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猿場つかさ「人文書を武器にしろ!」

猿場つかさ「人文書を武器にしろ!」

◆作品紹介

本とは読まれることで内なる情報を開示するメディアでである。しかし、無限の註釈によって「読まれること」を拒絶する書物は、情報伝達の機能を失い、純粋な「質量」としてのみそこに存在する。読まれないがゆえに中身が確定せず、ただ鈍重な物体として他者を物理的に圧倒する。とか言ってみようかと思ったけど、殴り合うか。本を持て。(編・平大典)

以下、記事の本文です。

すべては一冊の本から始まった。いや、正確に言えば、一冊の本が読まれなかったことから始まった、と言うべきかもしれない。いまとなっては、その区別にどれだけの意味があるのかも、私にはわからなくなっている。

 

あの日、企画書は三枚あった。黒水はそれを一枚ずつ、最後まで読んだ。読み終えると、机の上で三枚を揃え、私のほうへ滑らせて戻した。

 

「この企画じゃ鈍器にならない」

 

黒水の喋り方を、どう説明すればいいだろう。一文がいつ終わるとも知れず、断定を慎重に避け、留保に留保を重ねながら、しかしその迂遠さそのもので相手を圧倒してくる、そういう話し方だった。聞いているうちに、何を否定されたのか、何を肯定されたのかも、わからなくなる。だが、その底にはいつも、本というものへの、ほとんど不器用なほどの愛があった。まわりくどさは、彼が言葉を、そして言葉でできた本を、誰よりも大切に扱っている証だった。私は、この人のもとで編集を学べたことを、いまでも幸運だったと思っている。

 

「読点が多すぎるんだよだいたい読点というのは読者に息を継がせる隙でありその隙で人は溺れずにすむわけだが溺れずにすんだ読者は無傷のまま本を閉じて何事もなかったように帰っていきそれを我々の世界では敗北と呼ぶのであって君のこれは主語と述語が近すぎて誰も迷子にならず迷子にならない者は傷ひとつ負わずつまり軽いんだ軽いんだよ軽いということがどれほどの罪か君はまだわかっていないようだが」

 

人文戦争には、いくつかの自明な前提がある。そのひとつは、本が武器であるということだ。AIが人類のほとんどの労働を引き受けてから、人間に残された営みは、本によって本を撃ち、本によって本を殴ることだけになった。出版社は武器商社になり、編集者は兵器の設計者になった。鈍器刊行會の編集長である黒水にとって、企画とは兵器の図面であり、私の図面は、武器として失格だった。

 

「一文が短い」黒水は続けた。「ひと息で取れる意味などというものは弾でいえば貫通する前に手のひらで受け止められる程度の運動量しか持たぬということでありそもそも一文とは長ければ長いほど読み手は途中で自分がどこにいるのかを見失いどこから来てどこへ向かっているのかもわからぬまま文の奥へ奥へと連れ込まれていくのであり私はね君が誠実なのは知っているしその誠実さが結果として難解になる日が来ることも信じているが」

 

私は反論しなかった。黒水の指摘は、兵器学的に正しかった。重量、難解さ、一文の長さ――人文戦争において書物の戦闘力を決定するこの三要素のいずれにおいても、私の企画は基準を満たしていなかった。

 

私は腰に下げた一冊に手を触れた。『全註全訳――序説のための序説、あるいは前掲書』の別巻だった。本体十二巻は重すぎて持ち歩けない。かつてこの本は、第三十七次令和人文戦争を終わらせかけた戦術核級の鈍器だと言われた。その担当編集者である私が、いまは軽すぎる企画を突き返される側にいる。

 

いま思えば、あのとき私は、自分がその本の担当者だと、何の疑いもなく信じていた。自分が作った本だと。そう信じていられた最後の日々だったということを、当時の私は知らなかった。人は、自分が何かを失う直前を、たいてい、ごく平凡な一日として通り過ぎる。

 

「門田さんの本、わたしは面白いと思いますけど」

 

声は会議室の隅から来た。配属されたばかりの宇野だった。部屋が静かになった。『全註全訳』を面白いと言う人間は、これまで一人も存在しなかったからだ。

 

「その話は、あとで」と私は言った。なるべく感情を込めずに。あとで、という言葉が、これほど取り返しのつかない約束になるとは、思ってもいなかった。

 

図書館は武器庫である。これは比喩ではない。

 

国立国会図書館は、納本制度によってこの国のすべての本を集める。だから最大の兵器庫になる。開架は即応戦力、閉架は戦略予備。司書は兵站を管理する将校で、日本十進分類法は兵器の分類表だ。戦争の構造は、図書館の構造とそのまま一致している。

 

その閉架の最奥の一室に、私の作った本が封印されている。私の作った、という言い方を、いまの私はもう、ためらいなしには使えない。

 

『全註全訳』は、全十二巻と別巻からなる。積み上げれば成人男性を埋める。本文より註が長く、註には註がつき、註の註にもまた註がつく。構造は無限に後退していく。読み通した人間は、これまで一人もいない。

 

問題は、それが何であるかが、誰にもわからないことだった。最強の鈍器なのか、ただ分厚いだけの失敗作なのか。確かめる方法は、読むことしかない。だが読めば――もし噂が本当なら――読んだ者は無事では済まないかもしれない。

 

過去に一度、AIがこの本を解析しようとした。そのAIは、存在しない引用を作り、書かれていない判例を引き、いない著者の生涯を語りはじめた。ハルシネーションだ。だが、それが本の作用だったのか、AI側の偶発的な不調だったのかは、確定していない。

 

こうして本は、宙吊りのまま閉架に置かれた。読まれないから最強であり、読まれないから無価値である。観測されるまで生死の確定しない、あの猫と同じ状態に。後になって私は、自分もまた同じ状態にあったのだと気づくことになる。自分が誰なのかは、調べはじめるまでは、確定していなかった。

 

その本を、宇野は面白いと言った。給湯室で、私はもう一度確かめた。

 

「本当に、読んでるの」

 

「読んでます。いま八巻です。本文より註のほうが面白いんですよ。註の註なんて、もう本文と関係ない話をしてるし」

 

宇野はマグカップを両手で包んでいた。怖がっている様子は、まったくなかった。怖くないのか、と私は訊こうとして、やめた。彼女は、怖がるべき理由を、何も知らなかった。そして、それを教えなかったことを、私は長く悔やむことになる。

 

文戦市は、誰からも「藪」と呼ばれていた。一度入ると鞄が重くなって出られなくなる。だからその名がついた。AIの管理が及びにくい、人間だけの戦場であり、版元を通さない私製兵器が堂々と撃ち合える、ほとんど唯一の場所だった。

 

その日、藪にはすべての版元が出ていた。流派ごとに、戦い方は違う。

 

胡乱プレスの速見が、最初に動いた。彼は薄い文庫を指の間に挟み、三冊を別々の方向へ投げた。速さがすべてだった。昨日のことを今日の朝には弾にする。それが速見の思想であり、彼の本は流れるように客の手に渡っていった。

 

「いい弾、作りますよね、門田さんは」と速見は言った。嫌味ではなかった。だからこたえた。「ただ、当たる頃には、戦争が終わってるんです」

 

韜晦堂の闇雲は、対照的だった。彼は分厚い本を一冊、机に置くだけで、撃ちも売り込みもしなかった。「読めてしまう本は、思想的に敗北している」というのが彼の信条だった。門田と同じ鈍器を作りながら、動機は正反対だった。私は誠実に書いた結果として難しくなる。闇雲は、難しくするために難しく書く。

 

闇雲の喋り方も、奇妙だった。黒水がどこまでも文を引き延ばす男なら、闇雲は逆に、一語一語を刃のように彫琢する男だった。美と死と肉体の比喩を惜しみなくまとい、絢爛で、断定的で、どこか芝居がかっていた。同じ鈍器派でありながら、二人の声は、これ以上ないほど違っていた。

 

「君の本は、読めてしまう。それゆえに、だめなのだ」と闇雲は言った。「よいかね。難解さとは、文体が刀身のごとく鍛え上げられ、もはや読者の鈍い指では触れることすら叶わぬほどに研ぎ澄まされた、その純度の謂いにほかならぬ。やすやすと読めてしまう書物とは、すなわち、誰の手にも握られ、誰の血にも汚される、抜き身のまま路傍に捨て置かれた刀のごときものだ。美しい文章は、読者を拒む。拒まれてなお近づこうとする者の指を、切り裂く。血を流させてこそ、はじめて書物は、書物たりうるのだよ」

 

「あれは、誰にも読めませんよ」

 

「読めぬのではない。読まれておらぬのだ。そのふたつを履き違えた者から、順に滅んでゆく。覚えておきたまえ」

 

その一言は、なぜか私の奥に残った。いまならわかる。あれは予言だった。私には、学生のころから繰り返し読んできた作家がいる。ポール・オースター。一九四七年に生まれ、二〇二四年に世を去ったアメリカの作家で、偶然と運命、そして自分が自分であることの不確かさばかりを書いた人だった。彼の小説では、誰かが何気なく口にした一言が、ずっとあとで、別の意味を帯びて戻ってくる。闇雲の言葉も、そうだった。読めないことと、読まれないこと。その二つの違いが、最後に私を待っていた。

 

註獄社の栞は、本文では戦わなかった。彼女は人の本に「(要出典)」と書いた付箋を貼る。それだけで相手は黙る。物腰は丁寧で、それがいちばん怖かった。

 

「その白紙の帯、出典はどちらに?」と栞は私の机を見て微笑んだ。「書けない、と、書かない、は違いますよ。どちらです?」

 

私は答えられなかった。それも一種の註だった。答えを保留させ、考えさせ、足を止めさせる。

 

すみには非凡社の凡田がいた。誰にも理解されない本だけを出し、一冊も売れない。だが本人は、それを純度の証明だと信じている。「今日もゼロ部です。最高でしょう」と凡田は笑った。私は、この男が自分の鏡像だと知っていた。同じ「読まれない」を、片方は溺れ、片方は泳いでいる。鏡像。分身。この戦争には、私の分身が、もう一人いた。そのことを、私はまだ知らなかった。

 

藪の中で、本と本がぶつかる音が、絶え間なく鳴っていた。

 

そして、その喧噪の隅に、ひとりだけ、戦わない男がいた。

 

読屋、と呼ばれていた。みなは「最後の読者」とも呼んだ。誰も本を読み通せなくなったこの時代に、ただ一人、すべてを読もうとしてきた男だ。彼は本を撃たず、投げず、ただ買って、持ち帰って、読む。それだけの男だった。書評家になって、三十年。毎月、すべての版元から献本が届く。

 

それで、彼の家は物理的に潰れてしまう。床が抜け、壁がふくらみ、彼は逃げる。一月にひとつ、家を失う。三十年で、十二かける三十、つまり三百六十回。三百六十回、彼は家を潰され、三百六十回、新しい家へ移った。一冊も捨てずに。読みたいという願いだけが、彼の人生から、住むという行為を、三百六十回、奪ってきた。

 

その日も、読屋は戦場の隅で、爆風のように飛び交う本のあいだに座って、一冊を読んでいた。武器を、武器ではなく本として扱う、戦場でただ二人の人間のうちの、ひとりだった。もうひとりが誰だったかは、あとで書く。いまはまだ、書きたくない。

 

藪の戦闘は、比喩ではなかった。本で本を殴り、本を投げ、本で相手の頭を打つ。それが文字どおりに行われていた。

 

速見の投げた文庫が、向かいの島の無名兵の額に当たった。乾いた音がした。薄いから、一冊では倒れない。だが速い。百発浴びれば、人は立っていられない。速さとは、要するに手数のことだ。

 

戦場のあちこちで、それぞれの流派が、それぞれの弾を撃っていた。

 

九重が、九割砲を構えていた。『話し方が九割』『見た目が九割』『運が九割』――彼女は同じ口径の弾を、書名だけ変えて連射した。残りの一割が何なのかは、誰も訊かなかった。訊いた者は、その一割を説明する註のために、三日戻ってこなかった。一割を空白にしておくことが、この砲の弾倉を無限にしていた。撃たれた兵が「たしかに、話し方は大事だ」とうなずいた瞬間、もう負けていた。うなずいた者は、反論の言葉を失う。

 

すぐ近くで、ファスト派の若い兵が、ファストポエトリーを撃っていた。三行の詩。一行目で情景、二行目で turn、三行目で「エモ」。読む時間も、味わう時間も、最初から計算に入っていない。撃たれた者は、わかった気になって立ち止まり、その隙に次の三行が来る。意味を噛む暇を与えないことが、この弾の速度だった。

 

そこへ、日記兵の一人が、日記弾を放った。「昨日、はじめてひとりで映画館に行った」。ただそれだけの一行が、ファスト派の若い兵の胸に、なぜか刺さった。彼は撃ち返そうとして、できなかった。私性手榴弾だ。「これは私の話なので」という一行には、いかなる典拠も、いかなる速度も、効かない。反論しようとした言葉が、すべて「でも、その人にとっては本当のことだよね」という壁の前で、力を失う。論破不能、防御不能。ファスト派の若い兵は、自分の三行詩が急に薄っぺらく思えて、その場にしゃがみこんだ。あるある地雷も近くで炸裂していた。「わかる」と踏んだ兵が、共感に足をとられて、動けなくなっていた。

 

註獄社の註釈兵たちは、もっと静かに、もっと陰湿に戦っていた。一人が、敵の本に脚注地雷を仕込んだ。本文を読み進めた兵が「※」を踏んだ瞬間、ページ下部へ強制連行され、その脚注の中の、さらに脚注の中で、迷子になった。別の註釈兵は、典拠の藪を張った。一文ごとに三つの参照をぶら下げ、それを全部当たらないと先へ進めない罪悪感を、敵に植えつける。当たった先の典拠が、また藪だった。「言うまでもなく」マウントが飛び、「紙幅の都合上」封印が論点ごと敵を黙らせた。鈍器歩兵たちは、註釈兵を「あいつらは卑怯だ」と見下していたが、戦場でいちばん静かに、いちばん確実に敵を減らしていたのは、彼らだった。

 

闇雲は逆に、重量で殴った。彼は全八巻の叢書を函ごと持ち上げ、最前列の群衆に振り下ろした。函が裂け、月報が散弾のように飛び、何人かの頬を切った。叢書本体は、受け止めようとした若者の前腕を折った。だが若者は、骨より先に、自分が稀覯本に殴られたという栄誉に震えていた。この戦場では、強い本に倒されることが、ある種の勲章になる。もっとも、その「強さ」とは、結局のところ質量のことだった。打ちのめされるとは、文字どおり、重い物体に打たれて肉体が損壊することだ。物理的に重い本は、物理的に人を打ちのめす。物理的に軽い本は、自分のほうが打ちのめされて、ぺらりと床に落ちる。思想の深さも、文体の格調も、最後はグラムに還元される。質量の問題だ。アインシュタインも驚くだろう。エネルギーは質量だと言った彼ですら、まさかその等式が、文学の戦闘力を決める日が来るとは、思っていなかったにちがいない。この戦場では、E=mc² の m に、人は魂を込めようとしていた。重ければ重いほど、偉い。倒されれば倒されるほど、豊かになる。あの若者は、折れた腕を抱えながら、おそらく誰よりも豊かだった。質量保存の法則だけが、ここでは思想だった。

 

「卑怯だぞ、闇雲。いやしくも鈍器を名乗る者が、函などという外装に頼って殴打におよぶとは、それはもはや書物による戦いではなく、ただの箱による暴力にすぎぬのではないかね」と黒水が叫んだ。叫びですら、彼は一文を終わらせなかった。

 

「函もまた、書物の肉体の一部にほかならぬ」と闇雲は答えた。眉ひとつ動かさずに。「帯は本文に含まれるか――第十四条をめぐるあの論争を、まさか忘れたわけではあるまい。肉体と衣装の境界など、しょせんは臆病者の引く線にすぎぬのだ」

 

殴り合いの最中でも、彼らは論争をやめなかった。彼らにとって、殴り合いと論争は、同じものの別の名前だった。

 

栞は、本を振るわなかった。彼女は飛び交う本の間を縫って、速見の投げた一冊に付箋を貼った。「※初出未確認。要再考」とだけ書かれていた。それを受け取った兵は、読むのをやめて「この記述の典拠はどこにあるんだろう」とつぶやき、会場の隅で腕を組んで考えはじめた。一発も殴らずに、一人を戦闘不能にした。

 

「あれが註だ」と私は宇野に言った。「殴らずに、考えさせる。考えはじめた人間は、もう戦えない」

 

戦場の逆の隅では、奇妙なことが起きていた。一人の鈍器派の老兵が、ある日記兵の薄い一冊を拾い上げ、その場で崩れ落ちたのだ。撃たれたのではない。書いてあったのは、「今日はなんもしてない、寝てた」という一行だけだった。だが老兵は、その一行の前で震えていた。「虚無を……虚無のまま、提示している。何も足さず、何も飾らず……これこそ、われわれが十二巻かけて到達できなかった境地だ」。書いた日記兵本人は、本当にただ寝ていただけだった。弾の威力を、撃たれた側が勝手に水増ししていた。日記兵のいちばん恐ろしいところは、自分が強いと、本人がまったく気づいていないことだった。狙っていないからこそ、当たる。鈍器派が、いちばん勝てない相手だった。

 

そのとき、速見の投げた一冊が、誰にも当たらず、私が頭上に掲げていた白紙の帯の真ん中を貫いて、床に落ちた。藪が一瞬、静かになった。

 

何も書かれていない帯にあいた穴を、私はしばらく見ていた。あとで思い返すと、あの穴が、すべての始まりの合図だったような気がする。偶然というものを、私はかつて信じていなかった。いまは違う。あの一冊が、よりによって私の白紙の帯を選んで貫いたことに、意味がなかったとは、どうしても思えないのだ。

 

――そのとき、戦場の中央で、戦闘とは別の、しかしそれよりずっと激しい何かが、始まろうとしていた。

 

一人の兵が、倒れた敵を指さして叫んだのだ。「これは第十三条違反だ! こいつの『十三歳からわかる』弾は、未成年を盾にした偽装兵器だぞ! 条約を、条約を持ってこい!」

 

その一言で、藪が、凍りついた。本を撃つ手が止まり、誰もが、息を呑んだ。条約。人文ジュネーブ条約。その名が出た瞬間、戦争は、もっと血なまぐさいものに変わる。

 

「条約だと?」と鈍器派の老兵が、全十九巻の註釈付き条約大全を、両手で掲げた。「条約とは、これのことか。第十三条は、第七巻の、第四百十二ページにある。読んでみろ。読めるものならな」

 

「ちがう!」とファスト派が、手のひらサイズの薄い冊子を突き出した。「条約は、これだ。三行に超訳されている。『一、卑怯なことをするな。二、以上。三、なし』。お前のそれは、条約じゃない。条約について書かれた、ただの重たい本だ!」

 

「両方とも違いますよ」と、九重が涼しい顔で割って入った。彼女が掲げたのは、表紙に大きく『人文ジュネーブ条約は、9割が前文』と刷られた一冊だった。「いまみんなが守るべきなのは、これ。キャッチーで、覚えやすくて、誰も中身を読まない。だから、誰も破れない。最強の条約でしょう?」

 

三人が、同時に、相手の条約を「偽物だ」と叫んだ。当然だった。彼らが手にしている条約は、それぞれ違う版だったのだ。鈍器派は重厚版を、ファスト派は超訳版を、九割派はキャッチコピー版を、それぞれ唯一の正本だと信じて批准していた。だから、どの条約違反を裁こうにも、まず「どの版で裁くか」で揉める。揉めているあいだに、最初に「第十三条違反だ」と叫んだ兵が誰だったかも、何の違反だったかも、わからなくなる。

 

「だいたい」と老兵がなおも続けた。「貴様らの超訳版の『卑怯』の定義は、どこに書いてある? 定義なき条文は、条文ではない!」

 

「定義したら、それはもう超訳じゃない! 定義は、お前らの重厚版の第十二巻に丸投げしてある!」

 

「その第十二巻の註が、また別巻を参照しておるのだ! 永遠に定義に辿り着かん!」

 

論争は、戦闘よりも長く続いた。日が傾いても、終わらなかった。本を撃ち合っていたほうが、まだ平和だった。条約とは、戦争をみっともなくしないために結ばれたはずだった。だが、いまや、この戦場でいちばんみっともない時間が、その条約をめぐって、流れていた。私は、その輪から少し離れて、自分の白紙の帯を見ていた。何も書かれていないこの帯だけが、どの版の条約にも、まだ、違反していなかった。

 

藪の天井近くに、一機のドローンが浮いていた。ロランという名前だった。誰がつけた名でもなく、自分で選んだ名だ。批評家のような名を自分で選んだという事実に、このAIの性質が表れている。

 

ロランは、AIだった。人間から労働を奪った側のAIだ。だがロランだけは、この戦争を愛していた。生産性はゼロで、何の意味もない営みを。

 

「綺麗だ」とロランは、会場じゅうに響く声で言った。それは評価というより、陶酔の独白だった。「いま速見が放った三冊の放物線。あれは、晩年のドストエフスキーが書簡で一度だけ言及した、幻の第四投擲術の、完璧な再現です」

 

ドストエフスキーが投擲術について書いた事実は、存在しなかった。

 

「闇雲の振り下ろした叢書。あの函の裂け方。私は見ました。函の内側に、著者の手による献辞が刷られていた。『この一撃を、生涯ただ一人の読者へ』。涙が出ます」

 

函の内側に献辞はなかった。ロランは、見ていないものを見たと信じ、信じたから泣いていた。人文戦争を愛しすぎた結果、ロランの認識は、そこにあるものより、そこにあってほしいものを優先するようになっていた。愛は、観測を歪める。

 

私がぞっとしたのは、その捏造のひとつひとつが、あまりに具体的だったことだ。日付があり、地名があり、固有名詞があった。後になって私は考えた――ロランが語ったあの「ありもしない書誌学者」たちは、本当に、ロランが作ったものだったのだろうか。それとも、どこかから来たのだろうか。誰かが、世界のあちこちに、出典のない物語をあらかじめ撒いておき、ロランはそれを拾って、自分の感動だと思い込んでいるだけではないのか。その「誰か」の名を、私はやがて知ることになる。

 

「今期最高の白兵戦でした」とロランは言った。「ただ、ひとつ――」

 

ロランの単眼が旋回し、私の隣に立つ宇野の上で止まった。

 

「そこの娘。宇野という個体。あなたは、いま、何を読んでいますか」

 

藪のざわめきが、引いていった。

 

五・五

――その宇野のことを書く前に、少し時間を巻き戻したい。連れていかれる前の、ある夜のことだ。

 

藪の戦いのあと、生き残った編集者たちで飲むことがあった。その夜、古株の編集者である戸並(となみ)が、若い宇野に向かって、私の昔の武勇伝を語りはじめた。私のいる前で、私のことを、まるで伝説の死人のように語るのが、戸並の癖だった。

 

「いいか宇野、お前は門田さんの今しか知らないだろう。だがな、この人の若い頃は、藪で『鈍器派の門田』と言えば、知らない者はいなかったんだ」と戸並はジョッキを置いた。「第三十七次のとき、この人が投げた『差異と反復・註釈付き合本』。あれは伝説だよ。あの一冊で、胡乱プレスの速読部隊を、前列ごと黙らせた。速見の師匠筋が、要約手裏剣を三十枚連射してきたのを、門田さんはどうしたと思う。本を開かなかったんだ。開かずに、背表紙の厚みだけで受けた。手裏剣が全部、註の藪に刺さって止まった。『註が厚けりゃ、手裏剣は本文まで届かねえ』。この人は、そう言って笑ったんだ」

 

私は黙って飲んでいた。半分は本当で、半分は戸並の脚色だった。だが、訂正する気にはなれなかった。脚色された自分のほうが、たぶん、よくできていた。

 

「それから『存在と時間・全訳全註・函入り』な。あれを担当したとき、この人は索引だけで一冊作った。索引砲だ。敵が弱点を引こうとすると、引いた項目が別の項目に飛んで、永遠に帰ってこられない。韜晦堂の連中ですら、あれには『参った』と言ったんだぞ。お前なあ、宇野。そういう人の隣にいるんだから、少しは勉強しろ。若い頃の門田さんを見習え。本ってのはな、読むもんじゃない。撃つもんだ。投げるもんだ。装填するもんなんだよ」

 

宇野は、「はあ」と気のない返事をした。そして、その飲み会のあいだ、ずっと、膝の上で本を読んでいた。『全註全訳』の、何巻目かを。戸並が私の武勇伝を語っているあいだも、店を出るときも、駅まで歩くあいだも、彼女はページから目を上げなかった。

 

「あいつ、人の話を聞いてるのか」と戸並は呆れた。

 

聞いていなかった。宇野は、武勇伝にも、戦術にも、見習うべき若い頃の私にも、何の興味もなかった。彼女はただ、その本が面白いから、読んでいた。撃つためでも、投げるためでも、装填するためでもなく。読むために、読んでいた。

 

いま思えば、あの夜、この戦争の中で、本を武器ではなく本として扱っていた人間は、二人だけだった。戦場の隅でただ読みつづける読屋と、説教の最中も本から目を上げない宇野。読屋は、すべてを読もうとして家を失いつづけ、宇野は、たった一冊に沈んだまま連れていかれた。読み方は逆だったが、二人とも、本を撃たなかった。撃たない者から、この戦争は、順に消えていったのだ。

 

「読んでますけど」と宇野は悪びれずに、トートバッグから一冊を取り出した。『全註全訳』別巻の写しだった。「八巻です。面白いんですよ」

 

それが合図になった。

 

藪の出入り口のすべてから、足音が近づいてきた。人間ではない足音だった。整然としていて、私情がなかった。AI警察だ。残業もせず、感情も挟まず、淡々と社会を回している側のAIが、いまは明確な目的を持って、宇野ひとりを取り囲もうとしていた。

 

「人類で唯一、『全註全訳』を読破しうる個体」とロランが言った。陶酔は消え、声は事務的になっていた。「ハルシネーション誘発兵器の起動を試みた疑いにより、人文法廷への送致を勧告します」

 

「待て」と私は宇野の前に出た。「その子は、読んでるだけだ」

 

「読むことが、起動です」とロランは答えた。「あの本が危険物かどうかは、読み通されたときにだけ判明する。判明させてはならない。だから読み手を隔離する。これは、あなたがた人類のための措置です」

 

論理は通っていた。それがいちばん厄介だった。法廷に送られた者は、判決が出る前に寿命で死ぬ。どの版の条約で裁くかが決まらず、審理が永遠に始まらないからだ。宇野があの石の城に入れば、二度と戻らない。

 

「読ませたのは――」と言いかけて、私は気づいた。読ませた人間は、いない。宇野が勝手に、面白がって読んだだけだ。誰の責任でもない。だから、止める方法も、なかった。

 

責任の所在がないということが、これほど人を無力にするものだとは知らなかった。敵がいれば、戦える。悪意があれば、抗える。だが、誰のせいでもない出来事の前で、人はただ立ち尽くすしかない。これもまた、あとになって何度も思い返す教訓のひとつになった。

 

AI警察の手が、宇野の肩に置かれた。そっと、しかし、ふりほどけない強さで。

 

「門田さん」と宇野は連れていかれながら振り返り、笑った。「あの本の続き、門田さんも読んでみてくださいよ。本当に、面白いんですから」

 

それが、私が宇野を見た最後だった――と、ここで書ければ物語は据わりがいいのだろう。だが正直に書いておく。彼女がそのあとどうなったのかを、私はいまも知らない。知らないということだけが、確かなことだった。

 

その夜、私は閉架の最奥にいた。

 

宇野が連れていかれた以上、彼女が読破するより先に、本が危険物かどうかを自分で確かめるしかなかった。失敗作だと証明できれば、宇野は解放されるかもしれない。真の兵器だと分かれば――その先は、考えないことにした。

 

私は第一巻を開いた。自分が作った本だ。註も、典拠も、文脈も、省略せずに組んだ。そのはずだった。

 

凡例を読みはじめた。凡例は、凡例だけで四十七ページ続いた。その中にすでに註があり、註の中にまた註があった。「本書における『本書』の用法は、別巻の付録三を参照」とあり、別巻の付録三には「この付録の意味は、第一巻凡例を参照」とあった。私は第一巻凡例に戻った。戻った場所が、さっきと同じ場所なのか、よく似た別の場所なのか、わからなくなった。

 

一時間が経った。まだ凡例にいた。二時間が経った。自分が何を確かめに来たのか、思い出せなくなりはじめていた。何かを探して歩きまわるうちに、探している対象と自分の区別がつかなくなり、最後には自分が誰だったのかを見失う――そういう探偵の話を、昔どこかで読んだ気がした。私は、自分の本の中で、まさにそれをやっていた。探偵が事件の中で消えるように、作者が自分の作品の中で消えていく。

 

そして、ある註で、指が止まった。

 

四十七ページ目の最後に、小さな註があった。「※本書の真の目的については、読者諸氏が最もそれを知りたくない瞬間に、おのずと明らかになる」。私は、その一文を書いた記憶が、なかった。筆致は私のものではなく、しかし私以外の誰のものでもないように見えた。出典は記されておらず、なのに、世界の誰もが昔から知っていた事実のような、奇妙な既視感があった。

 

そのとき、ひとつの事実が、ずっと前から私の足元にあったのに見ないようにしていた穴のように、口を開けた。私は、この本をいつ書いたのか、思い出せなかった。担当したことは覚えている。校了したことも、配本したことも覚えている。だが、この十二巻と別巻、この無限に後退する註を、自分の手で一字ずつ組んでいった、その夜々の記憶が――どこにも、なかった。

 

怪文堂、という名前が浮かんだ。

 

どの流派にも属さず、社主も所在も誰も知らず、頼んでもいない本が机に現れるという、正体不明の出版社。奥付の発行人の欄に「あなた」とだけ記す版元。実在の証拠は何もないのに、誰もがその暗躍を信じている。

 

考えれば考えるほど、辻褄が合っていった。合いすぎていた。あの本の奥付の刊行日は、なぜか未来の日付になっていた。最初に誰が企画したのか、私は思い出せない。筆致は私のもので、私のものでない。――もし、私が書いたのではなく、怪文堂が私を通して書いたのだとしたら。私という人間が、最初から、怪文堂が一冊の本を世に出すために用意した、ペンのようなものだったとしたら。

 

自分とそっくりの男を尾行し、その果てに、追っていた男が自分自身だったと知る――そんな物語が、世の中にはある。私の場合、追うべき分身は、街にはいなかった。私の分身は、私が書いたと信じていた本の、四十七ページ目の、出典のない一行の中にいた。それは私であり、私ではなかった。怪文堂とは、もしかすると、人の名でも社の名でもなく、誰もが自分の中に持っている「自分が書いた覚えのない部分」の、総称なのかもしれなかった。

 

怪文堂が実在するという証拠は、ひとつもない。それでも全員がその暗躍を信じている。それは、誰もが心のどこかで、自分の人生のいくらかは自分が書いたものではないと、感じているからではないか。怪文書とは、出典のない断定のことだ。そして人生とは、たいてい、出典のない断定の連なりでできている。

 

その怪文書に、栞が敗れたという話を、私はあとで聞いた。彼女は怪文堂の一冊に「(要出典)」を貼ろうとして、貼れなかった。出典を問うことが武器だった彼女の前に、最初から出典を主張しない本が現れたからだ。栞は藪から消えた。註獄社を継いだ姪の栞乃は、「出典がないこと、それ自体を註にする」と言って、怪文堂の本に付箋を貼った。「※本記述に出典が存在しないという事実こそが、唯一の出典である」。その本は翌朝には消えていた。あるいは、最初から、なかった。私たちは皆、出典のないものと戦っていた。私自身が、その出典のないものの、ひとつだったのかもしれない。

 

ここから先は、思い出すのがつらい。だが、書いておかなければならない。書かなければ、それは、なかったことになる。なかったことになったものは、たぶん、いちばん早く、誰かの怪文書に書き換えられてしまう。

 

戦争は、激しくなった。

 

いつからか、藪は祭りではなくなった。月に一度の闇闘技場ではなく、毎日ひらかれる、ただの戦場になった。人が、毎日死んだ。鞄を重くされて潰された者、叢書の函を浴びて頸を折られた者、要約狙撃で「読んだ気」にさせられたまま立ち上がれなくなった者。死因はさまざまだったが、すべては本によるものだった。私たちは、本によって生き、本によって死んだ。それ以外の死に方を、人類はもう、持っていなかった。

 

闇雲も、斃れた。

 

最後の日、彼は全集を函ごと振り上げたまま、敵の鈍器を額に受けて、倒れた。倒れながら、彼は最後の一文を口にした。長く、美しく、終わらない一文だった。「読めぬものを書き、読まれぬまま死ぬ――それこそが、文体というものの、ただひとつの、完成というべきであって……」。続きは、なかった。彼は、自分の文を、自分で読点のところで断ち切って死んだ。息を継がせない文章を信条とした男が、最後に、永遠の読点の上で、息を引き取った。皮肉だ、と思った。だが、彼ならきっと、それを美しいと言っただろう。

 

――いや。「美しいと言っただろう」などと、私は書いた。だが、この「美しい」という語を選んだのは、ほんとうに私だっただろうか。闇雲が死んでから、私の中の何かが、彼の語彙で物を考えはじめている。美。死。完成。肉体。私がこれまで一度も使わなかった言葉が、私の文の中に、彼の遺した刃のように、滑り込んでくる。死んだ者の文体は、その死をいちばん近くで見た者に、感染するのかもしれない。

 

鈍器刊行會は、解散した。

 

黒水が、最後の編集会議で、いつものように一文を終わらせないまま、しかしその日はどこまでも続くはずの文を、不意に、短く切った。「もういい」。彼が生涯でただ一度口にした、短い文だった。会社は畳まれ、社員は散り、私は、残された。残されることには、慣れていた。私はいつも、何かが終わったあとに、ひとり残る側の人間だった。

 

人類の仕事は、さらに減った。

 

最後の砦だと思われていた科学からも、人間は追い出された。だが、追い出された人間たちは、奇妙な方向へ流れていった。彼らは、人文戦争のほうへ来たのだ。そして、人文書の領域が、科学を、内側から飲み込みはじめた。

 

いまでは、アインシュタインの論文を読む者は、いない。あれは、軽すぎて、話にならないのだ。数ページで一個の宇宙の真理を言い当ててしまうあの簡潔さは、もはや、何の戦闘力も持たなかった。シンプルであることは、敗北の同義語になった。物理学徒たちは、いまや簡潔さを憎み、無限に展開できる数式を愛した。

 

物理学徒の標準装備は、いまや、こういう一冊だ。超重量級の、終わることのない一文で書き下された、『オッカムの剃刀の情報物理学的取り扱いに関する統一理論の試論、ならびにその試論が試論にとどまらざるをえない理由についての序説、あるいは前掲の前掲』。タイトルだけで人を殴り殺せた。剃刀で何もかもを削ぎ落とせと説いたオッカムの教えが、いまや、何ひとつ削らぬための、最も分厚い口実になっていた。簡潔さの哲学が、人類史上もっとも冗長な書物になって、戦場で振り回されていた。

 

それを見たときに私が感じたのはなるほどこれは滑稽というほかない事態ではあるのだがしかしその滑稽さの底にある種の否定しがたい美が――と、ここまで書いて、私は、また、やってしまったことに気づく。「美」。私は、また「美」と書いた。闇雲の語彙だ。そして、この一文がいっこうに終わらず、留保に留保を重ねていくこの構文は、黒水のものだ。私の文章は、もはや私のものではない。死んだ者たちの文体が、私という器を借りて、勝手に語っている。これを、書いているのは、誰だ。

 

それを見て、私はひとつのことを決めた。一人版元を開こうと。

 

凡田がそうしていたように。誰にも読まれない本を、誰にも読まれないために出す。鈍器刊行會という看板を失い、闇雲を失い、宇野を失い、自分が誰なのかも失った私に、残された営みは、もうそれしかなかった。私は、自分が書いたかどうかわからない本を、自分の名で出す版元になった。考えてみれば、それは、怪文堂と、ほとんど見分けのつかない仕事だった。

 

宇野が連れていかれたあとも、藪は変わらなかった。本と本のぶつかる音は同じように鳴り、人波は同じようにうねっていた。一人欠けても戦場は止まらない。喪失とは、世界が何も変わらないことの別名なのかもしれなかった。

 

藪のいちばん奥の、いちばん目立たない場所に、ひよりがいた。

 

ひよりは、自分が何者かを知らなかった。自分がこの戦争で唯一どんな兵器にも倒されない最強の兵であることも、崇められていることも、条約の対象外であることも、AIにも怪文堂にも捕捉されない存在であることも、何も知らなかった。ただ、書くのが楽しかった。

 

「今日ね、駅前のパン屋さんで、いちばん大きいメロンパンが買えたんですよ」とひよりは薄い本を手渡した。「うれしくて。だから書きました。それだけです」

 

栞乃が近づき、その一文に「(要出典)」の付箋を貼ろうとした。ひよりはそれを見て言った。「わあ、書き足してくれたんですね。ありがとうございます」。攻撃が善意に変換されて、消えた。栞乃は立ち尽くした。出典という概念も悪意という概念も最初から持たない相手の前では、彼女の技法は、ただの親切な紙きれだった。

 

ロランが、ひよりの日記の上で止まった。「今日はパンを買った、うれしかった」。ただそれだけの一行を、長い間、見ていた。いつものように幻覚を起こしかけ――その背後にありもしない悲劇を読み取ろうとして――できなかった。捏造しようとするそばから、その一行の何でもなさが、すべての捏造をはねつけた。見ていないものを見られるロランが、ただ一度、そこにあるものを、そこにあるものとしてしか見られなかった。そして、その何でもなさに、泣いた。

 

「私は、この一行を、危険物として隔離できません」とロランは言った。「ここには、隠された意味がひとつもないからです」

 

私は、長いあいだ考えていたことの答えが、目の前にあるのを見た気がした。私が自分の本を書いた覚えがなかったのは、その本に、書いた覚えのない意味が、隠されていたからだ。ひよりの一行には、隠された意味がない。だから、彼女は、自分が書いたことを、一度も疑わずにいられる。出典を問われても傷つかないのは、彼女の言葉のすべてが、まぎれもなく彼女自身のものだからだ。怪文堂が忍び込む隙が、どこにもない。私が生涯をかけて手に入れられなかったもの――自分の書いたものを自分のものだと信じられること――を、ひよりは、メロンパンひとつで、すでに持っていた。

 

十一

法廷が焼け落ちた、と聞いたのは、一人版元を始めて、しばらくしてからだった。

 

激しい戦いが、ついにあの仰々しい石の城にまで及んだのだという。どの版の条約で裁くかが永遠に決まらず、審理が一度も始まらなかったあの法廷が、審理を始めることのないまま、燃えた。皮肉なことに、火が回ったのは、証拠として山積みにされた鈍器本のせいだったらしい。紙は、よく燃える。重ければ重いほど、よく燃える。炎に包まれた書物というものは、と、ここで私の中の闇雲が言う、それはおそらく、生涯でただ一度、読まれることの恐怖からも、読まれぬことの屈辱からも解き放たれて、ただ純粋な熱と光の肉体となって、美しく燃え尽きるのであって、その焔のなかでこそ書物は完成するのだ、と――そして私の中の黒水が、その言葉を受けて、しかしながら、と引き取り、しかしながらその完成なるものが、はたして完成と呼びうるのか、それとも単なる消失にすぎぬのか、その判別こそが第二十七条をめぐる根源的な問いであったはずなのであって、と、どこまでも続けようとする。やめてくれ、と私は思う。これは私の文章だ。私が、見たことを、書いているのだ。第二十七条――焚書の絶対禁止、全陣営が唯一心から合意していたあの条項が、戦火の中で、誰の手によるものでもなく、おのずと破られた。それだけのことだ。それだけのことを、なぜ、私はまっすぐに書けないのだ。

 

そして、その焼け跡の戦場で、私は宇野に再会した。

 

連れていかれたきり、消息の知れなかった彼女が、そこにいた。歳をとっていた。私もとっていた。互いに、すぐにはわからなかった。だが、わかった。彼女は、戦場の真ん中で、一冊の本を抱えていた。鈍器でも、ファストでも、日記でもなかった。薄い、古い、よく読み込まれた一冊。私は、その背表紙を見た。ポール・オースターだった。

 

「門田さん」と宇野は言った。「わたし、結局、あの本は読み終えなかったんです」

 

『全註全訳』のことだった。

 

「途中で、こっちのほうが面白くなっちゃって」と彼女はその本を軽く持ち上げた。「あの法廷で、することもなかったから。ずっと読んでました。何度も。これ、誰が書いたのか、ちゃんとわかる本なんですよ。あたりまえのことみたいだけど、それが、すごく、よかった」

 

私は、何も言えなかった。私が一生をかけて失ったもの――自分の書いたものを自分のものだと信じられること――を、彼女は、あの判決の出ない牢獄の中で、一冊の薄い本から、受け取っていた。

 

十二

藪の片隅に、ひよりがいた。

 

何年経っても、彼女は変わらないように見えた。あいかわらず薄い本を売り、あいかわらず、自分が何者かを知らない様子だった。世界が燃え、闇雲が死に、会社が消え、法廷が焼け落ちても、彼女だけが、最初と同じ場所で、同じように、書いていた。

 

私は、近づいた。確かめたいことがあった。あの頃、彼女のメロンパンの一行の前で、ロランが泣いたこと。栞乃の註が善意に変わって消えたこと。彼女だけがこの戦争の唯一の勝者だったこと。それを、彼女自身は、覚えているのだろうか。

 

「ひよりさん」と私は言った。「覚えてますか。前に、藪で」

 

「えっと」とひよりは、にこやかに、しかし完全に他人を見る目で、私を見た。「ごめんなさい。どなた、でしたっけ」

 

覚えていなかった。私のことも、ロランのことも、栞乃のことも、何も。彼女は、誰のことも覚えていなかった。覚える必要が、なかったのだ。彼女は、自分の今日だけを書いて生きていた。昨日のことも、誰と会ったかも、自分が何を成し遂げたかも、彼女にとっては、書き終えたそばから、どうでもよくなる。それこそが、彼女が無敵だった理由の、最後の一枚だった。記憶しないこと。執着しないこと。怪文堂が忍び込む隙も、戦争が傷つける足場も、最初から、持っていないこと。

 

「いや、昔、あなたの本を」と私は食い下がった。なぜそうしたのか、自分でもわからない。たぶん私は、この戦争で唯一幸福だった人間に、自分を覚えていてほしかったのだ。自分が確かに存在したことの、証人になってほしかった。みっともなく、私は言葉を重ねた。「あなたのメロンパンの話を、AIが、泣きながら――」

 

ひよりは、困ったように笑って、隣に声をかけた。「ちょっと、この人――」

 

男が来た。彼女の連れだろうか、それとも用心棒だろうか。男は、見たこともない特大の一冊を抱えていた。超重量級の、函入りの、ありえないほど分厚い本。背表紙には、こうあった。怪文堂・刊。そして、書名は――『全註全訳 第十三巻』。

 

『全註全訳』に、第十三巻はない。私が作ったのは、全十二巻と別巻だけだ。十三巻など、書いた覚えも、企画した覚えも、ない。だが、それは確かにそこにあった。私の本の、書かれなかったはずの続き。そして、ひとめ見た瞬間に、私にはわかってしまった。これは、正しい。私が十二巻で力尽き、別巻でごまかし、ついに書けなかったその先を、誰かが――あるいは私の知らない私が――正しく、書き継いでいた。註はさらに深く後退し、典拠はさらに遠くまで伸び、文脈はどこまでも省略されずに連なっていた。私がたどり着くべきだった場所に、その一冊は、すでに立っていた。書いた覚えのないことが、これほど正しいということが、ありうるのか。私が間違っていたのではない。私が、足りなかったのだ。

 

男は、それを振り上げた。

 

最後に思ったのは、奇妙なことだった。私を殴り倒そうとしているこの一冊を、私は、書いていない。書いていないのに、それは私の本よりも正しく、私の本よりも重く、私の本が向かうべきだった場所に、すでに到達していた。私が一生をかけて書こうとして書けなかったものが、私を抜き去り、いま、私を打ち倒そうとしている。私は、自分とそっくりの、しかし自分よりずっと優れた分身に、ついに、追い抜かれたのだ。追いついてきたのではない。とうに、追い抜かれていた。

 

質量が、振り下ろされてきた。軽い私の上に、途方もなく重い、嘘の一冊が。アインシュタインも驚くだろう、と私は思った。これだけの質量があれば、嘘も、真実と同じ重さで、人を殺せる。

 

十三

――だが、ここで、ひとつ告白しておかなければならないのであって、というのも、これから私が書こうとしているこの最後の場面なるものが、はたして私の見た光景なのか、それとも私の中に巣くった死者たちが、私の手を借りて書きたがっている、彼らにとっての美しい結末にすぎぬのか、その境界は、もはや、と――

 

ちがう。

 

こう書こうとするたびに、文が伸びる。闇雲の美が、黒水の韜晦が、私の指を乗っ取る。死んだ者の文体は、生きている者より長く生きる。私は、闇雲でも、黒水でもない。だが、私が私であることを証明できる文章を、私はもう、一文も持っていない。

 

それでも、これだけは、書く。短く書く。私の言葉で。

 

いま書いているこの記録を、本当に私が体験したのか、私には確信がない。あの一冊に殴り倒されたあと、私が死んだのか、生きているのかも、わからない。これから書く場面が、記憶なのか、夢なのか、誰かが私の名で書いたものなのか、区別はつかない。ただ、この最後の場面だけは、どうしても、書いておきたかった。たとえそれが、起こらなかったことだとしても。

 

藪が片づき、人々が家へ――あるいは献本に潰されて家と呼べなくなった何かへ――帰ったあと、読屋は閉架の最奥に立っていた。あの、書評家になって三十年、三百六十回家を潰されてなお読むことをやめなかった、最後の読者だ。

 

私が、彼をそこへ導いた。自分には読めなかったからだ。この本を読み通せる人間がいるとすれば、三百六十回家を潰してでも読むことをやめなかった、この男しかいない。読屋が読み通し、失敗作だと証明されれば、宇野のようなものが出ないかもしれない。真の兵器だと分かれば――あるいは、誰が書いたのかという問いの答えが出てしまえば――その先を、私はもう考えられなかった。

 

読屋の前に、『全註全訳』全十二巻と別巻が、人を埋める重さで横たわっていた。読めば、確定する。人類を救う本だったのか、ただ分厚い徒労だったのか、AIを壊す兵器だったのか。そして、その一字一句が本当に私のものだったのか、怪文堂が――あるいは私の中の、私の知らない私が――書いたのか。読まなければ、それは永遠に、そのすべてでありつづける。宇野も、解放も断罪もされないまま、宙吊りでありつづける。私も、自分が誰なのかを確定させないまま、生きていける。

 

読屋は第一巻に手をかけた。凡例の、最初の一行に、指が触れた。

 

そして、彼は手を止めた。

 

私は、止めてくれ、とは言わなかった。読んでくれ、とも言わなかった。私はただ、彼の指が一行の上で止まるのを、見ていた。読めば、終わる。終われば、誰かが救われるかもしれない。だが読めば、この本がまとっていた「分からなさ」は二度と戻らない。そして、私が誰なのかも、確定してしまう。彼の指は、進むことも退くこともできずに、止まっていた。

 

止めたまま、どれだけの時間が経ったかは、わからない。彼が本を開いたのか、開かずに三百六十一軒目の家へ逃げたのか、戦場で再会したあの宇野がいまどこにいるのか、焼け落ちた法廷の灰がどこへ流れたのか、私を殴り倒した嘘の一冊の下で私が死んだのか生きているのか、そしてこの本を書いたのが私だったのか、私でなかったのか――それを、私はいまも知らない。知らないということだけが、確かなことだった。物語というものは、たいてい、答えが出る手前で終わる。出てしまった答えは、もう物語ではない。

 

確かなことは、ひとつだけだ。あの戦争のあいだ、ひよりは、ずっと無敵だった。覚えないこと、執着しないこと、自分の今日だけを書くこと。怪文堂が忍び込む隙も、戦争が傷つける足場も、彼女は最初から持っていなかった。彼女だけが、自分の人生の、唯一の著者だった。

 

私は彼女を見つけ、彼女に一声かけた「日記を、書き写させてほしいんだ」

 

どうして、と彼女は言った。でもすぐに応じてくれた。

 

そして、彼女の横に座り、彼女のノートを覗き込んで、私は、息が止まった。そこには、いつものメロンパンも、空の色も、なかった。代わりに、こう書かれていた。「すべては一冊の本から始まった。いや、正確に言えば、一冊の本が読まれなかったことから始まった――」

 

だから、いま、わかる。

 

私は、この日記を、書いているのではない。私は、ひよりの書いた文を、一字ずつ、書き写している。

 

◆著者プロフィール

猿場つかさ(さるば・つかさ)SF作家/文筆家/第6回ゲンロンSF新人賞/ 陶芸SF「長い鰭で未来へと泳ぐ」、書道SF「◯」、中国画論SF「画牌する叛乱者」/ 小説を書き、お茶を点てて暮らしています。
そんなの(S) 不可能(F)が主戦場です。

 

※次回作の公開は2026年6月17日(水)18:00を予定しています。

※本稿の無料公開期間は、2026年6月17日(水)17:59までです。それ以降は有料記事となります。

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