木――本名、鈴木李枝子だ。
妾の子ながら、鈴木一族のなかで、もっともドン鈴木の才覚を継いでいると言われている美女。
そう囁かれる理由は才気だけが理由ではない。鈴木李枝子には、ある噂があるからだ。奔放なふるまいとその出生から一族から一時勘当され、ドン鈴木と同じように、裏社会に入り浸っていたとの噂。
更にその世界で、裏社会のさまざまな現場に立ち入り、エロティックとバイオレンスの灰色の境界を見極める審美眼を得て、表世界に舞い戻った後に、尖りまくった企画をいくつも立ち上げ、スズキ・オフィシャル・デジタルに更に巨大な資本を齎したとまことしやかに囁かれている。
その彼女が私達の間合いまで近づき、口を開く。
「やっ、ミトラちゃん、おひさ」
「李枝子さん……」
腰を浮かして驚くミトラに向かって、李枝子はサングラスを外し、ケラケラと笑みを放つ。
「なんか面白い話しているそうじゃないの」
李枝子は自己紹介の代わりとでも言うかのように、往年の甘美をあられもなく露出させ、そして意外な一言を口にする。
「ミトラちゃん、私も一枚噛ませてよ」
ミトラは大きく目を見開き、
「てえことは、つまり、俺らの金主になってくれる、って言うわけですか!?」
と言って、また反射的に人差し指をスウィングする。
「え?『現実世界に行く方法を提供してくれるってことですか?』」反射的に通訳しながら、私も驚く。
「勘違いしないでね。これは裏取引よ、裏取引。あなた達の行く末を見極めたくてね」
私たちには渡りに船な申し出。
にもかかわらず、なぜか、ミトラは意気消沈したような、らしくもない表情を垣間見せる。
「今更、俺に与することはないですよ。俺と李枝子さんの仁義、もう消えてんすから……」
やはりミトラはまだ、自分の培ってきた仁義鎖が九鬼によって消されたことを気にしているのだ。
だが、彼が言い終わる前に、一閃の衝撃がミトラと……なぜか私の頬にも奔った。李枝子が艷やかな掌で張り手を繰り出したのだ。
「あんた、仁義鎖に縛られ過ぎ。こんなの、普通の世界じゃ何の意味もない。極道の世界では自分の命より大事だろうが、本当に重要なのは見栄じゃなく、自分がどう思うかさ」
その衝撃のせいか、ミトラは憑き物でも墜ちたかのような鮮やかな眼に豹変した。
そのまま拳を握り、両手とも殴りつけるように地面に叩きつけ、続けて頭を垂れる。
「李枝子さん……いや、昔と同じく、"ファビ姐さん"と呼ばせてもらいます」
その所作を見て、李枝子はゆっくりと頷く。何故私も一緒に打たれたかは不明だが、ともあれ話がまとまったようで良かった。
「こっち、来て」
彼女に導かれ通されたのは、薄暗い部屋。
その空間には、水玉模様を基調とした簡素なワンルームを備え付けたキャンピングカー。
ともすれば、不安定で安っぽくも見えるその車体を、私は呆然と眺める。隣で同じ画面を見ているミトラも、まるで憧れのヒーローを見た少年のように、目を輝かせている。
「本物なんですか?」
私は信じられない思いで李枝子に訊く。彼女は、自慢気に「そうよ」と短く口にする。
目の前に映るそれは、幻想と現実、此方と彼方、内と外、ふたつの異なる世界をつなぐと謳われた伝説の特別車――魔導鏡號。
「こんなの、空想の産物かと思ってましたよ」
私は驚きながら、キャンピングカーの部屋の内部に足を入れる。青空に浮かぶ雲が一様に施された壁紙と、大きな窓。
だがその窓には、本来映るはずの外の暗がりではなく、大雪原の景色が映っている。
退廃した現実の光景だ。
「現実にはね。これとまったく同じ車が存在しているのよ」勝ち気にそう語る李枝子。
彼女いわく、仮想と現実、それぞれに存在する魔導鏡號は完全に同期しており、そのシステムを改造すれば、私たち仮想世界の住人も現実に繰り出せるという。
「昔ある企画モノで使おうとしたの。実景にいやにこだわる監督が、どうしても青天でやりたいっていうから、そんで、いろいろ伝手をたどって、やっとこさ用意したのさ。ま、結局その企画は、条例の関係上、たち消えになっちまったけど」
「でも、とにかく、これがあれば……」私は声を震わせる。
「そう、兎にも角にも、これの機構を改造して、情報と現実の境界面を接続すれば、仮想東京の人間も、現実を謳歌できるはず」
現実に飛び出す伝手が本当にあったことに喜ぶ反面、同時に、どうにも払拭できぬ疑心もある。
私は李枝子に問う。「……なんで、私達に、ここまでしてくれるんですか?」いくらミトラとの何らかの絆があるとはいえ、商売人の李枝子が私にここまで協力する理由がわからない。
「ねえ、なんで私達が、歌舞伎町Xで仕事してるんだと思う?」
私の疑問を李枝子は華麗に無視して、逆に問い返してきた。
「巷で訊いた話だと、初代との仁義に起因するとか」
私が言うと、せせら笑いとともに、李枝子が私の頭をぺしりと叩く。
「この資本の社会じゃそれだけでやってけるわけ無いでしょ、そりゃあ、仁義も多少重要だけど、ね」
「じゃあ、なんで?」
「歌舞伎町Xは、正確に言うと仮想東京ではないの」
意外な言葉に私は面食らう。東京で無い?「でも、歌舞伎町Xも、異質ではあるものの、履歴上、ちゃんとした仮想東京の一部ですよ?」
「あなた、大昔までの履歴をたどったことはある?」そう尋ねてくる李枝子。「確かに今の管理は、仮想東京と同じ都が行っている。だけど、歌舞伎町Xのあの入り口、一番街のアーチを超えた此方側は、生まれからして独自の出自を持っているの。今では仮想東京の一部となって簡単に行き来できるけど、昔はまるでひとつの国の如く、関所を作り、独自の治世を極道が仕切っていた、そうした継ぎ接ぎの歴史の上でここはできている。こんなの、他の場所では絶対にありえない」
そんな馬鹿な、と否定したくなるような話である。
だが、妙な凄みの中で、裏と表を知る李枝子に言われると単にオカルトめいた与太話と一笑できない。
私はそっと足元に目線を落とす。この土地は、一体誰がどうやって、構築したのだろうか?
不気味な沈黙が流れた後、更に李枝子が言う。
「だから、この薄暗い境界線でエンターテインメントの仕事をするには、昔は都合がよかった。とはいえ、大昔と違って、すでに歌舞伎町Xの土地の計算資源も、すでに表の都政が牛耳ってる今、むしろこの秘密は詳らかにしたほうが、娯楽になる」
なるほど、と私は思う。自分たちに有利でなくなった情報は、むしろ売り物として消費させてやろうということか。商売人として見事な姿勢だ。
「つまり、私があなたに依頼することはふたつ、ひとつは表の世界をライブで中継して、仮想世界に提供すること。そしてもう一つは、この歌舞伎町Xの秘密に触れること」
「その秘密は同時に、無間会の計算資源に繋がってるかもしれねえ、ってわけですね」ずっと黙っていたミトラが口を開く。臆すること無く、むしろそうでなくてはと興奮した声色で。
その言に満足したかのように、ゆっくり李枝子は頷き、パンと手を叩く。
「話がまとまったならば、旅の主役であるあなたと。もうひとり、カメラマンが必要ね」
言いながら、李枝子は目線を私に向ける。いや李枝子だけじゃなく、ミトラも、七三プロデューサーですら、私の方をじっと見てくる。
「おう、おまえ、どうすんね」
ミトラが私に尋ねてくる。一見突っぱねているようにもきこえるが、これはミトラなりの優しさだ。『お前は一般人だ。これ以上、付き合う必要は無いぞ』。そう、言外に心配してくれているのだ。
その優しさを存分に理解した上で、私は言う。
「行きます。いや、逝かせてください」
私とて、ここまでなんの決心も無く流れるままに来たのではない。ムラサキとの約束をなんとしてでも守る意思を貫く。いや、たとえムラサキとの約束が無くとも、この侠、ミトラの最後をなんとしてでも撮りたい。そう私の心が囁いているのだ。
「では、ここに証明をお願いします」、ずっと黙っていた七三が、目の前に取引の承認画面を目の前に映す。
「おう、血判やな」
「あ、はい。『電子証明』ですね」
4
豪雪のなか、放射性のテールランプの放つ蒼い光が軌跡を描く。目の前のミトラの魂が入った筐体を必死に追いかけながら、私は雪原の中を行進する。
寒さのせいで、関節を曲げるたび、金属同士が軋む音が聴こえる。
身体がとても重く感じる。"身体"、と言っても、この身を宿しているのは、あくまで機械の身体だが。
私達ふたりがそれぞれ入っているのは、魔導鏡號――その基幹システムを改造し、険しい道も柔軟に移動できるよう、人型の移動ロボットを二台拵え、現実に出た。
「しかし、なかなか慣れませんね」
感覚をこの人型機械と共有している私は、一歩一歩を踏み出すたびに、慣性をうまく制御できず、危うく転げそうになる。
金属の肉体なれど、仮想世界の調整可能な柔い重力と違って、この現実には手加減のない厳かな重さが存在していることを私は実感する。
光が、風が、あらゆる事象が、まったく違う解像度で身体に突き刺さってくるような衝撃。自分が今、現実にいるのだ、という感覚に打ち震える。
そのまま何十キロも進む頃には、現実と虚構の境界が曖昧になってくる。こちらから向こう側を見ていると、まるで閉ざされているはずなのに、境界がなくなり、現実世界とひとつに溶け合ってる感覚が生まれてくる。
「これが、魔導鏡の力なのか」
仮初の肉体で、これほどの情報量。もしも、本当にこの境界が消失し、私達が真に本物の肉体を得たときに、この輝く世界を一体どのように感じてしまうのだろう?
「聴こえる?」
都庁からスタートし、荒廃した新宿駅を越えたあたりで通信が入った。
「あ、ファビ姐さん」
「あんたは李枝子さんって言いなさい」少し険しい声で李枝子は言う。いくらミトラの前では悠然に構えていても、やはり"ファビ姐さん"の名前のダサさには目をつぶれないのか。
「映像は無事届いてますか?」と李枝子に疎通チェックを確認する私。
「バッチリ、何百万人ものユーザーが、あなたの有志を見てるわよ。ま、関係各所からクレームが鳴り響いてるけどね」
よかった。これで最低限の目的である、現実のライブコンテンツの供給は達成したわけだ。
とはいえ、ただ真っ白な世界を提供してもまったく意味がない。この先になにか撮れ高が高いものがあればいいのだが。
と、そこまで考えて少し思うことがあり、私は再び李枝子との専用通信チャンネルを開いて尋ねる。
「ねえ、ちょっと訊いてもいいですか。どうして、今更こんな伝説、確かめようなんて思ったんで?」
「ねえ、新宿という土地の生まれについての、こんな伝説知ってる?」神妙な声で問い返してくる李枝子。
「それはまた、仮想世界の都市伝説ですか?」
「違うの。今度は現実世界の話、あなたたちが今まさに目指してる、現実の新宿の起源神話とも呼ぶべき、中野長者伝説のお話よ」
李枝子が語るその伝説は、室町の頃の、九郎というある男の話だった。
信心深い男であったその九郎は、ある日、商いでせっかく手に入れた大金を仏に捧げてから帰路についた。そして、帰宅する途中、遠くで家が燃える如く光り輝いていることに気づく。あわや火事かと大急ぎで戻ると、その実、家中が黄金で満たされていたのだ。
御心が仏に通じ、大富豪になった彼は喜ぶ反面、九郎は財産の管理に困り、密かに近隣のうら寂しい原野を探し、そこまで雇った人夫に黄金を運ばせ、土の中に隠したのだそう。
「ところがさ、周りから信心深いと尊敬されていた九郎には、ある重大な秘密があったの。秘密の財宝の隠し場所を知る者が自分以外にいることを不安に思った九郎は、運んで隠す作業が終わる度毎に、雇った人夫を夜道で切りつけ、その死体を同じように埋めたのさ」
話を訊きながら、ずっと私の身体には悪寒が走っていた。
新宿の基底に蠢く、死体と黄金の伝説。
今の世で黄金――金とは、すなわち計算資源と同義だ。ブロックチェーンで支配される世界ではその採掘に寄与した人間にその働きに見合った報酬が払われるからだ。
「じゃあ、"死体"とは、いったいなんだろね?」李枝子は言う。
現実と仮想、此方と彼方。このふたつの"新宿"の定礎には、一体何が潜んでいるのか。
「ただの大昔の伝説でないんで?」と私は言うと、李枝子は「おバカ」と一蹴する。
「土地にはその土地に相応しい物語がある。たとえ仮想世界になっても、その物語の根幹は揺るがないはずよ」
新宿の地下には、なにかがある。
「で、そのなにかがなんなのかは、本物の新宿にたどり着けば、おのずとわかると」私は言う。
「そのとおり、私はいずれ親戚の間抜け共を一掃し、おじいちゃん――ドン鈴木の跡目を継ぐ。そうなった時、彼も携わった歌舞伎町Xの秘密について、なんとしてでも尻尾を掴んでおきたいのよ」
「なるほど」と相づちを打ってから、最後に絶対に確認しておかねばならないことを李枝子に訊く。
「ちなみに、その伝説だと、最後はどうなるんですか?」
「九郎と妻の間には愛らしい一人娘が生まれる。ところがこの美しい娘には、ある時突然、全身に鱗が生え、頭には角、眼光は艶かしく輝き、口は裂けて大蛇に化けてしまったの。その大蛇が外に出ると、大雨が降り出し、辺りは水に沈んだそうよ」
「つまり、私達にも想像し得ない危険も待ってるってことですかね?」
そこで突然無線が途切れる。二人の間の会話は、李枝子の無言のイエスで終わった。
更に一切止むことがない豪雪の中を数時間ほど移動して、そろそろ帰りの燃料を気にかける必要が出てきた頃。凍りついた金属板が目に入った。
私はその板の根本を腕を動かし掘ってみる。永く氷の中に埋もれていたせいで、顔料はほとんど剥がれているが、かろうじて"一丁目"の文字は判別できた。
「ミトラさん、どうやらこのあた――」
私が言いかけたところで、ミトラがスピーカーを震わせ、叫ぶ。
「桜田! 走れぇえ!」
戸惑っていると、地面に亀裂が走っていることに気づく。雪で固められたと思っていた地面は、その実、柔くなった地面が氷で無理やり繋ぎ止められていただけだったのだ。
「おい、ぼやっとすんな!」
私達の情報はすべてまるまるこの機械の身体の中に入れられている。残機はない。
つまり、ここで魔導鏡號が破壊されれば、そのまま死ぬ。
だが物理重量百キロを超える人型巨体は数百年間もの間凍り続けた地面をあっけなく崩落させ、私達はふたりとも、底の見えない裂目に堕ちてしまった。
本物の新宿の地下には巨大な地下迷宮があるという都市伝説は、よく噂されるお伽話だ。
だが、実際に訪れてみると、その伝説ですら、かなりの過小評価であったのだと悟る。
裂目によって顕になった地下迷宮は、あらゆるところに孔が穿たれていて、まるで冥界のように入り組んでいる。
「生きてるか?」
雪と瓦礫の山の上から、ミトラの冷静さを保った声が響く。
「ここはどこでしょう?」姿勢を戻しながら、ミトラに尋ねる私。
応じるミトラ。「数百年前の地図と照らし合わせた感じだと、今いるのは、東新宿南口から北西に行ったあたりってとこか」
「つまり、どこなんで?」その固有名詞からは、方角すらまったくわからない。
「わからん。だが、俺たちの行く末、歌舞伎町は近いはずだ。地上に出ること無く、このまま進むぞ」
仮想東京からのサポートがあれば心強いが、地下に降り立ったせいか、はたまた衝撃で機械が損傷したせいか、あるいはこの豪雪だからか、仮想東京にいる李枝子との通信はノイズばかりで、意味のある情報は拾えない。
私はゆっくり歩きながら、ひとつ不思議なことに気づく。ところどころに光源が設置されているのだ。
数百年まえから半永久的に光を発しているのか、あるいは――
「オニーサン、ドコイクノ」
突如、足元から鳴き声がきこえてくる。私は悲鳴をあげてしまう。
生命が既に絶えたはずのこの地に、ありえないはず。だが、暗がりの足元に跋扈しているのは、明らかに生命体。一メートル程度の生物が蠢いている。
私は恐る恐る、光源を足元に向ける。
まるで、屍人のように、人のような窪んだ眼に、やせ細った……人間か?
「オニーサン、オニーサン、ドコイクンデスカ」
ボロボロの服を纏ったまるで子供のようにも見えるが、よく見ると髭やたるんだ皺など、成人した大人の特徴をもっている。
ミトラが刺すような声で私に告げる。
「目を合わせるな。口も聞くな、前だけ見て進め」
私は新宿の都市伝説のひとつを思い出す。この地には、未だ地球上に生きる人間がいると噂されていた。
通称、ポンビキ。
「ネエネエネエネエ、ドコイクノ?」、「コッチニイイトコアルヨ」、「ドコイクカキマッテルノ?」と窪んだ目で語りかけてくる。私は、ミトラの言に従い、なるべく、目線を向けないように、伏して進む。十分な栄養が摂取できないからか、一メートルにも満たない矮躯に縮んでしまっているのだろうか。
だとして、こんな極寒の地で、どうやって生きていけるのだろうか?
疑問は潰えないものの、一箇所に留まっていると、うろうろと多くのポンビキが私達に集まってくるため、ギチギチと嫌な軋む音をたてながらも、這いずるように行進して、群れをなんとか撒く。
そうして進んだ道の途中でミトラが突然言う。
「ここだ。この道の先に、おやっさんの示した、なにかがある」
私はより一層の恐怖と、それ以上の興奮が身体に迸るのを感じる。
この永遠の奈落のような闇の先に、私達の求める、なにかがあるのだ。
「覚悟はいいか」
ミトラの言葉に勇気づけられ、狭い隘路を少しずつ行進する。サーモスタットの温度を見ると、マイナス五十℃、更に進めば進むほど、温度が下がっていく。
にも関わらず、なにやら熱気が立ち込めるような気配を私は感じる。
何があるのかとすぐに正面を見据えると、狭い世界が途端に拓けた。
「おい……見てみろよ」
何百メートルか進むと、先頭を行くミトラが震えるように言う。
その光景を見て、私はうっかり呟いてしまう。
「仏様……」
5
咽返るような侠気が、周囲に充満している。
現実の奥底に秘されていたのは、大量の極道の亡骸だった。
その極道が縦に数珠つなぎとなっている。そのせいで、目の前の一体の背中の端から、後ろに控えた極道の腕だけが横から飛び出していて、まるで千手観音が出迎えてくれたかのような崇高な印象を受ける。
「伝説は、本当だったのね」
突如響く電子音、ノイズと共に、通信が回復する。「ファビ姐さん!」
「祖父が時々話していたのを訊いたことはあったけど、まさか本当に実在するとは思わなかった――これは極道的特異点の遺物よ」
「極道的特異点……?」
李枝子は語る。過去、祖父によって語り枯れた、極道的特異点の悲劇について。
仮想世界への移行期、㊕暴排法によって、一般人と取引できない極道は仮想世界に移行できなかった。
だがそんな絶体絶命の中にも一縷の希望があった。脳の解明と量子技術は、コンピュータの中に人間を入れることを可能にすると同時に、その真逆、人間をコンピュータにすることも可能にしていたのだ。
だがそのためには、己を捨て、計算機と化す極道が不可欠。
しかし、そんな人身御供のような行いを下の者にさせるのは、極道の嗜みに反すると当時の組の上の者は考えた。そのため、計算資源を賄うために大昔の数多の幹部たちは、自らの脳を捧げ、バイオコンピュータとなったのだと。
「そうして莫大な計算量を確保し、多くの極道が仮想世界に移行できたの。つまり、歌舞伎町Xは黎明期、親分達を人柱にすることで成立したわけ」
私は恐る恐る、眠り続ける極道に近づく。
よく見ると、どの個体も脳髄に直接注射器が繋がれていて、接合部から、何やら緑色の液体が漏れ出ている。
突如、目端でなにかがカサカサと動く気配を察知する。
「うわっ!」
連なる遺体たちの隙間から、一人のポンビキの姿が見えた。その手に持つ錆びた鉄製の入れ物の中には、なにかの液体が波々と入っている。
「李枝子さん、これは一体?」
「この極道を遺体を動かす栄養素として、供給され続けているんじゃないかしら。地殻エネルギーと地表の極寒の熱的エネルギーの差分を利用し、バイオエネルギーに変換して、それがこの古の極道たちをいまだに供給し続けているの」
つまり、ポンビキは生きるため、この遺体を動かしている栄養を極道たちから採取している。
「ってことは、この極道、まだ稼働しているんですか?」
「そうみたいね。だけど、歌舞伎町Xの土台に極道計算機が寄与していたのは、恐らくはるか昔の黎明期のこと。今となっては、どこにも寄与していない、さすらいの大計算機のはず」
そこまでの李枝子の話を訊いて、私は大きな謎がひとつ、解けた気がした。
「ひょっとして、九鬼は……」
だが私の言葉は途切れてしまう。
――地面が大きく揺れる。
「地震か!?」まずい、この地下の中では生き埋めになってしまう。
だがその異変は、地震などではなかった。
「武来組の御一行さあぁぁぁん。ここまでたどり着いたんですね」
突如、眠っていたはずの極道の一体が目をかっ開き、口元がもぞもぞと動いたのだ。
この声色は絶対に忘れることはない。
九鬼だ。
突然の異変にもミトラは臆することなく、叫ぶ。
「おう、九鬼よぉ、おんどれの生息地は、ここだったんだなぁ!」
「仰るとおりで。私のかわいいかわいい子分がお世話になりました」
そう、九鬼の出自は、ここ現実世界のポンビキだった。そして、この地獄に生まれ、極道の死体に寄生して生きていた九鬼は、ある時思いついた。
ここにある極道を使って、この無間地獄を抜け出し、肉体の苦悩に悩まされること無く生を謳歌している、仮想東京の住人たちを破滅させてやろう、と。
そのために仮想東京で、まずは極道となって、着実に復讐の手はずを整えよう、と。
そうして、ポンビキという餓鬼道から、極道という修羅となった。仮想東京という浄土を破壊するために。
そのために利用したのが、ここに並ぶ古の極道たち。これが、九鬼の莫大な計算資源の正体。
黄金と死体は等価なのだと、九鬼は気づいたのだ。
目覚めた九鬼に、ミトラは挑発する。「お前ぇずっと俺らのご先祖様相手に、随分と節操のない真似をしてくれてたんだなぁ!?」
「それがなんだってぇ?極道こそ、穀潰しの寄生虫じゃないですかあぁぁぁ」
九鬼の咆哮に応対するように、周りに鎮座する他の大量の極道たちが蠕動し始める。
一糸乱れぬ動きで極道の亡骸同士が腕を交差させ組み上がり、十数メートルもある隊列を為す。山折り谷折りの蛇腹状に組み上がった侠たち。その肢体が揺れるたび、大地がまた揺れる。
まるで、巨大な蛇。その頭頂部に居座るのは、九鬼の上半身。
組み上がった極道は、天を駆ける龍の如く、はるか上の天井まで突き刺さり、地表に繋がる氷を貫く。
その一撃で、灰色の天が顔を見せる。
九鬼は天高く積み上がった、天を穿つ極道タワーの頂上で、ふらふらと頭頂部を揺らし――撓るムチのように勢いをつけ、ミトラの筐体に突撃する。
「ミトラさん!」
勢いに敷かれ、壁に叩きつけられ、壁面が割れてミトラに覆いかぶさってくる。瓦礫のなかで、身動きが取れないミトラ。
今、彼の目の前にあるのは、一体の極道の遺体のみ。
だが、その極道の遺体だけは、九鬼の呪縛に抗うように、微動だにしていない。
「この極道……」
私はその極道の遺体を凝視する。一体の筋骨隆々な侠の背中、その青白い肌に刻まれていたのは、見事な和彫りの仏だ。
片足を組み右手は頬に付け、まるで無限に思索を続けるかのように瞳を閉じ、穏やかな笑みを浮かべる、その御姿。
その彫りを見た李枝子が突如、叫ぶ。
「ミトラ、ならばあなたも現実に降り立ちなさい。ここで、古来からの極道の魂を継ぐときよ」跡切れ跡切れの通信のなか、李枝子はミトラに伝える。
「ここで、襲名式を行いましょう!」
「つまり、私がこの大兄貴たちを継げってことですかい?」既に金属のガラクタに成り下がった満身創痍のミトラが言う。「……いや、俺には荷が重いです」
「やりなさい」
「いやいや」
「やりなさい」
「いやいやいや」
「やりなさい」
「よし、やりまさぁ!」
極道の嗜みに従って、きっちり三顧の礼を通したあと、背中から飛び出したケーブルを極道の遺体と接続する。
傷だらけの機械が脆くも崩れ去り、代わりにケーブルに繋がれた先の、筋骨隆々の侠が屹立した。
ミトラが真の肉体を持つ極道に生まれ変わったのだ。
「襲名!」
ミトラがそう叫ぶと、背中の仏の眼が無限の彼方まで照らす。
まるで行く先を祝福するかのように、極寒の世界に、暖かな光が灯る――
絶頂。
私は、うっかり泣きそうになる。神話世界から飛び出したかのような、その圧倒的な迫力に感化させられてしまう。
新たな肉体に襲名したミトラは、大きく息をする。数百年ぶりの酸素を身体の中に充満させる。そして高らかに口上を述べる。
――お控えなすって、夢幻泡影の一世を賭し、今ここに、仁義を発させて頂きやす。
「それがなんだってんですかぁ? こっちは何百体もの極道の集合体ですよ!」
ミトラの熱り立つ肉体に構うこと無く、金切り声で九鬼は叫ぶ。彼は、巨大な蛇と化した自身の身体を、今一度揺らし、存分にエネルギーを蓄えたあと、ミトラに向かって再び突っ込んだ。
豪傑たちのもつ、途方ものないほどの質量と速度の掛け算に、極道を、ひいては仮想世界を潰すという、黎い炎が乗算された上での突貫。
だが、生まれ変わったばかりのミトラは、その化け物を避けること無く、堂々と受け止めた。
電子でも金属でもない、本当の肉体。真の侠と侠の間に雷撃のように輝く閃光。
爆風が辺りに吹き荒れる。ミトラの背骨が極限まで反り、血脈が裂けて鮮血が雪の上を彩る。
せめぎ合う仁義と仁義。
「あっ、え?」
そんな、私は闘いの最中に、私は天を見上げてしまう。それほどの異変が地上に起きていたのだ。
「光だ……」
大破した地上の裂目から、おそらくもう何百年も顔を見せることがなかった陽光が、地上から地下に照射し、ミトラの後ろの仏を見事に照らしている。
私も、ポンビキも、李枝子も、私の配信する映像を見ているはずの仮想東京の数多の一般人と極道。それに、闘いの渦中にいる九鬼ですら驚く光景。
それは、無限に続くと思われた極寒の世界に終わりが見えた兆候。
――常寂光土に導かれ、先にあるのは海闊天空、空即是色……!
一瞬の弛緩を見計らい、ミトラは自身に向かってくる力をすべて反転させ、九鬼を跳ね飛ばす。
「クソがぁ!」
それでも、勢いを殺して再び大勢を立て直そうとする九鬼。
だが彼が立ち上がることは二度と叶わなかった。
九鬼の巨体を構成する極道の一体が、急にふらりと集団から脱した。それを契機に、一体また一体と力を緩める極道たち。
どの極道も機能を停止し、まるで繊維が解けるが如く、その場に崩れ去っていく。
「なんだどうした? おい! おまえら! 立てよ! 立ち向かえよ!」
発狂したように叫ぶ九鬼。だが、極道たちはまるで意に介さない。
状況を九鬼と同じく、飲み込めないままにいる私。
その理由を告げたのは、歓喜に湧く李枝子の声。
「ミトラ!仮想世界の極道たちが、すっかりお前の侠気に当てられちまったみたいでさ。自分たちの任侠魂の赴くまま、ミトラの任侠に、各々が持つ計算資源を上納しているよ」
だから、計算量が過半を越え、九鬼による呪縛が解けたのだと。
つまり、私達の完全勝利。
「ミトラさん! これで、武来組を復活させることができます。暖簾分けすれば、再び武来組を復活できますよ!」
未だに信じられない。私達はあそこまで追い込まれたのに、私たちはすべてを覆し、義理を通しきったのだ!
だが、ミトラは一抹の気の緩みも見せないまま、大股で歩を進め、満身創痍の九鬼に近づいていく。
既に九鬼は茫然自失となり立ち上がろうとすらしない。先程まで見せていた闘志を微塵も感じさせず、大量の極道の山の頂上で弛緩しきっている。
「あの、ミトラさん……」
勝負が決してからも、ミトラは目の前にいる九鬼を、瞬きすること無く睨み続ける。
緊張を孕んだ無言の対峙が、暫しのあいだ続く。
暫し続いた沈黙の後に、ミトラは私と、仮想世界にいる極道全員に向けて言う。
「俺はもう、仮想世界には戻らねえ」
そう言って、ミトラは、九鬼を厚く抱きしめたのだ。
その光景を見て、私は、つい心の声が漏れ出てしまう。
「――粋」
私の視界を通して通して垣間見ている多くの者は、恐らくミトラの言動に戸惑っていることだろう。
だけど、多くの観衆が見守るなか、ずっと行く末を見届けてきた私だけが、ミトラの真意を理解した気になる。
極道とは極を愛し、極に愛される者。世界から見放された者共に、救いの手を差し伸べる存在。
すなわち、この現実世界で迷える子羊たちを導く、圧倒的な仏になることを義務付けられた者。
その姿を私と同じように見惚れたのか、ポンビキ共が地下の隙間からわらわらと飛び出してきて、ミトラを囲い込み始めた。
そのひとりひとりをミトラは丁寧に慈しむ。
そして暫しあと、かれらから少し距離を取り、極道がうず高く積もった山の前に相対し、そっと大量の遺体を前に手を合わせ、ミトラは天に向かって宣言する。
「ご参列の皆々様方、手前勝手の仕切りで誠に恐縮ですが、これにて手打ちとさせて頂きます」
仮想世界と現実世界、一般人と極道、地下と天上、此方と彼方、十万億土を席巻する、弔いの儀。
極寒の世界にも関わらず、火照る身体から湯気が出続けている。その蒸気と汗と血で輝く背中に見惚れていた私に向かって、後面の菩薩は慈悲深い笑みを与えてくれる。
ミトラが背中に宿すは、弥勒菩薩――またの名を未来仏。
無限の彼方の未来の先に姿を現し、人々を救済する逸話を背中に携えた者として、ミトラはこれから先も、この世界に新たな救いを齎すため、極の道を走り続けるはずだ。
私はそっと心のなかで決意する。
これから先、どのような運命が待ち構えていようとも、私もこの侠の背中を、共にずっと追い続けるよう。
参考文献
高神覚昇『般若心経講義』
ヤコブ・ラズ『ヤクザの文化人類学: ウラから見た日本』
中沢新一『アースダイバー 東京の聖地』
