目次
東京滑蹴祝祭
Ⅰ
〈アタリ、〈吸血部隊〉が来るぞ。おうおう、後ろからだってんだ! さっさとトリックをかませや!〉
ヘッドギアに相撲部屋からの怒声。
私は「わかっとるわ! 落ちつけって」と吠えて、プッシュでスケートボードを加速する。旧池袋西口公園。東京電燈、半壊した輪、電飾満載の夜景。空には灰色の雲が立ち込め、春雷が唸っている。
五メートル先に下りの階段。
レギュラースタンスで腹に力を入れる。オーリーの準備。加速するウィール。反英雄の木製デッキ。凸っている地面。汗で濡れたヘビーウェイトのTシャツ。スポーツブラの締め付け。膝を曲げると突っ張るディッキーズのチノパン。勝負靴はDUNK。
首筋に汗。
今だ。階段の手すりに向って、ボードを浮かせた。勝負靴のソールが張り付いているメープル製のデッキ。そのど真ん中を手すりに乗せる。
重力に身を任せ、そのままスライド移動。両腕でバランスを取る。
ロックンロールスライド。デッキの腹が手すりで削れる音。長い一秒、で階段の終わり。じゅうぶんだ。地面に戻る。膝を曲げ衝撃をクッション。無事着地。
滑蹴者と街、スケートボードの三位一体が織りなすトリック。このすべてを支配している瞬間。これこそ醍醐味である。
サイヤ人型ヘッド・マウント・ディスプレイに表示された【滑蹴技値】を確認。
2785点。まァ、中の上。思ったより、バズってねえ。観測者の受けが悪いのか。
〈よぅやった!〉相撲部屋からの賛美。いらねー。
私の後に続いた〈吸血部隊〉の一兵卒は、ノーズスライドを手すりに仕掛けたが、失敗して横転。腰を強打し階段落ちをかました。
原因は明白。私のトリックに続こうとして、焦ったのだ。【滑蹴技値】は120点。こけっぷりは見事でお情けの点が入っただけ。話にならねえ。〈吸血部隊〉など烏合の衆。
私はわき目もふらず、公園内から路上を目指す。ひとまず私が所属する暴滑族、〈助八雷道〉のスコアを稼いだ。
東京滑蹴祝祭。この半年に一度の遊戯は、東京に存在する百の暴滑族の優劣を決する、スケートボーディングによる代理戦争だ。
路上に出ると、同じ暴滑族の弾丸僧侶が並走してくる。
金色亜麻の袈裟。彫刻のようで荘厳ともいえる剛筋。坊主頭には梵字のタトゥーが入り乱れている。
振り返ると、HMD越しに私たちが残したウィール軌道が青緑の線でマーキングされていくのを確認した。
「哇哦! ナイストリックよ」
「でしょでしょ。おっさんの調子は?」
「ヒヒ、速さが売りだからサ」ロングボードに乗っている弾丸僧侶は目を細め、無毛の頭を撫でた。「もう原宿、アラカタ回り散らしタ」
「なんかおもろいことあった?」
「ヒヒ、ウワサの人魂、見ちゃったよ」
ここ二年ほど、東京滑蹴祝祭の夜に人魂を目撃した、という事例が複数報告されている。青く燃える火の玉だったというヤツもいれば、生首が浮かんでいたというヤツもいる。このイベントでは人が死にまくっている。不思議ではないが、私は見たことないし、見たくもない。
「どんなだった?」
「ライムグリーンの球体だった。でかいホタルだ、ありゃ。ついでに臭かったナ」
「なに?」
「硫黄のニオイが漂っテおったわ。あれは、地獄の臭いナ」弾丸僧侶はくすくすと笑う。「サー、ふたりで渋谷の辺りでも突入するかエ」
弾丸僧侶が前傾姿勢を取り、私を先導する。
暴滑族最速で最古参でもある弾丸僧侶の役目は、フリーライドで道路上の領域を拡大することだ。領域点数は暴滑族全体の【滑蹴技値】の基盤となる私はストリートスタイル、公園やビルなどの都市オブジェクトでのトリックで点数を稼ぐ。領域を広め、トリックを決めて、暴滑族全体でより高い【滑蹴技値】を獲得する。
【滑蹴技値】を決めているのは、空に浮かぶ数千の蜂型ドローンから中継された映像をリアルタイムで観戦している観測者たちだ。数万に及ぶ観測者たちの脳には侵襲型最新鋭脳機械翻訳が装着されていて、ニューロンが活性化して報酬系が反応すると、その度合いを数値化する。これが【滑蹴技値】として換算される。
観測者たちの脳を興奮させるには、滑蹴者と技、スケートボード、街という異なる要素を一体とさせた瞬間が必要だ。難しい技だけじゃダメ。場所がいいだけじゃダメ。モメントの質が低ければ、【滑蹴技値】も低いままだ。観測者が少ないままでもまずい。増やすには注目を浴びるようなモメントが必須となる。
つまり、高いトリック系の【滑蹴技値】を出す方法は、観測者を増やしつつ、質の高いモメントを連続的に生み出し続け、シークエンスへと繋げることになる。
ゆえにダサいのはご法度。いろいろあるが、『ダサい』の骨頂はテクノロジーに傾倒することだ。電動機関やガソリンエンジンやらの加速装置は特にオススメしない。
【見た目はシュワちゃん、中身はポーザー】と揶揄され永遠に名を刻むことになる。
私たちは速度をそろえ、ビル谷を進む。
この都市にはいろいろ足りていないが、電力だけは無尽蔵に供給されている。まるで死体に電気ショックを与え続け、無理やり心臓を動かして、『大丈夫! 生きています!』と言っているようなものだ。商業ビルの瓦礫の上からは、巨大立体三次元映像の偉大なる明日香キララが慈悲深い笑みを浮かべながら下界を見下ろしており、私たちが通り過ぎるとキスを投げてきた。
競技時間中、競技に参加しない住民は全員域外退去させているが、お呼びでない客も来訪している。主催に見つかれば、襤褸切れと化すまでタコ殴りされてから、強制追放させられる。まあ、リスクを刺激にして、スリルで快感を得たい連中は多い。どこからか潜入したフィルマーは上質な映像素材を狙って、ハンディカムを引っ提げながら旧繁華街をうろついている。地下から湧き出た武装革命主義者たちは、真っ暗なマクドナルドのテーブルで麻雀を愉しみつつ、大麻をふかしチルな雰囲気で観戦していた。
界隈に設置されたBOSE製のワイド・ホーン・スピーカーからは低音の利いた高速ダブが流れ、滑蹴者たちを煽ってくる。
「んで、自慢の弟子は?」
「んハ、あいつはわかんネ。六本木、セメておるかもね」
〈情報だっ!〉軍人口調の相撲部屋が興奮気味に騒ぐ。〈鼠小僧は、ヒルズを攻めておる!〉
この声、うんざり。
「ああーあざっすー」
〈気のない返事はよさんか。気合いだ!〉自分はパソコン部屋に籠っているくせに。
「うぃー。で、うちらの順位は?」
〈一二位だ! ……悪くない〉
交差しながら、他の暴滑族のラインを私たちのラインで上書きして、領土を増やす。
滑って飛んで蹂躙しろ。
「じャ、またアトで」
弾丸僧侶は加速して、あっという間に背中が見えなくなってくる。
私のフォロワーが減っていた。きっと弾丸僧侶に切り替えたのだ。
ふと、正面の闇から黒い影が颯爽と姿を現す。
そいつは、メビウスの輪のような軌道を描いて、そこらべったでトリックを決めていく。消火栓でノーズグラインド、ショービット、路駐された黒塗りのボンネットへ登ってから、ハーフキャブして路上に戻る。テンポを崩さず流れるようで優雅なシークエンスではあるが、無機質で熱を感じさせない。
夜が舞っているみたいだ。
散切り白金髪。褐色の肌。墨色のチューブトップ、長い手足。エディ・スリマンの骨董品スーツを着こなし、足元には今は昔のアイ・パス。
絶対にコケることはないから、汚れてはいけない格好で滑る女。
略称で呼ぶことを許さぬ不良天上天下唯我独尊。
極楽歌舞伎町を根城とする最強暴滑族〈対極東〉の族長。
東京滑蹴祝祭の一番星。
虎虎だ。
〈おい! 邪魔するか?〉
「何言ってんだよ、素手喧嘩じゃ勝てねえよ」
〈噴! ビビっておるか、お嬢。凹らせてやらんかい〉
正直、私はビビッていた。全身から汗が噴き出る。
だから虎虎に一対一のドッグファイトを挑むべきではない。私にとって今日が最後の滑蹴だ。勝てぬと自明な相手に挑んでボコられる、なんてのは死んでも死にきれない。
と、ここで虎虎の背後に迫る影。
私はブレーキングする。
戻ってきた。なぜ。
弾丸僧侶だった。
電光石火で接近。ウィールは火花を散らす。
奇襲だ。十八番の電撃攻撃。
弾丸僧侶は、音もなく背後から迫り、何かを虎虎に向かって投擲する。
無音手榴弾。
爆発地点から周囲三メートルの音を消し飛ばす。
滑蹴者にとって、音は重要だ。滑蹴中は、五感を駆使している。目、鼻、口、耳、触感。どんなスポーツでも集中している最中にどれかを奪われるのは致命的だ。耳は音を拾い、平衡感覚を支えている。バランスが重要視されるスケートボーディングでも同じだ。
襲撃に対し、虎虎はミサイル防衛システムの如く即座に反応。
後ろに目でもついているのか。
褐色の痩躯はピューマの如くしなやかに動作し、すたっとデッキから降りて、ボードを掴む。弧を描いて飛来する無音手榴弾に対して構えを取って、思い切りスイング。
さすがは虎虎。
無音手榴弾をデッキで撃ち返したのだ。
まさカ! って感じで表情が凍りついている弾丸僧侶に無音手榴弾が弾丸ライナー。
爆発。
弾丸僧侶の周囲が無音に包まれる。
想定外の反撃に、不意をつかれた高速移動中の弾丸僧侶。
あわてふためき、すってんころりん。
バランスを崩して、落書きされ放題のガードレールに引っかかり、頭から歩道に落下。
で一度跳ねて、ガラスをぶち割りながら、道路沿いにある古着屋のショーウィンドウに突っ込んだ。南無三。
【滑蹴技値】が結果を示す。
弾丸僧侶は一気に下落。虎虎はさらにスコアを稼いだ。
私が何もできずに突っ立っていると、虎虎が寄ってきた。
真っ直ぐと私を見据えている。
知り合いじゃない。
会話さえしたことない。
何の用だ。弾丸僧侶が奇襲したこと、怒ってんのかな。
まー怒る権利はあるけど、私、怒られたくないし。
思わず、身構える。
「主、〈助八雷道〉の當当莉であるな?」
「お」フルネームを呼ばれ、背筋をピンとする。「なに?」
「タイラノマサカドを見たか?」
「へ?」だれ? そんな滑蹴者の名は聞いたことがない。
「ふむ、見ておらぬか」虎虎は、一度頭を振るって、散切り白金髪を揺らした。「にしても主、死の臭いが漂っておるが」
思わぬ一言。
「な、なに言っちゃってんの」
「まあ、精進するがよい」
虎虎は踵を返し、滑蹴を再開。
〈アタリっ〉相撲部屋からの指示。〈モンちゃんを見てやってくれい〉
「はいはい」
といいつつ、仲間だ。私が暴滑族に入った時、一番世話になった男でもある。私はマッハで弾丸僧侶の元へ向かう。
少し違和感があった。
弾丸僧侶は暴滑族内でも慎重なタイプだ。むやみに仕掛けるタイプでもないはずなのに、わざわざ凶悪な相手に挑むとは。
何かが起こっている、何かは知らない。
Ⅱ
東京滑蹴祝祭。
大都市暗黒に端を発し局所的超温暖化、一億総餓鬼、五十度遷都、国土無国籍、改憲国連憲章により編成された国連軍の介入という黙示録時代を経験した日本の中枢。大開発事業を拒否し要塞化された東京で行われる内閣総理大臣ご推奨の大騒ぎ。
半年に一度、百に達する暴滑族からそれぞれ精鋭一〇名の滑蹴者がエントリーする。総勢千名での戦いだ。一般市民は排除され、あらゆる権力機構の介入は許されない。制限時間は、真夜中ゼロ時から払暁まで。
最もスコアを稼いだ暴滑族が優勝し、各種の権力を得る。前夜祭には千万の人々が狂騒する、旧都心部全体を使った超法規的措置兼平和的戦争。
人々はどの暴滑族に属するかで、普段の東京生活での自由度が決まってくる。もちろん勝利した暴滑族が最も恩恵を受ける。じゃ、みんながデカい組織に入るかというと、そうでもない。
事実、虎虎が率いる〈対極東〉はここ五期連続で優勝し続けているが、貴族主義的に支配をしていることもあり、最大規模ではない。〈対極東〉に属する人々はランク付けされる。最強の暴滑族に所属し地位を安定できるが、上層部による搾取の対象だ。宮殿と呼ばれる高層マンションで召使や近衛兵として従事させられるのだ。まァ、最下層暴滑族のように下水道で住まなくてすむだけマシともいえるから、この辺りはトレードオフである。
とにかく変にヤバい意識の暴滑族に入るよりも、中堅どころに入って、暴滑族全体でのし上がって好き勝手するほうが、メリットがある、と私は判断している。
私も普段は外縁部のビル農場で、東京産百合を育てて出荷している個人事業主だ。弾丸僧侶は大衆食堂のシェフ。うちの暴滑族のモットーは、今の生活が維持できればそれでよい、だ。毎度の東京滑蹴祝祭でも商業権を得られる二五位以内を目指している。私としてもスケートボーディングは好きだが、むしろ、のんびりまったりと花を育てている方が性には合っている。
「で、おっさん立てんの?」
ナポレオンジャケットとスリップドレスの上に転がっている弾丸僧侶は仰向けに倒れて、肩で息をしていた。
「無理ダ」弾丸僧侶は顔中血だらけ。ガラスの破片が鼻や頬に突き刺さっている。「……僕はリタイヤだロ。完全に顔とか麻痺ッていル」
「ね、なんで虎虎に挑んだの?」
「はン。僕の選手生命はそウ長くない。最後に一花咲かせたかったノさ」
二つ名、弾丸僧侶は三三歳。全盛期は二四歳で東京最速、つまり世界最速で麻波という異名もあった。
私ももう二七歳だ。どこまで滑ることが出来るか。まあ、東京滑蹴祝祭には近いうちに出場できなくなるかも。〈助八雷道〉でも、若手の育成には力を入れている。
「くそ。これじゃ、いい餌だ。あんたがいなきゃ、領域確保に支障が出る」
弾丸僧侶は今までみたことがないほどの弱弱しい目で私を見据えた。
「頼みがあるノ、アタリ。鼠小僧を助けてやってヨ」
線香花火が消える刹那のようなか細い声だった。
私は一旦押し黙ってから答えた。
「わかった」
「ありがとナ」
私は弾丸僧侶を置いて、古着屋から出た。弾丸僧侶は自力で東京から脱出する。それでリタイヤとみなされる規定だ。
そこらじゅうで音が響いている。崩壊前と変わらない。夜の東京はうるさい。午前二時を告げるサイレンが鳴り、スピーカーからはジャンル問わずに音楽が垂れ流し。
大きく変わったのは、地面だ。一度崩壊したのに道路だけはがっつり舗装してある。というか、スケボーしやすいように勝手に改造しまくってある。道路と建物、敷地の間の段差を緩和し、緩やかな勾配に切り替えて、途切れない滑蹴を可能にしてしまったのだ。
「おい、三段腹」
〈応! 鼠小僧は、まだ六本木だ〉
ボードに乗り六本木方面へ、ビルの連なる裂け谷を駆ける。
午前二時二四分。あと、三時間。
麻布。かつて各国大使館が集積し、高級志向だった街もいまは無惨に荒廃している。首都高南北線が柱ごと倒壊したまま放置され、真っすぐな壁になっていて、夜光グラフティや映像を垂れ流すディスプレイでがちゃがちゃに装飾されている。
鼠小僧は、真っ黒に塗りたくられた信号の残骸の上に座していて、肩で息をしていた。
片方だけをがっつり刈り上げたアシメテクノカット。さらさらの髪の毛は、母親の趣味で翡翠色に染めている。腰からクロミちゃんのキーホルダーを垂らしている。勝負靴は、コンバースの青ひげ。
装備は充実。防御力と機動性を兼ね備えたスイマー型タクティカルベスト。肘と膝には強化プラスチックのプロテクター。おかげで、つるつるの顔を伏せながら、汗をだくだくと流していた。
鼠小僧は私の姿を見つけると、溌溂として顔を上げた。
「アタリ姉さん、おっさんは無事ですか?」
「今夜はリタイヤ」
「まじすか」
弾丸僧侶の秘蔵っ子、鼠小僧。一五歳で暴滑族最年少の滑蹴者。今夜は、急遽参戦できなくなった族長の代打だ。
才能は非凡。調子が最高であれば、速度は弾丸僧侶並のまま、直角カーブも曲がっていく。だが精神が間に合っていない。装備を見れば一目瞭然。臆病さが死を招くこともある。この狂った祝祭では、毎回一割が命を落とす。十人いれば一人死ぬの法則だ。
「ぜんぶ族長のせいさ」半分海に沈んでいる台場で開催された前夜祭のプールパーティに参加した族長のダイアン・ヤングは、調子に乗って朝日が昇るまで飲み続けた。結果、今も自宅で眠っている。「明日はお説教だわ」
私は勝負靴の靴紐を締めなおす。ハイの一部を切り取ってから、ダクトテープで補強しミッドにしてある特注品。
「……にしても今夜はなんか変っす」
「そっかな」
二人並んでプッシュを始める。鼠小僧の言い分も理解できた。なんとなく。
いつもと違う。東京全体が浮足立っている感じ。胸騒ぎ。
弾丸僧侶も雰囲気にのまれたのではないか。もしかしたら、族長もだ。
原因はわからない。肌で感じるだけ。
前回の東京滑蹴祝祭で有名人が死んだことも影響しているかも。
清明道満。強豪〈狂衆〉の族長であり、古今東西の魔法少女のコスチュームに身を包み、配下の萌狂たちを率いてストレート主義を貫徹、TNT源流の爆撃ライディングをかましていた。最期は、誰かが開けっぱなしにしていたマンホールの穴から下水道に落下して全身打撲で死亡した。
「で、姉さんは大丈夫なんすか?」
「なにが」
鼠小僧は胸を指差す。
「心臓っす」
「ん」
私が睨みつけたので、鼠小僧は黙ってしまう。
気遣いだとはわかっている。やはり鼠小僧はヤワすぎる。
「……姉さん、なんで滑ってんスか」
「急に言われてもな。なんとなく滑りたいし。んーあと、勝ったらめっちゃラクできるじゃん」
「なんか骨のない回答っすね。例えば、この支配構造に対して、疑念とかないんすか。暴滑族間格差とか集合街大学の開設運動とか」
「ないねェ。前世代の暴滑族が政府とかを凹らせて東京自治権を勝ち取った。私たちはその恩恵を受け継ぐだけ」
「保守的っすね」
「ていうか、あんたは意外と真面目なのねェ」
大手町を疾走していると、遠くから衝撃音が聞こえてきた。
「ねえ、相撲部屋! どうなってんの、どこ?」
耳を澄ませつつ、状況確認。だが、地下三階の薄暗いパソコン室の凍机から返事はない。
鼠小僧も顔を顰めた。「連絡が切れているっす。どゆこと?」
二人で音の方向へ向かう。
やがて声が大きくなってくる。
旧東京駅前コンクリートパークだった。私たちは滑蹴を止め、一旦電柱の陰に潜んで覗き込む。そこは【滑蹴技値】無視の壮絶な戦場と化していた。乱戦。背景に流れる音楽は、随分とグランジ濃度高め。Lardの『フォーク・ボーイ』。一〇人ほどの滑蹴者たちがトリックをかまし、吠えながら殴打をし、隙があればリンチしていた。
「殺戮戦だ、クソ。めんどい」ここは捨てか。
「関わり合いたくないっす」
やりあっていたのは、若手暴滑族の〈銀杏少年〉と万年八位を死守する武闘派〈反動螺旋〉。
中央の時計台。半裸のパンク少年が、麻薬組織風よろしくクリスチャン・エアー状態で吊るされていた。顔色は蒼く、目玉が飛び出しそうになっている。〈銀杏少年〉所属滑蹴者の遺体だ。
犯人はいうまでもなく〈反動螺旋〉。こいつらは〈助八雷道〉と同等の実力があるのだが、必要以上の陰惨な暴力を与えることに執着している。相対する〈銀杏少年〉は十代特有の怒りを原動力にイキりまくるスタイルが特徴だ。
凄絶にもなる。
タンクトップの若造滑蹴者が中指を立てながらベンチでレールトリックを決め、続けざまに旋回しようとすると、モヒカン頭の反動滑蹴者が接近。閃光発音筒で視界を奪いつつアイアンクローをかまし、コンクリ地面に若造を叩きつける。若造は後頭部から落下。柘榴に如くかち割れて、血が飛散。モヒカンが咆哮する。
私は息を整えた。好機でもあった。
外縁部一帯の道路は、〈銀杏少年〉と〈反動螺旋〉が占領していたが、このまま戦闘状態であればスピード狂の鼠小僧が奪い去れる。観測者へのウケもいいはずだ。
しかし失敗すれば、二人で血祭りに遭う。失敗すれば、だが。
「おい、鼠小僧」
「なんすか」
「攻める」
「はい? いいんすか」
臆病者の鼠小僧とはいえ、疼いていた。目の前で同世代が派手にドンパチしているのだ。我慢できまい。
「三分で撤収するから」
私は指示を出す。二手に分かれ、鼠小僧を先行させ、ライン書き換えを開始させる。速度を上げる姿を確認し、私はパークのエントランスに向かって滑蹴を始める。わき目もふらずにプッシュ。加速させ、オーリーをしながら、侵入。
「んだァ! てめえ」叫んだのはヒョウ柄ジャージを着た年配の女だった。
全員の血走った目がこちらを向く。陽動開始。
HMDを確認。私のフォロワーが一気に増加。吐きそうだ。視線を振り切るように加速をして、まずボックス。
50―50グラインド。着地。次はパイプベンチでノーズスライド。一度、板を180度横回転。ウィールの回転数は十分。ぼーっと突っ立っている奴らの間に突っ込み、速度を落とさず潜り抜ける。一発顔面に向かってドレッドヘアをした反動女のフックが飛んできたが、スウェイバックで避け切った。
予定通り、三人ほどが引っつく。そいつらを引き連れ、パーク北方に設置されたバーティカルパイプに突入。振り子の動きで楕円の谷間をスイング。ボードとの一体感を得る。よい兆候だ。
「こいつ、誰なのさ!」「〈助八雷道〉のアタリじゃねえの」「マジぃ。ボク、ファンなんですけどォ」
耳障りな連中だ。既に【滑蹴技値】は八千点に到達。熱情。興奮。
そして、私は最高速度に。視界がびゅん。そのまま斜面を昇っていく。ボードごとバーティカル。視線は空に。背後に馬鹿が三体。
今だわ。私はノーズを踏み込み、急ブレーキング。
「あ」「あ」「あ」
三人の追跡者は私を避けようと少しバランスを失う。少しで十分。ライン読みを崩した。奴らは速度そのままリップから飛び出し、空に舞い上がった。私は底面まで下りきり、振り返って無様な人間花火を見上げる。
三人は見事に空中で激突。くんずほぐれずでそのまま重力の虜。
不幸は一つ。
このバーティカルランプは、『アイガー北壁』とか『串刺し公』って呼ばれている。面は無情のコンクリート。
三人はRのついた斜面に激突。べちゃり。スプリングのようにびょんと跳ねてからボトムに転がった。今夜もドラキュラ伯爵に慈悲はなく、コンクリから血を啜る。
私も十代の頃、ずいぶんとお世話になった。顔面から落下して鼻をへし折ったものだ。
とにかく三人はうぅうぅと唸るだけで立ち上がってこない。
【滑蹴技値】は16320点を記録。久々の倍満達成だ。
あとはダッシュで逃げるだけ。
と、思ったが、まだ終わりじゃなかった。
「動かないでください」プラットフォームの上からだった。
五分刈り。灰色のノースリーブカットソー。
腕白。
踊る小僧という異名を持つ〈銀杏少年〉の族長だ。
腕白は鼠小僧を羽交い絞めにしていた。
「何してんの、アンタ」
「姉さん、すんません!」
「いい陽動でしたね、アタリさん。〈反動螺旋〉の兄さんたちは撤収しましたよ」腕白は自虐的に笑む。「俺らのチーム、今夜はこれで終わり。散々だ」
最悪だ。そうなりゃ、もう怖いものなしだ。
だがおかしい。胸騒ぎが収まらない。
腕白は普段最もイキるが、一旦鼻をへし折ってやれば、聞き分けのいい奴にもなる。
そもそも人質を取ってまで主義主張するほど過激でもない。
弾丸僧侶が暴走したのもなにかあるのか。
頭に薬物、という言葉が過る。
〈黄金の牙〉という組織が東京中に違法電子薬物をばら撒き、暴滑族総出で永久追放したのは、三年も前だ。
とはいえ、まずは事態収拾だ。
「で、どうすりゃいい、腕白」
「ボード、割ってください」
当然の要求か。
「ダメっす、姉さん」
鼠小僧の目を見る。屈するなと訴えてくる。
でも、私は冷静だった。
あの高さ。腕白は鼠小僧を斜面に叩きつけ脚の骨折を狙うだろう。鼠小僧は成長期だ。
弾丸僧侶が見込んだスピードを失う。翼をもがれる。
じゃあ、私は。
私はこれが最後。どうせ死ぬ。
とすれば、結論は明確。
私はボードを頭上に掲げた。地面に思い切りたたきつければ、へし折れる。
呼吸を整えたところで、腕白が恫喝してきた。
「さっさとやれ!」
「必要ない」
突如。
肌に突き刺さるような怜悧な声。
予想外の人物が腕白の背後に立っていた。
虎虎。
腕白は反応する間もない。
音速裏拳が後頭部に飛び、腕白は意識を失して、ふらりと倒れた。
「ひぃ」腕白が崩れ、鼠小僧も一緒にプラットフォームから落下しそうになる。
虎虎は俊敏に動き、鼠小僧の左腕を掴み、すいっとプラットフォームに戻す。
脱力した腕白の肉体がどさりとコンクリに転がった。
「すいません。ありがとうございます」
震えている鼠小僧は膝立ちで虎虎に感謝を述べた。
だが、プラットフォームに直立する虎虎は、私を怜悧に見下ろしていた。
「〈助八雷道〉の當当莉」
「ん」
「将門禍が到来する。今宵、東京が終わるかもしれぬ。手伝うがよい」
「ん。まさかつ? なんで私?」話についていけない。
「一晩限りでよい。主は、今宵の東京滑蹴祝祭に参加している滑蹴者の中で、最も煌めいておった。これは主が穢を身に纏っておるからでもあろう」虎虎は私が困惑した態度を示しても、動じず気高い口調のままだ。「二七倶楽部への入会招待状も届いておるのだろう。主は、日が昇るまでに命を落とすやもしれぬ」
マイペースだけども、私の状況を的確に見抜いている。
崩壊後の東京では、地球が汚染されている影響かどうか知らないが、二七歳前後で命を落とす人間が増えた。かつてのロックスターたちは二七歳で死ぬと、二七倶楽部に入会したと揶揄された。一年ほど前から慢性的な心不全に悩まされるようになった私もまたジャニス・ジョプリンやカート・コベイン、エイミー・ワインハウスたちにこっちこいよと手招きされている、というわけだ。
二八歳にはなれないかもしれない。まあ、朝までに死ぬと言い切られるとちょっとオーバーな気がするのだけど。
「〈対極東〉の仲間は?」
「全員死んだ」
声は平坦だったが、虎虎の表情にはじめて感情らしきものが浮かんだ。片眉がぴくりと引きつり、憤怒を感じさせた。
虎虎と接触してから、観測者が一気に急増している。きっと急展開についていけていない奴らもいるだろう。
同意する。ちんぷんかんぷんだ。
「なんで私が従わないといけないの」
「ん」
虎虎はプラットフォームから飛翔して、私の前にすたっと降り立つ。
私は虎虎の顔を見上げて、ガンを飛ばす。
「なんなの?」
「逆になぜ手伝わぬ?」
「はい?」
「主は、スケートボードを滑りたくないのか? このままでは、滑られなくなるのだぞ」有無を言わせぬ物言いだ。「それとも拳で語り合うのかえ?」
勝ち目はない。
虎虎にボコられて、【滑蹴技値】を落とすのも厭だ。
鼠小僧はふらふらとプラットフォームから降りてきて、転がっている連中の意識を確認していた。
「何をするの?」
「スケートボードだ、決まっておろう」
「報酬は?」
「〈対極東〉をくれてやろう」
「へ?」
「族長となるがよい。不服か? 我にとってはこの夜さえ越えれば、無用の長物である」
私は動揺する。
まじで言ってんのか、こいつ。狂ってる。
このオファーは口頭とはいえ、観測者たちの監視下という状況上、正式のものとなる。
東京滑蹴祝祭での口約束は、血の契約や書面よりもずっと重い。約束を違えば、スナイパー・ライフルで狙撃されようが、一族郎党皆殺しに遭おうが、文句は言えない。
実際、この会話だけで私の【滑蹴技値】は四万を超えている。こんな数値は目にしたことがない。
虎虎を理解できない。
だが〈対極東〉の族長。この東京においてはできないことのほうが少ない。
多分、変なにおいがする花とか勝手に育てても、誰にも怒られない。むしろ褒めてくれる。百合でさえ、けっこう怒られるのが現状だ。宮殿の最高階テラスで、百合の花を光合成させ放題。
期せずして死ぬ前に贅沢できる機会が来たのだ。
答えは決まっている。
「はい、じゃあ、おねしゃーす」
気づけば、私から頭を下げていた。
Ⅲ
私たちは真っ直ぐに虎ノ門の桜田通を進んでいた。
虎虎、鼠小僧、そして私。
【滑蹴技値】はゼロ。観測が届かない地平にまで達した。もう少しで、通信自体も遮断される。
この先になにがあるか分かっているし、多分虎虎もそこを目指している。
まあ、あんな破格の条件だ。普通のスケートボーディングのはずはない。
「清明道満は知っておるかえ?」
「うん。死んだっしょ」
「左様。だがあれは予定されていた死だった。……このままでは、今宵の東京滑蹴祝祭は、清明道満たちの悲願成就の場となる」
「悲願って」
「清明道満はある日、神託を授かった。平将門から直々に。坂東武者に代わって関東平野を治めている荒くれの滑蹴者どもを利用して、自分を復活させろとな」
「復活すればいいんじゃない。別に」私は腕を組む。「何が起こるの?」
「東京は火の海と化し、一切が灰燼に帰す。復活には六四三五五人の滑蹴者が犠牲となる必要があった。ゆえに東京滑蹴祝祭は、端から一億血祭に向け、効率的に優秀な滑蹴者の命を奪う場として設けられた。我らは清明道満どもと反目しており〈対極東〉を組んだ」
「じゃあ、ジャムセッションに参加していたのは……」
「目的は勝利ではないし、東京の支配でもない。阻止だった。清明道満の下僕は、主催にも入り込んでおったゆえ、参加して妨害し、調査もせねばならんかった」
後続の鼠小僧は黙ったままだ。
「なんでトイチのまま、主催が放置していたかもわかったかも」
遺体を増やすのが目的。
「まず一連の日本崩壊は、平将門を不完全ながらも久遠の眠りから覚まさせた。将門は鎮護の朽ちた東京に復活して焼の原に変えようと企み、人々を傀儡にした。傀儡を率いた清明道満は稀代の演出家だ。最後は自死による六四三五五人目の供物を以って、龍脈を完成させ、今夜という舞台を整えた」
「仰々しい。で、今夜いよいよ将門氏が復活なんだ」
そもそも私は平将門が何をした人かは知らない。戦国時代頃を生きていた大名かなんかだろう。きっと悪いことをしたのだ。でも、世間に恨みがある的なノリ。私は接続が完全に切れてしまう前に、平将門に関する文字や画像の情報をヘッドギアにダウンロードする。
「左様」虎虎は軽く頷く。いちいち艶っぽい。「今宵、日が昇るとき。彼岸より戻りし泥梨の新皇は、三千世界を獄炎の世界に変貌させる。我らでそれを止める」
「あんたっていつもその喋りなん?」
「厭か? 我は幼少時に平将門に対抗すべく大陸国より遣わされた。疑似脳神経を用いて将門の宿敵、藤原秀郷を脳内に招いて、思考などを補正しておるのだ」
「ま、いいけど。……とにかくさ、状況がヤバいんなら、観測者か支援者が協力するんじゃないの? 大陸国だってさ。爆撃でもすりゃいいのに」
磁気嵐のひどい日が生まれ、航空機での移動が衰退して久しい。が、急げば間に合うのではないか。爆撃機だろうが、大陸間弾道ミサイルだろうが。
「観測者か支援者は話にならん。大陸国など、今からでは時間が足りぬし、却って危険だ。他国の介入は東京に良い効果をもたらさぬしな」
「あんた、あっちの人でしょ」
「奴隷ではない。東京のことは、東京に住む人間が決めるべき。ついでに平将門は戦乱に類するものが好物だ。ミサイルなど餌にしかならぬ」
やがて、連なる電灯が途切れる。暗闇で道が消えているようだった。憂鬱な静寂が待ち受けていた。この先も道路は通っているが、人が寄りつかぬ場所だ。
「姉さん、すんません。俺には無理っす」
声を発したのは、鼠小僧だった。
わかっていた。ずいぶん前から限界だったんだ。
虎虎は振り向かない。
「帰るがよい、若人」
赦しを得て、鼠小僧は止まった。
私は止まらない。朽ちかけの心臓がバチクソ高鳴っている。
やがて明かりが消える。東京暗部。
この暗黒の向こうに、きっと畢生の滑蹴が待っている。
「姉さん、ごめんねェ」震える声が背中に届く。
謝るんじゃねえってば。
で、私も心の内で弾丸僧侶に謝った。
約束守れなかった、ごめんな。
大都市大停電は、東京を核にしてドミノ倒し的に日本全土へ波及した。
メテオ・ボウルはその発祥地。
かつて国会議事堂があった場所であり、文字通り、隕石が落ちた場所だ。今世紀最大の隕石衝突。『大凶』と名付けられた四十メートルの巨大隕石は速度二十二万キロで地表に激突。
隕石は己の熱で滅失したが、周囲を爆圧で圧縮。衝撃波は、東京タワーとスカイツリーをへし折り、官庁街を吹っ飛ばした。日本列島、三万年ぶり二例目の巨大クレーターは東京都心に生み出された。東京再建時に暴滑族以前の現地民たちが押しかけて、光条を圧し潰し、超巨大擂鉢ボウルに仕立てたが、ここ三年ほどは隕石信仰主義の集団が聖地として占拠していた。
闇の中、音を立てているのは、滑蹴している私たちだけだった。
やがて煌々とした白い明かりが見えてくる。
直径九〇〇メートル。深さ七〇メートル。爆心地。
実物を見るのは初めてだった。
クレーターの縁、外縁部。コンクリや鉄など街の構成物は、衝突時の爆熱爆風爆圧で一度溶けてから津波状に圧縮硬化しており、それが延々と連なっていた。人類の文明や地球の豊潤さを嘲笑うかのような宇宙からの一撃の残滓。高さは一〇メートルを軽く越え、人間など蟻んこ、ミジンコに見える。
ボウルの中へ入れるようにパイプフレームの足場が数か所ある。
「ねえ虎虎、集団はどしたの?」
「もう撤収済みだ。奴らも所詮傀儡だったのだ。我らも見落としていた」
「見落としてきたって?」
「長年に渡り将門派がラインで書き記してきた龍脈は、死んだ滑蹴者たちの霊素をどこかへ送るパイプラインであるとはわかっていた。しかし、奴らは狡猾で一枚上手であった」
「ふーん」
「新宿御苑や後楽園ホールを龍穴の囮にしていて、ここだと気付いたのは三日前でな。そもそも、最初は清明道満が死んで、将門復活を阻止できたと勘違いしておった」
「なんでみんなには教えなかったの?」
「将門復活の準備はかなり前から、東京再建前から計画されていた。我が東京に来た時点で、政府や官憲、部族会などの主要な部門にはかなりの数の将門派が送り込まれていた。騒いでも、それを復活に利用されるだけだと、我は判断した」
「ふぅん。難しいなァ」
私たちはボードを抱えカンカンと音を立てながら足場を登り、クレーターの縁に整備されたプラットフォームに潜んで、中を覗いた。
すでに準備は整っている。白い装束に身を包んだ百名近くの滑蹴者が、メテオ・ボウル内で滑蹴していた。円盤の音溝の如く、規則正しくそれぞれが一定の回転速度で円を描いている。
天には灰色の雲が渦巻く。時折空全体が白く光る。
「こいつらが描くラインは系を示しておる。曼荼羅、あるいは超伝導超大型加速器、円墳、魔法陣。中心を見てみろ、首謀者どもがわかった」
最中心で、白装束どもの滑蹴を見つめている二つの影。
〈大騒ぎ〉の首領、鯨乃腹。〈桃色機械〉の頭目、名無し。
各々が清明道満の長年の仇敵であったはずだ。いや、明白だ。グルだった。
険しい面の鯨乃腹は一張羅である真紅のスーツを纏い、頭部には暴滑族のアイコンでもある、立て物から吹き返しまで見事に金一色の星兜を被っている。腰には古びた大刀を帯刀していた。
ジェーン・ドゥはボードを携えていないが、各関節のアクチュエータをむき出しにした強化外骨格を装着し、脇にある四メートル四方の巨大な箱をしきりに撫でている。表面は鉄製のパネルで光を反射している。なかに何か武器でも隠しているのだろうか。
私は目を細め、鯨乃腹が帯刀している姿を注視する。
「ありゃ、武器だよね?」
爆音トランス南無テクノの中、ほかの白装束滑蹴者たちも、何かしらの装身具を手に持っている。太鼓や枡、大幣から、銀の腕輪、ipad、フープピアス、MDプレーヤ、まるで旧時代の五輪開会式のようだ。なんと間抜けな。
「将門を讃える装身具として持ち込んで舞楽に興じておる」
クラッカーや爆竹、無音手榴弾などの脅かし装備は観測者に好まれるが、反面、殺傷能力が高い銃火器や刀剣などの武器には厳しい。主催も持ち込みは禁じている。しかし大刀であってもあくまで装飾と言い張れば、クリアできる。主催と裏で繋がっていれば、そこまで困難ではないだろう。
「これは……。なんかの儀式なん?」
「よう気づいた。ここで執り行われているのは、超伝導超大型加速器の儀。龍脈より送られ、地獄と地表の間で滞留しておる霊素をこの龍穴で一挙に噴出させる。その準備としてこやつら、粒子に扮しての衝突実験をもう少しで開始する。反物質による対消滅を再現するのだ。霊力が十分に場を満たした後、5×10マイナス11乗以上の空間縮潰を経て、清明道満の宿願が成就する。地獄と繋がる事象の地平線が一挙に切り開かれ、将門が霊素を媒介に顕現し、この世は果てまで燃やされてしまう」
何を言っているかは不明だったが、私は頷いた。
「これ、崩すの?」
史上最悪の『滑れ、破壊しろ』。
「であるな」虎虎はジャケットから煙草を取り出して吸い始めた。「吸うか?」
「結構」私は手で払う。「ていうか、襲撃だったらもっと人手がいるんじゃないの?」
「数は不要。この戦は、魂の闘いだ」
「はぁ」
「数が増えると、魂が混雑する。さっきの若人はそこそこによかったが、防人としては少し未熟。弱いと将門に取り込まれる。逆に血気盛んであれば、将門が好む」
「私の魂の質がいいとは思えないけど」
「急場しのぎであることは否定しない。……我も完全ではない。いろいろ調べて、棺桶に片脚を突っ込んだ人間と組むと一番能力が引き出されると結論付けた。主はテクニックも度胸も申し分ない。死ぬには惜しい人材が死にそうなときが一番伸びる」それじゃ、私はオマケというわけか。ま、いっか。「ふむ。……さて、もう少し」
「なにが」
虎虎は鼻をすんと鳴らし、紫煙を吐いた。
「見ておるがいい。機が熟す」
しばらくすると、百人の白装束どもの動きが妙になってきた。等速での円運動。目は虚ろ。ただボードのなすがままに身を任せているように見えた。滑りに意志を感じない。それに少し透けて見えた。
「なんかキモい感じがするんだけど」
「下ごしらえが済んだ。白衣の奴らはこの儀の生贄だ。恍惚状態を越えて、いよいよ意識を失い自動人形に身を落とした。ただ滑っているだけで、自己の意識ではラインを描けなくなる」
「なるほど」
スケートボードの基本。あるオブジェクトを読んで、どう滑るかラインを描く。それができなきゃヤバい。目の前の連中は、まさに死屍滑蹴者。
「で、なんで透けておるの?」
「まさに幽霊よ。遠心力により肉体が粒子となりかけ、現世から少し離れ始めておる」
「やば。だいぶオカルトだなァ」私は髪の毛を束ね直し、後頭部で結う。
虎虎は散切り白金髪を手櫛で整えてから、ボードを抱えた。
「さて、存分に凹らせてみせようか」
二人で縁にボードをひっかける。
「はァ、なんかやだ」本音が漏れる。「ま、行くしかないよね」
一気にドロップイン。コンクリに着地。ウィールの回転。
逆落とし。私たちは一気に駆け下りていく。
等速で円運動をしている死屍滑蹴者の群れを、中心に向かって突っ切っていく。
誰も反応せず。
だが。
効果は絶大。私たちの滑蹴が波紋を起こす。無意識下での滑蹴を乱された白装束たちは、徐々に規則的なラインから外れてがちゃがちゃに陥っていく。五合目に達して私たちは、カービングを始めた。体重移動で速度を増し、巨大な楕円運動に移行する。
哀れな死屍滑蹴者どものスープをかき混ぜてやるのだ。
「虎虎ァっ!」中央で叫んだのは、鯨乃腹。「なにやってくれてんや、わらァ」
「さっさと止めるがよい」虎虎は冷たく言い放つ。「もう劇終であるぞ」
言うとおりだった。やがて、儀の崩壊が始まった。
まず、死屍滑蹴者と死屍滑蹴者の衝突。
半端に粒子化が始まっていた死屍滑蹴者同士は、衝突により存在が乱れ、現世に拒否された。つまり、消失だ。
一度始まればあとは連鎖反応。
数十の滑蹴者たちが極彩色の粒子を残し、衝突音を伴って消失していった。
「ていうか、これじゃ霊力が溜まるんじゃないの? さっきの話、半分くらいしか理解していないけど」
「不十分な状況で消失を起こしておる。霊力の高まりは、予定の二分の一にも達しておらぬ。出鼻はくじいた」
私たちは、極彩色の粒子の間を抜けつつ、二巨頭に滑蹴を見せつけた。
消失は止まらない。やがてだだっ広い超巨大擂鉢ボウル内に四人のみが残る。
鯨乃腹、ジェーン・ドゥ、虎虎、そして私。
一点だけ、おかしな反応があった。
HMDに反応がある。アラームが鳴ったのだ。続けざまに『注意:地獄の門』という意味不明の表示。加えて、【滑蹴技値】に72点が算出されている。
壊れた。まさか、誰か、いや〈何か〉がこの滑蹴を観測しているのか。
私は虎虎の後ろに追随した。相変わらず雅なライディングだ。
「ねえ、虎虎。これで、私たちの勝ちかなァ」
「いや。まさか。これからが見せ場に決まっておろうが」
と、地面が震えた。横揺れ。ボードがふわりと浮いた。
「なにこれ」偶然ではあるまい。
「平将門が暴れておる。現世におらずとも、闖入者のせいでままならぬのは気に喰わんのだ」
奇襲に狼狽したとはいえだ、鯨乃腹たちもやられっぱなしではない。
鯨乃腹は黄金兜を脱ぎ捨て、瘴気に満ちた諸刃の大刀を中心部に突き立てると、「ブチのめしたらんかいッ!」とジェーン・ドゥに指示を出す。
「応」
ジェーン・ドゥの脇にあった箱が不穏な音を発する。覆っていたパネルが崩れると、中から化け物のようなサイズの超ド級スケートボードが飛びだす。ジェーン・ドゥはそれに飛び乗った。国連軍から流出した装備品カタログで一度だけ目にしたことがある。長さ三メートルを越え、甲板とも呼べるチタン合金製のデッキ。悪路を蹂躙するランフラットタイヤ。
最高出力六百馬力のV8原動機搭載の魔改造スケートボード、〈熊〉。
まさに【見た目はシュワちゃん、中身はポーザー】の究極形態だ。極悪。
「このような不細工を頼るとは、ジェーン・ドゥも無粋だの」
化物スケートボードは爆音を発しぐんぐん加速して、私たちに向かってくる。
「で、あの大刀を蹴っ飛ばせば、勝ちかなァ」
「うむ。是非もなし」
すると、真っすぐ私たちに向かってくるジェーン・ドゥは背負っている極小サイロを露にし、こちらへ発射口を向けた。
あれもカタログで見た。『黙示録の四騎士』とかいう超物騒な携帯兵器だ。
「マジか。むりむり」
「怯むな、アタリ・アタリ!」無茶を言う。
私たちは斜面を滑りながら、二又に分かれた。
サイロから四発の精密誘導弾が射出される。
二発は虎虎。二発は私。
さて、どうするべきか。さすがにスケートボードをしていて、ミサイルをブチこまれた経験はない。
虎虎は舞踊をこなすかの如く優雅で修羅っている。
一発目をターンで回避。弾はアサッテの場所で爆発。二発目が来ると、ギリギリでオーリーを決めて、地面に着弾させて処理。虎虎は二発目の爆風を活かして、さらに加速した。
おい、マジかよ。浮世離れすぎ。
一方の私はぐるぐると滑蹴し、誘導弾から距離を取ろうとする。それで精いっぱい。
と、虎虎は熊を駆るジェーン・ドゥとチェイスを始めだした。ジェーン・ドゥは、薙刀を構え、エンジンの回転数を上げてさらに加速。しかして虎虎は涼しい顔でジェーン・ドゥを翻弄する。
むかついた。
ああ、めんどくせえ。
そもそもボウルでの滑蹴は趣味じゃない。街ん中で滑っている方が百倍面白い。
スケートボーディングは都市の要素を読み直して、ラインを描き、モメントを生み出すもんだ。こんなもん、品がない。
というわけで、私は急にムかついて、飽きて、東京や世界がどうなろうがどうでもよくなった。だがベッドの上じゃ死にたくない。千年以上前に死んだおっさんに焼かれるのも却下。もはや悪ノリするしかない。
私は斜面を一気に下る。
向かう先は、決まっている、中央部。隕石落下地点。つまり、大刀を突き立ててなんか格式高めの雰囲気を醸し出している鯨乃腹。
あと、五十メートル。
脳内で刺激物質がドバドバ。
誘導弾は見事追尾してくる。
じゃア、こっちは神風、火の玉。心中。道連れ。爆死上等。
あと、二十。
「馬鹿くそボケ!」鯨乃腹は目を見開く。「よせやっ!」
構うか。命を燃やす。
あと十メートル。
一気呵成に突っ込む。ベクトルが向かう先は鯨乃腹。
最高速度の私は慟哭した。
死。覚悟を決め、目を瞑る。
鯨乃腹の断末魔。
爆風。爆音。
あれ。
まだ意識がある。
目を見開く。
生きている。
私はまだ滑っていて、さらに黒煙に包まれた中央から遠のいて斜面を駆けのぼっていた。
左手を引っ張っている奴がいたからだ。
鼠小僧。プロテクターもベストも外していた。
「アタリ姉さん、無事っすか?」
臆病者の一撃。爆発直前に超高速で突進して、私を救った。
なんというやつだ。
「はー死ぬかと思った」
「俺もっす。間一髪っす。膝が爆笑しています」
「ありがと」
私は虎虎たちに視線を移す。あっちも白熱していた。
ジェーン・ドゥは、虎虎に背後を取られていた。
絶対王者である彼女に背後を取られるとはどんな気分だろうか。強化外骨格でもモンスター・スケートボードでも心許ないだろう。実際、ジェーン・ドゥは今にも泣きだしそうな顔をして、薙刀を振り回している。
対する、虎虎はいつも通り冷静だ。私も藤原秀郷の疑似脳組織を頭蓋に突っ込むべきか。彼女は背筋をぴんと伸ばし、サンローランの上着の内ポケットから何かを取り出した。
無音手榴弾。爆発地点から周囲三メートルで音を消し飛ばす。
十分だ。あとは投擲。
爆発。ジェーン・ドゥは無音に包まれ、平衡感覚を失ってパニックを起こした。体勢を立て直したが、時すでに遅し。縁から盛大に飛び出して、ジェーン・ドゥは宵闇深い空に消えていった。ちょっとしてから爆発音。
ありゃ死ぬわな。
「鼠小僧」
「なんすか」
「あんたはさっさと逃げな」
額から汗をだくだくと垂らしている鼠小僧は少し目を細めた。
「すんません」
「できるだけ遠くに逃げろ。死ぬんじゃねえよ」
「姉さん、顔色が……」
わかっている。心臓が急に弱り始めているのだ。血を流す力が弱まって、脈数だけが上がっている。
「さっさといけ」
手を離すと、鼠小僧は離脱していった。
まだだ。まだやる。
私は前傾姿勢を取り、再度加速した。
爆破され、黒煙を上げる中心地を睨む。
【滑蹴技値】はまだ上昇している。すぐに万を越え、億に達した。
私は直感していた。まだ地獄の門は閉じていない。黒煙のなか、何かがライムグリーンの不気味な光を放ち、ぼんやりと浮かび上がっていた。半透明の頭蓋。強烈な腐敗臭も伴い、眼球や血管まですでに顕現している。あれは首だ。妥当だ。平将門は九条河原で晒し首にされた。復活するなら首からだ。
こんな半端で終われない。
と、ここでウィールが小石に引っかかる。
くそが。
私は体勢を崩して、盛大にズッコケた。顔や膝をぶつけて転がる。
咄嗟にボードを押さえ、斜面に仰向けでへばりつく。コンクリは仄かに温かい。
こけっぷりは見事。
いてえ。
ふぅと呼吸を置くと、思わずひひひ、と笑んでしまった。口の中に血の味、鼻孔に汗の臭いが拡がっていく。脛にぱっくりと傷。赤い血が溢れ、汗で蒸れたソックスに滲んでいく。Tシャツは左脇の下から裾まで裂けてしまっている。擦り切れた掌は黒く汚れていた。いてえ。喉が渇く。冷えたコーラが飲みたい。もう立ち上がりたくない。照明の強い光が目に染みる。
傷や痛みに生を感じる。へたばりかけている心臓にさえも。
耳殻には、虎虎が乗るスケートボードのウィール音だけが届く。
まだ終わりじゃない。自分に言い聞かせる。
私はむくりと起き上がってランニングプッシュ。体重移動で速度を上げた。
ボウル内に熱い風が吹き込みはじめた。霊素の噴出。
向かい側から、ジャケットを右手で肩掛けしている虎虎がやってくる。さすがに興奮を抑えきれないのか、上気していて、頬を垂れる汗が色っぽい。
交差する刹那に、交渉を持ち掛ける。
「ねえ、勝負しよ」
虎虎は散切り白金髪を撫でつつ、はにかみながらターンする。私に追いつくと、ジャケットを打ち捨てた。
ジャケットは熱風で舞い上がり、鴉のようにどこかへ飛び去る。
「ああ。よいぞ」滑られるか、なんて無粋なことは聞いてこない。「将門は己が身を境界にして足掻いておるが、捨て置けばよい。ああなれば手を出すのは危険だ。死ぬだけは済まぬ」
「いいの?」
「奴は真性のかまってちゃんだ。かまったら、負けよ」
「へえ。じゃあ、どうすんの、あれ」
「我らが手を出さねばよい。……半端な儀式のおかげかの。地獄の底より、カリオステのユダやアンテノール、ブルータス、明智光秀、ジョセフ・フーシェ、呂布奉先。錚々たる目立ちたがり屋どもが地上を観測しておるぞ」
「傑作。明智光秀しか知らないけど」
虎虎の【滑蹴技値】を確認。
私のより、四十億も高い値を示している。
「のう、〈助八雷道〉の當当莉よ」
「なに」
「平将門を奈落の底に送り返す方法はもうわかるな」
「地獄の門をさらに開く」
今は平将門だけが通れる門だ。もうちょい拡張して、ほかの奴らが現世にちょっかいを出せる隙間を作る。
「観測者たちを満足させ、将門を連れ帰らせるのだ。我ら今生を救う。ただし、その傷跡は残る」
代償。
「なんとなくわかってた。で、被害はどんくらい?」
「東京一帯。そこでだ、主が選ぶがよい。二つの道だ。溶岩の道、もしくは氷の道」
「……じゃあ、決まっている」
「よいぞ」虎虎は笑みを崩さない。「あとは尋常に勝負。ただひたすらに滑るのみ」
平将門の罪は明白だ。クソ滑ったことだ。
勘違い野郎は地獄に戻って反省すべきだ。
私たちは左右に分かれ、加速を開始する。地獄からの気流と龍穴から吹き出さされる霊素が混ざった熱風が私たちをプッシュする。疾風怒濤。まず、音速を超える。第一宇宙速度、太陽風速度、あっという間に光速に達する。さらに神速。
傍目にはボウル内を駆ける幾万もの私と虎虎。
ウィールももう限界。
虎虎は歯を剥いて嗤っている。
やがてボウルに木霊する陽気な怨瑳。『地獄へようこそ!』『父の元へ戻りなさい』『暴動を始めよう』『いいぞ! 伸びるぞ!』きっと伏魔殿でどんちゃん騒ぎしていやがるのだろう。地底より万雷の指笛が鳴り響く。
あまりの速さ。
粒子化。つま先、目玉、髪の毛、筋肉、心臓、私のすべてがとろけて、霊体に変貌していた。虎虎もまた同様である。
幾万の私たちはふれあう。
重なり、飛散し、溶け合い、融合する。
何もかもを支配していた。
斜面は平面に。ボードは私たちの脚で、空を奔る。目に映るものすべてが、映像素材。
このモメントはもはや私たちの血肉。キックフリップで嵐が巻きあがり、バックスライドで富士山噴火を起こすし、チクタクならば火星が震える。フェイキーキャバレリアルをかますと、太陽でスーパーフレアが発生。前人未到の四回転で超新星爆発。
まだだ。
このまま解き放てば、東京は膨大な熱量によって焼き尽くされる。
止まれない。
今宵のすべてをボードに一気に縮圧。平将門、死屍滑蹴者の群れ、幾万の霊素、灰色の雲、私が負った傷、地獄のハイプども、頓珍漢な装身具、虎虎のえらそーな態度、弱りかけの心臓、観ているだけの観測者、浮足立った滑蹴者、そして何もしてくれねえ東京。
【滑蹴技値】は指数関数的に上昇。
やがて極大値に達して、つまり無限を示した。
「さて、頃合い」虎虎の囁き。「あとはどうするかえ」
「ひっくり返す」
キックフリップだ。ボードのノーズをキックして、一回転。
楽勝だっての。
滑る。
飛ぶ。
くるり。
刹那、ボウルの中心から一条の腐敗集を伴う光拳が天に向かって突きあがり、暗雲をすべて吹き飛ばした。
やがて、東京中が純白の粒子に覆われ、溶けて、消えた。
Ⅳ
青い空。
日が昇っている。
あの世じゃないのはわかっている。
私はボウルの外縁部で寝そべっていた。
「姉さん、無事ですかい?」
脇にいたのは鼠小僧。
それよりだ。寒かった。
私は雪の上に寝ていた。脇にあるデッキは見事に三つに砕け、鉄製のトラックはひしゃげている。ウィールは見当たらない。
東京中が真っ白。
あらゆる場所のスピーカーから、ケミカル・ブラザーズの『SNOW』が爆音で流れて反響している。
「ったく寒いったらありゃしねえ」
身体を起こす。髪の毛や肘に雪がくっついていたので振り払う。
鼠小僧はたまらぬ様子で、くしゃみを一回。薄着すぎる。
「で、暴滑族の連中は?」
「相撲部屋さんもオヤジも無事だったス。なんか参加暴滑族のオペレータが軒並み襲われたみたいだったすけど。まだ収集はついていないみたいっスわ」
「よかった」
私は選んだ。
爆裂都市か、冷凍都市か。
虎虎と私は平将門を引きずり落させるため、地獄の観測者たちをこの世に顕現させた。
地獄の底で氷漬けにされた裏切り者たちが、ぬけがけという更なる裏切りなど許すはずない。むしろ、乗り気だった。彼らは地獄摂氏274度低温を地表にぶちまけて、クソ滑り将門の現存権を永久凍結した。それが顛末。
「姉さん、大変だったんですね」
「どしたの?」
「髪の色、抜けていますよ」
前髪を垂らして毛先をチェックすると、確かに色が落ちている。
白金髪。
虎虎と融合したからだな、幽霊だっているんだから、こういうこともあるだろ。
「で、虎虎は?」
「北へ向かったっす。なんかあの馬鹿でかい、〈熊〉とかいうスケボーでしたっけ? エンジニアを呼んでちゃっちゃと修理させて、雪国仕様にして乗ってちゃいました」
「ふぅん。髪の色はどうだった?」
「え、ああ、黒かったっす」
やはりね。
髪の色だけの交換、だけじゃつまんない気もするが。まあ、いずれわかる。
「なにか言っていた?」
「早速、練習するから北海道に向かうとかなんとか」今日を契機に、東京は半世紀にわたる冬将軍に突入するだろう。「ズットモによろしくと。……なんすか、それ」
「ずっと戦友、ってことだ」虎虎から友達認定。悪くない。
心臓の疼きは消えていた。
粒子と化した私。翻って、肉体の再構築。
虎虎が言うところの『穢』を絞り出した。
私はもうしばらく生きる。
じゃあ、虎虎は。
いまならわかる、邪魔者を祓った。頭の中にいる俵藤太、別名藤原秀郷。
あれは彼女を守ってきたが、孤独にもしていた。
「そいでなんすけど、アタリ姉さん、やっぱ族長やるんすか?」
忘れてた。鼠小僧は子犬のようなうるんだ目で私を見つめている。
「はっ。やるわけねーじゃん。大概にしとけ」
笑顔を浮かべた鼠小僧だったが、すぐさまううむと唸る。
「でも、わかんねえっす。虎虎は灼熱がどうたらって。アレの影響って、熱いはずじゃないんすか」
「いや。反転させたんよ」難しい質問ではない。ひっくり返した。「まだわかんないの、私が選んだんだって。街の炎上か、氷漬け」
「だからなんで」
「私は滑りたい」
「は?」鼠小僧は一回顔を歪ませてから、納得して頷いた。「ああ、なるほど」
東京、冷凍都市。灼熱では無理だが、雪に覆われた世界ならスノーボードで滑られる。まー、花の育て方とかも調べないといけないし、やることは山ほど。
一旦溜息を吐いてから、色が抜けた毛先を指でつまむ。
よく考えたら、虎虎とは融合していて勝負がついていない。
きっと彼女は東京に戻って来るだろう。
いや、戻って来ないかもしれない。いる理由ないし。
わかんねえや。
北海道、行こっかな。
Mononokemono
照門で捉えたのは、体長五〇センチほどの物ノ獣だった。猪ほどの大きさだ。
落葉樹の陰で、わたしは膝撃ちの姿勢を取り、猟銃を構える。音を立てぬようにボルトを慎重に押し込み、実包を薬室へ送る。
静かな森。艶めく漆黒の銃身。微かな白い霧。息を呑む。
シェルジャケットの表地には、僅かに水滴が溜まっている。
三〇メートル先にいる【蜘蛛型】は、八つのアルミ製の脚を器用に使って木陰や苔の上を進んでいた。丸みを帯びた銀色の筐体。赤く点滅する頭頂部のセンサー。所有権者がいないことは、スキャニングで確認済みだ。
モノノケモノの電源は、太陽光発電がメインで、パネルか塗布型薄膜のどちらかを採用しているケースが多い。
誰かが勝手に製造し、持ち主は不要になると山へ解き放った。体内の回路が腐るか、電源が完全に落ちてしまうまで、目的もなく森の中をさまよう哀れな半分生物半分機械。
身体に力を入れなおすと、ハンティングブーツの裏で踏んでいたドングリがぱちっと音を立てて割れた。
ライフル銃を使用するのは、これが二回目だった。今まではずっと散弾銃のみだったが、今年の初めにやっと使用許可が下りた。これで、損傷を最小限にして、獲物を仕留められる。
硬い質感の引き金に指を置き、一気に引く。
突き抜けるような銃声が森中に響いた。
照門をもう一度覗く。
弾は命中していた。蜘蛛型はだ円の動きで、のたうち回っている。八本のうち、三本ほどの脚だけがぺたぺたと動いている。
ボルトハンドルを起こし、空になった真鍮製の薬きょうを取りだす。独特なにおいが鼻に拡がる。
わたしはポケットに手を突っ込み、小型電磁パルス作動デバイスを取り出す。起動準備の入力を行い、蜘蛛型に向かって投擲する。
五秒後に起動を確認。
蜘蛛型のシルバーに艶めく鋭利な身体は、鈍い電子音を伴って白っぽい煙をゆらりと上げ、完全に動作を停止した。
秋の森は静かなままだ。
技術的特異点の発生以後、大規模かつ非線形的な生産爆発が数回発生し、世の中には自立型の機械が溢れるほどに増加した。
問題も増える。
不要になると、リサイクルが基本だが、一部の人々は機械を野に放つようになった。言ってしまえば、機械は本質的にモノであり捨てやすい。加えて人間の性質、愛着のせいでもある。自分によくしてくれたロボットが、リサイクル工場で材料の状態まで解体されるよりも、野生の中で生き延びてほしいという考えの人々がいたのだ。
捨てられた機械たちが、多量になり、予期せぬ問題をいくつか引き起こすようになってから、数年が過ぎていた。
わたしが猟師免許を取得したての頃は、猪や鹿、野ウサギ、ハクビシンなどを狙っていたが、最近では専らモノノケモノの狩りを主としている。モノノケモノ狩りのルールは、一般の狩猟と同じく、狩猟と鳥獣保護に関する法律に基づいて運用されており、免許が必要で誰でも狩りができるわけではない。例えば、一般の狩りと同様に、落とし穴や毒餌、弓矢を使用は禁じられている。
わたしの場合、狩猟結果については、レポートとして記録して、数が溜まったら論文にまとめ社会科学系の学会誌に投稿することが多い。モノノケモノに関する生態系の論文やデータは、まだ非常に少ない。研究者も珍しいので、たまに環境省などから講演会のオファーがある。
それだけ世間の一部の人たちの関心は得ている、はずだ。
一方、モノノケモノに関する学術的な命題は、以下の内容が主流だ。
病院や工場、その他公共施設など都市部での使用を目的に製造された自律型のロボットその他類するものたちが、野山や海洋に放たれた場合、どう行動するのか。多くの専門家はすぐに死滅(稼働停止)するはずだと予言したが、なぜか動物と同様の適応性を見せて、少なくとも狩猟が必要な程度には繁栄、いや、生存している。
目の前で動作を止めている蜘蛛型にも憐憫の情が少なからず湧く。
予定された生を超えてしまった無軌道なやつら。
なかなかパンクなもので、嫌いになれない。
地上に打ち上げられた蛸のようになってしまった蜘蛛型を回収すると、トンネル型の黒色のベースキャンプを設置した川沿いのサイトへ戻る。
タープの下に入ると、灰色のハンティングベストを脱いで、アルミコンテナの上に置いた。普通の野生動物の場合、安全を確保するために赤や黄色の派手な色のベストを着ることが多い。動物には、色を識別できないものも多いからだ。ただし、モノノケモノの中には色まで検出できるものもあるので、色彩が強いものは着用していない。
ベストを脱いだ後の脇の下には汗がべとりと溜まっていたので、バスタオルで身体中を拭き取り、コーヒーメーカーで珈琲を一杯沸かし始める。
ツールボックスを自動車のトランクから持ってくると、湧いた珈琲を飲みながら、キャンパーテーブルの上で蜘蛛型の中身を改める。
モノノケモノ狩りのいいところは、ここだ。動物の狩猟には、解体作業がつきものだが、モノノケモノには不要だ。表皮や真皮、皮下脂肪や肋骨に守られた臓器、膨大に流れ出る血液もないので、工具があれば、ひとりでも簡単なチェックはどうにかなる。
蜘蛛型は簡素な作りで、背中にある太陽光発電パネルが目立っていた。アクチュエータやレゾルバなどの各モジュールの配置も悪くない。五年くらい前に流行ったモデルで、多分ドイツ製の製品だ。
『成果は』耳元のデバイスから、AIコンシェルジュの声がする。『いかがでしたか? 桜井様』
「悪くないよ。蜘蛛型は久しぶりに確保したからさ。電磁パルスで回路も焼き切ってしまったけど、もしかすると、行動のログも残っているかもねェ、シゲルっち」
シゲルとはこのAIの名だ。
『分析の結果、こちらはドイツ、ニコル社製の二〇三八年ES8のハイエンドモデルではないかと思われます。工業系企業での活用が多かったようですが、詳細な使用用途は不明です。中都大学工学部の今井研究室へ送付するように手配しても良いですかね?』
「うん、お願い。明後日には、宅配業者に渡したいかな」
今井研究室は、モノノケモノの生態を研究しており、わたしが情報提供している研究室だ。僅かばかりの報酬と、最新の研究情報などを提供してくれる。
ギブアンドテイクの関係という訳だ。
蜘蛛型の解析を終えると、わたしは道具の点検を始めた。
夜が来る。
わたしはダウンジャケットを着こみ、携帯ハンモックに転がり、夜空を眺めていた。狩猟で集中力を消耗した分、天体観測でリフレッシュするのが日課だ。
秋の星々がきれいに輝いている。耳元のウェアラブル・デバイスを操作し、スマートコンタクトレンズの拡張現実機能を作動させる。
『今夜は』網膜に文字が表示される。『小規模ですが、しし座流星群がみられます。また、九時からは人工流星によるナイトイベントも開催される予定です(雨天順延)』
わたしのようなソロキャンパーにとって拡張現実はとても使い勝手が良い。これのおかげで、天文学的な知識が無くても、ある程度天体観測を楽しむことが出来る。
わたしは意識を表示されている文字へ向け、言葉を発する。
「シゲルっち、人工流星のイベントとはなにかな?」
『こちらは』コンシェルジュの声がする。『名古屋のベンチャー企業が、全国の小中学生向けに願い事を叶えるためとして高度約四〇〇キロに位置する衛星から特殊加工した塵を落とし、それが燃えるところを地上の人たちが観察するというイベントです。今年は青い色の流れ星だそうです。東京都内からが一番見えますが、ここでも観察可能かと思います』
「ふうん」
『桜井様にはあまりおすすめできません』
AIコンシェルジュから嫌味を言われたところだった。
不意に警告音が鳴る。
網膜に『警戒情報:西方二〇メートルに影が出現』という情報が赤い点滅文字で表示される。
呼吸を整える。
わたしはすぐさま身体を起こし、薄型ヘッドのワークライトを灯す。傍らに置いてあった鍵付きのボックスから猟銃を取出し、手際よく夜用のスコープを取り付ける。
秋の夜の森。思うより寒い。白い息がこぼれ、徐々に心音が大きくなる。
赤外線を観察できるナイトスコープを覗き込む。
それは、テントを張った付近にある小川の向こう岸に立っていた。
緑色の何かが闇に蠢いている。
大型のモノノケモノ、いや、【人型】だった。
人型。
顔や胴、手足までがくっついていて、糸で操られたマリオネットのような不自然な動きをしている。顔は能面のように表情がない。
詳細を観察していると、一昔前の介護用ヘルパーで使われていた型式のアンドロイドに似ている気がしてきた。
「ねえ、シゲルっち」
『はい』すぐに反応がある。『どうしました、桜井様』
わたしはスコープで狙いを定めておく。
「人型のモノノケモノだ。……狙撃許可を取ってくれるかな?」
『はい。すこしお待ちください』
モノノケモノの中でも、人型は特別扱いされている。
世間には奇特な人々がいて、自分の肉体や脳、あるいは魂を機械に移植しようと試みるものたちがいる。成否の議論はあるものの、そのせいで非常に問題の多いグレーゾーンが生まれている。今の世の中では、半分人間で半分機械であるものに対し、人権があるのかないのかがはっきりしていない部分もあるのだ。
例えば、自分のおじいちゃんが死にたくないと言って、勝手に家にあったロボットへマインドアップロードをしてしまう。そういった無謀な試みが成功したという事例は聞かない。それでも、赤の他人によってそのおじいちゃん=ロボットが故意に破壊されれば、論理的にはおじいちゃんとは違う存在だと理解していてもだ、怒りがこみ上げるのが人情である。
倫理的な観点で、モノノケモノのなかで一番危険で厄介なのが【人型】だ。
こっちが攻撃する側ならまだいい。所有権者がいないことを確認してから、破壊するだけだ。
ただし、人型から攻撃を受ける側になった場合、責任の所在という問題が生じる。日本の法律の性質上、機械それ自体には人格権がなく、懲役もなければ、損害賠償もできない。キリスト教圏の国家では、中世の動物裁判と同様に、ロボットを裁判にかけたことがあるが、それ自体が宗教問題に発展し、混乱を増長させた。
つまり、やられ損になる可能性が高い。
「桜井様」
「どうかな」
額に汗が垂れる。わたしは焦っていた。
「地元警察署の担当者に繋ぎます」
「よろしく」
「……こんにちは、桜井さん」出て来たのは、女性の声だった。「警察署の北原です。よろしくお願いいたします」
相手が攻撃してくれば反撃できるが、その前に対処したい。
人型は、一歩ずつゆっくりとこちらに近づいていて、川に進入した。
わたしを認識したのだろうか。
「現在、八ヶ岳山麓部にて人型のモノノケモノと遭遇しています」少し早口になる。「発砲の許可を願いたいのです。……当方の位置座標情報は送付済みですし、今回の狩猟許可もきちんと提出しています。今からそのモノノケモノの映像も送付します」
「少しお待ちを……」
答えている間にも、人型はじわじわと距離を寄せてくる。まだ余裕はあるが。
「頼みます」
深夜の時間帯とはいえ、相手の対応が呑気で少し苛立つ。
とはいえ、回答にそこまで時間は要さない。
「桜井さん、その一帯で、現在稼働している人型の機械、アンドロイドなどは確認できていません。その機械がモノノケモノであることは確認できました。……桜井さん、命の危険は感じていますか?」
「はい」
汗が噴き出す。
「接近は、相手からですか?」
「はい、そうです」
「……では、発砲を許可します。なお、破壊できたモノノケモノについては、お手数ですが明日当警察署までご提出を願います」
ため息が漏れる。
「わかりました……」
わたしは引き金に指を伸ばす。
次の日は、自宅のマンションがある都内へ戻ったが、地元の警察署に寄ったせいで、予定時刻を大幅に過ぎて、夕方を迎えていた。貴重な休暇が消費されてしまった。モノノケモノ狩りで、人型と遭遇するのは、不幸な事故だ。
今回の人型には、結局特定の人物に関する痕跡はなかったようだった。チタン合金製というなかなかの軽量高級ボディに、ほぼ空っぽの電子頭脳だった。
とはいえ報酬がなかった、とも言い難い。
帰り際に温泉に入り、地元の警察署のガンロッカーに猟銃を返却、レンタル倉庫でテントなどの備品を片づけ、独り暮らしの狭いマンションにようやく戻ったわたしは、ツールボックスからちいさなケースを取りだす。
さらにそれを開けると、中から古びたプラスチック製のUSBが収納されていた。
昨晩の人型モノノケモノの後頭部に挿してあったものであった。電子パルス攻撃にも耐えられるように細工までしてあった。
本来であれば、警察にも報告と提出をしないといけないが、なんとなく持ち出してしまったのだ。何もなければ、「忘れていました」とでも言って、警察に後出しで提出すればよい。里に下りて来ないモノノケモノに対し、必要以上の関心を持っている人間は少ない。
リビングにあるラップトップに早速USBを繋いでみる。
ウイルスの感染はなく、中には、フォルダが一つ、少量のテキストデータが入っていた。
入っているのは、お宝情報か、企業や政府の秘密リストか、それとも大物芸能人のスキャンダラスな記事か。
妄想を膨らませつつ、ファイルを開く。
そして、目を見開く。
『2035/6/27 四宮悟志/武田愛子 11:00相模湖/13:00軽井沢:買い物/18:00横浜/レストランで夜景/宿泊』
「これだけ……なの」
思わず声が出る。
「シゲルっち」
『桜井様、どうしましたか』
「このテキストデータ、これだけ? ほかに痕跡とかないの?」
『……ありません。これで終了です。破損してもおりません』
「そっか」
わたしはラップトップを閉じる。
あまりいい趣味とは言えないが、わたしはこのUSBのテキストデータに興味を持ってしまった。
状況から導き出された仮説は単純だったけど。四宮悟志と武田愛子、この人物たちが、人型の介護用ロボットにデートの記録を入れて、野に解き放った。
だとすると、目的は何だろうか。
わたしの悪いところだ。
気になると、調べたくなる。
「桜井さん、わざわざすいませんねぇ」
武田愛子は、愛想が良い背の低い女性だった。
名前をウェブ検索すると、女性の名前はすぐに出て来た。偶然にも中都大学社会学部の教員で、環境運動などの専門家である。大学から院までずっと中都大学のという生え抜きで、わたしよりも五歳ほど年上だった。
ほかの同姓同名である女性の可能性もあるが、調べてみる価値はあった。一方、四宮悟志は名前で検索しても、情報が出てこない。
わたしは、懇意にしている今井研究室を経由して、武田さんにコンタクトを取った。
人型と遭遇した翌々週の土曜日には、情報交換の場を設けられた。
「こちらこそ。お時間を頂戴してすいません、武田先生。モノノケモノに関する保護運動について、少しご教示いただきたくてですね」
こざっぱりとした教員室だった。壁には英語とドイツ語の研究文献がずらりと並んでいた。彼女はラップトップがあるデスクに座り、林檎の和紅茶を出してくれた。
「いや」武田さんは遠慮がちな笑みを浮かべる。「私なんて、環境関係がメインでモノノケモノは専門外ですよ。今日は、社会運動論の一般的な部分を説明させていただければ。むしろ、モノノケモノと日々向き合っている、まさにキーパーソンの方からお話を聞ける機会は貴重ですので。楽しみにしていました」
わたしたちはそこから三十分ほど、意見交換をした。わたしはモノノケモノに関する動向や狩猟方法、関連する法律や制度を伝え、武田さんからは社会運動の流れや理論枠組みなどの説明を受けた。
世間一般的なやり取りを終えると、わたしは本題を切り出した。
「あの、四宮悟志さんってご存知ですか?」
「シノミヤサトシ、さんですか?」
武田さんは一度宙を睨む。
「ええ」
「ううん」武村さんの顔が曇る。「記憶にないですね。どこかの文献とかで私と一緒に名前が出てきました?」
「いいえ、名前をお伺いした時に、一瞬その名前が直感で思いうかんで……。なんていうんですか、引っかかるというか。もしかして、お知り合いとかじゃないかなって。気のせいならいいんですけど……」
「ごめんなさい。やはり記憶にないですね」
武田さんに嘘を吐いている気配はない。
どうすべきか。あのテキストデータを見せるべきなのか。
と、思案していた時だった。
武田さんが手元のラップトップを操作し始めた。
「これ、かな」
「なんですか、武田先生」
「外部の方に伝えるのは、不適当なので、ここ限りにしてほしいんですけど」
「もちろんです」
「今同窓会の学内管理専用データベースで検索したんですけどね、その四宮さん」武田さんは、さらに顔を歪める。「確かに私と同じ時期に、工学部に在籍していましたけど」
「けど……」
「もう亡くなっていますね」
「ほんとですか」
ラップトップの画面を見せてもらう。学生当時の写真付きでプロフィールも掲載されていた。確かに、四宮悟志は十年以上前に登山事故で死亡していた。同窓会の送付欄が不要になっている。
いよいよ謎が深まるばかりだ。
「あれ?」ふと、武田さんに意識を戻すと、彼女の眼から涙が零れていた。「どうして、私は泣いているんでしょう?」
「ほんとに知り合いじゃないんですか?」
「ええ」武田さんは涙を拭いた。「話したこともございません」
武田さんとの話し合いを終えると、わたしは大学近くの喫茶店で約束していた人物と落ち合った。
「久しぶりだね、桜井さん」
「ええ、今井先生も元気そうでなによりです」
連携先の責任者でもある今井准教授とは、久しぶりに顔を合わせた。
わたしが大学生の頃、ティーチングアシスタントとしていろいろ教えてもらい、卒業論文の指導も受けていた。もう十年以上の付き合いだ。
「元気、というわけでもないがね。ただ終わらない繁忙期を過ごしているだけだ」
白髪交じりだが、わたしと十歳も年が離れていない。穏やかな性格なので、生徒からも慕われているようだ。
「それでどうですか、モノノケモノの研究は進んでいますか?」
今井先生はブラックを、わたしはカフェラテを、注文していた。
「学会で今度発表するよ。『自律型野性機械の地理的分布とその傾向』っていうタイトルで、基調講演三〇分一本勝負だ」
「へえ、聞いてみたいですね」
「初心者向け過ぎて、桜井さんが楽しめる内容ではないな。さて、僕が最近入手したおもしろいニュースだが」今井先生は、一度咳き込む。「北海道の山中に破棄された医療用のロボットが、親からはぐれた子熊を保護して育てていた、らしい。まだ全国紙は報じていないがね」
「たまたまでしょう?」
わたしはカフェラテを口に含む。
「人情味あふれるニュースは、ウケもいい。モノノケモノ保護派も少しは増えるかもね。まあ、人を襲ったという報道のほうが相変わらず多いがね」
「ですよねえ」ため息のような言葉が出てしまう。
モノノケモノが人を襲ってしまうということは稀にある。もちろん、機械側にそんな意図はないが。野に放たれた介護用のロボットなどが、登山客などを捕捉し、セーフティも損傷した不完全な身体のまま、補助に行く。
事故になるのは当然だ。
しかも、熊などの野生動物と違い、モノノケモノには冬眠という概念が無く、春夏秋冬で襲われるリスクがある。危険視しないほうがおかしいとも言える。
「それで桜井さん。今日はどういう要件だったんだい?」
「ちょっと、気になることが……」わたしは、情報を漏らさないという条件で人型モノノケモノ、そして、武田先生や四宮悟志の話をした。「……四宮さんっていう方、工学部に在籍していたみたいですけど、覚えていますか?」
「四宮さんか、懐かしいな」今井先生は小さくため息を吐いてから、笑みを浮かべた。「それに、武田さんも」
「知っているんですか?」
「ああ、二人とも僕が在籍していたテニスサークルの後輩だったからなあ」
「え、そうなんですか」
確かに年齢的には、同時期に在籍していても不自然ではない。
「なんでその二人の記録が、あの山奥に……」
「それも偶然ではないね。僕があの辺りをフィールドにしているのは、学生時代にサークルの合宿でよく使っていたからだ。まあ、都心からちょうどいい距離で、都民からすれば自立型機械たちを捨てやすい場所だった」
「つまり、テニスサークルで馴染みの場所でもあったと」
「四宮さんと武田さんも同じだとすれば。ちょうどいい場所だ。二人の秘密、を隠すにはね……」
「秘密ってどういう意味です?」
「二人が交際している、っていう噂があっただけだ」
「……噂。なにか問題でもあったんですか」
「単純だ」今井先生は珈琲を口に含む。「噂が立った時期にはそれぞれに交際相手がいた」
「浮気じゃないかってことですか? それを隠すために、人型にUSBで不完全な記録を残して、野に放った。記憶は? 武田先生、四宮さんの記憶が無かったんですよ」
「大脳皮質の周辺を刺激して、簡単な記憶を消去する手術が一時期流行っていたから、それを利用したんじゃないのかな。今じゃ違法だ、いや、当時も違法だったけどな……」
「ふうむぅ」私は思わずため息を漏らす。
武田さんが泣いていたのは、消したはずの記憶が薄っすらと蘇ったからなのか。
「桜井君、僕がしているのは、あくまでかもしれないって話だ」今井先生は、窓の外へ目を向けた。「ロマンチックだが、不気味だね」
「いい言葉です」
今井先生は、わたしをじぃっと睨んだ。
「そういえば、前々から聞いてみたかったんだが、桜井さんはモノノケモノのことをどう思っているんだい?」
「研究対象ですかね? おもしろいですし」
「そういうのよりは、もっと、ちがう観点でだね。単純に言おう、好きかきらいか、どっちだい?」
「ストレートな質問ですね」わたしは唸る。「正直なところ、人間よりは親しみがないですが、野生動物よりは愛着があるかもですね。なんだろう、妖怪に近いのかな。……モノノケモノって、生まれながらのなんていないじゃないですか?」
「どういうことかな?」
私は一度息を呑んだ。考えながら話していた。
「……誰かに使われていたものが、捨てられて彷徨っている。日本的に表現すると、物の怪、ある意味付喪神ですよね。だから、一体一体にいろんな背景がある。誰が持っていたとか、どうやって使っていたとかがあるので、それを紐解くのがおもしろいのかもしれません」
「なるほどねえ」今井先生は一旦間を置いた。「やっぱ変わっているよね、桜井さん」
「先生、わたしのこと、もっと褒めていいんですよ」
今井先生は微笑む。「ここを奢るから、勘弁してくれ」
冬の森。
一面、白い雪。
わたしはそこまで深入りせず、渓谷付近のダム近くの路肩で、自動車を停めた。それでも、スタッドレスタイヤのみで雪で埋もれた道を進むのは骨が折れた。
本当に寒い日だった。ダウンジャケットを着ていても、寒さが染み込んできて白い息が口からこぼれる。
荷台から、モノノケモノを取りだすと、電源を入れた。かじかむ手をさすりながら、様子を見守る。
それは、起動音を伴って、生まれたての小鹿のように八本の脚をぐにぐにと挙動させる。しばらくすると、自立して歩行を開始する。蜘蛛型を野性自律機械の探索用機械として稼働させる。今井研究室と環境省が協働して主導するモノノケモノを再利用してモノノケモノ探索用の自律機械にしてしまうというずいぶん危なかっしいプロジェクトの実証試験だ。私もプロジェクトに名を連ね、蜘蛛型を譲り受け、地元自治体との協議の末、野に放つこととなった。これから、仲間を探して、私たちにデータを送ってくる。
結局、あの行動記録のテキストデータは誰が録ったものかわからなかった。
いろんなストーリーが想像できる。
四宮さんと武田さんが、人知れぬ恋に関する記憶を消す代わりに山へ放った。それとも、四宮さんが失恋の傷を癒すために、復讐のために。どちらでもなく、誰かがデマを記録した。もしかすると、武田さんがわたしに嘘を吐いたのかもしれぬ。
真相は不明だ。
間違いないことは、誰かがあの人型に記録を残す処理を施した、ということだけだった。
わたしはわたしで、そんな『不気味でロマンチック』なものを手元に残しておきたくなかった。深い山の中にあるのが適当な気がした。
目の前で動作している【蜘蛛型】の深部には、あのUSBを挿し込んである。もちろんちょっとのことで、データが破損しないように加工もしてもらってある。大学側には、探索用の位置制御ユニットだと偽った。
「ほら、行けよ。がんばるんだぞ」
不気味とロマンチックを身体に収めた蜘蛛型は、わたしの声に反応するように、ぴょんと跳ねて真っ白な雪の中へ消えていった。
本物の野生動物のように、まるで、ここが自分の住むべき場所だと訴えるようだった。
あべこべだけど、わたしはそう感じた。
二人の記憶を封印したモノノケモノは、役目を終えて廃棄処理されてしまうのか。わたし以外の誰かが狩るまでうろつくのか。それとも、さまざまな偶然が起こって、人類が絶滅した後でも、野生のままでこの森を彷徨い続けるのだろうか。
誰にも答える義務はないのだろう。
それが、厄介で複雑な問題の根本だ。
しばらくすると、牡丹雪がしんしんと誠実に降りはじめた。
DUM SKATER
滑る、飛ぶ、くるり。
そればっかの毎日だった。
春の終わり、夕焼けが目に染みる。市街地から少し離れた場所にあるパーク内には数人のスケーターがいた。
コンクリで斜面を固めてあるハーフパイプのプラットフォームには、汗だくの俺と友人の龍蒔しかいない。夕日が作る俺らとボードの影は細長く伸びており、Rのついたコンクリの上でぐちゃぐちゃになって怪獣みたいになっている。
「図喜さ、オレは苦手なんだよな、パークって。なんというか、リアルじゃねえの」
アイ・パス製のスケシューの靴ひもを結び直しているタツマキはぼそっと告げた。
親父さんの影響で、半世紀前のロックにはまっているタツマキは、よれたものばかりを好んで着ている。ネックフェイスがデザインしたスラッシャーマガジンのTシャツの襟は波打っていて、バギーデニムの膝は擦りすぎてほつれていた。
地元で唯一のスケートパーク全体を睨んでいるタツマキの額には、玉粒の汗が溜まっていた。
「山ん中だからかな」脇に立つ俺はボードを抱えていた。「周りが森ばっかで雰囲気がねえとか」
「ちょっとちがうんだけども。ま、いっか」
タツマキは深緑色のスケートボードを抱えていた。
スケートボード。七〇センチの木製デッキ。金属製の二つの車軸。四つのホイール。こう考えると、自動車と似たような構造だが、大きな特徴は足しか載せられないことだろう。
それに乗り物ではあるが、自動車や自転車ほど操作性が高いわけはない。
バランスを取れないと、すっころんでしまう。下り斜面では速度が出すぎる。ブレーキがないから、急には停まれない。
不便さが魅力、というのも事実だ。
俺の遊び相手であるタツマキは、身体が小さくて細いが、いつも野性的で鋭い目つきをしていた。一緒に始めた頃――タツマキの親父さんがくれたパウエル・ラペルタ社の陽気な死神グラフィックが入ったデッキを共有して、通っている中学校近くにあるショッピングモールの立体駐車場で遊んでいた――は俺の方が上だったが、パークで練習し始めるとあっという間に追い抜かれ、大きな差が開いた。タツマキは野良犬みたいな風貌であるが、上品なワルツを踊るようなライディング・スタイルが特長で、いつの間にか知り合い内では一番のスケーターとなっていた。
隣のセクションであるボウルエリアでは、年上の社会人スケーターたちが、二〇〇〇年代を代表するプロ・スケーターであるトニー・トルフィーヨの三次元映像を流していた。
米国のスケボーブランドが提供する映像サービスで、プロ・スケーターの過去のライディング映像を基に、AI処理させた再現ホログラムを滑らせることが出来るというある種の精巧な偽物だ。専用のスマート・コンタクトレンズさえ装着すれば、誰でも観覧が可能だ。
トニーは『TNT』という物騒な略名を持ち、豪快でアグレッシブなライディングで有名だった。実際、TNTのホログラムは、ボウルの中を弾丸のように滑り回っていて、みんなの眼を釘づけにしている。
「ああいうのが滑りてえんだよな、街ン中で」
「おまえ、トニー・トルフィーヨみたいなタイプじゃないじゃん。あんな荒々しいのは、ガタイがないと無理さ」
タツマキは悔しかったのか、視線を落として、それ以上何も口にしなかった。
俺はコーピングにボードをひっかけてから、ライン取りについて小考した。俺のデッキはスピットファイア社製で、ホイールも同じブランドでそろえてある。好きなバンドのステッカーを何枚か貼ってあるが、タツマキほど過剰に重ねて貼っていない。
タツマキは用意していた記録用のタブレットを手に取って、アプリを起動させてからカメラをこっちに向けてきた。俺も自分の手首に装着していたスマート・デバイスを作動させると、タブレットから青い光がぴかっと発せられた。
「図喜、うまくいったぞ。キャプチャーの準備が完了したわ」
「サンキュ、龍蒔」
光学式と位置制御センサを組み合わせた仕組みで、俺が滑っている姿を三次元的に記録することができる。
大きく息を吸って、大きく息を吐く。目の前は、婉曲した斜面。
一気にドロップインした。
両足が乗ると、デッキが重みでぐっと湾曲する。スケシュー特有の平べったいソールは、摩擦抵抗のおかげでデッキにぴたりと貼りついてくれた。ウィールが音を出して回転して、速度が増す。湾曲した斜面を下りていくと、何度か足元の板が縦揺れする。やっと平面まで来ると、速度を落とさないように体重をデッキに乗せる。やがて、反対側の斜面にたどり着く。
ここまで来ると、身体がスケートボードと一体になっている感覚がする。シルバーサーファーがボードと合体するのとおんなじだ。
ランプというかすべてのオブジェクトは、俺にとって神様みたいな位置づけだ。無慈悲に痛めつけてくるし、俺たちを試している。ときには、一体化してくれる、かもしれないって感じだ。マジな話、ほんとは俺たちなんかに興味がないのかもしれない。
俺は、何度か振り子のようにランプの斜面を滑って往復する。
記録を取っているタツマキが薄っすらと微笑んでいるのが目に入った。
むかついた。度肝抜かしたる。
やがて斜面が垂直に近づくと、俺は膝に力を入れる。身体にかかる重力の方向ベクトルが変わっていく。リップに達すると、俺とスケートボードは一体となって、地球に反抗した。
ウィールの音が消える。
ふ。
空中にいる瞬間。
息が止まる。
予定していた通りに、デッキのフロントをキックして、ボードを縦回転させた。
くるり。
螺旋の軌道が空中でいくつも描かれる。
足をデッキに戻す。
同時に斜面へ着地。デッキがきしむ。
ボードと俺はバラバラになっていない。
成功だ。空中技をかましてやった。
思わず、底面を滑りながら両手をバンザイしてしまう。
俺にとって、スケートやってんなあと実感するときは二種類だ。トリックを決めた時とトリックに失敗した時だ。
つまり、成功しようが失敗しようが、どっちでもよいのだ。
「お兄さんたち。ビデオの出来はどんなもんだったの?」
俺たちの行きつけは、愛宕商店街の真ん中にある『白鯨』という名のスケボーショップだった。バーを改装した居抜き物件で店内は狭い。棚には、日米のブランドのアパレル製品が並び、壁にはスケートボードが何枚も飾ってあった。
この街のスケーター人口は、せいぜい二〇〇人程度だろうか。スケートパークには周辺の町村や県外からも人がやってくるので、正確な数字はわからなかった。
店主であるアサキさんは、おかっぱみたいな髪形をして、いつも肘部分が擦れているカーハートのカバーオールを着ていた。
「なかなかすよ、アサキさん」俺は得意げに答えた。
「ですって」タツマキは事前にアサキさんへ録画データを送っていた。「送ったやつ、再生してくださいよ」
「ちょいまちちょいまち」
アサキさんは、手に持っていたタブレット端末を操作して、一メートルほどの高さのホログラムを床面に表示した。
スケートパークで滑っている手のひらサイズの俺の姿が立体的に再現された。
アサキさんは俺のトリックを見て、にやついていた。
「なかなか調子がいいじゃん、図喜くん。で、龍蒔氏は?」
「え。オレのはいいっすよ。オレ、パークとかあんま好きじゃないんで」
「ストリートで滑りたいってことかな」
「うん」
アサキさんは表情を崩さずに溜息を吐いた。
「時代だよねェ。今じゃ、街中にセンシング・デバイスが増えたせいで、スケボーはいともたやすく取り締まられちゃうから」
タツマキの心情を汲んでいて、諭すような口調だった。でも中身は、街で滑るなよ、という警告だった。
「そっすよね」
俺たちは街なかの目立つ場所で滑ったことがない。パーク以外だと、人が来ないでじめじめした辛気臭い場所をばかりで滑っていた。世界の裏側のような場所を探さなくてはいけない。幽霊が出そうなほどさびれている閉鎖されたラブホテルの駐車場、誰も寄り付かない腐ったような公園。
スケートボードは、絶えず規制の対象にされやすいスポーツだ。
海外でも地方政府などで、罰金を科すような条例が定められていることもある。
日本でも、反体制的な側面が取り上げられ、暴走族やストリート・ギャングなどと比較されてきた。一九八〇〜九〇年代に普及して、著名なチームはファッションやスタイル面で先端を走ってきた。二一世紀に入って以降はスケートパークが全国各地に設置され、オリンピック競技にも選ばれるようになっていた。
アサキさんは、そういう時代の流れを肌で接してきた世代で、今はスケートボードのコミュニティ・スクールの講師も務めている。スケートボード・イズ・ノット・クライム。青少年の健全な育成のためというフレーミングであれば、スケートボードに乗る権利が持てる。アサキさんは名古屋から戻ってきた三〇代のはじめころから、この街でスケートパークの開設と維持に尽力してきた。今では都市型パークマネジメントを担う、市の管理委員会にも委員として参加している。
俺たちはあまり知らなかったが、毎回の議題にパーク外でのスケーターたちによる逸脱行為が話題になっているようだ。
タツマキがストリートで滑って、それが発覚すれば、アサキさんに矛先が向く。
もっと言えば、タツマキ以外のスケーター――アサキさんに関係が無くても、地元民じゃなくても――が問題を起こしたって、アサキさんは小言を聞かされる羽目に遭う。スケートボード特有の問題だ。サッカーやっている奴が道路でボールを蹴っていたからといって、市内にいるサッカー関係者が白い目で見られるなんてことはそうそうない。
タツマキは馬鹿じゃない。残念そうな顔をしたが、理解はしていた。
俺もわかっていた。
タツマキの腹の中で、稲妻のような衝動がいつも轟いていることを。
「さて。今日は提案があるんだよ、君たちに」
「なんすか」
アサキさんは、タブレットを再度操作して、別のホログラムに切り替えた。毎年開催されている世界規模のオープン大会のプロモーション映像だ。ミニチュアのパークの中を親指サイズのスケーターたちが縦横無尽に動き合わっている。派手な英語表示の吹き出しとともに、エントリーを勧めてくる。
「今度、オープン大会があるんだけどさ、出てみる? 東京が会場になっているんだけど、世界中で参加者を募っているんだって。図喜氏、どう?」
「へぇ、おもしろそうっすね。な、龍蒔」
「ううん。考えておくよ」
店を出た俺たちは、街の周辺部に位置する橋の下にあるハーフパイプへ向かった。
誰も寄り付かない場所だった。
タツマキの親父さんが現役だった頃に設置した三代目のハーフパイプが残っている。初代は木材で建てたが、老朽化して勝手に壊れた。二代目は同じく木材で構築したが、地元の暴走族に燃やされた。親父さんは躍起になって、三代目はコンクリートで固めてしまった。
管理者には発見されているはずだが、撤去はされていない。
タツマキは、底面でオーリーを繰り返しながら、俺に質問をしてきた。
「図喜さ、マジで大会出るのか?」
「もちろん。出ない理由がないだろ。お前も出ろって」
「あ、うん」
炭酸の抜けたコーラのような、なんとも気のない返事だった。
結局、俺とタツマキは、オープン大会にエントリーした。
二人で高速バスに乗って、東京まで出ていった。
港区の広大な空き地に、競技会場が建設されていた。会場中にセンシング・デバイスが配置されており、スケーターたちのすべての行動が、世界中の〈同じ会場〉に共有されている。国際的に標準化されたストリートとボウルのエリアを用意して、超低遅延の3D高性能スキャニングシステムや通信用機材を配置してある。これでどの会場で滑っても、わずかなディレイでホログラム再生され、同じ〈場〉を共有できる。
開会式のデモンストレーションで演技していたのは、カルフォルニア会場にいるミシェル・クロウや香港会場にいる劉道星などトップスケーター、加えてホログラムで再現された若かりし頃のジェイ・アダムスというレジェンドまで。
俺とタツマキは二日目の一五歳以下個人競技の部門に出場した。予選セクションで、世界各国にいる同世代スケーターの電子幻影たちとごちゃごちゃ形式で技を競い合った。一〇人以上のゴーストがボウルやストリートセクションで躍起になっているさまは、太陽フレアの爆発を早送りにしたようにエネルギッシュなものだった。
まあ、俺は散々だった。
出だしでライン取りに失敗して、ヨハネスブルグ会場のゴーストと重なり合って前が見えずに転倒した。その後も調子が戻らず、一二人中一一位で競技を終了した。
日本会場の中ではダントツで最下位であり、穴があったら入りたい状態だった。つまり、ここで俺のスケーターとしてのキャリアはほぼ終了したも同じだった。
対して、タツマキは好調であった。予選を二位通過、準決勝を無難に勝ち抜き、決勝では三位入賞を果たした。ダークホース的な立ち位置であったらしく、競技後にはXスポーツ・ライターから取材を受けていた。
タツマキが出席した表彰式を俺は観客席から見守っていた。この大会を通じて俺はそもそも才能がないと自覚した。驚くほど心的なダメージは少なく、表彰式で脚光を浴びているタツマキに嫉妬もなかった。むしろ、誇らしかった。見ろよ、俺のダチが三位だったんだぜ、と。
一方のタツマキは愛想のない冷めた表情のままで、聴衆に手を振っていた。
陽気な司会者による明るい進行での表彰が終わると、特別ゲストのホログラムが壇上に上がってきた。
紺色のニットにスーツを着ていた。やり手の経営者といういで立ちで、ずいぶん場違いな感じがした。実際、やり手の若手経営者だったが。
ロバート・ホソイ。スケートボード界隈では話題の人物であった。もともとカルフォルニア州に所在するスポーツ関係のベンチャー企業のCEOであったが、スケート専用都市――通称犬の街――構想を立ち上げていた人物だ。
四〇歳手前くらいで精悍な偉丈夫という印象のホソイは、手を振りながらステージの中央に立つと、マイクを握ってドッグシティ構想を力説した。
「……つまり、具体的に動ける社内チームを半年以内に立ち上げる予定なんですよ。もしドッグシティが建設されたら、若者の皆さんにもぜひ居住してほしいんですね」
司会者がホソイの発言を引き継いだ。
「では、いかがですかね。……龍蒔さんはドッグシティ構想をどう思いますか?」
突然の指名に、タツマキは今まで見たことがないほど顔をひきつらせた。
「あの……。あんま興味ないっす」
正直すぎる。
イベントをぶち壊しそうな回答に、司会者は目を見開き、ホソイは呵々大笑した。
「龍蒔君、君の気持ちもわかるんだ。だからこそ、ぜひ来てほしいな」
表彰式が終わると、俺たちは近くのチェーン店でハンバーガーを食べた。
正直に言おう、俺はとても興奮していた。
大会じゃない、ドッグシティ構想に対してだ。
「すげーな、龍蒔。あのドッグタウン構想とかいうの」
向かい側に座るタツマキはチーズバーガーを頬張って、宙を睨んでいた。
「どーなのかな」
「だって、スケートボードの街なんだぜ。俺は興味があるな。お前だってさ、ストリートやり放題になるんだぜ。こんなすげー話ないでしょ」
本音だった。
「わかるんだけどな……」
この日が契機だった。
ちょっとずつ、俺たちはすれ違っていった。
俺は大学に進学すると、ランドスケープなどの都市デザインを学んだ。
もちろん、スケートボードと都市構造の因果関係に関する研究をするためだった。
しかし、日本というフィールドでは、なかなか思い通りの研究ができないことも事実だった。過去の研究もあまり体系的でなかったり、『どうやればスケートボードが一般社会に受け入れられるのか』を命題にしている都市マネジメントに特化していたりして、スケーターたちの多様性を圧し潰すような、バランスが悪い印象を受けた。かといって、スケートマガジンでもプロ・スケーターたちが各々で社会への不満、というか警備員から理不尽にキックアウトされた話ばかりに矮小化している印象を受け、それ以上の答えが見えてこなかった。
俺は社会構造や文化、スケーター自身のライフストーリーまでを射程にした実践的な研究をしたくなり、カルフォルニア州の大学院へ進学した。スケートパークだけでなく、地元バンドのライブなどにも顔を出してネットワークを広げ、有名なスケート雑誌の編集者と懇意になった。
ライターからホソイ社の担当者を紹介してもらい、面談をした。担当者に対してスケートボードについて熱弁をふるうと、ドッグシティの設立メンバーとして雇ってくれた。
ドッグシティは、米国カルフォルニア州南西部のオレンジカウンティに建設されることが決定した段階まで進んでいた。実現化までもう少しというところで雇われた俺は、郡や州政府との調整役に選ばれた。
「へぇ、すげーな」
就職が決まった時、タツマキに電話で連絡を入れたが、反応はこんなものだった。最後に会ったのは、大学を卒業する前に渋谷で呑んだ時だった。
タツマキは、高校二年生の時に国内スポーツメーカーと契約してプロ・スケーターとなり、二〇代前半の頃には東京に進出して毎日スポットシークに執心していた。東京はある種聖地でもあり、戦場でもある。渋谷で警官に取り囲まれて、もう二度と滑りませんと念書を書かされたプロもいる。
まあ、タツマキは平常運転でお構いなしだった。滑るときは酒もたばこもやらないという禁欲的なストレートエッジ主義を宣言し、ファッション雑誌やスポーツ雑誌の誌上では、パンクな発言ばかりが目立っている。
警察の厄介になったことも少なくなかっただろうか、スポンサーから契約を切られそうになっているというホントくさい噂も聞いていた。ただスポーツメーカーが発表しているスケートビデオでは、ビルの緑地帯で警備員のおっさんに追われながら、ノーズフェイキーをかましているタツマキの映像が使われていたので、真偽はわからなかった。
「これで、俺は世界初のスケートボード専用の街を立ち上げに参加するんだ」
「だから、すげーなって言ってんじゃん」
「お前も滑りに来るよな?」
「多分な」
俺は傲慢だと思った。馬鹿にしていやがるのだと憤った。プロになれなかったお前が何を喜んでいるのかと。
「まあ、気が向いたら、来てくれよ」
「まあね」電話口のタツマキは少し間をあけた。「でさ、図喜はそれ、面白いと思ってんの?」
「なにがだ」
「スケートボードのためにスケートボードをやるのって意味あんのか?」
心音が一気に耳に響いた。
「あ、当たり前だ。また連絡するよ」
電話を切っても、俺はしばらくその場から動けなかった。
タツマキの指摘は恐ろしいほど的確で、俺はそのことを疑問に持ち続け、いや、この事業に携わる多くの人間が同じで、答えを出せずにいたからだ。
ストリートにおけるスケートボーディングの醍醐味は、〈街〉を読むことだ。
車道と歩道を分ける縁石、階段に取りつけられた手すり、竹の子みたいに生えた消火栓、公園のベンチ、それらはすべてスケートボードのために設置された人工物ではない。街に散らばっている要素をどう滑るものにするか判断し解釈して、トリックを決める場所に変えてしまう。もっと言えば、バラバラなはずのエレメントを繋いで、新しいモーメントを生み出す。トリックだけを説明して映している動画なんて、あんまりおもしろいものではない。スケーターが街の新しい一面を切り取って支配しているモーメントを記録しているから、世界中でスケートビデオが流通した。
それこそがリアルなのだ。
スケートボードをするための都市とは、ストリートを志向するスケーターにとってはリアルじゃないのだ。
同業者同士との議論では、だからこそ、やらないといけないのだという結論には達していた。
そうせざるを得なかった。大都市圏では、警察のみならず一般市民からのスケートボードへの締め付けは容赦がなくなっていた。それに応対するスケーターたちの不満も膨れ上がっていく。
『縁石が少し削れたくらいでガタガタ言うな』、『停止しているボードの上に乗っていただけで職務質問してくるな』、そんな理屈が通るほど甘い世の中ではない。
マイノリティとも呼べるスケーターとはいえ、一枚岩ではなくいろんな人々で構成されている。アサキさんのように一般社会に受け入れるように努力する人やスポーツとしての認知を進める人々。俺のように業界の周辺で生きていく人間。タツマキのように滅茶苦茶な振る舞いをするヤツ。
俺は頭を振るった。
だからこそ。
チャレンジしなければ、スケーターたちは永遠にストリートとおさらばしないといけなくなる。昔は街の中で滑ってたんだよ、と語るジジィになってしまう。
電話を切ってから少し経って、タツマキに対して怒りが込み上げてきた。
若い頃なら、俺も正論だと甘受したかもしれない。もはや先の発言は正論ではなく、過去からあった青臭い主張だ。先のことを何も考えもせず、自分勝手にストリートで滑っている無責任な男が、ひとの心臓を掴むような発言をしているだけだ。
リアルを掴むには、闘わないといけないのだ。
スマート・コンタクトレンズを起動すると、現在の天気と気温、湿度が表示される。摂氏二五度。快晴で気温も高い。
俺はスケートボードを足元に置いた。
デッキには、好きなバンドやスケートブランドが発行しているデジタル・ステッカーが何枚も貼られている。
なだらかな舗装をされた車道で、ボードをプッシュして進む。
速度が上がってきたところで、板に両足を乗せる。
スケシュー特有の平たいソールが板に張りつくように錯覚する。地面から生えているような藍色の消火栓を避けると、重心をずらしながらノーズを振りながら進む。勢いを殺さずに、さらに何度かプッシュしてから、西区角の公園に進入する。公園の中には、たくさんのスケーターたちがいて、トリックを練習していた。ペットを連れている人間もジョガーもいない。
俺はファンボックスに群がっている彼らの間を縫っていき、中央の噴水を過ぎた場所にある下り階段へ一直線。
レールに向かってボードの腹でレールを進む技を狙って板ごとジャンプする。
が、板が持ち上がらず、俺は腰を思いきりレールにぶつけて転がった。
青い空には太陽が浮かんでいて、じりじりと俺を焼くようだった。
ドッグシティは、ホソイが思い描いた通りの都市となった。オレンジ郡アーバイン市の北東部郊外。ホソイ社がオフィスを開設して移住の先鞭をつけると、瞬く間にドッグシティの人口が増えていった。
スケーターは発祥の地であるアメリカを中心に、ヨーロッパや中東、南米、アジアなど西洋都市化した世界各地に一定数存在していた。むしろ、全世界では後進国を中心に増加傾向にあり、ドッグシティの存在は大きな注目を浴びた。
白色を基調にした街の構成物のほとんどでスケーティングが可能だった。
通常の都市では歩行者と自動車が共存可能であるように、そこへさらにスケーターを加えても支障がないように整備されていた。ポートランドのダウンタウンを先行例として、歩道や車道、スケートボードでの通行が可能なレーンという構成が基本になっている。もちろん、縁石やベンチの一部を金具やコンクリで加工して、ライドを防止するようなこともしていない。もし自動車や歩行者がいなければ、車道も歩道にもシームレスに進入してトリックができる。
建物も同様で、トリックが可能なセクションをたくさん持つことになる。商業ビルのモニュメントは、どんなに無茶苦茶な形状をしていても、スケートボーディングのスポットにできる。
バーンサイドのような雨天でもライド出来る高架下のパークにも人が集まっていたが、特に耳目を集めたのは、スケートボードだけでなく、BMXやクライミングまで可能な複合型施設だった。各スケートブランドのショップやヴィンテージ品を扱う個人経営店、ビデオ撮影事業者、デザイン事務所、デッキのプレス製造工場までスケートボードに関わる機能が集約されていた。
複合型施設の地下には、世界唯一のフィールドもあった。『エートス』と呼ばれるパークだ。このパークは、常に変動するエリアだった。マイクロ・デバイスによりコントロールされた床面コンクリートは、形状や密度を自由に変更できる。つまり電気信号による指示で、瞬時にボックスやバーティカルを形成できるという小型機械集合構造体であった。
リアルタイムに変動していく地面の上で、スケーターはライドを愉しむことが出来る。エートスには、連日多くの人が列を為した。俺も何度か経験したが、何もない場所がいきなり魅力的なスポットに変動していく様に圧倒されたものだった。転倒しても、地面が反応して急に柔くなり、安全性も高かった。不定形なオブジェクトでトリックを決めるという意味では、スケートボードの原型であるサーフィンに近いものかもしれない。
ドッグシティでは、スケートボードが中核になり、そのほかの周辺文化である写真や音楽、映像、アートも活性化していった。
ある都市の構造を、特定のスポーツに特化していることは稀である。むしろ、街で発達してきたスケートボード以外では不可能であろう。一方で、ドッグシティは通信技術を発達させたスマート都市でもあった。あらゆる場所でセンシングがされ、あらゆるトリックがアーカイブとして記録されている。
プライバシーとの境界については、スケート法の制定とともに長く議論され、管轄しているアーバイン市警による権力の行使は必要最低限に限ると取り決められて、曖昧なまま運用されている。
このぼんやりとした監視機能や同質属性の住民が集住しているというシティが持つ特性は、ソーシャルキャピタルの向上や犯罪率の低下という思わぬ効果も生み、社会科学系の学術研究フィールドとしても注目を浴びていた。
世界各地からこのトンデモ都市への観光客や移住者が押し寄せた。あらゆる場所で、安心してスケートボーディングを愉しめる。もちろん、シティのスケーターたちは無法者ではないが、ルール違反には厳しかった。暴力行為やずる入り、脅迫などの不文律のルールを破るものには、待遇を悪くするなどの制裁が加えられた。
クラーク通りのアパートメントに居を構えた俺は中心街のスケートショップの常連になり、そこで妻と出逢い二八歳の時に結婚した。順風満帆といっても差し支えない状況だった。
結婚して半年が過ぎた頃だった。
夕食後、書斎で読書をしているとリビングにいる妻に呼ばれた。
「ねえ、大事件」妻は手にしていたタブレットを差し出してきた。「『エートス』で死亡事故だって」
「なんだって」俺はタブレットを受けとり、ニュース映像を目にした。「まじかよ」
ニュースキャスターは、午前中に発生した事故の内容を報じていた。
ロザリア・ゴードンという名の女性プロ・スケーターが、『エートス』でライドしていたが、突然発生した二つのボックスに挟まれて即死したということだった。こんな事態は初めてのことであり、事故原因が究明されるまで管理者であるホソイ社はエートスを一時的に閉鎖することにしたという。
ロザリアは、ホソイお気に入りのスケーターの一人で、ドッグシティのプロモーション映像に何度も出演している。
「あと、こっちは夕方に配信されたニュースだけど、日本人が映っていたよ」
「なんだって」
妻はタブレットを俺から受け取り、操作してから画面を俺に向けた。
「タツマキって、あなたの友達だった人?」
「ああ」
画面上には、日本人男性スケーターがサンパウロ市内の路上で逮捕されたというニュースが流れていた。
その男には見覚えがあった。
『わかんねえのかよ。街で滑っているから、スケーターなんだろ。どいつもこいつもバッタモンばっかじゃねえか』
大勢の警察官に押さえこまれた無精ひげのタツマキは、動物園のサルみたいに大声で叫びながらカメラに向かって、中指を立てていた。
スケートボードをしていたタツマキが、注意してきた警官に暴力を働いたのだという。
「この人、大丈夫? 結婚式に呼んでも来なかったんでしょ」
電話しても不通で、日本に住む知り合いにも探してもらったが、連絡さえできなかった。
「多分な……」
これは本心ではなかった。
「それで、人口は相当数増加が見込めると」
区長であるステファン・バーネットは、坊主頭を撫でた。
ねずみ色の壁に囲まれた区庁舎の会議室には、幹部が数名集められて、ホソイ社担当者とのミーティングに臨んでいた。
「ええ」俺は統計局の責任者になっていて、事務仕事が多くなっていた。「来年に向けては、三パーセントの増加が見込まれます。観光客はおおよそ横ばいですね」
正面のモニターに人口の推測値をグラフにしたものを表示していた。
「問題は、居住エリアの確保かな。住居価格も上昇の一途をたどっているな」
元々ウェブマガジンの編集者だったバーネット区長は、ストロングマンというよりは、聞き上手の調整型の人間で温厚な性格だったが、二期目の半ばを過ぎたあたりから、憂鬱な表情を浮かべることが多くなった。
地域の人口が増えれば、それに応じて問題や課題が生じ、解決をする前に複雑化していく。
「それで……。ホソイ氏の支援はどうなりそうですか、ライリーさん」
俺はモニターの表示を消した。
指名されたビアンカ・ライリーが顔を上げた。彼女はホソイの秘書で代弁者だった。聡明な目つきで会場にいる十名ほどの関係者を見回した。
「ホソイは、この街をメタバースの亜種と捉えています。SNSなどではかつてからあったある特定のコミュニティの形成と集中を現実世界で実行したのです」
ホソイは、街の形成から二年も過ぎると当初の情熱を失ってしまったようだった。取材を受けても、大きな社会実験と言ってはばからない。シティの運営は、同社に利益をもたらしているはずだが、維持管理以上の投資に手を出すことはしなかった。
「これ以上の金銭的な支援はないというわけですか」
バーネット区長は威厳もなくライリーに笑みを向けている。このミーティングが、ホソイ社へのご機嫌伺の場になって久しい。
「スタートアップの期間は過ぎました。これ以上は不必要でしょう」
「人口の増加は問題です。地価が異常に高騰すれば、中心街を中心に空洞化を招きます。それに、今後もセクションを増やさないと……」
「もしこのムーブメントの熱は冷めれば、人口が減って住居が余ります。それを解決するには、スケートボードだけでは収まらず、スポーツの枠を拡大する必要が出ますよね」
ライリーの目つきは鋭いものだった。
「スケートボード以外のスポーツも取り込まないといけないと。例えば、BMXとか」
「はっきりと申し上げて、他のモビリティと相性が悪い」
断じられると、区長は反論することなく、微笑んでしまった。
「うちの都市はサービス業がメインで成り立っているんですから、需要も減少してしまう。失業者が増えれば、貧困が問題になる。一方で、安易にほかのスポーツまで適応すれば、当事者間の不必要な諍いを持ち込むことになります」
過去に一度、アグレッシブインラインスケートのプレイヤーが大挙して訪れて、ドッグシティのスケーターたちとひと悶着を起こしたことがあった。ドッグシティのスケーターたちは、他地域から来たスケーターには寛容だったが、それ以外の人々には攻撃的だった。音がうるさくてトリックに集中できないとコミュニティ・スクールの授業でフルートを吹いていた学生たちにクレームが入ったこともあった。
他の幹部が咳をした。「区長、そうでなくとも他都市からの非難も出ていますし」
「わかっている」
ライリーが去った後の会議室の空気はこのうえなく重かった。
ドッグタウンの凋落はすでに始まっていると判断したのだろう。
ホソイ社の支援は、あからさまに減っていった。
シティに在住するプロ・スケーターが、他の都市で問題を起こす。
ドッグシティは、年に数十人のプロ候補を生み出しており、なおかつ地元プロチームは二〇を超えており、一大聖地となっていた。スケートボード中心のドッグシティと同じ勢いで、他の街でライドすれば、衝突を招く。血の気が多い人間が混ざっていれば、暴力沙汰も珍しくはなかった。サクラメントで乱闘騒ぎを起こしたプロ・スケーター二名は、フォルサム刑務所にぶち込まれている。
ホソイ社の支援があからさまに減らされて、それに住民や行政サイドが対応できていないなかで、ドッグシティにとって致命的な事態が発生した。
模倣である。
各都市の保守層の間では世代交換が進み、スケートボードが生み出した文化的な影響に肯定的な意見も増えてきていた。
多くの大都市で、一部の区画をスケートボードに適したものに作り替えていったのであった。
生のストリートと既存のスケートパークの中間物。もちろん、ドッグシティが参照されていた。様々な企業がスポンサーとして参入し、ホソイ社が背後についているケースもあった。
なす術はなかった。具体的で有効な施策導入などできず、時間だけが過ぎていった。
「引っ越したいかも」
リビングにいた妻がそう告げたのは、冬の朝のことだった。
「なんでだ」俺はまだパジャマのままだった。
「なんていうのかな。生活の一部がスケートボードっていうより、生活すべてがスケートボードみたいで疲れちゃう。最近は特に……」
「スケボーをやらないやつに厳しい態度をとるスケーターが増えたな」
「もし私たちの子どもがスケートボードをやらない子だったら、どうするの」
「引っ越すまでじゃないだろ」
「ドッグシティにいるの、疲れちゃったよね」
妻の指摘は正しかった。
実際、ドッグシティでの非スケートボーダーたちの肩身は狭くなっていた。街づくりや仕事などで意見を出しても、スケートボードをやらないくせになにが分かると一蹴されていく。仕事を辞して去っていく仲間も増えていた。
生活レベルの行き詰まりが、街全体で顕在化することに時間はかからなかった。
市議会ではスケートボード貫徹主義の保守層と、あらゆるエクストリームスポーツに対応させるべきという改革派の意見対立。街中では、乗り込んできたBMXライダーとの衝突。一部のストレートエッジ系スケーターとチル系スケーターたちの縄張り争い。ディベロパーと市関係者の癒着が発覚しても、静観しているだけのホソイ社。いつまでも再開されない『エートス』。
最期の一年は、まさに地獄であった。
ドッグシティの閉鎖が決まった日、俺は新品のスケートボードを抱えて、メインストリートに足を運んでいた。
妻は既に街から出て行って、トーランス市の住宅街に引っ越していた。
その日の朝方、考案者であるホソイが本社オフィスで会見を開いていた。その映像がビルの壁の液晶に流れている。
『どうして、ドッグタウンを閉鎖することに賛同したのですか? 当初の想定と違っていたのですか?』
インタビュアーに質問されたスーツ姿のホソイは、少し寂しそうに回答した。
『私の思った通りになった。……でも、つまらなかったんだ。なんでだろうな』
メインストリートに突っ立っていた俺は、ホソイ社のサイトからホログラムを呼び出した。
やがて隣に姿を現したのは、タツマキのホログラムだった。全盛期、一九歳の頃のタツマキは、『風神』と名付けられた翠色のシグニチャーモデルを履き、長い髪の毛を束ねて、顎をくいっと上げていた。ぎらついた目つきも再現できている。
メインストリートの脇でプッシュを始めると、歩道からベンチ、縁石、消火栓を順に攻めて、涼しい顔のまま踊るようにトリックを決めていった。
ボードから降りた一九歳のタツマキはノーズを叩くように踏んで、浮かんだテールを手で掴んでから、お前の番だというような挑発的な目つきで俺を一瞥した。
俺はラインを定めてから、それに続いた。
もう三十歳を過ぎていた俺が、全盛期のタツマキと同じ動きなどできるはずはなかった。ベンチに膝を強打し、縁石にひっかかって転げた。ひざは痛いし、頭もガンガンする。
でもやめることなんかできなかった。
意地でもだ。
その日は足がくたばるまで、トリックの練習をしていた。
俺たちが一〇年ぶりに再会したのは、都内にある総合病院の個室だった。
クリーム色の壁をした個室のベッドの上で寝ているのはタツマキで、俺はそれを見下ろしていた。
タツマキは三二歳の誕生日に人をぶん殴った。
相手はスポンサーであるスポーツメーカーの専務だった。誕生パーティの席上で、相手から冗談で日本の愛らしいアニメキャラクターの着ぐるみを着てスケートしてくれないか、と提案された。
ブチ切れた。
刑事告訴は免れたが、契約破棄となって、日本に戻ることも嫌がったタツマキは流浪の民となった。
ドッグシティが崩壊した頃、タツマキは東欧の紛争地帯にあるイスラム都市でスケートボーディングをしていた。子どもたちに自分が保有していたスケートボードを手渡し、トリックを教えていた。ヒーローになれたのは一瞬だった。反体制派のゲリラに扇動家として扱われて、有無を言わさず拘束された。反抗して、護身用に所持していたダンピラで相手の指を叩き落したらしいが。
それでもまだ終わりではなかった。
不幸中の幸いは、そいつらを束ねる族長が、西洋文明に対して反抗的な文化であるスケートボードに関心を持っていたことだった。族長は情けのつもりで、タツマキを豪邸に招き、水を抜いたプールボウルのなかで演技しろと指示した。
無論、タツマキはブチ切れた。
温情を示した族長に唾を吐くと、拷問されてしまった。
タツマキは二度と自分の脚でスケートボードに乗れない身体にされてしまった。
生きて日本に帰国できたことは、奇跡だろう。
俺も俺で、絶好調というわけではなかった。むしろ逆だ。妻とは別居して離婚協議を始めていた。日本に戻ってきて、スポーツブランドの企画部門に籍を置いているが、日本の商習慣にあまり馴染めずにいる。
タツマキは髭を剃られ、穏やかに眠っていた。起こせなかった。
ベッド脇の椅子に五分ほど座っていると、タツマキはゆっくりと目を開いた。
「あ」タツマキは俺に顔を向けて、微笑まず辛そうな顔もしなかった。「図喜じゃん」
「驚いたぞ、お前。無茶やってんなあ」
タツマキは皮肉っぽく自分の身体を眺めた。
「スケボーやれなくなるまで嫌われるってのはショックだわ。……まあ、イタロ・ロマーノもいるけど。……先月のヴァイラルマガジン、読んだか? 伝説スケータータツマキ特集だとさ」
タツマキのニュースは、日本国内でも報じられていたが、タツマキを擁護する声は少なかった印象がある。
「いよいよ生きている間に伝説になっちまってんのかよ。……ダサくないか? その見出し」
「まーなー。……否か戻るかな。アサキさんとこも顔出さねえと」
「もういない。俺、結婚するとき、地元戻ってさ。アサキさん、再婚してどっかに行っちまったとさ。……モビィディックも潰れていたよ」
「うわ」タツマキは天井を見上げた。「アサキさん、初恋の相手だったのによ」
「俺もだ」
「マジでどうすっかな。この状況になったらなったで、新しいスポンサーの申し出があったよ。大会の解説みたいなのやんないかってさ」タツマキは俺を睨んだ。「図喜、聞きたかったことがある」
「なんだよ」
「プロ、どうして目指さなかったんだよ」
「何言ってんだ。俺、向いていなかっただろ。パークじゃお前の足元にも及ばなかったんだし」
「パークじゃな」タツマキはまだ俺を睨んでいた。「白状するよ。オレよりお前のほうが、ストリートに向いていたんだって。お前はオレのヒーローだったんだ。もしどこもかしこもで好き勝手できるストリート全盛の時代だったら、オレがお前みたいに辞めていた」
「なんでお前は言わなかったの?」
タツマキはむつかしい顔のまま、視線を外した。
「お前の方がうまいから、ストリート出ろよなんて口が裂けても言えなかったよ」
スケートボードほど、矛盾したものはないだろう。
操作性の低さが魅力な乗り物。
都市で育って、都市から疎まれる。
創造行為で、破壊行為だ。公共空間をぶち壊して、再定義している。
「ドッグシティに行くか、図喜」
「なに?」
タツマキはガチの顔つきだ。「だから、ドッグシティで滑るんだよ」
「もう滑れねえよ、あそこじゃ。ゴーストタウンに近い状態で、再開発の準備も進んでいるしさ」
タツマキは、笑い声を発した。
「だからいいんじゃね」
「移動で一日はつぶれる」
「一日で到着する。近いもんだ」
反論はできなかった。
「……どうやって滑るの、お前は?」
「さあ、わかんね。考えるよ」
タツマキの本音がどうだったかなんか知らない。
さて、ドッグシティに到着したが、タツマキを滑らせる術は思い浮かばなかった。
街にはすっかり人影がなくなっていた。いつも妻と通っていたチュロスの店は看板に落書きがされていたし、住んでいたア パートメントも解体が済んでいた。これから、この市街は再構築されて、スケートボードをやる以外の人が多数を占める普通の街になる。
つぶさに注意を向けると、そこらじゅうにスケートボードの痕跡が見つかる。道路上に残るウィールの軌跡。角が削れたオブジェクト。側溝に落ちているデッキの切れ端。
「なんかいい手は思い浮かんだか、図喜」
タツマキは、車いすで俺の前を先行していく。俺はボードを携えていたが、なんとなく滑る気も起きていなかった。
「いやぁ。全然。お前は」
「考えるのは、お前の仕事でしょ」
「当事者意識を持てよ」
二人でぶつくさ呟きながら解体工事が進んでいるメインストリートを進んでいると、「君たち」と背中に声をかけられた。
滑ってもいないのにキックアウトされるのでは、と恐る恐る振り向くと、そこに立っていたのは、上半身がディスプレイで下半身に四輪のタイヤがくっついているドローンだった。工事用に配備されたものだろう。
問題はディスプレイに映っている人物だった。
ロバート・ホソイ。白髪交じりでかなり老け込んでいるように見える偉丈夫は、俺を静かに見つめていた。
「珍しい客人だ、確かトキ・カネイ君だったかな。ここの行政部門に在籍していただろう」
「はい」
ホソイは、タツマキに視線をずらした。
「なんと。会うのは、トーキョー以来かな。私は君のファンでね」
「どもでーす」タツマキは小さく会釈した。
「わざとらしいですね。龍蒔がいたから、話しかけたのでしょう」
ホソイは微笑んだままだった。
「そうだな。わざとらしかったな。……実は君たちを見つけたのは、ほんと偶然だったんだ。ちょうど『エートス』の解体前に街の中を見回っていてね」
「あれ、まだ解体してなかったんですか」
「なんとなく、許可が出せなかったんだ」ホソイの表情が少し険しくなった。「あれの閉鎖は、私の責任だ」
「なんだ」タツマキが不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。「いきなり告白、始めちまったのか」
「それで」俺が応答した。「どうしてホソイさんの責任なんですか」
「ロザリア・ゴードンの死亡事故を起こしたのは私だ」
その名前に聞き覚えがあった。『エートス』で死亡した女性スケーターだ。
「なんでですか」
「エートスのセクション形成システムはどうやっていたと思う」
「様々な街のオブジェクトをランダムに再現するとかいう仕組みでしたっけ?」
ホソイは、むつかしい顔をした。「いきなり街のオブジェクトをランダムに並べても、実はそれを補正する必要がある。それで、専用のBMIを開発して利用していた」
「人の頭の中と『エートス』を繋げていたのですか?」
「あくまで補正程度だったし、もちろんプロ・スケーターのだが。直感やセンスを読み取って、オブジェクトをなるべくトリックが決めやすい配置にしていた。……ロザリアは、インタラクティブかつリアルタイムに私と繋がって滑りたいと言ってきたんだ。この場合、セーフティが機能しないのがネックでね」
二人は深い関係だったのかもしれない。噂はまったく聞いたことがなかったが。
「ヤバいことをやったんですか」
ホソイは、眉間にしわを寄せた。
「彼女と深い場所で繋がれると思ったんだ。だが、失敗して、ロザリアは死んでしまった」
ホソイは年々ドッグシティの運営への関与が弱まっていた。ロザリアの件は、決定打になったのかもしれない。
俺がホソイの独白に何も言えないでいると、タツマキが口を開いた。
「ロザリアとは何回か一緒に滑ったことがある。……確かに、どう考えてもアンタのせいだなァ」
「おい、龍蒔」
「ああ」
気まずそうな表情を浮かべるホソイに対し、タツマキは提案した。
「どうせぶっ壊すんだ。最後にオレらに遊ばせてくださいよ」
「は」俺はタツマキを諫めるようににらんだ。「お前は滑れねえだろ」
「そりゃそうだ。だから、図喜、お前が滑るに決まってんじゃねえか。オレと『エートス』を繋ぐんだよ」
ホソイはより一層暗い顔になり、なにやら考えている様子だった。
「そうはいってもだな……」
タツマキが呵々大笑した。
「アンタみたいなトーシローと違って、オレはプロだ。どういう流れでトリックをかませばスムーズなのか身体で理解している。脳味噌でもな。な、図喜」
「俺はプロじゃねえっての。無茶言うなよ。死ぬのはごめんだ」
「大丈夫だって。オレに任せろ」
タツマキはいつまでも無責任極まりない。ぜったいにいい死に方はしない。
俺にだって罵倒する権利はある。
もし失敗したら、ロザリアの二の舞になるのは俺だったのだから。
タツマキは阿保だが、俺も大概だ。
コーピングにボードを載せている。
フェンスの向こうにいるタツマキは、ホソイ社の社員が急遽持参してきたヘッドギアを頭に装着していた。その脇で、ディスプレイ上のホソイがラップトップを操作して作業していて、準備を終えると親指を天に突き上げた。
地下の空気は淀んでいる。八方から吊られているライトがまぶしい。
『エートス』の滑り放題。
心臓は高鳴っている。頭は冷静で、身体が火照ってどうしようもない。
汗が垂れる。
左足をボードに乗せてプッシュを始める。
加速。早速、地面がうねり始める。
平たかった場所から生まれるエレメントの挙動。タツマキが反応したのだ。かゆいか、痛いか。俺は構わず加速する。
怖いって聞かれれば、怖かった。ロザリアみたいに押しつぶされてしまうかもしれないからだ。だがブレーキングなんてできなかった。やがて、うねりはバーティカルを形成していく。俺は、それを駆けのぼり、リップでノーズグラブをかます。ボードと一体となり斜面を滑り落ちていく。すぐさま新しいエレメントが俺の前に顕れる。地面からレッジがぽんぽんと次々に生えてきた。俺は源義経の八艘跳びのごとく、グラインドを連続して決めていく。
身体じゅうがしびれ、脳内は快楽で酔いしれていた。
次々とうねっていく世界に、意識が遠のいていくようでもある。タツマキの呼吸を感じてもいた。底面へ降りると、また新しい底面が生まれ、俺はそこへ下っていった。
俺は何かを掴みかけている。このモーメントに何かが埋まっている。
このオブジェクトの並びに、タツマキが生み出す変動に、意味が埋まっている。タツマキとの友情みたいななまっちょろいもんじゃなく。もっと肉体的な実感だ。あいつも意図していない何かだ。
つまり俺のライドには、丁寧さが必要であった。
と、俺はここで一回すっ転ぶ。派手に横転して、斜めの地面に側頭部を打ちつけた。脳が揺れて、口の中に血の味が拡がったが、もう止まれない。ボードに乗り直すと、プッシュで加速した。
エレメントがつながり、モーメントが生まれる。
俺は、俺たちが紡ぎだしているモーメントの中に隠された何かを探していく。
ホイールの回転と地面の擦れ。デッキのたわみ。しっかりと結ばれたスケシューの靴紐。膝を曲げた時、パンツの繊維がぐっと突っ張る。バランスを保つ俺の背骨。目くるめく変動する世界。バカみたいなヘッドギアを装着しているタツマキ。俺の精神。
それを全部だ。
全部、支配しないといけなかった。こんなつらいことはない。これができなくたって俺は死ぬわけじゃない。いまここに実在する何かを掴みとったとして、俺の間違いもタツマキの間違いも変わるわけじゃない。つるっつるな純心に戻れるわけじゃない。
やがて、もう一度バーティカル。リップで吹っ飛ぶ。
ふ。
身体とボードが宙に浮き、刹那の無重力に肉体が包まれる。
再び、大地の上。雑音混じりのホイールの音、汗だくの肉体。俺は生を実感する。
俺はやっと〈俺たち〉がどこにいるのかわかった。
モーメントの中に隠れていたのは、場所の記憶だった。
故郷だ。客のいないショッピングモールの駐車場。腐ったみたいな廃墟のラブホテル。誰も遊んでいない公園。高架下の三代目ハーフパイプ。夕暮れのスケートパーク。
難しいことではない。
俺たちはただあの街でスケートボードをしているだけだった。肉体や脳みそが理解してしまうと、あとは楽勝だと思ってしまった。
油断はするものじゃない。
オーリーを決めたところで、背中がぞくりとした。
タツマキはまた地面を盛り上げて、レールやバーティカルを形成している。
直感が告げる。
これは違うぞ。俺は知らない。
タツマキは俺を俺たちが共有していない場所へ誘おうとしている。
東京か、ブラジルか、中東の都市か、未知の街かもしれない。
身体じゅうから汗がほとばしり、一度つばを飲み込む。
言葉のないムーブメントが続いていく。
もう俺が止まることなどない。
くそったれ。命賭けるほどスケートボード好きじゃないのにな。
未来
ある夫婦に息子が生まれた。
息子はとても元気で健康的に育っていたが、両親には彼が生まれたときからずっと悩みがあった。
息子と目が合わせると、彼の未来が鮮明に見えるのだ。
未来予知、ほかの人の未来が見える、という類のオカルトめいたうさんくさい話はテレビや雑誌で見聞きしい た。
とはいえ息子のような不可思議な事例は、ホラ話でも一切耳にしたことがなかった。
生まれたばかりの息子を抱いた母親が最初に目にしたのは、年老いた自分が自分と同い年くらいの男の目を見て、泣いている姿だった。
最初は困惑していた両親だったが、息子を通して目にする未来のとおりに物事が立て続けに起こると、もはや看過もできなかった。
立派で特別な人間に、という両親の大きな期待とは裏腹に、息子の人生は、普通に成長し、結婚し、子どもを育て、死んでいくというありきたりなものだった。
本意ではないが、稀代の悪党になるような荒々しさも皆無であった。
やがて母親は、最初に息子を抱いたときに目にした光景は、年老いた自分が変わらぬ息子を憐れみ、涙しているのだと解釈した。
父親も同意し、二人は息子の未来を変えるため、必死になった。
効果はなかった。
両親がどんな英才教育を与えても、どんな人に会わせても、その未来は変わらない。
しかも、両親だけでなく誰でも息子に会うと、彼の凡庸な未来が見えた。
彼に会う人々は、両親も含めみんな陰で口にした。
「なんてつまらない人生なんだ」
息子は成長し少年になった。
いつのころからか、両親は息子の将来に期待せず、気にもかけなくなった。
息子は周囲の人々が自分の未来を知っていて、しかもそれが平凡だということには、態度や言動で気づいていた。
厄介なことに、自分の姿を鏡で映しても、みんなが見えるという自分の未来を目にすることはできない。
おせっかいな同級生は、わざわざ息子の未来を教えてきた。
目に見える息子の未来をすべて口頭で告げてくることもあったし、丁寧にノートでまとめてから送りつけられることもあった。
たいていは善意によるものだったが、たのしいものではない。
中学生になるころ、息子は躍起になった。
未来を変えてやろうと、猛勉強したり、小さな悪さをしたりしたが、どれも半端で終わり、うまくいかない。
両親は息子のどんな挑戦に対しても、失敗をするたび口にした。
「こうなることは知っていた」
やがて、息子は未来を変えようとすることはあきらめた。
それでも、数奇な人間はいるものだ。
大学に入学すると、女の子と交際するようになったのだ。
「あなたが私と結婚するんだ」
女の子は最初に会ったときに、目を見開いてこう告げた。
息子が大学を卒業して働き始めると、やっぱりその女の子と結婚した。
二人の子どもにも恵まれた。
喜ばしいことに二人とも自分と同じように未来は見えなかった。
仕事も順調で、家庭も円満であり、昔はなかった自信が段々と息子にも湧いてきた。
大学を卒業して働き出してからは、両親と疎遠になっていたが、長子が小学校に入学することを機に妻といっしょに実家へ足を運んだ。
その頃、両親は仲が悪くなっていた。
父親は友人にだまされて投資詐欺に引っかかり、資産の多くを失っていた。
母親は浮気をして、相手方の家庭から訴えられていた。
二人は同じ家に住んでいても、会話をしなくなっていた。
年老いた母親は息子に会うと、その目をじっと見て泣き出してしまった。
「なんて幸せな人生なの」
確かに年を経るにつれて、息子を見る周りの目は変わっていた。
小さい頃は、蔑みや憐みばかりだった視線や表情が、段々羨望や悲しみを帯びるようになってきたのだ。
実家の庭先にいた妻に母親のことを説明すると、鼻で笑われた。
「こうなることは知っていたから」
息子はそのまま平凡な人生を過ごした。
BOY BYE
青い空に浮かぶ真っ白な太陽の光が、昼過ぎのスケートボードパークを照らしている。周りは山ばかりで、今は鮮明なピンク色の桜が見ごろだ。
なんでもいい。
僕はパーク内に設置されたミニランプの縁に立っていた。
ランプはスケートボードで滑るセクションのなかでもスタンダードなものだ。両端が湾曲しており、だ円を切り取ったような場所である。
スケーターは振り子のように滑り回って、トリックを決める。
今日は日曜日で、長野県の片田舎にあるパークにはスケーターがたくさんいる。
この中では、去年中学に入学したばかりの僕はかなり年下の方だ。東京から来たという大学生の女のひとたちは、でこぼこな窪地となっているボウルの中をぐるぐる滑っていた。
僕と一緒に来ていた高校生の兄さんは、同年の友だちと一緒に、レールの辺りで談笑していた。
呼吸を軽く整える。
約七五センチのスケートボードのテールを縁に埋め込んである鉄パイプ、コーピングに乗せる。一呼吸すると、プラットフォームから斜面に向かってドロップインする。
ウィールが回転する。湾曲した斜面で加速し、平地で体重を乗せ速度を維持する。
勢いそのまま、反対側の斜面を一気に登る。膝を曲げ、オーリーの準備をする。
縁までたどり着く。ボードのベクトル方向は青い空に向かっており、そのエネルギーは僕がしり込みするほど――腰を引いて重心を後ろにする、曲げていた膝をまっすぐに戻す――減少してしまう。
かまうもんか。
ボードと僕の肉体が一体となって、空に飛びだす。
ウィールの回転音が消える。
頭をよぎった考えはシンプルだった。
飛んでる! で、どうすんの!
実は、エア・トリックをぶちかますのは初めてだった。
飛ぶことは出来たが、着地は体験したことがない。
空中でボードからスニーカーの底が外れ、僕らはバラバラになった。青い空の風景が視界に広がっていた。
焦っていると、瞬く間に重力によって地面へ引きずり降ろされる。
膝から激突。僕の身体は斜面をぶざまに転がった。
僕は汗だくのまま仰むけになっていた。たっぷりと太陽の熱を吸収したコンクリートのせいで背中が焼けるようだったが、すぐには動けなかった。
「大丈夫かい?」
ふと、のぞき込むように声をかけてくる影があった。太陽光のせいで、顔がよくわからない。
手を伸ばして起こしてくれはしなかった。
悪意があったわけじゃない。でなければ、声などかけないだろう。
僕は上半身を起こす。
相手は、立体のホログラムだった。手を伸ばしてもらっても、触れることなどできない。
年齢が僕と同じくらいのアフリカ系の少年だった。僕と同じように、スラッシャーマガジンのTシャツを着て、細身のジーンズを穿いている。足元は平べったいスケートシューズで、僕が履いているモデルよりも二倍は値が張るものであり、少しジェラシーを感じた。
僕は耳に装着しているイヤー・デバイスを稼働させた。
「ありがとう、ございます」日本語で告げる。
僕の発した音声は、デバイスのアプリによって、相手が使用する言語に変換される。
「すごかったねえ」
「飛んだの初めてだったんだ」僕はデバイスを操作して、自分のIDを相手に送る。「僕の前は、シンゴだ」
「僕はマイロだ」少年は微笑んで、彼のIDを送り返してくれた。
ポケットにねじ込んでいたスマートフォンを取り出して、情報を確認する。
相手は、南アフリカ共和国のヨハネスブルグにいた。使用言語や出身地などのそのほかの情報も読んでみたが、いまいち意味が分からなかった。僕にとっては、名前がマイロで、年が近いのがわかれば十分だった。
気になったのは、時差だ。ヨハネスブルグをネットで調べてみると、アフリカ大陸の南に位置する都市で、僕がいる日本とは七時間の時差がある。
「そっちは朝かい」
「朝だよ。こっちはお昼かい」
「うん。ちょっとすぎたくらい」
それだけのひどい会話だった。
ただ僕らの間には、なんとなく友人になるんだという予感があった。それで十分でもあった。
こんな交流ができるのは、このZパークのおかげだ。
スケートボードは、一九七〇年代のアメリカ西海岸で火がつき、二〇世紀末までに先進国などで発達した。ただし、スポーツとしてよりも、街にあるオブジェクト――縁石、消火栓、手すり、ベンチ、他人の家のプール――でトリックを決めるストリートスタイルが広がった。
街のオブジェクトを再現したスケートボードパークの整備も進んだ。公園内や高架橋の下、ビルの屋上、プールの跡地。競技人口も増えていった。アイコン的な存在であったトニー・ホークはTVゲームを発売し、DCというブランドの創始者であるダニー・ウェイは万里の長城を飛び越えた。
僕が生まれる頃には、昔の発展途上国の市街地でもスケートボードに乗る若者の姿を見かけるのが普通になった。西洋的で直線的なつくりをしている都市は世界中にあって、米国生まれのスケートボードで遊ぶには格好のフィールドだ。
一〇年程前のことだった。
一部のスケーターたちはスケートボードパークを各国共通のものにしようと動き出した。目論見は単純だ。すべてのパークで低遅延での通信リンクを可能にして、スケーター同士の交流を促そうとしたのだ。
そこまで困難な道筋でもなかった。
十分な土地があれば、国際的に標準化されたストリートとボウルのエリアを用意して、3D高性能スキャニングシステムや通信用機材、投影装置を配置すればパークは完成する。どこであろうが、同じパークがあり、スケーターたちは世界中で同じ〈場〉を共有できる。
Zパークと名付けられた。発案者が、Z-BOYSのファンだったとか、Z世代生まれのプロだったとか、ゾンビ好きだったとか、諸説ある。
第一号がロサンゼルスのベニスビーチにできると、すぐに世界中に伝播した。東京やメキシコシティ、プラハ、サイバージャヤ。今では、日本を含む七八か国、三〇〇か所が登録されている。
僕がいる長野県の山の中でも、世界各国のスケートボードパークとつながれるのだ。
兄さんたちのグループは、韓国のスケートチームと交流しており、トリックを競い合ったり、情報を交換したりしている。録画映像をあとでホログラム再生したっていい。人気があるスケーターが滑っているところをリアルタイム中継して鑑賞することだってできる。
僕はマイロと出会うことができた。
まあ、リアルタイムの場合、時差だけはどうしようもない。その点、マイロと僕は相性が良かった。
マイロは早起きで、僕は寝坊助で、ちょうど練習の時間も合った。
「シンゴはなんでスケートボードを始めたんだい」
地面に体育座りして兄さんの滑りを眺めていると、マイロが隣にやってきた。
知り合って一か月が過ぎようとしていた。僕らは一週間に数日、一緒に練習をした。マイロはルシアン・クラークにあこがれてスケートボードに乗り始めたという。
「なんでって」僕は前輪のウィールを左右交互に振ってい、チクタクしている兄を指さす。「兄さんに連れてこられたんだ。お母さんから連れてけって指示があったみたいで」
「へぇ、いいお兄さんだね」
マイロはいつもニコニコしていて、優しい奴だった。
ふしぎなところもある。
滑っている時間帯が朝方で涼しいせいか、ヨハネスブルグの標高が近所にある山並みに高いせいか、しっかりと運動してもマイロは汗をかかない。
「そんな。パークにくると、兄さんは僕の相手なんかしないよ」
もっぱら仲間たちと会話してばかりだ。一人になっても、ソロ練習していて〈話しかけるな〉オーラを発する。もしくは、韓国にいる友達のホログラムとトリックの練習を始めてしまう。
「なんでだい」
僕は唇を尖らせた。「恥ずかしいんだよ。弟を連れてボードなんて、なんかダサいんだよ」
兄さんの気持ちもなんとなくは分かる。
「そんなこと、ないけどな。……そうだ」
マイロは、スマホに画像を送ってきた。スケートボードをデジタル装飾できるステッカーのデータだった。
黒を基調に、鷹とメビウスの輪を組み合わせたデザインのステッカーだった。一九八〇年代風の少し古っぽい印象を受けたが、シンプルで力強く見惚れてしまう。
「どこのブランドのステッカーなんだい?」
「僕がデザインしたんだ」マイロは少し得意げだった。
「うそ、すごいな。こういうのなんかオールドスクールだね」
「シンゴはオリジナルのステッカー持っていないのかい?」
「あるけどさ」
「へぇ、欲しいな」
僕は、耳のデバイスを操作して、自分でデザインしたものを送る。星が重なったデザインの黄色いステッカーだ。
ダサダサだった。
兄さんが自分でステッカーをデザインしているのをみて、家族共有のPCを使って自分でこっそりとやってみた。まずダニエル・ジョンストンやネックフェイス風の手書きの猫っぽいキャラクターをドローイングしてみたが、まあクソだった。
心機一転、星をコンセプトにグラフィックを描画して、ネットからダウンロードしたフリーのフォントで文字を落とし込んでみたが、さらにしっくりこなかった。やめることできず、完成には朝までかかったが、手を入れれば入れるほどひどくなってしまった。
「ありがと」マイロがデザインを目にして、顔を歪ませた。「……これはダサいね」
「率直な意見、どうも」初めて人に評価された。兄さんにも見せていない。「初めてなんだ。こっから、うまくなるはず。多分」
「初めてだったのかい? いいね、絶対かっこいいのができるよ」
マイロからもらったオールドスクールなステッカーをボードにデジタル装飾する。ボードを裏返し、ノーズの目立つ位置に貼りつけてみた。マイロはテールに僕のステッカーを貼ってくれた。
「また今度デザインのやり方教えてくれよ、マイロ」
「僕が作ったフォントを贈るね。さあ、休憩はもういいかな」
「一発滑ろっか。今日こそ、グラブを決めたいな」
ノーズグラブは、マイロが昨日成功させていた。今日成功させないと置いていかれる気がした。マイロは友人であり、ライバルだった。
僕はボードに乗り、キックを始めた。速度が上がる。
勢いをつけて、湾曲するボウルの中に飛び込む。
滑っている間は、身体の感覚が鋭くなる。スニーカーの裏とボードがくっつく感覚、ウィールの回転と耳障りな音、負荷をかけた時の板のねじれ、速さと角度、バラバラになっているそれを僕の中に取り入れて、支配しないといけない。
できなければ簡単だ。
身体が地面に打ちつけられて、誰も乗っていないスケートボードがあさっての方向へ滑っていく。
加速した勢いのまま、縁から飛び出し、ボードのノーズをグラブする。
身体に重力を感じた刹那、手を離す。
ウィールから地面に着地する。僕は膝を曲げて、衝撃をクッションした。
転げることはなく、そのままボードで滑っていた。
成功だ。
「シンゴ、すごいよ!」
マイロが横を並走していて、歓喜の声を上げていた。
時々二人の肘が接触するが、互いにホログラムなので影響を与えない。
「いや」僕は初めてのグラブ成功に言葉を失っていた。なんて言えばいいのか。
「もう一度」
「ああ」
僕らは、二人で重なったまま斜面に侵入し、一気に加速した。
マイロと知り合って半年後のことだった。
「シンゴ」一人で練習していると、珍しく兄さんが話しかけてきた。
季節は秋口で、夕暮れ時の風が少し冷たい。兄さんはネルシャツを腰に巻いていた。白いヘインズのヘビーウェイトTシャツは袖が汚れている。
「どうしたの?」
「ちょっと相談があってな、お前さ、今度のオープン大会出てみるか?」
兄さんは、手に持っていたタブレット端末を操作して、一メートルほどの高さのホログラムを足元に表示した。
毎年開催されている世界規模のオープン大会のプロモーション映像だ。ミニチュアのZパークの中を親指サイズのスケーターたちが縦横無尽に動き合わっている。派手な英語表示の吹き出しとともに、エントリーを勧めてくる。
プロアマ問わず出場できるこの大会は世界最大規模である。すべてのZパークから参加が可能で、三日間ぶっ通しで行われる。時差のおかげで休憩時間なしで進行できて、お祭り騒ぎだ。
兄さんの話では、ロックフェスなんかに近い感じらしい。
僕らのZパークへも、地元民だけでなくいろんな人がリアルで訪れる。
東京や名古屋から来る人たちは、近所のキャンプサイトで寝泊まりをするのが通例だった。世界中のスケーターたちと競い合った後で、温泉につかりながら、ゆっくりと星空を眺める。地元のラム肉や馬の腸を買ってきて脂ぎった鉄板の上で焼いて喰らい、冷えたビールをたらふく飲む。そういうのが贅沢らしい。
「兄さんは?」
「俺らはチームで出場するんだよ。十代後半の部でさ。お前、十代前半で個人出場しろよ。一人がイヤならさ、いつも一緒にやっているヤツも誘えばいい」
「どうしよっかな」
「強制はしねえよ」兄さんは腕を組んだ。「ツレから、お前なら出てもいいんじゃねえってハナシがあってさ。別に、予選で敗退したっていい。エントリー期限は一週間後、大会は一カ月後だ」
兄さんはぶっきらぼうだったが、僕に大会へ出てほしい様子だった。
「うん。考えておく」
僕があいまいに答えると、兄さんは少し笑んだ。
「新しい友達も増えるぞ」
「どう思う?」
屋根付きベンチの脇で、マイロと一緒にボードの手入れをしていた。
「いいんじゃないのかな」
マイロはアンタイ・ヒーロー製のボードをひっくり返して、ベアリングにオイルをさしていて、顔を上げなかった。まるで興味がないといった気のない返事だった。
「マイロも一緒にオープン大会に出ないかい? ヨハネスブルグでも盛り上がっているんじゃないかい?」
一度溜息を吐いてから、マイロは顔を上げた。
「いや、僕はいいよ」
「なんで」
「満足しているからさ」珍しくマイロは意固地だった。「大会なんかに出るよりもハーフキャブを成功させたいんだよ、僕は」
僕らは先週からスティーブ・キャバレロに由来するハーフキャブというトリックにチャレンジしていた。
空中でボードに触れず、一八〇度横回転するトリックだ。
「一緒に出てくれってば」
「だめだ」
否定されて、僕はむっとした。
デバイスの翻訳機能がちゃんと機能していないのだろうか。僕の言葉のニュアンスが相手に届いていないのだろうか。
「なんでだよ」少し声が大きくなる。
「君が出るのを止めているわけじゃないんだ。僕が出ないってだけだ」
「逆になんで出れないんだ? なんかあるのかい」
「それはさ。……僕の意思だ」
マイロはこれ以上話したくないといった様子で、下をうつむいてしまった。
「もういいさ」
僕は、耳のウェアラブル・デバイスを操作して、Zパークのリンクを切断した。
目の前から、マイロが消えてしまった。
それ以降、マイロからの連絡は途絶えてしまった。
Zパークへ行っても、こちらへアクセスしてこなかった。僕からマイロに対してオファーしても、姿を現さない。
結局、僕はオープン大会にエントリーした。
大会までの三週間はあまり記憶にない。学校と寝ている以外の時間は、すべて練習に費やした。
大会前日の夜はうまく眠れなかった。
当日のZパークはいつもと様子が違った。周囲には出店が出ていて賑やかだったが、出場選手たちは少しピリピリした雰囲気をまとっていた。とはいえ長野県出身のプロスケーターがZパークに姿を見せると、サインを求めて列に並んだ。
僕や兄さんは二日目に出場した。
兄さんたちは、一〇代後半のチーム演技で予選をグループ二位で突破した。チームメイトたちがかわるがわる各セクションでトリックをかまし、大きなミスはなかった。
準決勝のグループで敗退したが、悪くない結果だったようだ。兄さんは東京から来たXスポーツ雑誌の記者から取材を受けていた。
一方の僕は、散々だった。緊張しすぎて、予選スタート直後に転倒してしまった。慣れてきた後半で盛り返したが、一〇人のグループで八番目だった。
演技後にしょぼくれていたら、兄さんの友人――兄さんのガールフレンドかもしれない――がやってきて、「すごいね、シンゴくん。今度、わたしの弟にも教えてやってよ」とほめてくれた。
兄さんの言うとおりだった。
新しい友達が増えた。
フリータイムにライドしていると、ほかのスケーターのホログラムが近寄ってきた。
大会の三日目には、他国の同世代スケーターたちとステッカーを交換し合った。
オープン大会が終わっても、その熱は衰えなかった。
誰からか聞いてきたのか、地元のZパークには、中学のクラスメートも来るようになって、兄さんたちみたいに一緒に滑るようになった。驚くべきことに、僕はトリックを教える先生になってしまった。
マイロのステッカーは、いつしか重ねて貼られたほかのステッカーの下に埋もれていってしまった。
南アフリカ共和国からの荷物が届いたのは、ちょうどオープン大会から三カ月後のことだった。
自室にいると、玄関にいる父さんが僕を呼んだ。
父さんが手に持っていたのは、小さな茶色い小包だった。英語表記のハンコがベタベタ押されている。
「シンゴ、心当たりあるかい?」父さんが質問してきた。
「ある」マイロのことが頭に浮かんだ。「スケートで知り合ったやつがいるんだ」
「グローバルなんだなあ」と父さんは感心した様子だった。
予想は的中した。小包の差出人はマイロになっていた。
僕は自分の部屋に戻って、小包を開けた。
中には、鷹とメビウスの輪を組み合わせたステッカーと白い封筒、黒いタブレット端末が入っていた。
封筒の表面には、まずタブレット端末を操作するように注意書きがされていた。
僕はベッドに腰掛けて、タブレット端末に電源を入れた。
画面が光ると、ひとりでに通信を始めた。
「こんにちは」
画面に映っているのは、スーツを着た年配のアフリカ系の男性だった。見覚えはない。少し、マイロに似ているかもしれない。父親だろうか。
「こんにちは。マイロの知り合いですか?」
「はい」男性は微笑んだ。「マイロは、私の父です」
「父親……」
「すいませんね。父は、マイロは、今年で九〇歳になります」
思わぬ告白に、僕は一瞬言葉を失った。
「ど、どういうことですか」
「父は五年前から寝たきりでした。ここ一年ほど、義体を活用して、スケートボードをやっていたんです。ブレイン・マシン・インターフェースを活用して、ベッドの上から遠隔操作という形でしてね。自宅にZパークを設置したのです」
話が唐突でついていけなかった。義体を活用してスポーツをする人口は徐々に増えているのは知っていた。だが、無機質な外観は人間というより、人型ロボットという印象だった。
「義体って。マイロは人に見えましたけど」
「お金があれば、どうにでもなります。シンゴくんが会っていたのは、ホログラムの父です。義体を光学的加工処理で、本物の人間のように見せることは可能ですから」
汗をかかないわけだ。
それよりも。
マイロは富豪だったのか。自宅にZパークなんかあるなんてのは、聞いたことがない。
「ほんとのハナシ、ですよね」
マイロの息子は優しく微笑んだ。落ち着いた目つきが、マイロにそっくりだった。
「父はアメリカで生まれました。十代の頃、スケートボードに熱中したのです。いつのまにか、仕事が忙しくなってやめてしまった。世界各地を転々として、ヨハネスブルグにたどり着いたのです。仕事を引退して、寝たきりになったとき、父はスケートボードをもう一度やりたくなったんです」
「マイロは何をしていたんですか」
「画家ですよ。あと、商業的なグラフィックデザインも制作していました」
僕は小包の中にあったステッカーを手に取った。鷹とメビウスの輪。
「じゃあ、これは」
マイロの息子は微笑んだ。
「父の最初の仕事です。一九八〇年代に十代だった父がスケートボードブランドからのオファーでデザインしたものですね。キム・ゴードンに依頼されて、X-girlのグラフィックを手掛けたことがありますよ。ちょっと待ってください」
マイロの息子は、画面上にいろんな絵を並べて、共有してくれた。
風景画にポートレート、グラフィックデザインまで多様な作品群だった。
現実感はなかったけど、嘘だとはまったく思えなかった。
どの作品にもマイロの優しさと強さがにじみ出ていたからだ。
なぜ大会に出なかったのか。
理由が理解できた。
年齢制限に引っかかるからだ。義体での出場は可能でも、一〇代前半の部には出場できない。
マイロが僕に嘘をついていたのは事実だ。IDを偽造している。
それがバレるのを恐れたのだ。
「父はとても楽しそうにしていました。私も最初はスケートボードってそんなに面白いのかと思っていましたけど、それだけじゃなかった。友達が出来たのを喜んでいたんですよ」
僕はため息を吐いた。それから言うべきことを言った。
「マイロはどうしたんですか?」
マイロの息子は、父親にそっくりの笑顔を浮かべたまま、少しだけ目を濡らしていた。
「父は先週亡くなりました。遺品を整理していたら、あなた宛ての手紙とステッカーを見つけたんです」
通信を切ると、僕はベッドに腰掛けたまま、レターオープナーで丁寧に封筒を開けた。
手紙が一枚。
英語でマイロからの感謝の言葉が記されていた。日本語に翻訳しないと読めないのが、悔しかった。
日付は、僕がオープン大会に出場した日だった。
僕は手紙を畳んで、その場にへたり込んだ。
なんだかとてつもなく大きなものを失った気がした。
マイロともっとちゃんといろんなことをやっておけばと後悔した。
目からぽたぽたと涙がこぼれた。
夜のZパークには、人がいなかった。
寒すぎるからだ。
季節は冬で、しかも夜だ。風が吹くと体がふるえ、吐く息は真っ白だ。
電燈が真っ白い光を放ち、セクションに陰影を作っている。ダウンジャケットを着ている僕はベンチに座り、目の前のホログラムをじっと見ていた。
何十人ものマイロが、パーク内を縦横無尽に駆け回っている。
マイロは今までのスケートボードの軌跡をすべて記録していた。タブレットにはそのデータが入っていた。
僕はZパークへ向かい、それを一挙にミュートでホログラム再生していたのだった。レールの上をテールスライドしていたし、キックフリップに失敗して空を仰いでいた。どのマイロも常に笑顔だった。
他のホログラムをすべて消して、最期の滑りにフォーカスした。耳のデバイスを操作してミュートを解除する。
日付はケンカした次の日だった。
マイロは、ランプで振り子のように滑っていた。
斜面を滑るマイロのまなざしは真剣そのものだった。口元だけは緩んでいて、とても楽しそうだった。段差で引っかかり一度ボードから落下したが、すぐに体勢を直す。
ああ、そうだ。
僕は我慢なんかできなかった。気づいたら、ダウンジャケットを脱ぎ捨てて、ボードを抱えていた。駆け足でランプのプラットフォームへ向かう。
マイロのステッカーをボードのノーズにべったりと貼り、ドロップインする。斜面でボードが加速する。
僕の脇で、マイロがターンした。僕も負けじとキックフリップをする。
いつの間にか、手紙のことなんか頭から消え失せていた。代わりに心の底から、負けるかって気持ちが湧き出る。マイロがトリックを決める度に、称賛と悔しさが心の中でせめぎ合う。
プッシュで加速し、アールがきつい斜面を駆けのぼる。
気付いたら、僕とマイロは重なり合っていた。
一緒に滑るマイロとは同じ時間を生きていないし、同じ空間に存在しているわけでもない。
不思議な感覚だった。
高揚感と共に自分の身体とボードに没入していくほど、僕はマイロと同調になっていく。身体のつながりが深くなっていく。肉体がここまで同期しているのだ、心や脳みそ、魂なんかもはや一緒に決まってんじゃんっていう感じだ。
やがてたどり着いたのは、とてもシンプルな世界だった。
僕とマイロ、スケートボード、Zパークの地面、ウィールが回転する耳障りな音。
余計なものがない世界。
マイロの眼つきが鋭くなる。僕もだ。
さらに加速して、僕らは縁へ向かう。
徐々に角度が垂直になっていく。
膝を曲げると、下腹部に力が入る。オーリーの体勢に入る。
いよいよだ。ハーブキャブへのチャレンジだ。
ボードごと縁からミサイルみたいな勢いで飛び出す。
マイロと僕は、冬の夜空に舞った。
もう、ほんと、それで完璧だった。
大名古屋地下豪流府
大名古屋地下。
地面から1.5センチの視点。打球釘に乗せられた〈私〉を撫でる風はひんやり。
「オぅラ!」強化外骨格に身を包む那古野五摂家大御所、宇頭はドライバーを全力振り。「トんでいきゃァ!」
クラブヘッドは私――融合濃圧縮高尔夫用球体――を芯でとらえて、吹っ飛ばす。
一,一〇、一〇〇。
飛距離は瞬時に上昇。時速四〇〇キロ。
融合濃圧縮高尔夫用球体。直径四センチ。脳はもちろん、眼球も髪も臓器まで私のすべてがこの超々硬度の球体に圧縮されている。元々は、恒星間移動計画での一環技術であったが、実用性には乏しく、高級拷問にしか利用がない。
今回はもっとヒドい。目的は暗殺。対象は大御所の宇頭。内閣総理大臣の背に座って、最高裁判所判事に靴を舐めさせ、警察庁長官に肩もみをさせている外道の中の外道。
地を読むためだ、と豪語し裸足でこの回合に挑むこの老体は、一カ月前に私の恋人を殺した。恋人は、素っ裸のまま拷問用パワードスーツで拘束、骨が折れ筋肉がちぎれて死亡。
私は回転速度をさらに加速させる。私のことをただの人工知能球体と勘違いしている宇頭は一撃必殺を狙っている。
「おぅら、もっと回転せえ!」
疑似脳系を操作。相対的時間感度を下げつつ、周囲を見つめる。
大名古屋地下、第一層名城環、原初の環状隧道であり、即ち現在は常人不踏の聖域でもある。薄暗い。管理が行き届いていない朽ちかけの場所。凸凹の地面。鉄骨むき出しのコンクリの柱があちこちに。理想的な遊技場。
今宵、催されているのは、老体に、名古屋都知事、極道人工知能が加わっての接待ゴルフ。審判者不在、紳士の戦いである、つまり、談合にはうってつけ。
政治、経済、暴力。地球外高度生命体による遭・地球掃、総力抗戦以後の大名古屋地下を統括するのはこの三頭体制だ。外敵に対する徹底的排除及び殲滅政策の果て。外敵を駆逐した反動で、世界は瘴気で満たされ、飢餓がはびこっている。人類最期の方舟は地下だった。
〈のう、狙えるカ?〉別回線通信で声が届く。依頼主だ。都知事の側近。
「遅いじゃないか、濡瑠。どこにいる」
〈第八層だ、知事専用車、超鯱級高級自動車両の中だて。いろいろあんだって、こっちにもよ。通信するだけで脳汁潤々〉
「ちゃんと目ェ開とけや」
私は斜めっている壁に激突。
チタン合金の壁面を凹ませてから、直角に上昇していく。
遠く、ティースポットに立つ老体の表情を確認。目を見開いている。
頃合いだ。
私は回転数を上げて、そのまま上昇。
「んあ、どこいくんじゃ、たわけェ!」老体が吠える。「おォ、DXウゼえがァ!」
うるせえんだよ、くそが。
私が停止しなければ、第二打は打てない。大名古屋地下領外まで飛び出せば、失敗だ。
天井には通気口。私はそこを突き抜け、通風管を破壊しながら、一気に地表まで。生まれて初めての地上。私たちはここで心中する予定だった。宵闇が拡がっている。あらゆる毒が充満している世界。まだだ。時速七〇〇キロを超えた私は、さらに加速上昇。
〈高度三〇〇〇メートル越えただと。おい、どうする気だ〉濡瑠は凄む。〈勝手に飛んでく鉄砲玉にゃあケジメをつけてもらわんとなァ〉
「そうあわてるな、ジジィの狙い通り、一撃必殺で仕留める」
大気圏を抜け、私は息を止めた。眼下に青い星。無音。真空。
永遠にここにいたい、とは言えない。
〈じゃあ……〉
「そう、こっから落ちる」
私は楕円を描き翻す。地表めがけ最接近。加速、耐熱、音速突破、もっとだ。狙うは一点。
時速四〇〇〇キロ。十分だ。誤差でも衝撃で標的を木端微塵。
だけど、私の激怒はまだ有り余る。加速で発露しても、まだ出しきれない。
青い星の瘡蓋、大名古屋地下。
地表をぶち抜く。まず、第一層、名城環。老体の頭頂部から肛門を0.0000003秒。まだ復讐は終わらない。続けて何層を瞬殺爆突貫。八丁味噌醸造集合地帯、円頓寺大市場、電脳遊技台帯。たどり着いたのは、第八層、名古屋都庁前に停車する超鯱級高級自動車両。後部座席の濡瑠は口を開いて待っていた。まァ正確には、上を向いて呆然としていた。その舌。触れた瞬間、私の爆熱で血管沸騰、一気に融解。全身も骨肉散らして、昇天。私はもう止まらない。地表直撃から0.2秒後ちょっきり、私は名古屋最底部に衝突。
激固の底に、三メートル半の傷跡を残した。超高熱の私はゆらりと煙を放つ。
やがて直径四センチの融合濃圧縮高尔夫用球体はほろほろと崩れ始めた。私は地表方向を見上げた。大名古屋地下を貫く穴の向こうに、仄かに月輪が浮かんでいるのが見える。復讐は果たした。
やがて脳も崩れ始め、死んだ恋人の顔も、殺した奴が誰かも思い出せなくなっていく。私は〈私〉であることを失い、末期に憤怒だけが残る。
ぶっ殺す。
一陣の風が底を撫でて、私はついに消え去った。
神速
闇夜に主催者の声が響く。
「同志よ! 今夜もお集まりいただき、感謝申し上げる! これより、真の直線番長を決めるべく、第783回〈栄光への道〉を開催する! 盛大に騒げ狂え!」
田舎国道、深夜二時。
周囲には森や廃墟しかない寂れたバイパスには、二台の競争車両がスタンバイ。バイパスの両脇では、近隣遠方から集った聴衆たちが競争の開始を待って熱狂していた。豪華絢爛な照明。超高速電子曲が爆音で流れている。どんな行為をしようが、この街は二〇年前からだれも住んでいない廃地だ。関係ない。
国家から見捨てられた無制限道路で開催される暗黒死亡遊戯。監視機構はなく、すべての移動機械に速度制限がない。
競争の区間は真っすぐ5キロ。
私が駆るのは骨とう品である50ccを四輪巨大化魔改造した、二十世紀の遺物、バンバン50。曾祖父の父親が乗っていたバイクだ。
隣には、戌猫兄弟が駆る完全武装化軽トラ。運転席には兄の戌、荷台には弟の猫がいた。大柄な猫は上半身裸で、無骨な火炎放射器を携えている。やる気満々だ。
「おい、コラァ、嬢ちゃん!」運転席でハンドルを握る戌が吠える。「喧嘩うったん、おめえじゃけえの。完全に撲殺するんじゃ」
猫が続く。「なァ、なに無視かましとんのや。わかっとんのかい、火達磨にしたらァ」
黙れボケどもが。私は舌打ちをする。が、心臓の鼓動はテンポが上がり、マスクの下は汗でびちょびちょだった。
私がエンジンキーをひねると、後部に搭載したV8エンジンが咆哮する。マフラーから漂う排気ガス。震えるレバーハンドル。タイヤを空転させ温める。巻き上がる白煙。
〈おい、真久摩、聞こえているか〉闇の底から漂ってくるような怜悧な声がイヤー・デバイスに届く。〈……なあ〉
「ああ」
声の主は螺人。手練れの賭博師だ。
〈この競争の結末はわかってんだよな……〉
答えなかった。自明だった。
私は負ける。
この競争は八百長だ。戌猫兄弟も知らぬ事実。私は負けなくてはいけない。
原因は300キロ先の大阪にある。
30分前に映像が送られてきた。
難波宮殿街の一角にあるオフィスの椅子に縛られていたのは、私の相棒だった。自動拳銃を向けている男もいた。
そいつが螺人だ。
相棒の生殺与奪を握っている。
簡単な話。私が勝てば殺される。私がわざと負ければ解放される。
まあ、このままでは終わりだ。敗北でも、私は想像を絶する借金を抱える。
つまり死ぬ。この遊戯に参加が決まった時点で私は詰みだ。
勝利しようが敗北しようが、私を待っているのは地獄だ。
主催者が吹くブブゼラが鳴り響くと、二台の車両の前にルーズソックスを履いた淑女が立ち、無骨なスタートフラッグを掲げた。
いよいよだ。
〈おい、猿芝居のやり方、わかってんだろうな……〉
八百長と見抜かれたって、主催者に血祭りにされる。
息をのむ。
どうすりゃいい。窮地。
「レディイ」淑女がかすれ声で吠える。「ゴォォォ!」
1 2秒で一気に時速70キロまで加速。
しまった。軽トラが一段階速かった。
〈……おい、いともたやすく前を取られてんじゃねえか。ナメてんの〉
うるせえな。
シートに乗りレバーハンドルを握る私の正面、ネオンライトで仰々しい荷台に立つ猫は火炎放射器の放射口をこちらへ向けていた。
猫は容赦なくトリガーを握った。「その意気や、完璧! 派手に散れ、餓鬼が!」
くそが。とっさの判断。私はバンバンの正面に折畳式防弾幕を展開。
熾烈な火焔を防御できているが、バンバンの加速が落ちていった。
徐々に軽トラとの距離が開いていく。
〈真久摩ァ。もう一度言うぞ。……わかってんだよな。お前、一回くらい先頭に立て。盛り上げるんだよ、道化としてな。……相棒、殺すぞ〉
もう半分を過ぎた。絶体絶命。
聴衆の熱狂。全身を包む風。アホな戌猫兄弟。見捨てられた街の田舎国道。そして、螺人。
すべてくそだ。
相棒のことを想う。
柔らかな肌。碧眼。ほっそりとした唇から飛び出すくそ生意気な言葉。嫌いな映画の話ばかり。たまに情緒不安定。いつも二人でいた。生意気なヤツ。
死ぬときは一緒だって、そういうハナシだ。
意識を現実に戻す。
私は……。こんな場所で死ねるか。
じゃあ、相棒を殺させる? わけあるか。
死ぬときは一緒だ。
一度息をのむ。勝負するしかない。
賭けだ。
私はクラッチレバーを握り、左足を踏み込んで一気にギアチェンジする。
〈やっと本気出したか……〉
バンバン50のギアは従来5段階だ。もっとぶっ飛ばす。
一瞬でいい、神速になれば。
ギアを禁断の無限に上げた。スロットルを全開。
「おうおう!」猫の叫び。「荷台に突っ込むつもりかァ! 自殺行為だぜェ!」
悔しいが正解だ。
刹那。すべての装具が解除。サイドミラー、キャブレター、追加車輪、タイヤカバー、排気口、ヘッドランプ、ブレーキ、V8エンジンも。
折畳式防弾幕が外れ、私の全身を火焔が覆う。
〈真久摩、なにしていやが……〉
螺人の声が途絶えた。
違う。私は領域に入った。音よりも弾丸よりも、光よりも速い。異次元の領域。
つまり、神速だ。
韋駄天。無限の加速。原子レベルの超移動。
炎が体を覆ったが、熱くはない。つーか、こっちのほうが熱いしはやい。
半透明的存在と化した私は、音のない世界をつきぬける。
猛烈な火焔、猫、荷台、戌がいる運転席。
まだだ。
もっと速く。もっと遠くへ。
全存在よりもはやい。
一切合切をぶち抜いた。
気づけば、眼前には晦冥の田舎国道だけ。
勝利だ。
バンバンと一体化し神速となった人體はゴールラインを越えた。
同時に意識が飛んだ。
目を覚ます。
満身創痍の私は、バイパスに寝転がっていた。
愛機はフレームだけを残し真っ黒こげの状態で脇に転がっていた。聴衆たちの歓声や軽トラの爆発音が耳に届き、アスファルトの震えも感じた。
そして、腕の中。
「真久摩……」
相棒がいた。碧眼を潤ませて私を見つめていた。
一瞬だけで十分だった。神速。
5キロ先も300キロ先も同等だ。
大阪で相棒を拾って、田舎国道に戻った。
競争で勝利し、かつ相棒を救う。完璧な結末だ。
ついでに。
「……おい」脇に転がっていたのは、首だけになった螺人だった。「どうなってんだこりゃ」
螺人は盛大に血を吐いた。
私は立ち上がり、螺人を見下ろす。「超速で殺してやったから、まだ死がお前に追いついていないだけだ」
螺人の目が絶望の色に染まり、それから血を垂らして笑んだ。
「ひひ。お前らなんぞ呪われろ。組織からは逃れられん。俺の眷属がお前らを……」
「うっせぇ」という言葉とともに、相棒が螺人の首を排水溝まで蹴っ飛ばした。
相棒はそのまま私をぎゅっと抱きしめた。
「ね、これで完全勝利だ、真久摩」
「そりゃどうかな。ていうか、もとはと言えばあんたが。……ま、いいか」
勝利の余韻に浸る暇はない。
次回のレース案内がヘッドデバイスに到着する。
私は満天の星空を見つめながら、舌打ちした。
ぜんぶはやすぎる。
初出
- 東京滑蹴祝祭(初出:anon press)
- Mononokemono(初出:anon press)
- DUM SKATER(初出:anon press)
- 未来(書き下ろし)
- BOY BYE(初出:anon press)
- 大名古屋地下豪流府(初出:anon press)
- 神速(書き下ろし)
著者プロフィール
平大典(たいら・ひろのり)
1986年生。長野県在住。
奥付
一歩下がって、てめえの顔とファックしろ! 平大典
〈AP0005〉
二〇二三年十月八日 第一刷発行
発行者 青山新
発行所 anon press
サイト
本書の著作権は平大典に帰属します。