◆作品紹介
記憶は蓄積ではなく、その場で立ち上がる――何度も、何度も、確率的に。
本作は散乱する生活の所作(掃除、呼吸、歩行、パスタ)をプロトコルに、現実の目盛りを毎回書き換える。多重化する「彼女」、魔女の祖母、猫の不在。言葉を飲み、沈黙に蓄積された意味が部屋の長さを伸縮させる。もし基底現実がないのだとしたら、僕たちは僕たちのやりかたで測り続けることでしか「いま・ここ」を選べない。友達の予感だけを頼りに、僕たちは現実を探り当てる。(編・樋口恭介)
以下、記事の本文です。
ちぎった地図を好きなように貼り直す。
そうすれば、みんなと隣同士になれるから。
武器を持って。なんでもいいよ。
誰かが戦わなきゃいけないから。
そういえば、あなたは何のために戦ってるの?
規則
現地は、石の温度や血糖値や雲の重さの側にある。
反応は、それに触れた皮膚のほうへ湧く起伏、声帯の震え、祭壇のうわごと、計器の針の震えなど、複数の観測によって環境に所持される。
1:剥離
反応は現地そのものではない。
反応は、現地と受器の契約によって生まれる。反応は現地の似姿をもつ。
2:運搬
反応は現地の構造をときに滑稽に、ときに正確に運ぶ。
祈りは季節ではないが、祈りには季節の匂いがうつる。検査値は肝臓ではないが、肝臓の皺が数字に生える。など。
3:堆積
反応は重なる。
積み上がった反応は、文明の生み出した二次的な現地を曲げる。気がついたら、裸足で暮らしている。土だと思って踏むそれが砂だったことがある。
4:反転
充分に厚い反応は、現地の振る舞いを変質させる。もとは図だったものが、ゆっくり曲がり直して地に戻る。
使用
低温で扱う:反応は過熱しやすい。怒りは炎症、恍惚は低血糖に似る。まず水。
境界を敷く:反応は伝染する。隔離には換気が必要とされる。
現地の尊厳:反応が厚くなるほど、現地は無言になる。あなたは地面を握る。沈黙を待つ。数字を握っていたら、手のひらを閉じても構わない。
忘れる権利:あなたが常に現地である必要はない。
以下、再現。
思い出すことはいつだって断片だけで、僕は部屋の片付けがどうしても苦手だった。つま先立ちをしたらすこし遠くまで見えるかもしれない。梯子に登ったらどうだろうか。でも、こう言われたのもちゃんと覚えてるんだ。
「そんなとこで遊んでないで降りなさい!」
同じアパートにいた少し年上の友達と、階段の踊り場の壁を登って、自転車置き場の屋根に飛び降りたんだった。カードゲームと、タンバリンと、あとなんだったっけ。
「ここをいまから新しい家にしよう!」
あれからどれくらい経ったんだろうね。今もう、はっきりと思い出せない。
だからこれは例え話だ。
1
みんなおはよう。覚めた目を曲げる。挨拶をしたのに、病室では現地はついに誰のものでもなかった。白い壁は白いけれど透明な気がして、しかもずっと遠くまで何層にも仕切られているみたいな気がする。机の上には三つ折りの地図があって、開くたびに紙の繊維が雪みたいに剥がれ落ちる。これを使って色んなところに行きたかった人は今は眠っていて、僕は紙の繊維を拾って見つめながら眠っている人の声を想像した。聞こえる音は、友達の声そのものではない。誰ですか。はじめまして。ねえ、ほんとは久しぶりなのかもしれないね。僕が頷いて、眠っている人の代わりに医者が話した。
「ずいぶん会ってなかったね」
「お久しぶりです。こっちも忙しくて」
「そっちは元気?」
「まあ、なんとか」
僕は元気だったよ。僕は元気です。
さっき枕だった個物は立ち上がった猫とその嗚咽になった。眠っていた間iPhoneに流れていた映像の一つだっただろう。そういう目の覚め方が枕だったということになる。そうしておく。通販で見てAmazonで買ったから間違えたのかもしれない。世間では低反発の流行りが落ち着いて、高反発なやつが少し売れたあとに睡眠薬が流行った。偽の記憶とは違うだろう。信号があれば色が違うだけで役割が同じだ。模様替えにはいい季節だろう。それを春と呼んでいい。
「じゃあ犬でもよかったってことだ」
誰もいない部屋でまるで目の前に耳の遠くなったおばあさんがいるみたいに話した。アレルギーがあるから犬が来たってのはまずいと首を振ったけれど、話が一歩進むかと難しいことを期待しながら黙った。自分からアクションを起こしたって部屋は昨日散らかしたままだし、いない猫とそのゲロに権利を主張しておくしかなさそうだし、ましてやドアの外にそこまで期待していたわけでもない相手が来てくれて全てを認めて立っている事態の方が危うい方向へ押し込めているけど、結果助かるよな、そうでなければ無茶とか体が扉を通らないよな。梱包のために進み出さない品物のせいで部屋が片付かない、あちらの箱の中の物でない自分に似た妖精があったのかとそういう人間がいる。綺麗な直線が描けないから細かく線を重ねて誤魔化しながら描いた子供の頃のイラストみたいに背中や腕の輪郭を継ぎ接ぎする感じを何度か確かめた。いつまでもチャンネルが変えられない。テレビじゃなくて目だった。寝室。
友達が眠ったのは今から■年くらい前のことだった。
歩道の白線がまだ濡れていて、信号の青が水たまりの中でゆっくり呼吸していた。遠くで車の窓ガラスが猫の目みたいに瞬き、近くでは、コンビニの袋がひとつだけ風に持ち上げられてまた落ちた。彼女は歩いていて、道の端の視界に、赤い尾が伸びているのを見たかどうかは、もう誰も言わない。音がひとつ崩れて、いくつかのものが形をやめた。夜の端がくしゃりと丸められ、アスファルトに紙屑みたいに散った。
朝になって、そこに花が置かれた。空き瓶の水はすぐに温み、誰かの指の跡のついたラップがほどけていく。白い塩が小さな山をつくり、風に少しずつ欠けていく。猫が一度だけ通りかかって、砂と一緒にその塩を鼻で動かした。歩道には、粉になったガラスが混じっていて、陽が当たると、川みたいに光った。
今、同じ光が、病室の白い壁にゆっくり移ってくる。眠っている彼女はもう死んでいる。死んだら眠れないのか、死んだらずっと眠るのか、区別に意味がなくなっているのに彼女はどっちも選んだ。それらは全てそれぞれに全然別のことのように感じたし、昔から変なことばっか考えたから仕方ない。
「ねえ、先生」
僕は夢のことを話してみる。誰かの夢のことが聞いてみたかったから。
「沈む夕日が、手のひらでぬるく震えてたんだ。握ったら、骨がじわって溶けて、そこから鳥が逆向きに出てきたんだよ。足から」
思考は意味を失って、ぬるくて、粘膜みたいに脳の中から漏れ出して体の全部を浸す感じがする。眠ってる友達が生きてるのか死んでるのか、僕は何の権利もないのに外から勝手に判定しなければならない。遠くの戦いの勝ち負け、優劣、何にも分からない。だけど誰もルールは知らないから仕方がない。白紙のルールブック、ただ真っ白な室内の温度。全部、熱くも冷たくもない。
2
朝起きれないのがどこまで金銭の問題なのか悩んで数秒で問いごと捨てる。食ったバナナから〟It feels great.〟という文字列が飛び出して、鼻に抜けたところで呼気とぶつかる。昨日の寝る前から水分摂ってなかったなと気づいて朝食を中断した。水道水を飲んで、あと三分の一くらい残ったバナナを食べたいけどもう朝食を終わったことにしちゃったから食べられない、昼頃にお腹空いたらどうしよう(あ、でもこの場合は「朝にお腹空いたらどうしようか」でした)朝にお腹空いたらどうしようか今のうちに考えておく。毎食後飲む錠剤を飲むところまでを食事としてもいいことにした去年の夏、散歩道に落ちていた小学生の上履きを齧ったところから納得のいく食事スタイルを確立しきれずにいる。生活空間の可食部の少なさに呆れる。製造メーカーの怠慢。空飛ぶ車の前に食えるアスファルトだろうが。幼い頃はクラゲを食べたかった。小さい頃は神様がいて、いなくなっても味がせず、不思議に夢も叶わないから、まだ僕たちは何も手にしていない。少なくとも僕は。
「ぬるい牛乳のほおずり」
昔国語の授業で俳句にそう書いたら先生に褒められて、それを今も覚えている。膜が頬に貼りついて、それはもう皮膚になった。曇り空がいつの間にか天井に塗り広げられていて、やっぱり誰かが牛乳をこぼしたから新しいのを買ってこないといけない。遠くから集めてみたら、祈り、検査前の禁食の告知、祖母の「ようけ飲みや」という方言のやわらかさ、点滴列車の車掌の白手袋で、どれも違ったけれどうまい割合で混ぜれば紙パックの牛乳が生まれるのかもしれないなと思った。
「先生、窓、あけますか」
「低温で扱う、だったね。まず水」
また来た。もうすぐ冬が来る。窓を開けると冷たい風が呼ばれる。部屋の中の空気がもう十分に外から運ばれていたから、その後で窓を閉めると、ずっと、遠くにいた人の考え事ばかり思い出してしまう。世界がどこも同じ温度になって、違う場所たちが、ぽた、ぽた、と流れながら互いの音を覚えて同期しようとする。例えば僕が聞こえる声に頷いていると、遠い路面電車の中で誰かが「牛乳を買って」と言った記憶がここに持ち込まれる。パターンに従っておけば一応そつなく生活することはできるけどそこからどう逸れるかが人生だろ、面白ポイントだろ、みたいなありきたりな人生訓をまともに採用することにしておいて、
「でも、それだとつまんない」
と僕は言った。
「つまんなくない人生なんてつまんないよ」
とも僕は言った。はずだ。
僕はもうここに来たくないのかもしれないと思っていた。筋をしっかり通そうとしたけど言うべきことだと判断した言葉を飲んだ。言葉を出すなと自分に命じるのは、自分の言葉が他人の言葉にかき消されて聞こえなくなるからだ。言わない言葉は消えない。言ったことから忘れてしまう。言わないことは身体に溜まって、いつか噴き出すのを待つことになる。気分転換になるならいいけれど、ただ疲れるための方法だったらどうしよう。
「ねえ先生、この建物、真っ白でしょ? 寂しい場所だと思ってたけど、そうじゃないって気づいた。色は一人ずつにあるんだね。そこでさざめいてる。鳥がいて、参照の切れた言葉たちが、まだ、歌を忘れてない。それが鮮やかだね。よく見たら気づいた」
そう言って自分ごとみんなを元気づけた。みんな喜んでいた。はずだ。
上京直後の四月にワンルームが天高く積み上げられて膨れ上がる話を聞いてから半年、その噂が現実になる気配は一向になかった。「不動産投資はやめときなさいって言ったでしょ!」 野良猫の鳴き声だった。お金じゃなくて広い場所が欲しいだけなのに、みんな逆向きに考えているらしい。僕はまだ生きている。ワンルームも生きているから、つまりワンルームの夢も生き続けているということだ。ワンルームが夢見たのは東京にいる僕だ。その僕は、今よりもっと若くて、金がないからアルバイトをしていて(していない)、そしてまだ生きているだろう。言葉を飲むのはそのことに対する恐怖だ。いつまで経ってたってほんとうのことにならないから困った。具体的なものが帰った。帰る家があるのか。借家? 不安を全て排除した上に成り立っている生活だから夢が膨らむのは当然だ。でもその当然が僕を不安にするし、僕は一口に現実ばかり語ろうとしながら自分の夢も語ってしまう。自覚する度ごとに少し悲しくなったりするんだろうと思うけれど、それを言葉にすると嘘っぽくなるのでやっぱりやめておくことにする(そしてまたそれが嘘だよ)。
バナナの皮で滑るタイプの床だった。頭が揺らいだんだと思いながら体を起こし、唾液に濡れ汚れた布団を見ていた。高く隆起している部分から寝室を見失わない形でバナナの皮が何枚も並んでいたよと握られた記憶を一度成立する前に殺しきれば苦労した生活から苦労の一つが消える。緩く湾曲した廊下をいくらなぞっても痛みの赤い点滅の方が頭に咲く。荘厳さに迎えられて、それではない慎重な歌声に押し包まれて、背景でピントが合ってないくせにやたら主張してくる昔の自分のことを見ないようにする。その圧迫感に、
「あ」
って言いそうだったから五分くらい黙るために体を捻った。
きっと由来のわからない罪が僕に蓄積していた。嫌なことばかり続いた。れで僕はまた少し大人になった、かも。知らんけど。どうでもいいけど。僕は僕を信じられないくせに僕自身の嘘を十分に信じていたから、噓を話したら本当のことになりそうでそれが怖かった。僕って誰だろうか。ここってどこだろうか。頭が痛い。なんか、視界が歪んでいる。真ん中で破れて左右に裂けている。でも、眼球がそういう配置だからこっちが普通だったのかな。普通が分からない。みんなこうやって裂けた視界を器用に使い分けていたってことか。なるほど僕も少しずつ生活を、社会を理解しつつあるのかもしれない。
また病院に友達の様子を見に来た。白い日差しが塗り広げられて、点滴の滴下が、はいはいする赤子みたいな列車になっている。整列して規則正しく、ゴト、ゴト、と腕まで運ばれてくる。
窓を開いて、しばらくの後閉める。
3
「説明するね。いまの彼女は――現地なんだ」
「先生、窓、あけますか」
「低温で扱う、だったね。まず水」
冷たい風が呼ばれる。この場の熱も、風の揺れも、水面で束ねられる。空気が野良になって動き回る。紙コップを掴んで点滴が入ってないか気にする。人の体のほとんどが水だから、宇宙人が見たらかしこい水筒だと思うかもしれない。僕は飲みながら考えていて、彼女に繋がれたいくつかの管がそのまま海に続いているみたいに感じた。
〈北欧家具が好きなんだよね〉
〈明日、デモに行く〉
〈神棚の埃を払って〉
〈CRP、もう少し下がるといいね〉
声が一つずつ、やさしく互いにこすりあう音がする。そのさらさらと砂を流すようなノイズが、少しずつ大きくなる。ここに運ばれてくるから、距離が近くなって、まだ音量が上がる。まだ、まだ上がってる。ずっと響く。もう元の音は何も聞こえなくてそのノイズだけが耳に張り付けられたみたいだ。
昔のことを思い出した。
出会って最初の日、彼女は給食の牛乳の蓋を耳に貼った。
「これで風が聞こえるんだよ」
冗談だったけど、僕は信じた。冷たい感触で音が丸くぼやけたら、彼女は笑っていた。そうやっていつもふざけてた。いつもうしろからわっ! ってびっくりさせてくるから、ぼくはさいしょはいやだったけどいつもやってたらたのしくなりました。だった。なれたら牛乳の蓋なしでできるようになった。ずっと練習していたらどんどん音量が大きくなった。地上の喧騒が全て聞こえてくる気がした。歓喜の雄叫びも、呻きも、一息にここへ集まってくる。青色だな、と思った。青、蒼、藍、碧、少しずつ時間をかけて適切に説明できる色の名前を探してみたけれどそういえば、眠っている人は目を閉じているんだった。
「世界中の声を集めたら青色だったよ」
寝ている人に話しかけてみた。起きているとき絵を描いていたから、色の話をしたら何か語り始めるかなと思った。起きているとき音楽を作っていたから、音の話をしたら何か語り始めるかなと思った。
後ろから
「わっ!」
眠っている人が立っていた。僕の耳にノイズしか聞こえなくなった今がチャンスだと思って脅かしに来たみたいだった。
「なんだ、久しぶり。ていうか起きてたんだ」
「握手をしよう」
それから少しずつ体の線が入れ替わる。一本ずつ、設計をやり直すような操作、その強引さを笑う。すかすかの布のようになって、僕の中に風がよく通るから涼しい。でも窓は閉めていたから空調の風かな。それとも記憶がたくさん交通しているのかな。ノイズは少し軽く、風のような音になった。背中に固められていた空気が次第に根拠を取り戻すように、形を帯びてこの場所に親しさを取り戻そうとしている。いくつかの認証をパスしないと形と意味は結び付かないことになっていて、自分が自分であり続けても扉は鍵を必要とする。次第に輪郭を取り戻して、また僕がここにいていいんだろうという気がしてくる。それが嬉しいことだ。嬉しいと思える。視界が真っ白だったけれど気にしなかった。
何も言わないまま、彼女は自分自身であるはずの身体をどかして床に投げ捨てて、何か警報が鳴るはずだけど僕には聞こえないから慌てて戻そうとしていたらやって来た医者は眠っていた彼女がそこに立っていたので「これでは我ら、立つ瀬がないではないか」と漏らし、腕を思い切りかじってそれを契約違反のペナルティとしていた。しばらく床にうずくまっていたがもう部外者なのでなるべく早く施設を立ち去るべきで、腕を庇いながら足早に去ろうとすると資格取得は目的じゃなくて手段だよなと常識的な教訓に立ち返ることになった。白い床に血のシミができて、僕には花が咲いたように感じ、赤、青、白、トリコロールを纏ったこの場所はいつだって戦いの場であったのだと今更ながらに思い出したのでありました。しかしそれで「めでたし、めでたし」とはいかず、こんな時代なのに制度も倫理も、死んだ人が蘇った時のことは何にも考えていないままだった。彼女は部屋を出て帰った。僕はそういえば頭を打ち付けていたんだった。交代の時間かと察して僕が眠ろうとした。空き病床は不足していて、いつかはそうなる運命だったんだろう。横になると末端から感覚が痺れてくる。指は点滴のテープの端を触れるけど触れていない。指の使い方を楽しく忘れた。白色の夜が降りてきて、夜空が黒いのは製作者の意匠に過ぎないのかと気付き、生者に許されない色に満たされた場所を天国と呼ぶんだと知る。地獄には色がないだろうな。色程度の娯楽すら許されないだろう。殺風景、というのはうまい言い方だと思う。真っ白な天井がどんどん遠ざかって額の上に波が立つ。人間はみなかしこい水筒でしかない。 ワインを熟成させるための地下貯蔵庫のようなイメージが浮かび、遠景へと引き延ばされていつの間にか地球だった。審判の時まで熟成されて、初めて味を試される液体。少し首を持ち上げると彼女が医者と話しているのが見えた。もう場面転換が終わっていたんだろう。
「私は現地で、あなたは反応だった。たまには交代が必要でしょう?」
畳まれていた海岸線がほどかれて、僕は眠気に耐えきれなくて目を閉じた。そういえばいつから私語を信じるようになったんだろう? 誤変換があったけれど修正する時間が僕には残されていなかったし、私語が死後だったとしても、どちらにせよ生きる魂の制作物だったから手放すほかなかった。
4
きっと由来のわからない罪が私に蓄積していて、それで目が覚めたらこの空間に閉じ込められていた。ぶつかり続ける10メートルくらいはある鉄柱の間に勝敗をつけなきゃいけないって直感だけが外から差し込まれて、何も判断の基準がない。白色は色であることをやめ、温度になった。乾燥、唇の皮がわずかに剥ける。私は数える。1、2、3、衝突。1、2、3、衝突。棒Iと棒II――鉄が互いを叩き、空虚のなかで音だけがぬめりを持ちはじめ、触る指に付着する。
棒Iと棒IIは挨拶を練習しているだけかもしれない。よく知られたように鉄は冷たい時は不器用なので、挨拶するとき時は体をぶつけあう決まりになっていて、空間が裂けるような音が鳴る。ぶつかると離れ、私には見えない場所まで遠ざかっていく。そこから加速をつけてまた私の目の前までぶつかりにくる。無音の時間は長くて、残されるただ真っ白な空間は海のように広くて、決定的に暴力的な衝突を目の当たりにするのとは異質の恐怖がある。私はぶつかった回数を数えるようにしている。何らかの法則や例外の発生を確かめてみたいけどただ頭の中で数字が増えていくだけでその値がちゃんと正しいのかも本当はわからない。数字は救済でありノイズであり、とりあえず何をかもを数えるべきだと思った。遠ざかり、ひしゃげるような金属音以外にここには何もなかったから。私がここに来てから二万回くらいぶつかってる。数字は硬い。言葉は柔らかい。ひらがなは、指で押すとへこむ。何でこんなとこに閉じ込められたんだろ。きっと私は酷いことをしてしまったんだろう。だから頭の中で過去のことをずっと思い出そうとする。待ち合わせに遅刻した日のこととかドタキャンした時のこととかゴミポイ捨てした日のこととかを一個ずつ思い出してたらちょっとずつうまくなってきたするけどだからってどうなるとかは分からないままで、でも私がここに連れてこられたことと私の過去がもし繋がってるとしたら絶対に記憶の中にヒントがあると思うから私は頭の中の数字を器みたいな場所に大切にとっておいて鉄柱が遠ざかっていく間は必死に昔のことを考えていた。助けてください。
「あ、あ、あの、今から予約って可能でしょうか、あ、今は満席なんですかすいませんあ、あ、あ、あ、あ、あ、どうしようどうしようどうしよう、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、駅前でおすすめのイタリアンってどこかな。最悪鳥貴族でいいという説もある、説ね」
郵便物を集める役をやったことがある。地下鉄の乗り口は変わらないからその辺りに立っていれば毎朝、朝飯を食いに行く人が見付かった。お前誰? という顔をされ、あ、そうか説明せんと分からんかと納得して、説明して、その人が持っている封筒を見て、受け取った。仕事の話や家庭の話、学校の話、友だちの話。私はなんでも聞く立場に回った。ただ何を送ったのかだけは聞かなかった。誰かが「あなたとはまたお話ししてみたいですね」と言った。その後その人は来なくなって、もう一度会うことなんてなかった。別の日にはおばあさんがやってきた。雑談にしっかり時間をかける私に満足して住所氏名の自動ではない生まれ年を筆ペンで書き始めて、封筒は毎日同じだったし、中身の手紙も同じで差出人の名前だけが違うものだったからそのことについて昼食を食べながら尋ねた。行く店はファストフード店からいい感じのカフェになった。子供の時から付いてたでしょと言われて口についてた烏龍茶を拭いてくれた。無駄の(余裕の)あることだなあと思うけど体の方は不安みたいでさっきからサンドイッチとオレンジジュースとコーヒーしかない注文なのに青椒牛肉絲を見ている気持ちがする。
「誰に書いてるのか聞いてもいいですか?」
私は初めてそのことを聞いた。
「そのうち分かるカモ」
「あ、きっとお孫さんとか」
「さてどうかな〜(手を羽根みたいにパタパタ)」
話すことが無くなったら買ってきた『地球の歩き方』を適当に眺めていた。国ごとにその国なりの青椒牛肉絲やそれに準ずる食べ物があるかもしれないけれどまだ分からない。海外に行ったことがない。飛行機が好きだからいろんなところに飛んで行きたいなと思った。家には材料がある。ドアに鍵がついていなくてノブもなくていつも隙間風が入って風邪でもないのに寒い。琥珀色に褪せた古い壁が頭の中にちらっと出て、あの壁って最初は真っ白だった、きっと何十年も昔のことだった、手紙が貼り付けてあった、きっと遠い友達からの手紙で、その人は本当は病気で死にそうなのにそのことを書かなかった、だから残された時間なんて僅かなのに二人は日常の些細なことばかり伝え合っていた、駅前にできた新しい店の話だった、今はフランチャイズ展開して全国に何店舗もあった、でもその時はまだ小さな、夫婦でなんとか切り盛りしてる小さな店だった。きっと幼い頃言ったのを思い出したのかもしれない。味が、香りが、詳細に! 色彩に音があるかの如く鮮明に! という絶賛の嵐でテレビを賑わす店もいいけど、私はあの味の方がずっと好きだった。
おばあさんの家に招待されて、チキン南蛮をご馳走になった。インスタントコーヒーの粉をラベルに書かれた倍くらい入れるから、途よ中からずっと胃もたれしていた。
「足は丁寧に研いだ石斧みたいなものなの。半自動式振り子」
おばあさんは話し始めて、すぐ眠って、また起きて話したことを全部忘れて別の話を始めたり始めなかったりした。もう帰るんで休んでくださいよと言いたかったけれど、起きるたびのおばあさんがいちいち久しぶりの来客に喜んでいたからできなかった。おばあさんの家には玄関に大きな振り子時計があった。それが足であり、石斧であるとはどういうことか考えてみた。長い時間を生きた重みを感じて、眠っているおばあさんを置いて玄関の時計を見ていた。揺れる動きを眺めていた。あぁ、私はおばあさんの家にいるんじゃなくて、鉄の棒がぶつかる部屋にいて、これは記憶の再現だったってそれを見て思い出した。そしてちょうど次の衝突が起こる。衝撃波に吹き飛ばされて、振動の余韻が内臓ごと震わせている。すぐに高速で遠ざかって、私の視界には白しか残されず、白色は静物画の背景ではなく手袋の色だった。白手袋の内側に汗が溜まっているのか? 私はそれを外したことがあるのか? 陰謀めいた想像に新しいアイデアが足されたけれど勝敗の判定に寄与する見込みはなくて、頭を掻き毟って自分自身を裏切るだけだった。どうすればいいんだろう。生きるために必要なのに自分自身の内臓を自分で確認したことがない。だからやっぱり切腹が一番生きるために必要なのでは!? 鍵盤のように組まれた骨。あばらの白鍵を順番に押すと、過去に指を噛まれて、そのせいかは分からないけど胸が苦しくなる。心臓ある心臓ある心臓ここにあるからセーフ。ていうかここどこ? ずっとここどこ? 私は落ち着いてねはいすいません。よし! マジで今から落ち着くぞ〜! そういえば卵かけご飯はポン酢で食べます。醤油よりさっぱりしてて、朝はそれに小ねぎ散らして食べるんですよ。多分珍しいですよね、いや私も自分でそう思うんですけど(笑)やばい、ずっと自分だけしゃべっちゃっててすいませんどうしよう頭の中で独り言止まらない(笑)私偉いですよねこうやって自分のパに食っている状態に対して自覚的で(笑)全てのことに自覚がある(笑)そうしないと、自分が他人から見て変なことしてないか心配じゃないですか(笑)一人残らずやかましいだよクソが。頼んでいた調味料が置き配で届いてる。自給自足がマイブームなのでした。職業作家、職業擦過? 幼い頃から虚弱体質だった私はそれこそ赤ん坊の頃から嘔吐を繰り返していて、給食で苦手なものを食べたり、体調がすぐれない時はよく教室でいきなり吐いて授業を中断させてました。幼稚園児だった私も流石にそのことを深く反省し、その日の夜には対策委員会が発足、早速脳内会議を開いて検討することとなってもうねむたいです。夢を跨ぐ私はパスタの中の一本の麺であるらしい。この際ソースの種類は問わないとして、しかしこの世界線(世界麺?)を生きている私は絡まり合った自我の一本でしかないみたい。麺の茹で加減を確認する時に拾い上げられる幸運な一本のみが麺自体として触知されるのであり、それ以外はパスタという全体の中に埋没した諸要素でしかない。しかし、そんな麺たちも煮湯の内に死を待つのではない。パスタを作る者は、まさしくお湯の中でたった今し方茹でられた「この私」を取り上げる自我の助産師であり、混沌に満ちた俗世から不可知の力によって救済へと導く神のロールモデルを体現している。我々の大いなる救済。
「あなたのお家はここより高い場所にあるの? 低い場所にあるの?」(すうすう)
「私の夢の中の一角獣は人間を介さない一角獣として起きているの」(ぐうぐう)
「風邪薬を切らしてないか見てきてくれない?」(うとうと)
「最初に猿になる人間のすることは預言者への転職に似ています」(ぐー)
「りんご、洋梨、洋梨、なすび 間食困ることはないわ!」(ぐがー)
「あんよがじょうず あんよがじょうず 持ち前の感性」( )
「久々に計算ドリルなんてやってみようかしら」((笑ってる))
「片目を諦める黙読だって最近の誰かの発明なのよ」(べちゃ)
(おばあさんの発言 一部抜粋)
5
部屋の埃は自分で体の向きを変えている。風が必要ない。戸締りを気にしている。部屋の中ですよ。いつから清掃していないのか。眠っている。生まれたての子供はあっという間に自らの大きさを二倍にも三倍にもしてしまう。泥は水と土の幸せな結婚で、いつか幼くなった人が手で固める。
「そういえば、失礼かもしれないんですけど、旦那様っていらっしゃるんですか」
「もうとっくに死んだの。お風呂場で。いつの間にかね。ほんとにいつの間にか」
「はっっははっはははは!!!!!(爆笑)」←笑っちゃダメな時に笑うクセ
「あなた風邪ひいてない?」
「煙は吸いませんが……」
煙草を吸い続けて煙たくて咳が出るし眠たくなる。そんなに部屋を部屋にして外を外にしなくていいんじゃないのと思うけど自分の都合じゃない。眠るのは自分の都合か。ベランダにたくさんの野菜と花。眠っている間にずっと大きくなっていても不思議じゃない。寝室を取り囲んだ蔦が、まだ書きかけだった手紙のいくつかを土に溶かしてしまう、その時に初めて届く言葉もある気がした。取り壊す重機はアスファルトが読めるけど手紙は難しいだろう。私が水槽の水面の波紋に金魚の体調を読めないのと同じだった。それですくった金魚の何匹かが死んだ。猫のお墓の横に埋めた。
「そろそろ帰りますね」
眠っているおばあさんに話した。まな板をもらってもいいと言われたから台所から取り上げてカバンににしまった。もうこれで地べたでものなんて切らなくていいんだと安堵した。味が変わるかもしれないから、塩は炒ってから使うようにしようと思った。
6
久々に料理したけど失敗ばかりだった。包丁で指を切ったしできたものもまずかった。五本の指。全部私のもの。それぞれが独立して動いて、何も掴めない。握り方を一つずつ思い出す。右側から順番に、一つずつ。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ。もっと沢山あったのがいつのまにかなくなっている気がする。左の手も、同じようにする。昔は、左の手が反対になることが多くて嫌になったから両利きになることを夢見たりしていたものだった気がする。両手が右手よりも不器用で箸はよくひっくり返す。右手と左手の足し算の和が両手の値に足りず、ばらばらになってしまいどうしよう。泣いている。こわい。こわい。五、六年間付き合って今は家にもいない両親は今ここで泣いている私の事に気づいたようなのだけれど気づいたその時にはもういなくなっている気がしたから大丈夫、ここにはいなくてもいつも側にいます。みんなの存在が嘘になるのは辛く、いつもずっと存在してほしかったままぱぱ。きょうははやおきしたからいっしょにあさごはんをつくって、それをいっしょにたべました。にくづめしたみんちもほんとうはねむくてしかたがないのにあさからかいとうされて、たいようもごはんのいいにおいがするからちかくまできます。おにわのはなやさぼてんさんがきょうもげんきにあいさつします。なげたぱじゃまをせんたくきさんがたべて餅を詰まらせて老人めいたノイズが鳴り、目を覚ました私は高速度で飛翔してはぶつかり合う鉄柱のことがしんぱいだったけどおかあさんがせんたくのせんざいのおくすりをちゅうしゃしてすっかりめのまえがぐるぐるげんきそうです記憶の奥にあった、母(料理の手伝い中もずっと鍋を見ているなかになにがあるのだろう)の声の記憶まで蘇ってくる。
記憶「目の前の現実が、断片的に歪んで見える。景色が流れるように動き、静止している物が躍動しているようだ」
食材を直接捕食することの教育効果は、言語による伝達やワークショップ形式の体験学習のそれを遥かに凌ぐ。あらゆる手段を用いて食材を口へと運ぶ。その過程の激しさと方法の多様さ、それらが選び取られる即興の過程、その速度。目の前にいるのは私たち人間を含めた哺乳類と同様の進化系統を見出すことが出来ないような種類の生物なのだが、時に窒息死によって命を落としかねないほどの勢いで生き物を捕食する生物は、果たして自分自身を恐れることは無いのだろうか。そういった感情が一片たりとも浮かんでこないなら、捕食行動はおそらく私たちにとっての呼吸のような非随意行動に近いのだろう。捕食者の生存戦略に巻き込まれ続けて死ぬ無数の生命のことを考えるたび胃腸の下の奥の方に言葉にしがたい感覚が堆積していきいずれ吐き出した。やっぱり味がまずいんだ。どうしても。やっぱり外食か。
「いろんなところに行ったね」
きっとバカにしてる。
「もう帰ってきなよ」
ほらね。
「笑ってる」
笑ってみる。
「泣いていない」
泣いてみる。
「これはそういうインタビューみたいなことです」
「生きられている」
7
昔は鼻から水を飲もうとして怒られる子だった。今は飲み忘れる。部屋を片付ける。お皿を割った。爪が食い込んで、中指が痛い。知らない人のDiscordの通知で目が覚める。時差があるからめざましになっている。自分の言葉が、知らないところで誰かの目を覚ましているなら、それはとても恐ろしいことだと思う。暑いんだか寒いんだか分からず、ちぐはぐな格好で外に出て、それがよく似合っていると感じる。来年も同じものを着て、昔着ていた服をいくつか捨てながら、けれどやはりちぐはぐなまま様々な服を着ることになるだろう。おしゃべりをしていると廊下から隣人の声がして、見られていたみたいで、急いで戸棚を片付けるふりに戻り、ほこりが舞って咳をする。眠る前の自分と起きた後の自分の距離をはかるためのものさしを、どこかから借りてこないといけない。
ぴょんと跳ねると散歩道の地面は日ごとに柔らかくなり、もうすっかり季節は秋めいている。いつも通りの歩き方を繰り返すことは、昨日と今日で私の信じていることがそこまで変わっていないんだよと私が信じるためのおまじないの一つだ。だから外に出なかった日は三本足の魚がキノコに話しかけるのを窓越しに眺めることになってしまう。正解があって、別解をまだ誰も見つけていません。新しい太陽になれば面白いと思う。形が四角で。その温かさがまだこの場所で信じられる。
(長い休止)
そういえば最近足し算をしていなかったこどもは、向かってくる車の方向がうまく認識できなくてぶつかってしまうことがあるらしかった。みんな泣いたみたいだ。交通事故の件数が跳ね上がっているのを誰も気にしないようになる。まっすぐ歩けなくなっている。人の体はほとんど水なので涙を流すと肉体は島へ近づいてしまう。干上がるまでの歴史を誰かが書き残すとよいのだと思う。書いたら眠る前に三回読んで、読み終わったらスタンプがもらえる仕組みになっています。毎日やりましょう。あなたがそれを忘れたと言わないように。
右手で次に吸う息を掬うと、体が受け止める動きで前に進み、息の塊に追いつこうとする、今、追いついた、私、の体が振り返ると、さっきそこにいた私が立って「おはよう」と言うのでした。息を吐く。「窓の向こうにしばらく燃えているものを見ましたか?」握手をする。向かいの家に窓で反射した日の光が、ちょうどまっすぐにこちらを向いている。「私たちは、きっと良い友達になれますね」また、息を吸います。右手を肩の高さに、椀のように曲げた手のひらが私が吸う分の空気を刈り取るように、引き寄せると、小さく風が起こる。照り付ける日差しが煮えてほどけそうになって、息を吐くと、物事のかたちはおだやかに収斂していく。「きっと良い友達になれますね」握手をする。この動きを、しばらくあなたは繰り返している。
つま先をつかんでからしばらく動けなくなる。姿勢の後で素直に立って、部屋の端から端までを歩いてみる。長さを確かめるような注意で歩く、歩く、歩く。その一歩に私の気分や、思い出のことがあまり介入しないようにしておこうと思う。そのような歩き方で、できるだけ毎日部屋の計測を続けると泣いた日に部屋は長い。息の吸い方を忘れないようにする。たった少しだけ、空気を包んだ薄い粘膜を裂くように手をあちらに向け、その奥から吸う分だけの息を持ち帰ってくる。外で風が吹いている。あの風がこの場所にあるものか。あの日の光が、私に差し向けられたものか。猫の鳴きまねする子供。食事の支度をする。それを食べる自分のこと、何日も前から想像していたその人が今からの自分になることを小さくお祝いする。そうして吸った空気を頭の中や腕、つま先へと移し替える過程をしばらくぶりに思い出している。お風呂をためないといけない、浴槽を洗わないといけない、雨のことを気にしてはいけない。懐かしく肉を熱する。いつか教わった味付けをまたここで作るいくつかの手続きがある。例えば醤油が変わってはいけない。入浴剤を買ってみたので試している。ゆずの香りでしたが、林の中で眠る小熊を見守っている鳥がいつまでも眠たい。それが飛ぶ高さを私が上げる右手の高さにしたとき、浮かんでいる自分を地上から見上げて、そこまでの高さを測る歩き方がわからないけどきっとおかしなものだ。降った笑い声がくすぐったくなる人が今日の散歩を休みにする。小石に躓いても痛くない。燃える木を見ている。逃げていく生き物たちが散り散りの宿で同じ話を繰り返す。作り置きの味噌汁をやっと飲み終える。久々に晴れの日だ。つま先をつかんで、私の長さが確からしくなったら、一歩、部屋を端まで歩いていく。その部屋の長さの伸び縮みを、これからあなたに起こることの一つの喩えとして体へと持ち帰ってよかった。
小鹿が目を覚ます。
通り過ぎた人の話し声。「きっと良い友達になれますね」
ぶつかり合う鉄柱。ここでは日差しのかたちが、どうしても眩しすぎる。
8
おばあさんは自分が昔魔女だったって言った。
21
初めて会ったのはいつだったっけ。
「むかしむかし」
もう少し、詳しく教えて欲しいなぁ。
「人々がまだ規則を信じられていた時じゃない?」
猫が人語を理解してくれるならとっくの昔に話していることを話して過ごした一日だった。アイスを食べながらSNSを見ていたら眠くなって寝た(このところずっとそうだ)。起きてから歯を磨いてなかったので虫歯が元気だと思ったらまだ五月だったので安心したけど安心している自分が少し不安になった。口に歯ブラシを突っ込んでごりっとやったら血がすごく出たからもう安心だったと思うことにした(でもまだ少し心配だった)。音楽を聴きながら再び布団に潜った。潜りすぎる。鉄のぶつかる音で目が覚める。想像から一瞬で引き戻されて辛くなる。安心が欲しい。また眠る。満員のバスターミナルで猫を待っていた。バスが時間通りに来なかった。猫がやってくる。空席のバスでは明日起きた後のお祈りの内容を考えて時間を過ごしていたし、知らせみたいな声の響き方が想像する通りの朝の匂いと同じだと思ったら、定期券の数駅先の知らない停留所の名前が匿名の詩人の造語みたいだった。朝、猫は来ていないしバスも来ない。でも私はもう起きてしまったからとまた歯を磨くことにした。歯磨き粉があと少しでなくなりそうだったのをすっかり忘れていてキャップを外した瞬間にチューブに穴が空いていた。まあまだあるだろうと思って口をすすいだ後もう一度歯ブラシを入れたらやっぱり穴があったみたいで何も出てこなかった。仕方なくそのままうがいをして顔を洗ったら鏡の中に知らない人が写っていて驚いたのですぐに顔を洗う前に戻った。部屋までついて来ていたその知らない人が歯磨き粉のチューブをゴミ箱に捨てていた。私は書いた日記を誰かに読んでほしかったから頼んでみた。
とりあえず家の片付け。なんだかんだいってこの光景も今では見慣れたもののはずなのに面白いと思い続けてる訳で、まだまだ当分飽きがまわってこなさそうだなと思った午後でした。こんにちは死にたいと思う気分ですがだいたい無理なので諦める方が良いかもって最近考えます。最近たくさん眠って、夢で昔のことを思い出します。知らない場所でも、そこが私の暮らした場所で、そこに確かに私がいたって思える。その感覚だけがいつまでもほんとうのことで、だから夢の中も生活と地続きになってる。狭いこの部屋から浮かび上がって、私は一人暮らしというより、私同士で二人暮らししているみたいです。よろしくお願いします。最近、パスタを作るのにハマってます。冷蔵庫を掃除したらベーコンの塊を見つけたからついでにね。練習中だけど、意外と上手でみんなにありがとうって言われちゃった。なんか結構お腹減っちゃってみんなでもしゃもしゃ食べておいしかったです。よかった。
ー(いつか日付が書き込まれます)
皿洗いが面倒くさくならないように、いつか食洗機を買いに行こうと思った。明日こそ家の片付けをやる予定。今日、友達にパスタを作ってあげたよ。冷蔵庫を掃除したらベーコンの塊を見つけたからついでにね。ありがとうって言われちゃった。なんか結構お腹減っちゃってみんなでもしゃもしゃ食べておいしかったです。こんな景色の所で生活していくんだ。ああ都会に来ちゃったんだな本当に……窓の向こうはもう真っ暗になっている。部屋の外に絵本で見た生き物たちが棲みついて、それを観測するような仕組みがあちらこちらに見回ることができるようになった。これはなかなかショッキングなニュースでした。こんな状況なのにお巡りさんとかいないのか! さすが都会! と本気で思ってはいたけれど、そんなこと言うより寒いから開けた後は早くドアを開けてほしい。張り付いた窓から顔を離していった時にはまだ脳味噌の波打ち際で、はね回り、テーブルの横へと転げるのが誰で、どんな顔で何を考えていたか分からない。(今日のご飯はカルボナーラでした!)
ー(日付が書き込まれます)
両手いっぱいに握った。ただ見つめて、しばらくの時間が過ぎる。
いただきます。
今日も昨日と同じものを食べてます。
今日もです。
ずっとこれを食べるんでしょう。
もうなくなった。
外で取ってこなきゃ。
これでいいか
まずい
ー(日付が書き込まれます)
朗読してあげたけど、猫は黙ったままだった。私は謝る。謝るときのための顔を借りるのを忘れていた。幼いころ、母が「人の顔には表情が必要だよ。盗まれないようにね」と話してくれて、それからというもの、朝ごとに顔を借りに行った。駅前の自動販売機の裏に、それこそ剥がれた皮膚みたいに乾いた場所があった。そこには昨日使い捨てられた顔が積まれている。笑顔が膨張し、裏をめくると恨みが裏側から湯気をあげていた。私はセロハンテープでちぎったノートの切れ端を顔に貼って上からシャーペンで描いてごまかそうとした。まぶたのかわりに植えられた紙は、記憶を保温する。まぶたの裏に眠っていた時の夢の記憶が浮かんだ。割れた蛍光灯の下に兵士の死体があった。口を縫われていた。笑ったままの仮面を被せられて、本当の顔をしまいこまれていた。触れると冷たくやわらかかった。私は食べるものがなくて、兵士の皮膚を剝がして煮てスープにした。温かく、久しぶりに美味しいと思った。午後の散歩のついでに路上でスープを配ると子供たちが集まってくる。背中から血を噴く者、骨の内側に砂利を飼っている者、口のなかが図書館になってしまった者たちがいた。私はできることをやったと思う。疲れ果てて座り込んだ。あまりうまく物事を考えられなかった。鈍く鉄のぶつかる音がして、とっさに物陰に隠れたが少し遠くまで歩いてきたから吹き飛ばされる心配はないのだと思い出す。温め続けていたら顔は溶けた。湯気になって少し天に昇った。もったいないなと思って、すぐに自分を殴った。でも回収しないと雨に他人が混じるから気をつけないといけないと言い訳をして自分がばらばらになりそうだった。死んだ後の沈黙がぴたりと頬に貼りつく。息をすると内側から軋む音がする気がする。私の心は腐りそうだった。あたたかいものは腐敗しやすいから、私はもう何度も崩れてしまいそうだった。もう思い出したくなかったのに、そのことを何度も思い出した。街にいた子供も大人もみんな沈黙の中に溶けていく。生きる時間が一つの水面へと重ねられる。私はみんなにおかえりなさいと言う。触れられた日々が折り重なり、記憶はその縮尺に従って畳まれていく。街が地図になって飲まれ、地図が私の掠れた感覚の中で街に戻される。時差に慣れない人が「ここはどこだろう?」と聞く。そばにいた人は首を捻り、もう外れそうになりながらそれでも話している。見知った人が私を比較的安全な隣町まで連れ出そうとしていた。今いる場所から元の場所に戻ったら、忘れてしまうことがいくつもあると思うと寂しくなった。痛みは遠くまで運ぶことが難しかった。手を引かれて連れられた馬車の中で私は自分の過ちを何度も反芻した。揺られて眠りながら、少年が別の少年を食べる夢を見た。隣町に着いた私は配給の食事を全て地面に吐いた。私は私でないものを必要とした。
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「ちょっと待って、いいからそこで待ってて、今から一回も嘘をつかないで、きっと私はこれからたくさん嘘を言うから、だから単に座ってて、あなたが理解しようとする呪いがあなたにとっても呪いにならないようにしてあげるから笑ってほしい、ちょっと、その単に待ってる姿勢をやめてほしい、いやだって、あの、そこにあるじゃない、いや、え、この、椅子が。椅子。知ってる? 椅子って」
私は昔書いた小説の続きを書かないといけなかった。プラグとソケットの区別がつかず泣いている。文章には意図的な誤字脱字が無数に存在し意図して採用した文体だった。それを直さないといけない。「昨日までの悩みなんてへっちゃらなんだよ!」と笑う私を友達はあいまいな笑い方で誤魔化しながら眺めていた。 「≪彼女は、昨日の彼女と同じ身体を持っているのだろうか? ≫ 」
それは私の身体とそっくりで、しかし彼女の方が少しだけ大きい。私は全身を彼女に貸しながら思うけれど、この身体は本当に私と繋がっている必要があるんだろうか? 誰かからの借り物だったんじゃないか?(だって彼女の部屋にはたくさんの用途の分からない機械がある)私も彼女も規定の範囲内に収まるようにと色々計算してこの身体を選んだわけではないし。 「≪彼女は私よりも少し背が高い。私は、彼女の身体に入る時と出る時にだけ精神的に苦労する。それは僕がこの身体に不慣れだからで、そしてまた彼女が僕の身体を使い慣れているからだとも思えるのだけれども……≫ 」 でもそのことで一度も喧嘩したことがないから、まあ、別におかしくはないかとも思うのだけれども、私と彼女の関係を今のまま、様々な審議を通すための一般的な議論のテーブルには載せがたいと感じてしまう。
「時間が、手が足りねえよぉ。足りねぇよぉ……」
机の上にあくびが塗られる。もう期限が迫っているのになのに何もわからないままでいた。飛ぶ鳥の高さを指がなぞる。指は飛ばない。私は私の言葉に押し込んだ記憶をうまくほどくことができないままでいた。幼い頃、ただ羽が生えれば足が速くなくていいのにと思っていた。よく転ぶ子供だった。水泳を習わされた。初夏の日差しがあった。前に左にあった記憶を右にずらすと、視界が揺らいで友達が少し増えた。一度忘れていたことだ、忘れないようにしたい。これから、いつまでも。 裸足になって、外に出てみようとする。玄関にためらいがある。靴の左右を間違えたときと同じじゃなかった。わざとそうすることがあった。ここが海に浮かんでいればいいのに。いや、かつてそうだったか。いとことバーベキューに行った時、靴が川に流されてずっと笑っていた。いとこはそのことでずっと泣いていた。まだ四歳くらいだった。散歩道に、落とし物の靴が置いてある。それを流れ着いたものだと思ってみる。人の往来を川にたとえる。体に巡る液体のかんじを思い出そうとしてみる。誰の忘れ物か、この場所で知らないままだ。拾うと怒られるからそうしない。木の枝を拾った。柵を打って等間隔で鳴る音を歩き方にする。少し遠くまで歩こうと思った。いつも間に合わない信号に間に合ってしまうから、曲がれずにただまっすぐ進んでしまって、そのせいでいつもより帰れなくなってしまう。呼吸がいつも透明なのを世界の新しいことにしてみる。アスファルトに触れる。擦れた皮膚が雨や風に運ばれて、その遠くで土に溶けることについて小さく考えてみる。その皮膚が蟻やたんぽぽが人について読み書くための資料として博物館に飾られたり、良い栄養であることを期待してみる。信号のない道を渡ろうとして車に轢かれそうになった。運転手の目が、通り過ぎたあともずっとこちらを見ていた。それがもう遠くにあって、ここにない。
それで、気晴らしになった? と話した友達の問いかけに答えられないままでいる。川のように曲がった道路がチューブで、体の奥へ続く。曲がって、裂けて、行き止まり。貼られた選挙ポスターは、誰の顔でもなくて、ただ印象が空洞になって残る。ポケットの中のタブレットガムをもう一粒、口に放り込む。記憶を味わっている。お腹が空いた。食べたいもののことを考えようとした。蝶と、花と、水が頭の中で組み合わさる。むかし友達の友達が蝶だったから、私の友達はきっと花弁の裏地だった。血は透明になっていて、沈む鉄を拒んでいた。岸辺の木がこちらを見るとき、彼女がここに立っていた時と同じ記憶が揺れていた。花は家になる。虫は地図を覚えない。だから、私は気まぐれに歩いていく。踏みつけられた花弁が、湿った土の皮膚に埋もれてゆくのを見たことがある。河川敷の土を素手で掘り返す。深呼吸。土は肺に留まらず気管に貼りつく。詰まるのに、楽しい。だけど怖い。それが記憶の正体だったらどうしよう。誰も死なないようにしなきゃいけないのに。どうしよう。履歴を消しても、あなたの声は地面の中に記録されている。ふやけたアスファルトを歩いていたら、誰かが、私の頬をチパチパと叩いた気がした。振り返ったが、そこには関係のない人の影ばかりだった。猫がこちらを見ていた。信じて待っていればきっと友達になったけど、やめた。私の記憶を背負わせる必要はないと思った。
「またね。またおいでね」
「にゃおー」
信号が変わる。青から、赤。黄色。車が止まる。鳥の声がリズムに重なる。立ち止まる理由を探していた。飛行機雲が思ったよりも低かっただけだった。鳥は私をよく見ていた。道路の真ん中で思い切り背伸びをした。伸びた分だけ、戻るとき苦しい。嗚咽とともに、ゴムのように反撥される。血の巡りと共に過去の景色が送られてきて、それを咀嚼して、丸めて、ポケットにしまっても、いつかは膨れる。折りたたんだ記憶は私の頭の中をすごい勢いで覆い隠して、焦ってどうしようもなくなって、見ていた信号が待ってみたけれど赤のままで動かなかったから無視してまた歩き出した。間違えているかもしれないと思ってもどうしたらいいのかわからないまま歩くと結局正解だったりして安心する。でも本当は間違っているのだと思うことが何度もあるし、それを間違いだと言い切ってしまうことはとても悲しいことだとも思う。もうお腹が空いた。道に置いてあるものを探す。さみしそうな人が座り込んでいる。あなたに祝福があればいいのにね。ビニール袋の擦れる音。鼓動が少し急ぐ。私は山ほど茹で上がったパスタが皿に盛られているのを見たかった。ありったけ大量に用意して盛り続けているうちに腕が疲れ果てて次第に何もできなくなり、その感覚を受け入れ始める頃には腕の疲労よりも脳の思考喪失が早くて、無への扉がようやく開かれるだろうと信じ込んだ。塩を入れ、黒胡椒をかけ、ソースの無い麺を食べたい。時々自分が何処にいて何をやろうとしていたのか分からなくなる。ぼんやりと考えて、混乱の中でもう死んだような気になった後、更に一口食べたらやっぱり私はまだ生きていた。
「ただいま」
バラバラになった体が部屋中に散らばっていた。筋繊維の束ごとが引き伸ばされていた。そういうミートパスタだったか。私は昔友達を殺したことがあった。そして我が家は残酷の宿であります。
1105372
友達みんなで鳥貴族行きたい! そう信じて、私はかつて数十万の人民を意のままに使役していたのでございます。
貢納や軍役の義務を負わせ、圧政の下で混乱した人々は領地と食料を奪い合ってむごたらしく死んだ。だからいつも私の友達でいっぱいの鳥貴族は誰にも予約が取れなかった。一度掴んだ席を別の誰かに譲る理由が存在しなかったからだ。飢えて繊維の束のようになった人間が扉をノックする音が私の部屋に響く。ゴンゴンゴンゴンゴンゴンうるさいなもう。
冬の朝、配給所の扉に付いた鉄の桟が骨みたいに冷えていて、列の先頭の人が手袋を外して拳を作るたび、うっすらと血の色が木目に残った。私は名簿台の前に立って、番号札を管理していた。。名前、戸数、年齢、職業、持病、同行の子供の数。欄外に「観察」と書かれ、私はそこで咳の頻度や歩幅の乱れまで記すよう命じられていた。鐘が鳴る。遠くの鉄柱の衝突と同じ拍だった。鐘が一度鳴るごとに、列の十人が前へ進む。配るのは小麦粉、塩、干し豆。
午後になると、体育館の換気扇から祈りが舞い上がった。祈りは白い蒸気に似て、天井近くで輪を描き、それから消えた。床には靴が散らばっていた。片方だけ残ったもの、紐が切れたもの、泥の乾いた輪が入ったもの。私は片付けを命じられ、靴を拾っては大袋に詰めた。袋には重さしか記録されなかった。
ずっと、ずっと私は怖かったけれど、ついに交代する時間が来たんだろうなと思った。
「はい、ただいまご案内できますよ〜」
ドアのかぎを開けて、一目散に反対側の窓に向かって走り出す。人々が流れ込む勢いで、私はベランダから飛び押して自転車置き場の屋根に飛び降りた。そしたら私がずっと無視しようと思っていた鉄のぶつかる音が遠くから響いて、私は結局真っ白な部屋の中をずっと遠くまで歩いてきただけだった。視界が奪われたのにまだ部屋の中で鍋を漁る音が聞こえていた。急いで鉄柱のあった方向に向かって走り出した。街を抜けるころには遠くから鉄のぶつかる音が聞こえ始めて、銃声や爆音も混じるようになる。私たちが歩く道には既にあまりにもたくさんの絶滅が練り込まれている。みんなここにいる。その先端に今、私たちがいる。新しいパスタが生まれようとしている。終焉は私の意識たちによる合議によって決定され、世界は大皿の上に置かれようとしている。一回全員死ね」祈りの言葉は世界から失われる。しかしその身朽ちるまで、せめて手を合わせることはできるだろう。それを救済のための儀式としていただきます」自我は肉体の軛から解放されていく」そして友達と一緒に作って食べたミートソースパスタの味を思い出していたら、死んじゃった友達とか夢の中でしか会えない人のことまで思い出して涙が止まらなくなって、涙も鼻水もしょっぱくて、それも美味しかった。ごめんね、ごめんね」って何度も叫びながら止められない世界の崩壊を眺めていたら何もかも分からなくなりそうだった。まだうまく生きられるか自信がなくて、決心がつかなくて、次の一口があるのならそれが生命だと確信しようと虚無を貪っていた。皿を齧り、机に歯を打ちつけると数本が折れた。流した血が床に溜まりを作ったところでけたたましいサイレンの音が聞こえ、すぐ後で爆音が鳴り止まなくなった。
必死に逃げた。沸騰する血液。私は煮えた海になろうとしていた。駅前でフラッシュモブが踊っていて、みんな楽しそうになってるのに私がうわっみたいな感じで見てるのとか絶対違うじゃんって思ったから逃げた。火炎瓶が投げ込まれた。やっぱりお外は怖いよ。私はどうしようもなく気まずくて逃げてた。やばい死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。死ぬ? もうとっくにたくさんの人が死んでる。人身事故で電車も動かない。むかついてるサラリーマンが「ふざけんなよ」とかボソボソ呟いていて怖かった。各地の施設が襲撃されている。現代兵器は見境なく生き物たちを殺しまわって、火を放って、そうじゃなければこの星に全ての生き物が生きていけるだけの場所も食べ物も思いやりも残っていない。偶然今死んでいない生き物たちは次の一コマで自分が痛くなったり苦しくなったりしていないよう祈ることしかできない。こんなのじゃ生き残ったって意味がない、と思うことで生きていることを確かめる。いつも行ってた駄菓子屋が閉まっている。おばあちゃんが体調を崩して続けられなくなったらしい。爆風で揺れるシャッターの音がぶつかる鉄柱と重なり合って、パロディだと思った私は壁を殴ったが、それでおばあちゃんが起き上がるわけもなく間食を諦めて先を急ぐことにする。私は先を急いだ。
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しかし思い出すのだけれど、私はずっと白い部屋の中にいるわけだった。ここが記憶の再構成ばかり鍛えさせられた修行のための場所であるのだと気づいた時、もしかしてあらゆる人間が同じような部屋に閉じ込められていて、ただ回想の再構成を前の住人から引き継いでいるだけなんじゃないかと思い至る。突飛な想像だったけれど、頼んでもいないのに途中から世界に投げ込まれた人が見るものなんてそういうところに落ち着くかと納得し、そういえば目の前には鉄柱が二本浮かんでいた。
「我々は柱というより杭でございました。世界がずれないように打ち込まれ、記憶が暴走しないように基準を地面に固定するための杭。そして同時に、ぶつかるたびに計算する機械。反応の厚みから余剰を剥ぎ、重複する思い出を互いに圧縮しては捨て、残すべき最小の輪郭だけを刻む。目的は、世界の秩序を維持すること、つまり忘却の配給を管理することでございます」
「なぜみんな死ぬ必要があったのか」と尋ねながら私は鉄柱に触れ、指先が泡立つように細かく枝分かれし続けていることに気が付く。やはり引き継いだ過去が私に感染し、私を借りて姿を現そうとしていた。私は眼を閉じ、柱の間に立った。ほんのわずか前傾すると、二本の間に細い隙間が出来て、そこを冷たい流れが通る。風は私の後頭部から記憶を剥がし、剥がれた薄片が柱の表面に貼り付けた。貼り付いた薄片は、次の衝突で粉に砕けるだろう。記憶は生成されるたび維持コストを背負う。時間・食糧・睡眠・場所。誰かの反応が厚みを増すと、別の誰かの現地は沈黙する。柱たちはこの傾きを一定に保つ。今日忘れてよい固有名、明日残すべき数字、殺すべき感情を仕分け、配るここは保管庫であると同時に無菌室だった。時間を跨ぎ遠く流れ着いた無数の苦痛を剥き出し、背負わせるための実験の場であった。私はその仕組みを理解し、同意し、わずかに腹立たしく思い、また理解した。
「死は多くの場合本当の削除ではなく、仮想停止です。過剰な分岐を一旦凍結し、必要なら解凍する。あなたが「死んだ」と読んだ多数は、保存容器へ移されただけ。完全消去は稀で、資材不足の時にだけ実行されるのです。あなたが背負わされていた苦痛は、人の魂がどれほどの負荷に耐えうるかを試すテストのようなものです。新たな魂のために試されているのです。一貫した人格を彫琢するというのは、あり得た無数の他の人格を殺すことと違いないと思いませんか?」鉄らしからぬ知性に驚き、外見で知能レベルを判断していた私の欺瞞を恥じたが、しかしぶつかり合う必要はないだろうという違和感を否定しきれずそこを反論の手掛かりとした。鉄柱は笑った。私の耳の中で砂が転がる音が鳴って、そろそろ寒い季節が来ることまで思い出された。
「あなたたちは何のために戦ってるの」
「あえて何か言うならば、人間の計画性のためでしょうか。膨れ上がる記憶の維持管理、圧縮、削減。宇宙が合理的であるための、あなた方や我々が辛くならないための配慮や技術としての、想像されたものたちの絶え間ない仮想的な死? なんでもいいですが、あなたは間違って全てを思い出しすぎたのです。生活のためには、忘れることです」
戦うための武器について、私はとうに結論を見つけ損ねた。祈りは腐臭を換気するためだけにあり、救済の到来とは何の関係もないような気がしてくる。記憶には名前が割り当てられていたが、無数の誤読に晒されて絶望し、姓を奪われ、やがて行き場をなくしていた。やっぱりケアレスミスの放置が悲劇を生むから、私たちは退屈な文書をよく読む必要があった。誤読された正義、誤読された善意、それらは記述として尊重はされど得点にはつながらないという理由で破棄されて、私だってテストの点を上げてみんなに自慢したり褒められたりしたかった。そうやって誤読が取り除かれた庭として世界は美しく鮮やかであった。凡庸さとは創造の欠如ではなく、既に生み出された創造に抗う必要のない安寧のことか。全てが既存パターンの変奏と保守点検に終始して、創造的な誤読、作家性、個の発露、それら全てが職場に持ち込まれた私情として唾棄されるべきだったのだろうか? 私は祈りを重ねた。必要なのは部屋の模様替えではなく換気であるように感じた。しかし私はずっと、ずっと真っ白な部屋にいた。何もかも忘れずに抱えることが辛いのはいいとして、色を奪われることまで背負わされるべき業であるのか? 私は手先の成長に養分を吸われて枯れ始めた脳に水を注ごうとしたが、既にコンビニからあらゆる物品が持ち去られていて飲料水も例外ではなく、私が引き継いだ罪として喉は乾き続け、手は伸び続けた。そうして植えられた無数の腕が私から千切れ、勝手に地面を縫うように地上に残ろうとしていた。私は死ぬが、手は遺され、捕食側と被捕食側の区別はなくただ意志が自然の遅い速度へと繰り込まれて速度を変えるだけだった。それは秩序であり、そこになんの後ろめたさも感じない。私がかつて、それを使って全て覆しうると思った私の手。やっぱりどうせ生きているなら、その間に焦る必要があるなと感じた。どれだけ小さくて無意味でも、私が私であるその領域くらい守ったらいいだろう。それに誰も文句はないだろう。自然の速度でも変革は進み続けるが、それはどうしても一つの生には遅すぎる。
引き継がれた罪として私の手は地上を飲み込み、その全てを喰らった。海は干上がり、砂だけが残され、粒が爪の先で白く砕け、猫が上に寝そべっている。なぜ猫が? もう思い出せなかったが、尾の影を踏もうとして砂浜を転がり続け砂がまとわりついていて可愛らしかった。傍に一人の骨が晒されている。もう忘れられた寂しさ。私たちに積み重なってきた記憶はかつて誰かの骨でもあった。この子もじきに眠るのだろう。私はまたお祈りをする。目を閉じる。やっぱり誰も死ななければいいのに。今更だった。私は泣いていた。それが干上がった海を再び満たして、何の生き物もいない、それだけの破局だと思った。立ち上がった猫が、しばらく立ち止まってまたしゃがみ込む。帰る前にもう少しだけ、まだやることがあるんだろう。私は既に帰る時間だった。もう帰る時間。もう帰る時間。もう帰る時間。もう帰る時間。役割を終えた回想が曲がって畳まれていく。波打ち際がもう一度だけ、泣きながら遠ざかっていく。
13
目を覚ました僕の前にはやはり彼女が立っていて、特に何も言わないまま僕は部屋を出た。エントランスまで降りると外の景色が見えて、さっきまで見ていたはずなのに久々の外の景色だと感じ、僕は見てきたものをいくつか思い出そうとする。それから眠る前に過ごしたいつかの夜更けを思い出しながら歩いて、川があって、橋を半分渡ってからずっとまっすぐ進むと植木に小さなポーチが引っかかっていて、それが僕が散歩中に落としたものだったから枝から外して持ち帰った。マンションの中から出られないと思うと眠れるようになる。
朝、目が覚めてすぐにカーテンを開ける。雨の降る気配があって、傘を持って玄関を出ることにする。昨日より少し早く着くようにするつもりだったけれどずっと信号に引っかかってまた同じ時間に着いてしまう。昨日歩いたのと同じ道を今日も歩いた。信号が全部青で、そのどれも少し違う色をしている。公園を見ている。左にあった草の匂いが次第に濃くなっていくので久しぶりにどこのスーパーへ行こうか考えている。左奥に機械が置かれているのが見えた。新しいプリンターだった。その隣には古いテレビが置いてあって、それはもう映らない。信号を待ってみるけれど赤に変わらないのでそろそろ渡ってみようとする。iPhoneの通知が鳴った。
「小説書けた〜送るわ〜。今度また歩きに行こうよ〜!」
友達は入稿がぎりぎり間に合うらしくて、僕の微小な貢献が報われたならよかったと思った。
「そういえば、今日の午後とか空いてる? お疲れ様会をやりたい!」
僕は病院に行く予定をキャンセルした。
待ち合わせ場所には生きている知らない人たちが無数に待ち合わせていた。交差点を埋め尽くす人体の数だけこの場所に約束が括り付けられているが、そのどれも僕は覚えていなかった。久しぶりに会った友達は会うたび一人ずつ表情が違って、そのそれぞれから遠く隔てられた別々の由来が香っていた。再会に相応しい自分を毎回見つけてくるらしい。
「(私は)私って「そういえばさ、あの時」(ねえ、)どこ行こっか?「ごめんごめん「(あれ何話すんだっけ)」」」」
もはや誰に向けた言葉か知らなかったが歩き出した。「とりあえず鳥貴族でいいか」隔てられた二点が一点に畳まれていく感覚、折り紙の指示書をなぞっている。デジタルサイネージから跳ね返る光のそれぞれが暖かい。友達が眼孔の内側に映って世界に重なり、それで存在したことになっている。
「何言ってるかわかんないや(笑)」
友達はもともと一人だったはずで、僕が会わなかった数年でどうやって分裂したのかは知らないし、理由を聞き出せないままでいる。過去を掬い上げれば、確かな一つの人格を同定することもできたと思う。けれどそうやって整合性を保とうとするのはいかにも不誠実で、花を見るために根を掘り返す必要はなかった。一つの根、枝分かれた複数の枝葉。「進化」とか「可能性」はそういう性質のものだったと思い直す。僕も僕の友達も、周りの人より少しだけのんきで自由奔放なだけだった。
「「本当だよ」「本当だよ」「本当だよ」」
「じゃあそれは本当に本当なんだね〜」
躁的なテンションで無尽蔵に話し続けるが、故に話が通じずマネジメント能力の欠如を恨んだ。
「(あなたは誰?)」
「(私は誰?)」
もう長い付き合いなのに互いがそれぞれの名前を知らないように、誰かは誰かを知っていて、その逆ではあり得ない。個に収斂する気配のない友達をさっきの待ち合わせ場所の人体の群れと比べ、差分を指折り数えて、この目の前に現れた人は今の僕にとっての誰になるのだろう。「私は誰?」は人の名前ではありえない。理由のない笑い。しばらくの間の後に理由のある笑いが続いた。
「とりあえず、今書いたところまで読んでみてよ」
≪早朝五時四十分だけれどもまだ日が昇らない。私は、この山から見える北極星の観察記録をまたひとつ増やすことができる≫ 知らない光。片目にだけ一面の花畑が投影されると、曖昧にずらされた視界に託して、網膜に張り付いた彼女が新しい感覚として僕の声で話す。忘却は生き物に固有の能力だそうだけれどもーーと彼女は続けるだろう。現在のところそれは正しいようだけれど、しかし未来において逆転するかもしれないという予感がある。
≪私は、この山から見える北極星をまた一つ増やすことができる≫ 意識に苦痛は見出せず、しかしそれは彼女がまだその地点へ到達していない。彼女は今ようやく三歩目を踏み出したところ。
僕は結局この友達の小説が何を言いたいのか、よく分からないままでいる。
≪この山から見える北極星は、もうこれ以上増えようがないほどたくさんある。なのに私はまだ観察記録を増やせると信じている≫ 僕たちはあらゆる存在の未来であり、この世界の時間方向における未来だけれど、その僕が今この瞬間に見ているものについて友達が知っているなんてことはあり得ない。木造駅舎から十五時間汽車に揺られて、駅に降り立つともう山から見える星は九つになっている。無人駅を背に再び駅から引き返してゆく汽車を見ている。意識に痛みを伴わない忘却がヒトに固有の能力だと信じているけれどもーー≪この山から見える北極星はもう増えようがないほどたくさんある≫やっぱり僕たちは、どうしてもたくさんの思い違いを重ねながら生きながらえてしまう。眺める夜空を宇宙のナンセンスにして、突如その中心に現れる時空間の全体像は、望遠鏡の焦点を目に植え付けた人が見るための形になっていて、僕たちの記憶の中で夜は白かったから、誰も眠ることができなかった。
記憶との間の部分に眠る記憶以前の時期の僕。今の僕と全く同じなのだろうか? ≪星は光らない≫ という言葉を借りれば、僕たちもまた光を放たない間にも存在しているらしい。タチの悪いことに僕たちの真ん前に並ぶ病的なオブジェクトはあるけれど、僕の視界は二つに裂けていたから開いた扉の両端ばかり見えて中をうまく見られなかった。扉の中に光は入っていなくって≪幼い私により啓示が与えられ、そして私はこの身体でそれを体験する≫ その二つの事実はどのように関連しているのか? あるいは全く関係が無いのか? 分からない。
だからとりあえず、あの小説が意味するのはつまりこういうことだろう:≪あなたの目に私は映らない≫
久々に手紙が届いた。文通なんていつからやってたんだろう。
「そのうちまた遊びに行こう。ご飯たくさん食べよう」
いつになく元気そう。きっといいことがあったんだろう。
私は皿を大量に用意して、テーブルに並べ続けているうちに腕が疲れて次第に何もできなくなり、その感覚を受け入れ始める頃に腕の死よりも脳側の思考喪失への扉がようやく開かれる。麺だけを食べている。口内のぐしゃぐしゃで口内の感覚だけ戻ってくる。麻酔した時みたい。時々自分が何処にいて何をやろうとしていたのか思い出せない。「現実というものに向けて私はいつ死ぬ事ができるのだろう、ここには誰がいるの」とぼんやりと考え、混乱の中でもう死んだような気になった後更に一口食べたらやっぱり生きてはいたがそれはなんだったっけ。大量に飲み込んでいただけでよく知らないけれど、次の一口があるのならそれが生命だと空気を貪っていた。脳髄に味を深く塗られたような気がする。こんなに美味しいと思ったのはこれが初めて。カフェインごときでは決して塞がることのない脳みその隙間に、どうしようもなくてまた思い出を流し込んでいる。痙攣する身体を壁の結露が笑っていた。中庭に穴を掘った。最低限のおやすみなさいを言うだけで済むようにありたいということだけだったけど、少し待ってられなくなったから私の足下にたくさんの谷が生まれ始めていた。頭上にはもう誰もいなくなったかと思うと、夜が終わった後の行き場のない気持ちはなんなんだろうと思える余裕が生まれて、私は思い出さなくてもいいことをたくさん思い出した。
電話をかけてみた。
(0:00:21)お互いに笑った。
(0:03:53)きっとたちの悪い冗談だった。
(0:07:14)初めて言った。
(0:53:14)もう何も言うことがなかった。
明日が何曜日か知らなかった。歩く方向を決めた。しばらく歩くことにした。アスファルトが続いた。いつか海に繋がると思った。実家の近所に似ていた。小石を拾った。海に投げた。誰かに、何かにぶつからなければいいと思った。道が暗いのを知らないことにした。朝まで歩けばいいと思った。何も考えなかった。ただ遠くまで歩けばいいと思った。帰りは電車に乗ればいいと思った。夜明けまで待てばよかった。あと何時間なんだろう。それまでどこまで歩くか知らない。車で通ったことがある。いつか空港まで続いている。それに乗って知らない場所で行くことだってできる。でも私は歩くだけにした。しばらく歩く以外で移動したくないと思った。体を離れた速度はみんな嘘になってしまうと思った。野良猫を探そうとしたけどいるはずがなかった。今は自分が野良か。友達に会いたいと思った。一人にもなりたかった。口を開かずただ同じ部屋にいたかった。帰れなくなると思った。帰る場所があるのか分からなくなった。家があった。鍵があった。ただそれだけの箱だった。雑草をむしった。指に巻きつけた。枯れるまで持っておこうと思った。もう歩き始めた時のことを忘れていた。忘れてしまったことばかりだった。あの時、あの場所にいた人の顔や名前を確かめられなかった。そうやって違う人になったみんなそうだった。自分を呪いにしたくないと言った。返事はなかった。その沈黙を優しさだと思えなかった。その約束もいつか思い出せなくなると思った。もっとこの自分に関係ないことを悩み続けることになるんだろうと思った。それでいいんだと誰かが言った。聞かなくても良いことをたくさん聞いた。聞くべきでないことをたくさん聞いた。それをないことにできなかった。だからそれを忘れてもいいように、別のどこかに残しておかないといけないと思った。そうすることを約束にしようと思った。いつかそれを誰かが見に来る。きっと乗り物は使わずに歩いてくるだろう。道がある。引き敷かれたそこを通るものがある。ずっと歩くこと。もう随分と歩いた気がする。今からしばらく歩かないといけない。計画性は最初から存在したんじゃない。悩んで、苦しんで、そうやって止まってた時間の最後の最後、意味も理由も飽和して、溶けて、だけが残ったときに、そこへ逆流して姿を見せる受肉を待つ骨だった。骨は手順に擬態し、手順は歌に擬態し、歌は境界を越えて記憶に擬態する。いつか聞いたことがあった音。知らないものばかり懐かしくて涙が出る。擬態の連鎖が、私の中で互いに侵犯し合い、混ざり、複製され、もう誰の法則だったのか判別不能になったとき、私はようやくやりたいことを思い出せた。特に意味はないけどね。今は、今から散歩に行きたい! そう思ったらすぐ外に出る! そういうのが大事だから! もうどこにいてもすごく温かい。聞こえてきた言葉たちを眺めて、私は積み上げた記憶を焼く。灰の温度。青色の音。白色の温度。頭の中に溜まった数字が歌って、犬が屍を食べて、鉄が加速して、街が骨の上を走る。私は眠らない。絶対眠らない。ただ一面の白色、この部屋の温度、指についた唾液、フラッシュモブ、気まぐれな観測者、声の抜け殻、境界を横切る風、安心できる毒、星の光、税として徴収されるもの、毛並みのさわり心地、歯形の形、重力を使わない踊り、駅前で殴りあう人たち、書き換えられないと思ってた台本、取得したドメイン、犬の鼻、小銭ばかりの財布、舌下に増殖する比喩、水道管、この手のひら、曲がる声、逆流する骨の手順、擬態の擬態、手の冷たさ、偶然生きた私たちの触知的な等価、大いなる計画性という名の、決められないことを決めるための前記憶接続式の、私の、私でないものの、都市も宇宙も犬も鉄も同じ温度で鳴っている次のただ一回の衝突。それを! 私は! 絶対! 信じてるから!
おしまい
◆著者プロフィール
synomare(シノメア)
主観の構成と保存に関する実践。言語表現・デザイン。「Multipotency」(anon press)、「あなたのディストピア展」(文喫六本木・anon press)文字レイアウト協力、『FFEEN VOL.5』(ffeen pub)表紙・本文レイアウト。その他アンソロジー寄稿やグラフィック制作など。